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しっぽや(No.116~125)

「うわ、こいつ、ついに堂々と猫連れ込んできたよ」
ノックしてしっぽや事務所のドアを開けると、黒谷があからさまに顔を歪めて私の持っているキャリーを凝視してきた。
「今回は三峰様の許可済みだ
 この子に協力してあげなさいとおっしゃって、私にお暇をくださったのだからな」
私は胸を張って答えてみせる。
「それは、ウラがバイトしているペットショップで買ったキャリーケースですね
 お買い上げ、ありがとうございます
 しかし、中身入りでの返却には応じかねますよ」
共に武衆で働いていた大麻生が、苦笑しながらそんな軽口を言ってきた。
生真面目だった彼は飼い主が出来てから、少し朗らかに変わっていた。

「波久礼の兄貴、うちは里親相談所じゃないっての
 その子、猫カフェに連れてった方が早いんじゃねーの?」
空も共に武衆で働いていたてめ、遠慮のない言葉をかけてくる。
「波久礼、荒木は受験生なので、今は子猫の里親を探せる状態ではありません
 私も空と同意見です」
日頃穏やかな白久も、困ったように眉を寄せて私を見ていた。
「と言うか、何でここにはムサ苦しいデカ犬しか居ないのだ
 猫、猫の化生は?」
私は焦って事務所内を見渡したが、控え室からも猫の気配はしてこなかった。

「今日は珍しく猫は全員出払ってるんだ
 猫の依頼しか来ない日なんて、初めてかも
 そういや、君が猫を寄せ付けないなんて珍しいね」
黒谷がニヤニヤ笑いながら私を見ていた。
「別に、私のせいではなくタイミングの問題だろう
 しかし困ったな、どうにも上手く意志疎通が測れないので猫に聞いてもらおうと思っていたのだが」
思案する私に
「いや、猫神の君に無理なら、他の猫にも無理なんじゃない?」
黒谷が驚いた顔になる。
「それが、最初は家に帰りたいとのことだったんだが…
 移動しているうちに何だか態度が変わってきたと言うか
 そうだ、移動中は水しか口に出来なかったから、ミルクでも飲むかい?
 子猫用のミルクが控え室にあるから作ってあげるよ」
私はケースの中の子猫に話しかけた。
『子猫用ミルク?んなガキっぽいもん飲めねーよ
 牛乳かキラキラした小袋に入ってるカリカリくれ』
ケースの中から、そんな想念が返ってくる。
犬の化生にもハッキリ感じ取れるその答えに
「波久礼?大人の猫まで保護していたら、本っっっっっ当にキリないよ?」
黒谷が心底呆れたように私に向かって言い放った。

「子猫なんだよ、最初は想念もたどたどしかったんだ」
私は慌ててケースを事務所の応接テーブルに置いて、蓋を開けてやる。
ひょっこりと顔を出したのは、まだ歯も生え揃っていないだろう1ヶ月前後の子猫であった。
『うわ、デカ犬ばっか、こいつら襲いかかってこないだろうな』
子猫はヨチヨチと私に近寄り、上着の中に隠れようとする。
「大丈夫、私の仲間だよ、皆君の力になりたいんだ」
『何だ、俺様のシンパか、驚かせやがって』
私達のやり取りを、事務所内の犬達は唖然とした顔で見守っていた。

「あの、カリカリはまだ早いんじゃないかな
 君、まだ歯が無いんじゃ…」
黒谷が恐る恐る、といった感じで子猫に話しかける。
『カリカリなんて、噛まなくっても飲み込めるっての
 俺様、ずいぶん歯を抜かれちまったから
 ま、おかげで口が痛いのはあんまり感じなくなって助かったけどな』
子猫は私の上着から顔を出して、キョロキョロと辺りを見回している。
「抜かれたというか、生え揃ってないだろ、君…」
黒谷は呆然と呟いていた。

「何だ、この『俺様』な子猫
 子猫?だよな…?」
空が不振な目を向けてくる。
「牛乳は猫のお腹には良くないとウラが言っていた
 ここは子猫用ミルクを作ってもらった方が良いと思うのだが」
大麻生は子猫の態度に臆することなく、生真面目に提言を述べていた。
『大丈夫だって、ちょこーっとだけ小皿に入れてくれりゃ十分だ
 冷蔵庫から出したてじゃなきゃ、俺様これまで牛乳で腹壊したことなんてないんだから』
子猫は鼻息も荒くふんぞり返って威張っている。
「万事この調子で、正直話にならなくなってきてるんだよ」
私は困り果てて、事務所のソファーの上で頭を抱え込んでしまった。

「これは…クロスケ殿と一緒です
 この子、まだ生前の記憶の方が強いんですよ
 死んでから転生したことに気付いてない発言もありますが、生前の記憶が薄れる前に元居た家に帰ろうとして、波久礼を呼んだんですね
 波久礼は猫にお使い頼まれやすいから」
白久が呆れ半分の顔で納得していた。
他の者もそれを聞いて『ああ、そうか』と言わんばかりに頷いている。
かく言う私にも、それは腑に落ちる意見であった。
『生前?何か分かんないけど…
 そういや、この兄ちゃんと一緒に居てから記憶がしっかりしてきたな
 それまでは何だか全てが曖昧で…怖かった…』
子猫は私を見上げて身を震わせた。

「波久礼は飼い主が居ないからね
 未だに現代を生きながら、過去に生きているんだ
 その過去に、過去を手放したくない子猫が触発されたのかな
 こんなケース聞いたこと無いけど、そもそも今まで化生に猫神なんていなかったもんねえ」
黒谷は苦笑して、子猫の小さな頭を指で撫でてやっていた。


ブツブツ文句を言う子猫を宥(なだ)め賺(すか)し、私は子猫用ミルクを作ってやった。
スポイトで飲ませるのは無理そうだったので、小皿に入れてやる。
子猫はテチテチと可愛らしく舌を動かして、皿のミルクを舐めていた。
『ん?何だ、けっこー美味いじゃないか
 前に盗み飲みしたときは、大して美味くないと思ったんだが』
やはり体は子猫なので美味しいと感じるのだろう、夢中でミルクを舐めている。
いつからあの場所にいたのか分からないが、母猫や兄弟達の気配はまるで感じなかったので、かなり長時間何も口にしてはいないと思われた。

「ミルクの盗み飲みと言うことは、生前子猫と一緒に暮らしていた時期があるようですね」
元警察犬である大麻生が小さなヒントから、すかさず推理してくれる。
「クロスケ殿のように、自分の名前は覚えてますか?」
白久の問いかけには、私が首を振って否定の意を表した。
電車の中で聞いてみたが、全く要領を得なかったからだ。
『覚えてない、ってこたーねーぜ
 俺様は「ギニー」とか「ボン」とが呼ばれてたんだ
 合わせ技の「ギニーボン」ってのもあったな
 後は「ギーコン」やら「コンタン」やら
 ま、何て呼ばれようと、賢い俺様は自分が呼ばれてるって気付いてやってたがな』
ミルクを舐め終わった子猫は得意げに言って、身繕いを始めた。

「飼い主さん、典型的な猫バカだ
 猫バカが極まると、どんどん呼び名が増えていくってタケぽんが言ってたよ
 一緒に暮らしてた子猫の名前は?覚えてる?」
今度は黒谷が問いかける。
『間抜けな柄のウザい白黒のチビだったな
 「デブチン」とか「デブチ」とか呼ばれてたっけ』
身繕いを終えた子猫はヨチヨチと近付いてきて、私の手の中にすっぽりと収まった。
「それ、その子猫の名前じゃない気がするんだけど…
 つか、自分も今、白黒柄じゃん」
空に指摘されると
『あんな間抜け柄と一緒にするな
 俺様は、漆黒の闇のような美しい黒猫だ
 もっとも、最近は年のせいか白毛が増えてきちまったがな』
子猫は少し憤慨したようであった。

『ああ、ここは暖かいな
 暖かいってことは、幸せってことだ
 ママが…よく…言っ…て…た…』
満腹になった子猫は、私の手の中で幸せそうな寝息を立て始める。
私達犬の化生は、顔を見合わせてため息を付くしかなかった。

「さすがの猫神も、これじゃ無理だね
 初めてうちに来た羽生より、言ってることが要領を得ないかも
 猫の言葉は散文的だと長瀞が言っていたけど、まさにその通り」
子猫を起こさないよう、黒谷が小声で囁いた。
「しかし、犬との意志疎通に慣れている感じでしたね
 犬とも一緒に暮らしていたことがあるのでは」
大麻生の推理に、皆、ハッとする。
「こいつの飼い主、猫バカっぽいけど、犬も好きで大型犬飼ってたのかも
 子猫が波久礼の兄貴を見て平然としてるってのが、変なんだよ
 羽生なんて、初めて兄貴見たとき腰抜かしたんだから」
空が古い話を蒸し返してきた。
「今は、子猫に怯えられることはない」
私はぴしゃりと言ってやった。
「これでは羽生の時のように、犬のお巡りさんは困るばかりですね」
白久の言葉を受け、その場の犬達は
「わん、わん、わわーん、か」
と呟くしか無いのであった。


「早く長瀞が帰ってきてくれると良いのだが
 この子は何というか、見た目は子猫であっても
 中身が…」
「オッサン」
言いにくいことを、空がすんなりと口にする。
「これじゃ子猫専門の羽生は、お手上げだぜ
 ここは一番オッサン猫の長瀞に頼るのが早いんじゃねーか?
 あ、双子もけっこうオッサンだよな」
ズケズケと言う空に、その場の空気が凍り付いた。

「そういや、俺たちの中じゃ誰が一番オッサンなんだ?
 黒谷の旦那は、まだ若いときに死んだんだって?
 今は一番オッサン臭いのにな」
ガハハッと大口を開けて笑う空に
「まあ、この中では化生してからは僕が一番長いからね」
黒谷がこめかみをヒキツらせながら答えている。
「多分、自然死だった自分が一番年上だと思うよ
 波久礼も空も、事故死だろう?
 白久は話を聞くと、病死のようだし
 ジョンもそうなのだが、フィラリアにかかっていたのではないか」
「それは化生してから書物を読んで感じていました
 あのお方が亡くなられた後は胸がとても苦しくて
 悲しみ故だと思っていましたが、心臓に虫が寄生していたのかも」
大麻生と白久の会話を聞いて
「何だよ、フィラリアの薬、飲んでなかったの?弱虫だな
 あれ飲むと、ご褒美でチーズ貰えたんだぜ」
空が得意そうに笑う。
「フィラリアの薬が出回り始めたのは、戦後ずいぶん経ってからだよ」
黒谷が疲れた顔で諭すように言っていた。

「で、結局その子、どうする?長瀞が帰ってきてから動く?
 でも今回の長瀞の捜索地域って遠いから、終業前に帰ってくるか分かんないぜ」
空の言葉で
「そうだった、困ったね
 学校終わればタケぽんが来てくれるから、日野がやったようにSNSとかチェックしてもらおうか
 あ、でも、地域すら限定できないんじゃ無理か」
黒谷が難しい顔になる。

『タケぽん!』
私はその言葉に閃くものがあった。
猫との意志疎通を私に習っている彼の力量を試すチャンスにもなるのでは、と思い至ったのだ。

皆にそれを説明すると、私達はタケぽんの登場を待つことにしたのであった。
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