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しっぽや(No.116~125)

side<HAGURE>

『ダメ…なのに…、オレ…が…居ないと…、……が…壊れちゃう…の…
 早く…帰らないと…、ダメ…な…の…に…
 誰…か…タス…ケ…テ……』


眠っていた私の意識に、そっと触れてきた小さな気配。
その微かな場の揺らぎに、私は目を開けて耳を澄ませた。
しかし、音は聞こえない。
虫達が鳴き交わす季節はまだまだ先なのだ。
冷たい空気と障子から差し込む月明かりだけが、夜を彩っていた。
まだ深夜でシンシンと冷え込んでいる。
山の中にある三峰様のお屋敷は、町より春の気配が遠かった。

『誰かに呼ばれたような気がしたが、気のせいであったか』
もう一度眠ろうとしたが、どうにも先ほどの気配が気になって寝付けなくなってしまった。
そのうちに
「フゴッ」
「プフー、プフー」
広い寝室で雑魚寝をしているような状態のため、武衆の者達の鼾(いびき)が聞こえだしてきた。
「ヒッ、ヒイィ、キャンッ」
生前の夢を見ているのか、犬の悲鳴が混ざりだす。
私は布団からそっと抜け出すと、悲鳴を上げている陸の元に向かった。


陸はビクビクと体を震わせながら、まだ悲鳴を上げていた。
「大丈夫だ、もう終わったことなんだよ
 後悔だけを残し、時は過ぎてしまった
 同じ時は取り戻せないが、新たな時を紡ぐことが出来る
 過去ではなく明日を生きなさい」
安心させるように陸の髪を撫でやると寝息が安定してきたが、その目から涙が一筋流れていった。
「間に…合わなかった…
 俺が居れば、助けになれたのに…
 俺は…、チームのリーダー…だったのに…」
泣きながら後悔の寝言を呟く陸の髪を、彼が落ち着くまで撫で続けてやる。
いつも浮かれたハスキーであるが、心の中には悲しみと後悔の炎が燃え続けているのだ。
新たな飼い主に巡り会えるまで、その炎が消えることはない。
それは、私の胸の内にも確かに燃え続けていた。
陸に言った言葉は、自分のための言葉でもあった。

やっと落ち着いたらしい陸が規則正しい寝息を立て始めると
「オカシラ…オカシラ…
 鯛の…尾頭(おかしら)…
 独り占め…へへっ…」
海が涎を垂らして寝言を呟いていた。
『枕が汚れる!』
私は慌ててティッシュを取り、乱暴に涎を拭ってやる。
『同じ顔から出る液体であるのに、涙を汚いと思わないのは何なのだろうか…』
漠然とそんなことを考えていると、他の武衆の者達も悲鳴を上げたり布団をはねのけたりし始めていた。
『世話が焼けるな…』
心の中で苦笑して、私は彼らの世話を焼いて回る。
先ほど感じた微かな気配のことは、頭の片隅に追いやられていった。


「お疲れさま」
何とか皆の世話をやり終えて縁側に出ると、そこには三峰様がいらしゃった。
いつもの白いワンピースではなく、寝間着用の着物をお召しになっている。
「満月にはまだ早いけど、上弦は過ぎているので十分明るいわよ
 狼の血が騒ぐわね
 少し、お月見しましょう」
三峰様はマグボトルから温かなお茶を湯飲みに注いで、私に差し出してくれた。
「ありがとうございます」
私は湯飲みを受け取ると、三峰様の隣に正座する。
「カズハに教えてもらったマグボトル、細くてカサバらないから持ち運びに便利ね
 化生の飼い主から色々な事を教えてもらえるのは、とてもありがたいわ
 秩父先生も飼い主のいない化生達に『現代』を教えてくださっていた
 私も、もっときちんとご挨拶に伺えば良かったと、それが心残りなの」
三峰様は残念そうな顔で湯飲みを口にし、ポツリと呟かれた。

「万が一、がございますので三峰様が警戒しておられたのも当然だと思います
 当時はまだ私が化生しておらず、武衆も今のように組織化されておりませんでしたから」
私はそう伝えて湯飲みからお茶を一口飲んだ。
温かな液体が胃の腑(いのふ)に落ちていくとホッとした気持ちになるのは、あのお方の『コーヒータイム』を共に過ごしていた頃の名残なのであろうか。

「でも、ゲンと親しく交流することには間に合ったので、良しとしましょう
 初めて会食にお呼ばれしたときの貴方ったら
 可笑しかったわ
 あんなに聡い人間が居るなんて、驚いたわねぇ」
当時を思い出されたのか、三峰様は私の顔を見てクスクスと笑い出した。
「直ぐに替え玉だと気付いたゲンの洞察力には、脱帽するばかりでした」
私は決まり悪く頭をかくしかなかった。
「貴方はあの時に松阪牛の味を覚えたのだから、ゲンに感謝なさい
 狼犬とはいえ、生前はあんなに良いお肉を食べてなかったのね」
「あのお方の元に居たのは、私1頭ではありませんでしたので
 後から松阪牛の値段を知って、肝が冷えました」
私は益々恐縮してしまう。
「貴方、野生の血が濃すぎて人間に対する警戒心がなかなか取れないから、少し心配だったのよ
 何のために化生したのかしらって思ってたわ
 今はまた、別の意味でそう思ってるけど」
三峰様は困ったようにため息をつかれたが、その顔は優しい微笑みを湛(たた)えていた。


「また、誰かに呼ばれたのではなくて?」
三峰様は小首を傾げて私を見つめてくる。
それで私は先ほど感じた微かな気配のことを思い出した。
「ああ、そうです、あれは助けを求める子猫の気配でした
 その訴えは、私に向けられていたような…」
そう気が付くと、私は落ち着かない気持ちになってしまう。
「そのくらい敏感に、新しい飼い主の気配を察知してくれれば良いのだけど」
三峰様がソワソワしだした私に向かい、苦笑した。
「貴方はいつも、自分のことより他の者の方を気にかけている
 化生したのだから、ちゃんと飼い主を見つけて幸せになってもらわないと私の寝覚めが悪いわ
 私の悲しみの渦が、貴方達を生み出す隧道を作ってしまったのだもの
 幸せになるのを見届けさせてちょうだい」
私を真っ直ぐに見るその瞳は、私などでは及びも付かないほどの哀しみを湛えている。
「私は、今の状態も幸せであると感じております」
守りたいと思う者がいるこの状況に、私はささやかな満足感を覚えていた。

三峰様は困ったように微笑んで、また私を見つめた。
「貴方を呼んだ、と言うことは、貴方と縁を繋ぎたいのでしょう
 貴方の側にいれば願いが叶うと思っているのね
 と言うことは、しっぽやに行けば願いが叶うというのと同じ意味だわ
 少し暇(ひま)をあげるから、行ってらっしゃいな
 『猫カフェ』でイベントもあるのでしょう?
 猫達が良い飼い主と巡り会えるよう、お手伝いしてきなさい
 そうだ、大麻生によろしく言っておいて
 そのうち飼い主に会いに行きたいわ
 とても美しい方だとゲンが言っていたから興味があるの」
三峰様の言葉に、私はありがたく従うことにする。
「お言葉に甘え、行って参ります」
「ついでに、お使いもお願いするわ
 ひろせお勧めのお店の焼き菓子が、これで最後なのよ
 何か見繕って買ってきて
 フィナンシェやらダックワースって、日本茶にも合って美味しいわねえ
 羊羹や松露(しょうろ)は白久に聞いた方が良いかしら
 お煎餅やおかきもよろしくね」
三峰様はお茶菓子の入った籠を取り出して微笑んだ。

「………
 最近お茶菓子の減りが早いので、誰がつまみ食いをしているのかと思っていたら…
 三峰様でしたか…」
私は思わず肩を落としてしまった。
「貴方に見つからずにつまみ食いできるのは、私ぐらいのものだわ」
三峰様は得意げに胸を張ると
「貴方もお食べなさい
 皆の世話をしてくれたご褒美よ」
悪戯っぽそうに笑って、焼き菓子をいくつか私に手渡してくれる。
「では、いただきます」
私はそれを受け取って、さっそく1つを口にした。
三峰様から直にいただけたそれは、甘味が体中に染み渡るように美味しく感じられた。
「つまみ食いって、美味しいでしょ」
クスクス笑う三峰様に
「天上の甘露のようです」
私はそう答える。
それから暫く、私達は2人だけの月見を堪能するのであった。




『お暇をいただいたものの、どこに行けばあの気配の主に会えるのやら…』
屋敷から駅に移動するための山道を駆け下りながら、私は少し途方に暮れていた。
いつもは意識したことが無かったが、自分がどのように助けを求める猫の想念をキャッチしているのかハッキリとはわからなかった。
『考えていてもしかたないか
 しっぽやに移動する途中、何かに気付くかも知れないし』
人間の足であれば3時間以上かかる道を、30分で駆け下りる。
獣ならではの動きと日頃の鍛錬の成果であった。
『時短出来るのは良いが、皮靴の痛みが早いのは厄介だ
 スーツではなく、登山シューズといったものに合わせた服装をすべきなのだろうか
 しかし空の言う「カジュアルな服装」やらは、全く分からない』
人里が近付いてきたため移動のスピードを緩めると、服や靴に付いた落ち葉や泥を払って身だしなみを整えた。
小さな鏡を取り出し乱れた髪を撫でつける。
『よし、これなら不都合無く電車に乗れるだろう』
私が鏡を仕舞い歩き出そうとしたタイミングで

「ミウ」

微かな泣き声に気が付いた。
注意深く首を巡らすと、山道とアスファルトの道が交差する場所の茂みから小さな2つの瞳が私を見ていた。
「私を呼んだのは、君かい?」
ゆっくり近付いてしゃがんでのぞき込むと、そこには白黒の小さな子猫がつくねんと座っている。

『帰り…たい…の…、おうち…どこ…?』

その欲求は、夜中に感じた想念の主に違いなかった。
子猫からのたどたどしい想念から、この子が帰りたがっている場所は母親の元ではないと感じていた。
『こんなに小さな子が、母親の元以外の場所に帰りたがるとは』
私は軽い驚きと共に、何とかこの子の力になってあげたいと感じていた。

「おいで、私と縁を持ちたいと言うことは、しっぽやに行けば解決する案件だと三峰様がおっしゃっていたよ
 一緒にしっぽやに行こう」
私が差し出した手に向かい、子猫は不安定に左右に揺れながらヨチヨチと近寄ってくる。
私は彼を抱き上げて用意してきた折り畳み式の肩掛けキャリーケースに入れると、駅への道を急ぎ歩き出すのであった。
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