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しっぽや(No.116~125)

side<GEN>

「今年はクリスマスの集まりがないので、寂しいでしょう
 ハロウィンもやりませんでしたしね」
晩酌の時間、ナガトが苦笑しながら俺のグラスにビールを注いでくれる。
「受験生だけハブにして集まるのも何だしな
 今のあいつらには、自分の化生との時間を大事に使って欲しいんだ
 俺がナガトを飼い始めたのは大学生の時だったから気楽な身分だったって、受験生達見てるとつくづく思ってさ」
俺もナガトのグラスにビールを注ぎ返す。
俺達は軽くグラスを合わせ小さく乾杯し
「今日もお疲れさま」
そう言って中身を飲み干した。

暖房が効いた暖かな部屋の中で冷たい液体が体を通り抜けていくのを感じるのは、格別だ。
ナガトが作ってくれた美味いつまみに箸をのばし、2人でゆっくり過ごすこの時間が俺の1日の疲れを癒してくれる。
とても大切な時間であった。

「集まりが無くても、そのうち中川ちゃんとは家飲みしようって話してるんだ
 しかし、受け持ちが3年生だと何かと忙しいらしくて中々な
 月さんや桜ちゃんも誘って、大人だけの飲み会ってのも、たまにゃいいか
 となると、カズハちゃんとウラも大人組だっけ
 俺達、けっこーな大所帯になってきたもんだ」
再びナガトが注いでくれたビールに口を付け、俺は感慨深いものを感じていた。
「私がゲンに飼っていただくようになってから、随分と飼い主が増えたものです」
ナガトは少し遠い目をして過去を思い出しているようであった。

「俺がもうちょっと早くナガトを飼えていたら、秩父先生と親鼻に会うことが出来たんだけどな
 この世界に入ってから、それだけが残念でならないよ
 秩父先生には、お会いしてみたかった」
化生のために尽力(じんりょく)してくれた医師のことを、俺は尊敬していた。
彼がいなければ、しっぽやという場所が存在したのだろうか、といつも考えてしまう。
時代背景を考えると、『医師』という社会的後ろ盾のある彼が飼い主に加わったことで、この夢のような場所が現実出来たであろう事は想像に難(がた)くない。
『しっぽや』という化生の母体になる場所がなければ、俺がナガトと出会えることは無かったかもしれないのだ。
彼の成した事に比べると、自分の存在がチッポケなものに思えて仕方がなかった。

「そうですね、私も秩父先生にゲンの主治医になって欲しかったです
 先生になら、安心してゲンの体を任せられました」
ナガトも残念そうにため息を付いた。
「でも今は、カズ先生の紹介で秩父総合病院で診てもらってるんだから、ラッキーなんだぜ
 あそこは地域の中核病院で、健康体の俺が気軽に診てもらえる場所じゃないのにさ」
俺はガッツポーズをとって健康をアピールしてみる。
「俺はもう大丈夫だよ、再発の兆候もない
 ナガトが俺の健康に気を使ってくれているおかげだ」
俺は向かいに座るナガトに、優しく微笑みかけた。
ナガトも微笑み返してくれる。
少し傾げた首筋に彼の長いシルバーの髪が流れ、美しい輝きを放っていた。

「今日のつまみも最高に美味いよ
 いつもありがとう」
少しでも消化が良いようにと、食卓に上るほとんどの野菜には火が通っていている。
面相臭いだろうに、ナガトは俺のためにその一手間を惜しまなかった。
『ゲンの健康を考えると、自分で作った方が早いですから』
そう言って楽しそうに料理をするナガトが、愛おしくてたまらない。
ナガトと居ると俺はいつも幸せな気分に包まれるのだ。

「でも、お菓子はひろせの方が上手いです
 中華系の炒め物も、大麻生の火加減に勉強させられます
 どうにも私には中華鍋が上手く扱えなくて
 テフロン加工のフライパンとは、火の通り方が違いますね」
ナガトは考え込む顔を見せた。
「お菓子は主食じゃないから、作れなくていいよ
 中華鍋はなー、ナガトには重いだろ」
彼はとても勉強熱心で慢心することなく、料理に対する知識欲が高い。
それは俺の為なのだと思うと、とても嬉しい気分にさせられた。

「家飲みの時は出来合いの物とかデリバリーで済ませて、手を抜いてくれよ
 ナガトとゆっくり食事を楽しみたいからさ」
「そうなのですが、羽生に負けていられませんからね
 最近彼も随分色々なものを作れるようになってきました
 ここは先輩として、きっちりお手本を示さないと」
ナガトは力強く頷いている。
「そりゃ、子猫にゃ負けられん」
俺は思わず苦笑してしまった。

「今日の〆はお茶漬けにしますね
 お刺身用の真鯛の柵が特売だったので、漬けを作ってあるのです」
「鯛の漬け茶漬けなんて豪勢だ
 中川ちゃんが来るときにも出して、羽生に作り方を教えてやると良い
 前に教えてたのは、塩鮭の茶漬けだもんな」
「ええ、漬けの時は出汁をかけるのがポイントです
 漬け茶漬け用の出汁の取り方から教えなければ」
ナガトは張り切っていた。

「んじゃ、茶漬けを食べて最後の〆にナガトをいただくかな」
俺はニヤッと笑ってしまう。
「どれだけお代わりしても良いですよ」
ナガトも艶っぽく笑い潤む瞳を向けてくる。

俺達は今日も幸せに満ちあふれた1日の終わりをむかえるのであった。




中川ちゃんとの家飲みの機会は、それから直ぐに訪れた。
『時間がとれそうなので今晩部屋に行っても良いか』と、ナガトと話し合ってから1週間も経たないうちにメールが来たのだ。
もちろん、俺はOKの返事を返す。
急なことだったので他の大人組には連絡せずに、こじんまりとした飲み会にすることにした。
それでもナガトは張り切って、出来合いの物に一手間加えたつまみを何種類も作ってくれた。
「以前に羽生がスーパーの唐揚げで、お手軽親子丼を作ったと自慢していましたから
 お総菜のアレンジメニュー、私も負けていられません」
もちろん〆用に鯛の刺身を漬けにしておくことも忘れなかった。


ピンポーン

9時前には中川ちゃんと羽生がそろって部屋に顔を出してくれる。
「すいません急に、これ、友達が旅行土産だって現地から送ってくれたんです
 どうせならゲンさんと飲もうかなと思って」
中川ちゃんは日本酒の瓶を差し出してきた。
「おっ、田酒か、嬉しいじゃねーの
 いつもお裾分けありがとさん
 俺の友達は、健康に気を使ったもんばっか送ってくるんだよ
 ありがたいっちゃ、ありがたいんだがな
 よし、飲もう!
 羽生はミルクか?」
俺は中川ちゃんの後ろにいる羽生に聞いてみた。
「俺最近ね、ヨーグルトに豆乳かけるのにハマってんの
 濃い豆乳使ってグルグル混ぜると、豆乳ヨーグルトドリンクみたいになるんだよ
 作ろうと思って持ってきた」
羽生はスーパーのビニール袋を掲げ、得意げに答えてきた。
「何だ、健康的なもんにハマってんな
 自分で考えたのか?偉い偉い」
俺は羽生の頭を撫でてやる。
「羽生、私もそれを試してみます」
ナガトが興味深そうに羽生が持ってきた袋の中をのぞき込んでいた。

テーブルの上につまみや酒が並ぶと
「それじゃ、今日も1日お疲れさま
 頑張った自分に乾杯」
俺は乾杯の音頭をとる。
「乾杯」
4人のグラスが触れ合う涼やかな音が部屋に響いた。

「これは、自分で分量を調節出来るから良いですね
 ほんのりとヨーグルトと豆乳の香りがして、不思議な美味しさです」
「でしょ、ゴクゴク飲みたいときは豆乳多めに入れるんだ
 幅の広い浅めのグラスで作ると、混ぜやすいよ
 豆乳で作ったヨーグルト買ってみたらちょっと酸っぱかったんで、普通のヨーグルトと豆乳混ぜるとどうなるかな、って実験してみたの
 これだと全然酸っぱくないんだ、実験成功!」
「確かに、ヨーグルトの酸味は和らぎ豆乳の甘みがして良い感じです」
「でもね、普通の豆乳だとぼんやりした味になっちゃうの
 濃いめの調整豆乳だと甘みが出て美味しいよ」
「なるほど
 そうか、豆乳で作るグラタンも濃いめの物で作ると風味が違うかも
 今度、試してみよう」
「豆乳のグラタン?何それ、俺にも教えて」
猫達はオリジナルの料理レシピを考えることに余念がなかった。

「羽生は随分としっかりしてきたな
 買い物を教えていた頃が懐かしいね
 中川ちゃんが色々教えたり、可愛がってるおかげで成長してるんだ
 外見だって美少年から美青年になってきて、迫力出てきたよ」
俺は育っていく子供を見る親の気分になっていた。
「もし、ハニーを子猫のうちに死なせなければ、今の羽生のように美しい黒猫になっていたと思います
 やり直せる、というのは幸せなことですね
 完璧にやり直している訳じゃないんで、自己満ですが
 それでも、俺達は幸せです」
中川ちゃんは照れた笑顔を見せる。

「お前さん達は、化生のレアケース中のレアケースだもんな」
俺はそう言って、ナガトに視線を走らせた。
『ナガトも本当は、元の飼い主とやり直したかったんだろうか…』
つい、そんなことを考えてしまうが、ナガトと共に過ごしてきた時間を思い返すとその不安は薄れていく。
ナガトはいつだって、俺と居ると楽しそうで幸せそうな顔をしてくれるのだ。
俺の考えも自己満かもしれないが、俺はナガトに新たな幸せの場所を与えていると言いきって良いと思った。

『他の化生に対しては、どこまで役に立っているんだろう』
また、思考が秩父先生のいた過去に戻ってしまう。
ナガトは俺に見られていることに気が付くと、柔らかく微笑んだ。
それは目を細める猫の表情にも似て、見ている方まで幸せになれる微笑みであった。


暫くグラスの中身をチビチビと飲んでいた中川ちゃんの顔が、徐々に曇っていく。
不審に思う俺に
「羽生に幸せになって欲しいのはもちろんですが、他の化生達も幸せになって欲しい
 俺が読み書きを教えることによって化生が今を生きやすくなるなら、協力してあげたい
 でも、最近時間がとれなくて、化生のための授業を思うように開催出来ないのが悩みなんです
 せっかく『教師』になれたのに、『生徒』に何もしてあげられない
 ゲンさんは化生が安心して暮らせるようこんな立派なマンション建てたのに、自分が不甲斐なさすぎて嫌になります」
彼はそんなことを言い出して、苦笑すると俯いてしまった。

それで俺は今日の急な家飲みの誘いは、彼が悩みの相談をしたかったのだと気が付いた。
その愚痴は、他の飼い主には言い難いものなのだろうと察しが付く。
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