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しっぽや(No.116~125)

side<HINO>

『後、1時間くらいで業務終了時間か』
しっぽや控え室で自習をしていた俺は、問題集から目を離し壁に掛けてある時計の針を見つめた。
外は暗くなっている。
今日はもう依頼人は来ないんじゃないかと、すっかり気を抜いていた。
自習をしている俺の邪魔にならないようになのか、控え室の化生達は大人しく雑誌や小説を読んだり、うたた寝をしている。
今日は俺の他にタケぽんがバイトに入っているのだが、俺の自習時間を作るため一人で業務をこなしてくれていた。
皆の気遣いに感謝し、己の幸せをかみしめて『絶対に一発合格しなきゃな』とやる気になってくる。

「こんな時間だけど一息入れるから、のる人いる?
 インスタントコーヒー作るよ」
俺が声をかけると、控え室にいる化生達が『お願いします』と笑顔を向けてきた。
黒谷とタケぽんの分もカップを用意して、俺がコーヒーとクリーミングパウダーを出したタイミングで

ドダダダダダダッ

激しい足音を立てながら、誰かが階段を上ってくるのに気が付いた。
『波久礼?最近落ち着いてきたのにこの慌てよう
 また猫がらみじゃないと良いけど…』
俺は少し不安を感じていた。


ココッ

ノックもそこそこに、バンッと扉が乱暴に開かれる音が聞こえた。

「あの、すいません、ここってまだやってますか?
 ちょっと急ぎで依頼したいんですけど、大丈夫ですか?」
焦ったような若い男の声が聞こえてきて、ビックリする。
『こんな時間に依頼人か
 でも、何か、聞いたことある声のような気が』
俺はコーヒーの準備を中断し、事務所の方に聞き耳を立てた。

「はい、大丈夫ですって、あれ?」
タケぽんの驚いたような声が聞こえた。
「え?あれ?武川?こんなとこでなにしてんの?」
相手も驚いた声を上げていた。
「えっと、久喜(くき)?だっけ?隣のクラスの
 って、何で俺のこと知ってんの?」
「お前、スポーツ系のクラブの間じゃ有名人だぜ
 皆、狙ってるんだ
 どこに所属するのかと思ってたのに、まだどこにも入らないとか気をもたせるよな
 先輩がお前のこと『背が高いだけの運痴(うんち)で、猫と菓子にしか興味ない奴』だって言ってたから、うちの部は早々に諦めたんだけどさ」
「まあ、当たってるけど身も蓋もない言われよう…」
そんな会話を聞いて、俺は依頼人の正体が分かった。

ここでバイトをしていることを学校の奴にはあまり知られたくないが、依頼人ならしょうがない。
「どうした?ドーベルマンが逃げ出したか?」
俺が控え室の扉を開けて姿を現すと
「え?日野先輩まで、何でここにいるんですか??」
陸上部の後輩は、更に驚いた悲鳴を上げるのであった。


後輩を事務所のソファーに座らせて、俺はインスタントコーヒーを出してやる。
「ありがとうございます、いただきます」
部活の後輩にきつく上下関係を刷り込ませてはいないのだが、律儀な後輩は俺の登場にすっかり畏(かしこ)まってしまった。
「先輩、俺のことせめて『運動音痴』ってちゃんと言ってくださいよ
 新地(しんち)校の運痴って、ゴロが良すぎるじゃないですか」
タケぽんがガックリと肩を落とした。
「そうそう、ゴロが良いんでデカい1年は新地の運痴って言って回ったんだ
 だから、あんまりしつこく勧誘されなくて助かったろ?」
俺はコーヒーを口にして、シレッと言ってやった。

「で、依頼は何だ?お前の家のドーベルマンが逃げたんなら、早く探さないと騒ぎになるぞ」
俺はそれを懸念していた。
犬が嫌いな者でなくても、飼い主がいない状態のドーベルマンが町中をブラブラしている様を見れば恐怖心を抱くだろう。
保健所に連絡されてしまっていることも考えられる。
「そうだった、お願いします、弟を捜してください
 こんな時間なのに、まだ家に帰ってこないんです」
後輩はハッとした顔になり、頭を下げて頼んできた。
俺とタケぽんと黒谷は顔を見合わせる。

「ごめんね、ここはペット探偵だから、人間の捜索はやってないんだ」
黒谷が申し訳なさそうに声をかけた。
「一応、警察に届けた方が良いと思うよ、最近物騒だしさ」
妹がいるタケぽんも、心配そうな顔をみせた。
「ああ、すいません犬も探して欲しいんです」
慌てている後輩を落ち着かせるよう
「ちゃんと順を追って説明してくれ」
俺はそう声をかける。
先輩からの命令で、彼はやっと依頼内容を詳しく話し始めてくれた。

後輩の言葉をまとめると
『小学校から帰ってきた弟が暗くなる前に犬を散歩に連れて行ったが、いつもなら1時間位で帰ってくるところ、夜になっても帰ってこない
 近所を回るだけだし犬を連れているからと、携帯や防犯ブザーの類は持って出なかった』
と言うことであった。
家族や近所の人も探しているが未だ発見できず、警察に届けた方が良いのではという話にはなっているらしい。
そんなとき、学校最寄り駅に貼ってあるしっぽやのポスターのことを思い出し、後輩が独断で依頼にきたそうだ。

話を聞き終わった俺達は、やはり顔を見合わせてしまった。


「申し訳ないけど、やはり警察に任せた方が良いと思うよ
 人の身の安全まで、こちらでは請け負えないからね
 事件性があれば、下手に介入して話をややこしくするのも避けた方が良いし」
黒谷が控えめに断りの言葉を述べる。
「でも、ムスが一緒だし、誰かに連れて行かれたとか事件に巻き込まれた可能性は低いと思うんです
 ムスは賢いから、家族が警戒する人間には気を許さないんだ」
後輩は必死に言い募った。
「ムス?」
俺が首を傾げると
「うちのドーベルマンの名前です
 正式にはチョコムースって名前です、子犬の頃そんな色味だったから
 子犬の頃は食べちゃいたいくらい可愛くて」
後輩は親ばか丸出しの返事を返してきた。

「黒谷」
俺は懇願するような視線を向ける。
黒谷は少し迷ったような顔をするものの
「大麻生なら、人探しのプロと言えなくもないでしょう
 今、彼が控え室にいるのは僥倖(ぎょうこう)です
 とにかく先に出てもらいましょう
 僕たちも事務所を閉めたら、応援に回ります」
そうしっかりと言ってくれた。

「大麻生」
黒谷の呼びかけで、すぐに控え室の扉が開く。
扉の向こうで話を聞いていたのであろう
「すぐに現場に急行します、初動は早ければ早いほど痕跡が残っておりますので」
大麻生は真剣な顔で力強く答えてくれた。
展開がよくわからず戸惑った顔をしている後輩に
「依頼、受けるよ
 流石にこんな時は黒谷より大麻生の方が適任だ
 大麻生が居るタイミングで駆け込んでくるなんて、お前、運が良いよ」
俺はウインクしながら言ってやった。

「俺とタケぽんも捜索に加わるから、今すぐ一緒に出よう
 長瀞さん、俺とタケぽんの荷物、事務所閉めたら黒谷とひろせの部屋に運んどいてください」
「かしこまりました、どうぞお気を付けて行ってください
 必要なら私とゲンも応援に参りますので、連絡してくださいね」
俺とタケぽんはコートを羽織りスマホと財布をポケットに入れ、まだポカンとしている後輩に向き直った。

「ほら、案内頼む
 家の人には『ペット探偵に依頼した』なんて言わないで『友達が探すのを手伝ってくれる』って言っとけよ
 変に警戒されると厄介だからさ」
俺の言葉で我に返ったらしい後輩が、あたふたと立ち上がり
「ありがとうございます!よろしくお願いします!」
勢いよく俺達に頭を下げてきた。

こうして俺とタケぽんは、しっぽやの捜索を手伝うこととなったのであった。



「まさかこんな形で捜索に加わることになるなんて
 タケぽんならまだしも、俺には一生無理だと思ってたのにな
 役に立てると良いけど…
 ま、出来る限り頑張ってみるしかないか」
俺は移動中の電車の中で気を引き締めた。
「先輩、本当、ありがとうございます
 ごめんな、武川まで手伝うことになっちゃって
 これで家に帰って弟が先に夕飯とか食べてたら、俺、キレそう」
後輩は恐縮しまくっていた。
「何事もなければ、それに越したことはないって
 俺も人探しじゃ役に立てるかどうか
 って、猫探しもやったことないけど
 ひろせに捜索のこと、もっと聞いとくんだった」
タケぽんは真剣な顔をになる。

「あの、依頼料ってどうしたら良いですか?
 俺、バイトしてないから金そんなに無くて
 分割とかにしてもらえるのかな
 何か、大事になっちゃったから、高くなりますよね」
後輩が心配そうな視線を向けてきた。
「俺もタケぽんも友達の弟を探しに行くだけだから、金なんていらないよ
 所員が出動した分だけ出来高払いになるかな
 大麻生1人で済んじゃうかもしれないし
 そうなったら、またウラに自慢されるな」
俺は眉をしかめてみせた。

驚いた顔で俺とタケぽんを見比べる後輩に
「大丈夫、うちは学生にも優しい料金設定が売りだから
 あ、でも、体育の授業でそっちのクラスと合同になったときとか、俺の代わりに走ってくれると嬉しいかも
 そうそう、日野先輩には『お礼に何か奢る』とか絶対約束しちゃダメだよ」
タケぽんはさっきよりも真剣な顔になっていた。
「大丈夫、俺は『陸上部レジェンド』を目撃した1人だから
 そんな命知らずな約束はしないよ」
後輩はやっと笑顔を見せて、タケぽんと笑い合っていた。

「そうだ、弟の名前教えてくれ
 それと、写真があったら彼に見せて欲しいんだ」
俺は大麻生を指してそう言った。
犬の捜索なら気配や想念で追うことも出来るだろうが、人間相手ではそうもいかない。
顔を覚えるところから始めなければならないだろう。
「弟の名前は『久喜 礼二(くき れいじ)』です
 これ、弟とムスと一緒に自撮りしたやつだけど、わかりますか」
後輩が差し出したスマホの画面を見た大麻生が、ハッとした顔になる。
「以前、捜索の途中でお会いしたことがあります
 犬が好きな、良い子ですね
 まだ気配を覚えておりますので、少しは追いやすいかもしれません」
大麻生は力強く頷いてみせた。

「凄いなお前、本当に運が良いよ」
俺は安心させるように後輩の肩を叩いてやるのであった。
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