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しっぽや(No.102~115)

side<SAKURA>

すっかり秋も深まって、朝晩は『肌寒い』を通り越し冬の寒さを感じる日が続いていた。
今日のように雨が降っていると、もう真冬なのではと疑いたくなってしまう。
夕飯を食べて体が温まっていたと思ったが、湯船に体を入れると手足にジンとしびれが走る。
湯の温かさに『ほうっ』とため息が出てしまった。

飼い主と一緒にシャワーを浴びる化生が多い、と新郷が期待を込めた視線を送りながら言っていたが、湯船に1人でゆっくりと浸かりたかった俺はそにの無言の訴えを無視していた。
『もう少し暑い時期なら、一緒にシャワーを浴びるのも良いのだがな』
少し申し訳なく思ってしまうが、新郷はそんなことくらいで落ち込まないことを知っていた。
新郷は俺の全てに肯定的なのだ。
そのことは、俺をいつも満たされた気持ちにしてくれていた。


風呂上がり、居間に戻ると満面の笑みを浮かべた新郷が
「はい、焙じ茶煎れておいたよ
 もう良い感じに冷めてると思うんだ」
そう言ってちゃぶ台の上の湯飲みを指し示してくれる。
「ありがとう」
常温よりは温かいお茶を、俺は一気に飲み干した。
乾いていた喉が潤っていく。
「そろそろ、冷たいのを一気に飲むとお腹に負担かかるでしょ」
湯飲みをちゃぶ台に置くと、新郷が新たなお茶を注いでくれた。
「ああ、もう冬の寒さだ」
俺は新郷の隣に腰を下ろし、煎れたてのお茶の香りを楽しんだ。
「雨だし、今日なんかもう真冬って感じだよね
 だからさ、寝る前に暖まらない?」
新郷の手が、そっと俺の手に触れる。
「…そうだな」
考え込むふりをして答えたが、湯に浸かりながら同じことを考えていた。

「やった」
新郷の笑みが深くなる。
その笑顔の愛らしさに見とれてしまうのは『親ばか』であるのだろうか。
新郷に対しては『恋人』と『ペット』、どちらの立場に対しても同じくらいの愛情を感じるのだ。
『まったく、化生とは不思議な存在だ』
そう思いながら、俺は新郷の髪を撫でてやった。


「そうだ、桜ちゃんが風呂入ってる間に、大麻生から電話があったんだ
 次の土曜に、本を借りに来たいんだって
 で、飼い主も一緒に連れて行って良いかって聞かれたから許可しといたよ
 あいつも、やっと飼い主自慢出来るようになったからなー
 たまには付き合ってやらないと
 まあ、俺と桜ちゃんの歴史には、まだまだ遠いけどさ」
新郷は俺の手にグイグイと頭を押しつけながら、誇らかな顔になる。
「大麻生の飼い主か…」
俺はまだ会ったことはないが、ゲンに言わせると『猫の化生みたいな美形』であるらしい。
大げさなゲンの言うことだから、話半分に聞いていた。


大麻生は化生にしては珍しく小説の類(たぐ)いを読むので、たまにお互いの本を貸し借りしているのだ。
生前警察犬として活躍していた彼が好むものは、社会派や本格推理ものが多かった。
きっと以前の飼い主の影響なのだろう。
俺にとっても興味深く読めるジャンルなので、貸してもらえるのはありがたいものであった。

大麻生は見かけこそ強面だが、警察犬らしく真面目できちんとした性格なので俺にはとても付き合いやすい化生である。
そんな彼が選んだ飼い主であるなら、きっと真面目な人なのだろうと想像が付く。
うちの会計事務所専属になって抜けた新郷の穴を埋めるため、しっぽやと武衆を掛け持ちで頑張っていた事を知っている俺は、彼に飼い主が出来たことを喜ばしく思っていた。
「大麻生も、やっと腰を落ち着けてしっぽやで働けるな
 警察犬であったのだから、捜索作業は本職だろう
 もっとも、警護も本職だから武衆に居たわけだが
 彼はプロとして多才だな」
俺の言葉で、新郷が少し不安そうな視線を向けてきた。

「新郷は会計士、会計事務員、しっぽや捜索員、栄養管理と調理師、清掃員、可愛いペット
 それに、頼れる恋人で家族だ
 こんなにマルチな化生は他に居ない、かけがえのない存在だよ」
俺は頬が赤くなるのを感じながら、日頃思っていることを新郷に伝える。
「うん、俺、凄いよね
 桜ちゃんの家族だもん」
新郷は俺に抱きついてきて、甘えるように頭を肩にすり付けた。
「いつでも側にいてくれる、大事な愛犬だ」
「うん、いつも桜ちゃんの側に居るよ、ずっと一緒だもんね」
俺達は見つめ合って、唇を合わせた。

「風呂に入って温まってこい
 ベッドで待ってるから」
新郷の体を放しそう言うと
「風呂入っても、どうせ汗かいちゃうと思うけど
 桜ちゃんだけキレイな体ってのも悪いしね
 俺もキレイにしてくるよ」
新郷は嬉々として俺の指示に従った。

側にいた体温が離れてしまうのは名残惜しかったが、俺は先ほど煎れてもらったお茶を飲んで流しに湯飲みを置くとベッドに向かい、愛する恋人の訪れを待つのであった。 




約束の土曜日は天気が良く、夏が戻ってきたような陽気になっていた。
大麻生はいつもきちんとした服装をしていたが、今日は飼い主の見立てなのだろう、いつになくカジュアルな格好をしていた。
黒いシャツの胸元は大きく開かれ、首にはゴツいシルバーアクセサリーを着けている。
シェパードだった彼には、そのワイルドさがとても似合っていた。

そして彼の飼い主はと言うと、外見からは想像していたような真面目さは全く窺えなかった。
猫の化生のように煌びやかで整った顔立ち、金色に染められたキレイな長髪、均整のとれたしなやかな体つき、それを最大限に引き立てる術を知っているファッション。
ゲンの言葉は誇張ではなかったようだ。
まだ若々しく、カズハ君と同じくらいの年に見えた。
大麻生と同じようにシャツの首元を大きく開け、美しい首筋を小振りのシルバーアクセサリーで飾っている。
俺はそれを見て、思わず視線を逸らしてしまう。
相手もそれに気が付いたのだろう、少し顔をしかめられてしまった。


「桜様、こちらが自分の飼い主のウラです
 やっと自分も新郷と同じ境遇になれました」
居間に通しミルクティーを出すと、大麻生は畏(かしこ)まって飼い主を紹介した。
彼の顔は喜びと誇りに満ちあふれている。
『飼い主を紹介する』
そんな事がことのほか嬉しいのだろう。
新郷も昔はそんな顔で、飼い主のいる化生に挨拶をしに行ったものだ。

「初めまして、新郷の飼い主の桜沢 慎吾です」
俺が頭を下げると
「ども、大麻生の飼い主の山口 浦です」
彼も同じような挨拶を返してくる。
「山口さんも、何か本を読まれますか?
 俺が持っているもので良ければ、貸しますけど」
大麻生と一緒に来たということは、彼も読書が趣味なのかと思い聞いてみたが
「あー、俺、活字アレルギーっつーか、本とか読まないんで」
何とも歯切れの悪い答えが返ってきた。
その後の会話が続かず、気詰まりな沈黙が訪れる。

「大麻生、この前貸した本の新刊が出たんだ
 前の話が絡んでいて、シリーズを通して読んでいるとさらに面白く読めると思うんだが読むかい?
 本を買った日に一気読み、ということを久しぶりにしてしまったよ」
「ええ、あのシリーズは人間関係が肝ですね
 『人情』というものの勉強になります
 自分は、このような本をお持ちしましたがお読みになりますか?
 社会情勢が取り入れられているので、これも勉強になるかと選んでみました
 ニュースなどで報道されているものより、深く内情がわかります
 本当に、人の世は複雑ですね」
沈黙に耐えきれず、俺は大麻生を伴って本棚の前に移動した。
山口さんの相手を新郷に丸投げしてしまったが、愛想の良い彼の方が上手く接客出来るだろう。
新郷は小説を読まないので、俺は暫くの間、大麻生と気になる本についての雑談を楽しんでいた。


お互いに本を選び終わり、大麻生は持ってきた鞄に荷物を詰め込んでいる。
俺も借りた本を自分の本と混ざらないよう別の場所に置いていた。
そんな中で、新郷と山口さんがしゃべっている声が耳に届いてくる。

「でね、桜ちゃん寒がりだからさ、この時期の飲み物には気を使うわけ
 喉乾いてるときでも冷蔵庫から出したばかりの冷えたやつだと、お腹痛くしちゃったりするんだよね
 かといって、熱々だと喉乾いてても一気に飲めないじゃん
 だから、常温かそれよりちょい熱めの飲み物を用意するんだ」
「それでさっき、俺達のは氷入りのミルクティーだったのに、自分達のはホットだったんだ」
「だって大麻生もウラも喉元ガッツリ開いた服着てたから、暑いのかと思ってさ
 桜ちゃんは、そーゆー格好ダメなんだ
 喉元そんなに開けてたら、風邪引いちゃうもん
 夏場も店に入ると冷房強いから、きちんと上までボタン止めてガードしないとダメなくらいだし
 職業柄、きっちり見えるから良いんだけどね」
「マジ?あの几帳面なファッションって、防寒なの?」
「そう、可愛いだろ桜ちゃんって
 身持ちが堅く見えて、俺には大胆なときもあるのがまた燃えるんだ
 こないだ雨が降った晩も寒かったじゃん
 だからするときも風邪引かせないよう、最大限の注意を払ったんだぜ
 終わってからだってずっと抱きしめて、俺の体温で温めてんの
 でもさー、そうやってクッツいてると、またしたくなっちゃうんだよ
 だって桜ちゃんの寝顔は可愛いし、規則正しい寝息が胸元くすぐってくるし…」


「新郷!」
俺は彼に駆け寄って慌ててその口を塞いだが、時既に遅し、と言った感じだった。
新郷だけに相手をさせればこのような展開になるのは分かり切っていたハズなのに、気詰まりを感じたくらいで丸投げしてしまった数十分前の自分が呪わしい。
真っ赤になりながらチラリと山口さんを見ると、呆然とした顔で俺を見つめていた。
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