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しっぽや(No.102~115)

「ソウちゃん、次の休みっていつ?
 ちょっとつきあって欲しいところがあるんだけど」
ウラに飼っていただくようになってから数日後、夕飯を食べながら彼は改まって聞いてきた。
「ウラのお望みであれば、明日にでも休みをもらいます」
自分が勢い込んで答えると
「いや、急いでる訳じゃないから、わざわざ休まなくても大丈夫だって」
ウラはそう言って苦笑した。
「来週、月曜が休みになります」
「じゃあ、一緒に出かけよう」
初めての『飼い主とのお出かけ』に、心が高揚していく。
「はい!」
飼い主と交わす約束事が、かけがえのないものに思われた。




そして迎えた休みの日。
自分とウラは連れだって出かけていく。
ウラの要望で、自分はいつもの出勤時と変わらない黒いスーツを着ていた。
ウラはいつもより少し『お堅い』服装をしていた。
しかしどのような服を着ていても、ウラの美しさが損なわれることはなかった。


電車を乗り継ぎ駅から歩いたので、目的の場所までは2時間ほどかかったであろうか。
そこは古びた一軒家であった。
『ここは…?』
古い古い記憶が、この家を知っていることを自分に告げていた。
「ウラ」
戸惑って飼い主の指示を仰ごうとするが、彼からとても緊張している気配を感じ取り、何も言えなくなってしまった。
ウラがスーツの端を握りしめてくる。
「自分が側についております
 何があっても、必ずお守りいたしますから」
飼い主を安心させたくてそう囁くと、ウラは頼もしそうな視線を自分に向けてくれた。
「うん、ソウちゃんと一緒だから大丈夫」
彼は頷いて、意を決したようにチャイムを押した。


ピーンポーン

少し間延びしたチャイム音が家の中に響いている。
暫く待つと
「はい、どちら様?」
少し訝しげな顔をした老女がドアを開けた。
自分は、彼女を知っている。
再び会えるとは思っていなかったので、懐かしさのあまり見つめることしか出来なかった。
ウラが更に強くスーツを握ってくる。
「あの、何かご用でしょうか」
老女の顔に警戒の色がし始めた頃、やっとウラが掠れた声を出した。

「婆ちゃん、ただいま…」
それを聞いた老女の目が、驚愕に見開かれる。
「あなた…ウラなの…?」
ウラは観念したように頷くと
「あの、ごめんなさい、ずっと帰らなくて」
そう言って頭を下げた。
老女はヤマさんの奥様であった。
奥様は自分とウラの顔を交互に見つめ、真っ青になっていく。
「まあ…何てこと、どうしましょう」
彼女の目に涙が光り
「すいません、今、主人を呼んで参りますのでお待ちください」
自分を見て丁寧に頭を下げると、慌てて奥に引っ込んでしまった。

「あれ?婆ちゃん?」
ウラが呆気にとられた顔をする。
「俺が髪染めたの初めて見たから、動転しちゃったかな
 最初、誰だかわかんなかったみたいだし」
バツが悪そうに呟く彼に
「とてもお似合いだと思うのですが」
自分はそう伝えた。
奥様が何故あんなにも取り乱してしまったのか、さっぱり訳がわからなかった。


程なく、家の奥から慌ただしい足音を響かせ、ヤマさんが走ってくる。
奥様同様すっかりお年をとられてしまったが、気配は間違いなく懐かしいヤマさんのものであった。
ヤマさんは自分を見て
「申し訳ありません」
と頭を下げた。
そのまま玄関先に土下座する。
「両親にかまってもらえないのを不憫に思い、甘やかしてしまった私の責任です
 この子は、本当は優しい子なんです
 こんな言葉で許されるとは思いませんが、どうか寛大な処置をお願いします
 私が、この子のやったことの責任を負います
 本当に申し訳ございませんでした」
必死に謝るヤマさんに、何と言って声をかけていいのか状況がさっぱり飲み込めなかった。

「あー、うん、ちょっと読めてきた」
ウラが小声で伝えてくる。
「爺ちゃんも婆ちゃんも、ソウちゃんのこと警察の人だと思ってるわ
 真面目に見えるようにってスーツ着せたの、裏目に出たな
 ソウちゃん元警察犬だから、まあ、そう見えるよねー
 もっとカジュアルなの着せてくれば良かった
 2人とも、俺が何かやって補導されたと思ってんだ
 いやもう、補導で済む年じゃないんだけどな、俺」
ウラは今までの緊張を解いて、苦笑する。
やっと状況がわかってきた自分は
「どうか顔を上げてください
 ウラが優しい方であることは、とてもよく知っております」
土下座し続けるヤマさんにそう声をかけた。
ヤマさんは顔を上げ、やっとまともに自分の顔を見てくれた。

自分を見つめるヤマさんは何かを思い出すような遠い表情をして、かすかに口を動かした。
『アソート』
言葉にはならない彼の口の動きは、確かにそう呟いたようだった。
ヤマさんがその名を覚えていてくれたことが、とても嬉しく感じられた。



ヤマさんは自分とウラを部屋に通し、お茶とお茶菓子を振る舞ってくれた。
縁側からは庭が見えている。
犬だったときは庭から部屋の様子を眺めるしかなかった自分にとって、それは不思議な光景であった。
今はもう犬の訓練はしていないらしく、庭に犬舎は無い。
しかし庭に植えられている木が、当時の面影を偲ばせていた。
『懐かしい』
あのお方がお亡くなりになった後、自分は確かにここに居たのだと記憶が蘇ってくる。
この家での訓練時、どうしても気が散ってしまって上手く臭気を識別できなくなっていた自分を、ヤマさんは怒らずに悲しそうな目で見つめるだけだった。


「それで、大麻生さん、とおっしゃいましたか
 ウラとはどのようなご関係で」
ヤマさんが自分を見つめながら問いかけてくる。
ウラのことを心配しているのだろう。
自分がどのような人間であるか見極めようとしている目であった。
「現在、ウラと同居しておりまして、自分が仕事に出ている間に家のことをやっていただいております」
『飼っていただいている』
とは答えられず、当たり障りの無いような返事を心がけた。
「こいつが家事を?」
ヤマさんは疑わしそうな視線をウラに向けている。
「洗濯とか掃除とか、ちょっとはやってるよ」
モゴモゴとウラが答えても、ヤマさんの視線は変わらなかった。

「大変助かっておりますし、話し相手が出来てとても感謝しております
 自分の感覚は古いので、ウラに新しい知識を教えていただけるのがとても勉強になるのです
 スマホの使い方も習えましたし、家電の使っていなかった機能も発見出来ました
 最近の電化製品は多機能すぎて使いこなせなくて」
自分が頭をかくと
「確かに、そうですな」
ヤマさんは少し笑って親しげな視線を向けてくれた。

「ペット探偵をなさっているとか」
「はい、自分は主に犬の捜索をしております
 些細な痕跡や臭気から的確に追尾し、捜索に関してはプロである、との自負があります」
つい誇らかに答えてしまうが、ヤマさんは頷きながら話を聞いてくれていた。
「ヤマさ…、山口さんは犬の訓練士をなさっていたとか
 警察犬の訓練もされていたのですよね」
「もう、昔の話ですよ
 私よりも若い同僚が、過労がたたって亡くなってしまいましてね
 まだまだこれからの奴だったのに
 それから、少し仕事をセーブするようにしました
 彼のことがなければ、私も同じ道を辿っていたかもしれない
 彼は私の命の恩人だと思ってます」
あのお方のことを今でも大事に思ってくださっているヤマさんに、胸が熱くなった。

「彼が亡くなった後、彼の訓練していた犬を引き取りました
 毎年試験に合格しているとても優秀な警察犬だったんですが、うちに来てからは合格出来なくなってしまって
 自分の訓練士としての未熟さを痛感しました」
ヤマさんは少しうなだれてしまう。
「いえ、けっして貴方が未熟だったからではありません
 問題は、その犬の方にありました
 その犬はどうしても、物事に集中出来なくなっていたのです」
自分のことで気落ちするヤマさんを見ていられずに、思わずそう口走ってしまった。
「ええ、あの犬は訓練をしながら、いつも誰かを探していました
 ずっと、飼い主である同僚を探していたんです
 私では、真にあの犬の飼い主になれなかった
 それだけ、同僚と犬の間は強い絆で結ばれていたのですよ」
『羨ましい限りですな』ヤマさんは自嘲気味に力なく呟いた。

「その犬は貴方に感謝しております
 飼い主を失った悲しみを共に出来る人間に引き取られたことは、その犬にとって幸せなことでありましたから
 貴方のことを慕っていなかったわけではありません
 それでも、以前の飼い主が忘れられなかったのです」
自分はアソートとして生きていた頃に感じていた事を、口にする。
いきなりすぎる言葉のはずなのに、ヤマさんは微笑んでくれた。
「そうですか、慕ってくれていましたか」
ヤマさんの目尻に涙が光っている。
「はい、とても慕っておりました」
自分も涙を浮かべてしまっていた。


「いや、どうも、年寄りの昔話につき合っていただきありがとうございます
 ウラはきちんとした方と暮らしているようで安心しました
 こいつが何か問題を起こしたら、遠慮なく連絡ください
 ゲンコツくれてやりますから」
ヤマさんの言葉に、ウラが焦って頭を守る動作をする。
「ウラは信頼に足る、とても良いお方です」
そう伝えると、ヤマさんは目を細めて自分達を見てくれた。

その後も話がはずんで長居してしまい、夕飯をごちそうになってから、自分とウラは懐かしい家を辞去した。


「ウラ、ヤマさんに会わせてくださってありがとうございます
 あのお方の事も大事でしたが、ヤマさんのことも大事だと思っていた自分に気が付けて、とてもスッキリとした心持ちになれました」
礼を言う自分に
「いや、俺がソウちゃんダシにして帰ったみたいなもんだって
 1人だったら絶対帰る勇気出なかったよ」
ウラは照れた顔を見せた。
「年とっちゃったけど、2人ともまだ元気そうでちょっと安心した」
ヘヘッと笑うウラに、彼を飼い主に選んだ喜びがわきあがってくる。

「これからも、自分と一緒にいてくれますか」
「もちろん!爺ちゃんより俺の方がソウちゃんに懐かれてるって、不思議だけど良い気分かも」
腕を絡めてくるウラの温もりに幸せを感じながら

『あのお方に出来なかった分まで、今度こそ飼い主の役に立ち、守ることが出来るよう頑張ろう』

自分は決意を新たにするのであった。
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