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しっぽや(No.1~10)

私の以前の飼い主は、心優しい老女であった。
大きな戦争の後、時代は変換を迎え海外から沢山の文化や品物が入り込み、この国の生活が急激に変化していった時代だったと、後に黒谷に教えてもらった。
チンチラシルバーという私も、そんな時代の流れにのってこの国にやってきた。
元々は、資産家のペットとして輸入された存在であったのだ。
その時の事は、もうよく覚えていない。
きっと事業にでも失敗したのだろう、私は資産家の家を追い出され、暫く野良猫として町をさ迷っていた。

そんな私をあのお方は哀れんで、家に迎え入れてくれたのだ。
あのお方の家には、そんな風にして流れ着いた猫が他にもいた。
私のような洋猫もいれば、和猫もいた。
足を失った猫もいれば、目を失った猫もいた。
あのお方は、そんな私達を分け隔て無く可愛がってくれた。
そこは争いも餓えもなく、私達にとって天国のようであった。

あのお方はそれなりの資産を持っていたようで、特に働いていた記憶は無く、いつも私達の面倒をみてくれていた。
彼女の膝の上で寝る事が、私の何よりの幸福であった。

やがて、あのお方は床に伏せる事が多くなった。
寿命で身体が弱ってきたのか、病気だったのか、私にはよくわからない。
猫の私に出来る事は、枕元であのお方を見守る事だけだった。
『遺言を書いておいたわ
 私が死んでも、あなた達の面倒をちゃんとみてもらえるように
 私が居なくなっても、あなた達が幸せであるように』
あのお方は弱々しい声で、よくそう言っていた。
もちろん、私達猫には意味は理解出来なかったが、あのお方からの愛が伝わってくるだけで幸せだった。
ただ、あのお方のために何も出来ない自分がもどかしかった。
最後には水を飲む事にも難儀していた、あのお方の助けになりたかった。
もしも私が人であったなら、あのお方の役に立てたのではないか。
その時から漠然と、私はそんな事を考えていた。

あのお方が亡くなられた直後、家に数人の人間がやってきた。
そいつらは、あのお方が大事にしまっておいた『遺言書』とやらを燃やし、家の中の物を漁り根こそぎ奪っていった。
私や他の洋猫は檻に入れられ、それ以外の猫は袋に詰められた。
袋に詰められた猫達がどうなったのか、私にはわからない。
しかし、あまり良い最後を迎えたとは思えなかった。

檻に入れられた私達は、ペットショップの店頭に並べられた。
しかし私はその時、年を取りすぎていたため売れることは無く、やがて店の隅の段ボール箱に入れられ放置される。
生きる気力を失っていた私は、程なく衰弱死した。

私が人であったなら、あのお方の意志を無碍にさせたりはしなかったのではないか。
床についたあのお方に、何かしてあげられたのではないか。
あのお方の助けになりたかった。
あのお方を守りたかった。
無力な猫の自分が、悲しかった。
気が付くと私は人の姿になり、どことも知れぬ空間をさ迷っていた。
『人のお役に立ちたいなら、いらっしゃい』
そんな気配に導かれ光の空間を抜けると、私を導いてくれた声の主、三峰様がいらっしゃった。
まだ自分に何が起きたかわからず、呆然としている私に
『貴方は化生しました
 今からは「長瀞」と言う名前になります
 我らと共に有り、新たな飼い主と巡り会いなさい』
三峰様は優しくそう言われ、私に『しっぽや』という居場所を与えてくださったのだ。




長い回想が終わり、意識を現在に集中させる。
ゲンは私を化け物だと恐れるだろうか、みすぼらしい猫だと侮るだろうか…

恐る恐るゲンの顔を見ると、彼は泣いていた。
「何で…何であんな目にあわされたのに、人を守りたいなんて思うんだよ!
 捨てられて、放置されて、人間の身勝手に巻き込まれて
 何でそれでも一緒にいてくれるんだよ!」
ゲンは私を強く抱き締めてくれる。
「けれども私は、あのお方に愛されていた自分を知っています
 それだけで、私は人と共に有りたいのです」
ゲンに拒絶されなかった!
その事に、私は泣きたいほどの幸福感に包まれた。

「俺、絶対ナガトを幸せにしてやるから!
 きちんと飼ってあげるから!
 だから、俺のとこに来い!」
力強いその言葉に
「はい!」
『何十年も待ち続けた飼い主がゲンで良かった…』
私も泣きながらゲンにすがりついていた。

「俺さ、ちゃんと勉強する
 親父の跡継いで、もっとうちの事業大きくするよ
 俺もナガト達の助けになりたいんだ
 そのためには、多分、俺みたいな人間が必要になってくるハズだぜ」
ゲンは得意気にへヘッと笑う。
「あ、最後に出てきた何か威厳ある人、あの人も化生ってやつなの?」
ゲンにそう聞かれ、私は驚いてしまった。
「三峰様の映像まで見たのですか?」
記憶の転写をして、三峰様の存在にまで気が付いた人間がいるとは聞いたことが無かったのだ。
ゲンはよほど私と相性が良いらしい。
「影だけで、顔とかは見えなかったけどさ
 元締め、みたいな人なら、いつかきちんと挨拶しないとな」
ゲンは微笑んで、そっとキスをしてくれた。

「『長瀞』って、あの偉い人に付けてもらった名前だったんだね
 その…、ナガトの本当の名前って何だったの?」
ゲンに聞かれ
「最初の名前は覚えていません
 でも、あのお方は私の事を『ガトー』と呼んでくださってました」
私は久しぶりにその名を口にする。
「『ガトー』?変わった名前だね」
首を捻るゲンに
「あの家には、シャム猫もいました
 その方の名前は『ショコラ』だったのですよ」
私はそう答えた。
「『ガトーショコラ』!あの時代に、それ知ってたんだ?
 ナガトの元の飼い主、すげーハイカラなお婆ちゃんじゃん!
 さてはそのシャム猫、チョコレートポイントだな?」
ゲンは可笑しそうに笑う。
「正解です、私も最近になって気が付いた事なのです
 でも今は『ナガト』です
 これは、貴方が付けてくれた、大切な名前ですから」
つられて笑った私に、ゲンはまた優しくキスをしてくれた。
「ずっと、一緒に居ような」
ゲンにそう言われ、私は胸がいっぱいになる。

これからは、ゲンと共に生きていけるのだ。
もう1人ではないのだ。
私はこの手を離さない。
しっかりと抱き締めてくれる腕の温もりをとても尊いものに感じ、喜びに打ち振るえながら
『必ず貴方をお守りします』
私は堅く心に誓っていた。

こうして私は、かけがえのない新たな飼い主を手に入れたのであった。
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