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しっぽや(No.1~10)

席についてメニューを見ても、私には何が書いてあるのかサッパリわからなかった。
「イタ飯っつっても、イタリアの素朴な家庭料理がメインの店なんだ
 何か普通に煮込んであったり、炒めてあったり
 実は俺もさ、名前と料理、まだピンときてないの
 いっつも適当におまかせコース頼んでるから
 あ、肉と魚、どっちの方が好き?」
ゲンは小声で聞いてくる。
「私はゲンと同じ物で良いですよ」
そう答えると
「え…?それだと、ナガトにはちょっと足りないかも…」
ゲンは少し戸惑い気味に言う。
「かまいません、ゲンと同じ物を食べてみたいのです」
彼と同じ体験を分かち合いたい、私は心からそう思っていた。
「そう?じゃ、オジチャン、俺用のおまかせコース2つお願いね」
ゲンはそう注文する。

「イタ飯、イタリアの飯でしたか」
私が感心して言うと、ゲンはギョッとした顔をし
「え、もしかしてイタ飯って何のことかわかってなかった?」
慌てたようにそう言った。
「はい…」
私は恥じいって俯いてしまう。
「ナガトって、ちょっと浮き世離れしてるもんな
 まあ、あの事務所の人、皆そんな感じだけど」
ゲンは優しく微笑んでくれた。

食前酒とサラダが運ばれてくる。
それに手をつけながら、ゲンはチラチラと私を見ていた。
何か言いたい事があるようなのだが、戸惑っている感じであった。
「どうしましたか?」
私が聞いても、ゲンは暫く無言であった。
しかし漸く
「あのさ…俺、ガキの頃、小児ガンやってんだ
 胃を少し切除してんの、だから一気に物食えなくて
 俺にあわせると、量、少ないよ?
 やっぱ、何皿か追加した方が良いと思うんだけど…」
言いにくそうにそう伝えてくる。
「かまいませんよ」
私は再度、そう答えた。

「頭も、その時からずっと剃ってんだ
 もし再発して、また急に髪が無くなると皆に驚かれると思ってさ」
ゲンが何か重大な秘密を打ち明けている事はわかったが、私にはその話の内容が理解出来なかった。
「そうでしたか」
そう言うしかない私に、ゲンはさばさばしたような笑みを向けてきた。
「ナガトって、クールだよな
 これ言うと、皆けっこー同情的な目で俺を見るんだ
 俺、あんま、あの目で見られたくねーの
 今は完治してるし、5年以上再発してないから
 あの時、一緒に入院してた子、半分も残ってない事を考えると俺って運が良いのよ」
ゲンは少し遠い目をする。

「お、今日の煮込み、これか!
 俺の1番好きなやつ、食ってみ、美味いから!」
会話の途中で新たな皿が運ばれてきて、ゲンの話は打ち切られる。
ゲンの好きな煮込み料理は、私にもとても美味しく感じられた。
食事が終わり、とりとめのない会話を交わし、店を後にする。
「また、事務所に会いに行って良い?」
別れ際、ゲンが照れたように言うと、私はとてもドキドキしている自分に気が付いた。
「お待ちしています」
私が微笑むと、ゲンも笑ってくれた。



そのまましっぽやの事務所に顔を出し
「『イタ飯』というのは、イタリアの飯の事でした」
そう、黒谷に報告する。
「なるほど~、イタリア…?
 スパゲティとかピザ?」
黒谷は感心しながらも、首を捻っていた。
「良かったですね」
白久が優しく私を見る。
そういえば白久は以前の飼い主を病気で亡くしているため、化生した後色々調べたと言っていた。
人間の病気には詳しいのだ。
私は先ほど聞いたゲンの話を思い出し
「白久、ショウニガンって何だか知っていますか?」
そう聞いてみた。

「癌とは、恐ろしい病気です
 細胞が異常増殖し、健康な細胞を破壊してしまうのですよ
 小児とは、子供の時の事
 癌になると遊びたい盛りの子供が長期入院生活を強いられるのですから、ストレスが大きいでしょうね
 自分の体に何が起こっているのかわからず、大変な恐怖も感じていると思います
 癌のタイプによっては、非常に生存率の低いものもあるようですから」
白久は眉根を曇らせて、そう教えてくれた。
「え…?」
私は今更ながらショックを受ける。

「じゃあ、髪が無いって…?」
私の呟きに
「抗癌剤という薬は強すぎて、癌細胞以外の健康な細胞にも影響を与えます
 それで、吐き気が酷くて何も食べられなくなったり、髪が抜けてしまったりもするのですよ」
白久がそう答えてくれる。
「イをセツジョするって…」
確か、ゲンはそんな事も言っていた。
「胃に癌が出来ると、その部位を切り取ってしまうのですよ
 あまり多く切り取らなければ普通の人と同じ食事を少しずつ取れますが、胃のほとんどを切り取らなければならないケースもあるとか
 そうすると、食事が大変ですね」
白久が悲しそうな顔をする。

「最近ではペットの寿命が延びているから、犬や猫も癌になるケースが増えてるんだろ?
 僕達化生は癌になった、なんて話は聞かないけどさ
 飼い主が癌になったケースはあるんだよ」
黒谷も改まった顔で会話に入ってくる。
「そう…でしたか…」

人の役に立ちたくて化生したにもかかわらず、私は人間の事をきちんと理解しようとしてこなかった。
人の健康や病気の事など考えたこともなかった。
白久や黒谷のように、積極的に人を学ぼうとしなかった。
そんな己の浅はかさが、私を打ちのめしていた。
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