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しっぽや(No.85~101)

     《 過去 》
side<SHIROKU>

それは、親鼻が秩父先生に飼っていただくようになってから10年近く経った頃のこと。
私達は工事の仕事と何でも屋を半々と言った感じで生業としながら、アパートの2室を借り上げて生活していた。
秩父先生のおかげで、私達は何とか移りゆく現代に対応できていたのだった。


「今日は、僕とシロは夕方から現場に出るね
 新郷は昼から子守の依頼が入ってたっけ
 長瀞たち猫は留守番と迷子猫捜索依頼が来たらお願いするよ」
朝方1室に集まった私達に、黒谷が今日の予定を伝える。
「私とクロは時間まで少し仮眠を取らせてもらうかもしれません」
「そうだな、2人とも休めるうちに休んどきな
 何かあったら、俺が頑張るからよ
 子守なら俺にお任せ!あのお方のお子様達の面倒見てたの、実質俺みたいなもんだ」
新郷が得意げな顔を見せた。
生前、人間の子供と触れ合っていた新郷は子供受けが良く、ペット探しではない何でも屋の仕事も頑張っていた。

「皆さん、朝ご飯が出来ましたよ」
長瀞がちゃぶ台に朝食を並べるのを、私達が手伝う。
それがここ最近の日課になっていた。
「今日も美味そうな朝飯、ありがとよ
 洋猫なんて取り澄ました奴かと思ってたけど、長瀞が化生してくれて良かったぜ
 朝からこんな美味いもの食えるんだからな」
新郷が満面の笑みでご飯を山盛りによそっている。
長瀞は生前、年輩の女性に飼われていたので、かいがいしく皆の身の回りの世話をしてくれた。
猫という生き物とは縁がなかった私にとって、彼の存在は時に新鮮な驚きをもたらせてくれる。

「この、猫マンマって美味しいものですね
 私は味噌汁をかけたご飯しか生前食べたことがなかったので、ご飯には汁物以外かけられないと思ってました」
「僕もだよ、それに魚に小麦粉を付けて焼くの『ムニエル』だっけ?
 あれも美味しいね」
「俺は魚は囲炉裏で焼いたり、煮るもんだと思ってたからビックリだぜ」
私達が口々に誉めると
「あのお方の作る物の真似をしているだけですよ」
長瀞は照れくさそうな笑顔をみせた。

朝ご飯を食べ終えゆっくりしていると、懐かしい気配が近付いてくるのが感じられた。
「あれ?こんな時間にどうしたんだろう」
黒谷がその気配の主を迎え入れるため、玄関の扉に近付いていった。
皆その気配に気が付き、少し緊張した顔を見せている。
「もう1人いるな、新入りか?
 でも、何だか知っているような…?」
新郷が気配を探って首を捻った。
「共通の古い知り合い、なんて居ましたっけ?」
私も新郷と同じ感覚を味わっていたので、思わず顔を見合わせてしまった。

黒谷に迎え入れられて部屋に入ってきたのは、三峰様だった。
「皆、元気でやっているかしら
 今日は新入りを連れてきました、仲良くしてあげてね
 何だかこの子、不思議な子なのよ」
三峰様に連れられて部屋に入ってきたのは、新郷と同じ様な茶色の髪で、クリクリとした人懐っこい瞳を持った、どこかバタ臭い顔立ちの犬の化生であった。
私も黒谷も新郷も、その瞳を覚えていた。
「ジョン!!」
私達は口を揃えて彼の名を叫んでしまう。
「お久しぶり、この姿になれば、また君達に会えると思ってたよ」
ジョンは懐かしそうな瞳を私達に向けてくる。
「あら、化生に知り合いがいるって本当だったのね」
私達の様子を見ていた三峰様が、ビックリした顔になった。

ジョンは私達が親切にしていただいた岩(いわ)さん、と言う人間に飼われていた雑種の犬であった。
まだ親鼻が秩父先生に飼っていただく前、工事の仕事をしながらその日暮らしをしていた私達を、同じ現場で働き同じ宿に泊まっていた岩さんは食事に誘ってくださった。
おかげで私達は焼鳥屋や定食屋、と言った場所で食事する知識を得られるようになったのだ。

「岩さんに教えてもらって、俺達焼鳥屋で注文できるようになったんだ
 ネギマ、ハツ、シロ、レバー、美味しかったなー
 ここんとこ行ってないや」
新郷が懐かしげに目を細めた。
「君は宿の人気者だったね
 皆が仕事から帰ってくると、盛大にしっぽを振って出迎えてくれたっけ
 人間達はそれで随分慰められたようだよ」
「尾のない私達にとって、全身で喜びを表せるその姿は、少しうらやましいものでありました」
私も黒谷も、懐かしさで胸がいっぱいになる。
知っている犬が化生するなんて、初めてのことであった。

「この子は随分すいすいと隧道を進んでくるな、と思っていたのです
 大抵は皆、躊躇(ためら)いと戸惑い、不安と期待を持って進んでくるのですが
 行く末を知っていたから、不安なく希望を持って進んでいたのですね」
三峰様が得心がいった、と言う表情をみせる。
「この子は『上弦(じょうげん)』と名付けたのです
 けれども皆には『ジョン』の方がなじみ深いようですね」
苦笑する三峰様に
「でも俺、上弦って名前も大好きです
 良い名前をくださって、ありがとうございます」
ジョンは笑って頭を下げていた。


「ジョン、君が化生したと言うことは…
 岩さんはその…」
黒谷が言いにくそうに言葉を発する。
私も新郷も瞳を伏せた。
「わかんないんだ…俺、あのお方より先に死んじゃったんだよ
 オリンピックってのが終わった後、今度は西の方で何かあるから仕事が多そうだってあのお方が言っててさ
 宿を移って野宿なんかしながら、転々と移動してたんだ
 やっと宿をとって、あのお方が本格的に働こうか、ってときに俺、具合悪くなっちまって
 胸が痛くて痛くてさ、体の自由も利かなくなってくるし
 あのお方は病院に連れて行ってくれたけど『犬なんか診れるか』って追い返されてね
 秩父先生って、良いお医者だったんだなって、つくづく思った
 俺が蜂に刺されて顔腫らしたとき、臭い液塗られて散々な思いしたけど、あれ、薬ってやつだったんだ」
ジョンは腕を組んで頷いていた。

「そうか、万博の関係で、西は仕事が増えたんだろうね
 この辺はもう工事の仕事が少なくなって、多くの人間が移動していったよ」
「そういえば、そうですね」
私も黒谷も感慨深い思いにかられる。
「ジョン、お前、蜂になんて刺されたの?
 虫や蛙は無闇にちょっかいかけちゃダメなんだぜ
 毒持ってる奴がいるんだ、下手すりゃ死んじまうぞ
 俺はちゃんと、あのお方に教わったからな」
山育ちの新郷が、呆れた顔をみせていた。

「でさ、いよいよ身体が動かなくなって死の淵が見えたとき、俺、考えたんだ
 犬になって生まれ変わるより、君らみたいな身体になった方があのお方の役に立てるんじゃないかってさ
 そうすれば一緒に焼鳥屋にも定食屋にも入れるし、宿では玄関先に繋がれないで部屋の中に入れるんじゃないかってね
 どうすれば良いかわかんなかったけど、明るい方に行かないで『化生したい』って強く思ったらトンネルが見えてきて
 きっとこの先に何かあるって早足で歩いていったら、いつの間にか人の姿になって三峰様に出会ったって訳」
ジョンはヘヘッと笑った。
「小走りで飛び出してきたから、本当に驚きましたよ
 化生を知ってる、知り合いがいるんだ、何て言うし
 貴方達以外あり得ないだろうと思っていたら、そんな経緯(いきさつ)があったのですね」
三峰様は私達を見て優しい笑みを浮かべた。

「あのさ、あのお方がどこにいるか、知らない?
 連絡っとってない?
 俺、西の方の宿がどこにあるかわかんないんだ
 地名とか住所って、気にしたことなかったから
 もう、その宿も引き払っちゃったかもしれないし…」
うなだれるジョンに、私達はかける言葉がなかった。
誰も、岩さんの現在の所在など知らなかったからだ。

「私達は知りませんが、秩父先生ならどうでしょうか」
私はそのことに思い至る。
「そうか、人間同士なら何か知ってるかもしれないね」
黒谷も明るい顔をみせた。
「秩父先生と、まだ連絡取ってるの?
 なら聞いてみてもらえないかな、あのお方のこと」
ジョンは瞳を輝かせる。
「知ってるも何も、あの人は親鼻の飼い主になってくださったんですよ
 今でも私達のために、色々と便宜を図ってくださってます」
私の言葉に
「そっか、1人デカいのが居ないと思ってたんだ
 飼い主が出来たのか」
ジョンは驚いたような、羨ましそうな顔を見せるのであった。

「秩父先生のとこには次の休診日に遊びに行くことになってるから、一緒に行って聞いてみようぜ
 おやつにケーキ出してくれるんだ
 ケーキ、食ったことある?
 甘くって最高に美味しいぜ!焼き鳥とはまた違う美味さ!」
新郷が満面の笑みになる。
「ケーキ…あのお方に話には聞いたことあったけど、食べたことはないや
 甘いものなら、どら焼きとかあんパンを分けてもらったことあるよ
 美味しかったな、あのお方との半分こ
 俺達、2人で満月だったんだ
 知ってる?満月の半分って上弦と下弦(かげん)って言うんだぜ
 あのお方が教えてくれた
 俺は上弦で、あのお方が下弦
 だから、上弦って本当に俺のもう一つの名前なんだ
 三峰様にその名を頂いたときは、何で知ってるのかとビックリしたな」
ジョンは過去を思いながら、遠い目をした。
「そうでしたか…良いお方に飼われていたのですね」
三峰様に優しく言われ
「はい、あのお方は最高の飼い主です!」
ジョンは誇らかな顔で頷いた。

「よし、じゃあ日曜日は皆で秩父先生のとこに行こう
 きっと親鼻が喜ぶよ
 ジョンが秩父先生に診てもらってなければ、岩さんが親鼻を秩父診療所に連れて行かなかったろうし
 そうしたら、2人は出会えなかったからね」
黒谷の言葉に
「そうそう、親鼻の正体がバレて戻ってきた後、迎えに来た秩父先生は玄関先に繋がれているジョンを見て宿が判明したって言ってました
 貴方は2人を2度も引き会わせてくれたのですよ」
私も微笑んで後を続けた。

私達の言葉に、ジョンは照れくさそうに頭をかくのであった。
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