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しっぽや(No.70~84)

side<AKETO>

買い物からマンションに帰ってくると、俺と皆野はお婆様の指示に従い、大量の荷物を片付けていった。
あのお方とお母さんも車で一緒に買い物に行った後は同じことをしていたっけ、と懐かしく思い出してしまった。
そんなとき、俺も皆野も外から持ち込まれた物の臭いをチェックするのに大忙しで
「こらこら、邪魔しないんだぞ」
そう、あのお方に怒られたものだ。
あまりにしつこく俺達が嗅ぎ回るものだから、あのお方は煮干しを取り出して
「ほら、向こうでオヤツにしよう、特別だぞ」
他の部屋に連れて行かれてしまったものだ。
俺達は『特別なオヤツ』に釣られ、簡単に荷物のことを忘れてしまった。
食べ終わって荷物のことを思い出した頃には、とうに片付けられてしまって跡形もなくなっていた。

「本当に助かったわ、ありがとう
 お腹空いたでしょ?すぐご飯にするから座って待ってて」
荷物を片付け終わるとお婆様はそう言ってくれる。
俺はその言葉に甘えさせてもらい、イスに座ってテーブルに肘を突いた。
「お手伝いいたします」
皆野は嬉しそうに微笑んで、お婆様とキッチンに向かっていった。

やがてキッチンからは水の流れる音、野菜を切る音、コトコトと何かが煮込まれる音、ジャージャーと何かを炒める音が聞こえてきた。
炒め物の臭い、お漬け物の臭い、魚が焼けていく臭い、お味噌汁の臭い、炊けたご飯の臭い、俺は懐かしい臭いに包まれていく。
楽しそうなお婆様の声、甘えるような皆野の声。
『みーにゃん、邪魔しないの、足下にいると危ないわよ』
『みー、みー』
臭いとともに、懐かしいお母さんの声が思い起こされた。

お母さんがご飯を作っている間、茶の間で新聞を読んでいるあのお方の側にいるのが俺の楽しみの時間だった。
あぐらをかくあのお方の足の間が特等席だ。
自伝を書いている間はあまり書斎に入れてもらえなかったが、この時間の茶の間は俺の独壇場であった。
『あーにゃん、足が痺れてきたぞ
 ちょっと姿勢をかえさせてくれ』
あのお方がモゾモゾと動くと、寝ていた俺は起こされて不満の声を上げる。
『あ~ん?』
『ほらほら怒るなよ、今度はこっちを頭にして寝てくれ』
『あー』
俺の機嫌を取るように、あのお方が優しく頭を撫でてくれる。
いつまでも続くと思っていた当たり前の日常、それがどれだけ尊いものだったのか、俺達は失ってみて初めて痛感した。
日野の家にいると失った宝物が、ほんの少し戻ってくるようだった。

しかしこの家にはお母さんのようなお婆様がいても、あのお方のような存在が居ない。
それが俺達には少し不思議だった。
『お父さんって、居ないのかな?ずっと仕事とか?』
そんなことを考える俺に、何かの気配が触れた。
いつもなら気が付かないであろう、とても微かな気配であった。
『そういえば、日野や日野のご家族は良くないモノに頼られやすいって黒谷が言ってたっけ』
俺はそっと、その気配を辿る。
それは、お婆様の私室から来ているようであった。

襖を開けると、知っている物が置いてあった。
『これ、オブツダンだ』
あのお方の家にあったものより随分小さな物であるが、きちんと掃除されていて、『オセンコウ』の臭いがした。
あのお方もお母さんもこれをとても大事にしていて、これにだけは悪戯することを許されなかったのだ。
オブツダンには若い男の人の白黒写真が飾られていた。
日野より年上に見えるけど、その人は日野に似ている。
気配はその写真から感じられた。

俺はその気配がお婆様を守ろうとしていることに気が付いた。
微かすぎて、今まで気が付かなかったのだ。
『そっか、三峰様や黒谷の守りが入ったから、やっと感じられるようになったんだ
 霊力が弱すぎて雑多な邪霊に負けてたんで、これまではお婆様に近寄れなかったのか』
彼はお婆様との大切な日常を失わざるを得なかったのだろう。
人にも獣にも死は訪れる。
失ったものがどれだけ大切であったのか死んでから気が付くこともあると、俺は痛いほど知っていた。
俺はこの気配に、少しだけ近しいものを感じてしまう。
この家にも、お父さんと言えるような存在が居てくれたことが嬉しかった。


「明戸君、ご飯出来たわよ」
俺を呼ぶお婆様の声で我に返ると、微かな気配は感じ取れなくなっていた。
俺や皆野が害のある存在ではないと納得してくれたのだろうか。
「すいません、全然手伝わないで」
俺は謝りながらキッチンに向かっていった。

テーブルに暖かな料理が並ぶ当たり前の光景。
「凄い美味しそうですね」

泣きたくなるほど幸せな、ありふれた風景。
「簡単なものばかりで、ごめんなさいね」
「それが良いんですよ、何よりのご馳走です」

その場所はあまりにも日常的すぎて、お母さんとみーにゃんの元に戻っていけるのではと錯覚してしまう。
あのお方も居てくれるのではないかと錯覚してしまう。
化生ではなく、単なるペットという存在に戻れるのではないかと錯覚してしまう…

「また、伺ってもよろしいですか?
 買い物のお手伝い、させてください」
「ええ、喜んで」

例え仮初(かりそ)めであろうともこの幸せの場所を守ろう、俺は胸に誓うのであった。
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