しっぽや(No.1~10)
「依頼達成です
大野様、すっかり濡れてしまいましたね
タオルをお貸ししますので、事務所に寄って少しでも乾かしてお帰りください
確か、猫が電車に乗るにはキャリーケースが必要ですね
それも、こちらでお貸しします」
私が言うと、彼は改まって深々と頭を下げた。
「本当に、どうもありがとうございます!
すんません、服を泥だらけにしてしまって」
生け垣に上半身を突っ込んでいた私のスーツは、彼が言うように泥や葉で汚れていた。
「かまいませんよ、よくある事ですし洗えば済みますから」
化生直前の毛色に近いので選んでいるだけで、私は特にこの服に思い入れが無い。
私が微笑んでみせると、彼は何故かバツの悪そうな顔をした。
「ほんと、すんません
何か、スカした奴が出てきたなー、って俺、ちょっとムッとしちゃってて
ちゃんとした情報も出さなかったのに、こんなにすぐに見つけてくれるなんて
長瀞さんは本当に優秀なんですね」
大野様は先程とは打って変わって、真面目な態度で話しかけてきた。
「マリちゃん多分、この辺にいるんじゃないかって思ってました
ここの空き地、マリちゃんの元の飼い主が住んでたアパートがあったんです
建て替えを機に引っ越すけど、今度のマンションはペット禁止だから保健所に連れて行くって…
それで俺、マリちゃん引き取ったんです
うちにいる子は皆、そんな子ばっかなんですよ
バブルの頃は皆、羽振りが良かったけど、弾けた後はそんな話ばっかでさ
血統書があったって、こいつらには何の役にも立たないんだ」
大野様はマリさんを抱き締めながら、悔しそうにそう言った。
その言葉に、私は胸の中に暖かな想いがともるのを感じる。
「…参りましょうか」
すでに、傘をさす意味が無いほど私も大野様もずぶ濡れになっていたけれど、それでも私達2人は傘をさして事務所への道を歩いて行った。
翌日、大野様はこちらで貸したキャリーケースを返しに事務所にやってきた。
「あの後、乾かしたマリちゃん一応病院に連れて行きました
ちょっと体が冷えてるけど、風邪の兆候も見られないって
長瀞さんがすぐに見つけてくれたおかげですよ!」
嬉しそうに言う彼に、つい私も笑顔になった。
「それは良かったです
大野様がすぐに依頼しに来てくださったのが良かったのですよ」
そう言う私に
「いやいや、その、大野様ってのやめてよ
友達みんな俺の事『ゲン』って呼んでるから、長瀞さんもそう呼んで
つか、俺も長瀞さんの事『ナガト』って呼んで良い?
何か、そっちの方が響き格好良くないっスか?」
大野様、ゲンはそんな事を言ってきた。
軽い口調であったものの、私はそれに昨日のようなイライラを覚えない自分に驚いていた。
「んで、そのー、昨日のお礼に何か奢りたいなー、とか思ってるんスけど
成功報酬だけじゃ、俺の気がおさまらないって言うか」
チラチラとこちらを見るゲンに
「仕事中ですから」
私は微笑みながら、やんわりと否定する。
「そうですよね、こうしてる間にも、迷子の猫探してる人がナガトを頼って来るかもしれないし
でも、休みの日ってあるでしょ?
美味いイタ飯屋があるんで、今度そこに行きましょう!」
ゲンはそう言うと、その日は帰って行った。
「気に入られたねー」
黒谷がニヤニヤしながら私を見て
「で、『いためしや』って何?
長瀞、炒めたご飯好きなの?炒飯とかピラフ?」
そんな事を聞いてきた。
「クロ、きっと板にのった飯、つまりお寿司の事ですよ
回るお皿にのってないお寿司なんて、凄いじゃないですか」
側で聞いていた白久が口を挟む。
「なるほどねー
でも、あの回るお皿も、当初は凄いもんだと思ったよ、僕は」
「確かに」
白久と黒谷はそんな話をし始める。
私にも『いためしや』とは何のことだかサッパリわからなかったけれど、ゲンに誘ってもらえた事は、とても嬉しい事に感じていた。
それから、ゲンはちょくちょく事務所に顔を出すようになった。
時には知り合いのペットが逃げたから探して欲しい、と仕事を持ってきてくれたりもしたが、どうも私と話をしたいらしく、私達はたわいのない会話を交わすことが多くなった。
「雨の日ってうちの猫達、寝てばかりなんスよ
どこの猫もそうなのかな?」
「雨の日は獲物が外を歩きませんから、狩りに出ても無駄なのです
だから体力の消耗を抑えるために寝るのですよ
猫がペットとなった今でも残る習性ですね」
「へー、ナガトって猫に詳しいんだ、プロだなー」
そんな会話をする事が、いつしか私にとって楽しみな事になり、ゲンが来てくれるのが待ち遠しくなっていた。
そんな私達を見て黒谷に
「彼に飼ってもらいたい?」
と聞かれるが、私にはゲンに自分の素性を教える気にはならなかった。
「わかりません…」
ゲンに化け物だと知られ、2度と来てもらえなくなったらと考えるだけで、私の気分は落ち込んだ。
初めて会ってから数週間後、次の金曜が私の休みの日とわかると
「じゃ、前に言ってたイタ飯屋に行こうよ
イタ飯屋っても、そんな堅苦しい店じゃないんだ
親父の友達がやってる店で、味は保証するぜ」
ゲンは嬉しそうに誘ってくれる。
戸惑う私に
「行ってきなよ」
黒谷がそう言ってニヤニヤと笑った。
「よっし、上司からの許可がおりた!
じゃあ、学校終わったら迎えに行くから、ここで待ってて
あ、白い服だとトマトソースとかワインのシミが目立つかもよ
ま、こぼさないよう食べれば良いんだけどさ
それ、ナガトには凄く似合ってるもんな」
ゲンは照れたようにそう言うと、帰って行った。
「楽しんでおいで
『いためしや』って何なのか、教えてね~」
黒谷はまだニヤニヤと笑っていた。
金曜日の夕方、ゲンは事務所に来てくれる。
「じゃ、行こっか」
「はい」
ゲンが笑いかけてくれるだけで、私の心は浮き立った。
その店は電車を乗り継いで、事務所からは1時間程の場所にあった。
「予約しといたんだ、端っこの落ち着ける席
バカ騒ぎするような客は来ないと思うけど、一応ね」
ゲンがヘヘヘッと笑う。
「何だゲン、予約したいなんて何事かと思ったら、随分キレイな子を連れてきたじゃないか
本命か?って、あれ、その人、男?」
店に入ると、店長らしき男性が声をかけてきた。
「いや、うちの猫がうんとお世話になった人なんだ
つか、マリちゃんの命の恩人と言っても過言ではない!
だから今日は、サービスしてよ!」
ゲンは照れた顔をして、少しおどけてそう言った。
大野様、すっかり濡れてしまいましたね
タオルをお貸ししますので、事務所に寄って少しでも乾かしてお帰りください
確か、猫が電車に乗るにはキャリーケースが必要ですね
それも、こちらでお貸しします」
私が言うと、彼は改まって深々と頭を下げた。
「本当に、どうもありがとうございます!
すんません、服を泥だらけにしてしまって」
生け垣に上半身を突っ込んでいた私のスーツは、彼が言うように泥や葉で汚れていた。
「かまいませんよ、よくある事ですし洗えば済みますから」
化生直前の毛色に近いので選んでいるだけで、私は特にこの服に思い入れが無い。
私が微笑んでみせると、彼は何故かバツの悪そうな顔をした。
「ほんと、すんません
何か、スカした奴が出てきたなー、って俺、ちょっとムッとしちゃってて
ちゃんとした情報も出さなかったのに、こんなにすぐに見つけてくれるなんて
長瀞さんは本当に優秀なんですね」
大野様は先程とは打って変わって、真面目な態度で話しかけてきた。
「マリちゃん多分、この辺にいるんじゃないかって思ってました
ここの空き地、マリちゃんの元の飼い主が住んでたアパートがあったんです
建て替えを機に引っ越すけど、今度のマンションはペット禁止だから保健所に連れて行くって…
それで俺、マリちゃん引き取ったんです
うちにいる子は皆、そんな子ばっかなんですよ
バブルの頃は皆、羽振りが良かったけど、弾けた後はそんな話ばっかでさ
血統書があったって、こいつらには何の役にも立たないんだ」
大野様はマリさんを抱き締めながら、悔しそうにそう言った。
その言葉に、私は胸の中に暖かな想いがともるのを感じる。
「…参りましょうか」
すでに、傘をさす意味が無いほど私も大野様もずぶ濡れになっていたけれど、それでも私達2人は傘をさして事務所への道を歩いて行った。
翌日、大野様はこちらで貸したキャリーケースを返しに事務所にやってきた。
「あの後、乾かしたマリちゃん一応病院に連れて行きました
ちょっと体が冷えてるけど、風邪の兆候も見られないって
長瀞さんがすぐに見つけてくれたおかげですよ!」
嬉しそうに言う彼に、つい私も笑顔になった。
「それは良かったです
大野様がすぐに依頼しに来てくださったのが良かったのですよ」
そう言う私に
「いやいや、その、大野様ってのやめてよ
友達みんな俺の事『ゲン』って呼んでるから、長瀞さんもそう呼んで
つか、俺も長瀞さんの事『ナガト』って呼んで良い?
何か、そっちの方が響き格好良くないっスか?」
大野様、ゲンはそんな事を言ってきた。
軽い口調であったものの、私はそれに昨日のようなイライラを覚えない自分に驚いていた。
「んで、そのー、昨日のお礼に何か奢りたいなー、とか思ってるんスけど
成功報酬だけじゃ、俺の気がおさまらないって言うか」
チラチラとこちらを見るゲンに
「仕事中ですから」
私は微笑みながら、やんわりと否定する。
「そうですよね、こうしてる間にも、迷子の猫探してる人がナガトを頼って来るかもしれないし
でも、休みの日ってあるでしょ?
美味いイタ飯屋があるんで、今度そこに行きましょう!」
ゲンはそう言うと、その日は帰って行った。
「気に入られたねー」
黒谷がニヤニヤしながら私を見て
「で、『いためしや』って何?
長瀞、炒めたご飯好きなの?炒飯とかピラフ?」
そんな事を聞いてきた。
「クロ、きっと板にのった飯、つまりお寿司の事ですよ
回るお皿にのってないお寿司なんて、凄いじゃないですか」
側で聞いていた白久が口を挟む。
「なるほどねー
でも、あの回るお皿も、当初は凄いもんだと思ったよ、僕は」
「確かに」
白久と黒谷はそんな話をし始める。
私にも『いためしや』とは何のことだかサッパリわからなかったけれど、ゲンに誘ってもらえた事は、とても嬉しい事に感じていた。
それから、ゲンはちょくちょく事務所に顔を出すようになった。
時には知り合いのペットが逃げたから探して欲しい、と仕事を持ってきてくれたりもしたが、どうも私と話をしたいらしく、私達はたわいのない会話を交わすことが多くなった。
「雨の日ってうちの猫達、寝てばかりなんスよ
どこの猫もそうなのかな?」
「雨の日は獲物が外を歩きませんから、狩りに出ても無駄なのです
だから体力の消耗を抑えるために寝るのですよ
猫がペットとなった今でも残る習性ですね」
「へー、ナガトって猫に詳しいんだ、プロだなー」
そんな会話をする事が、いつしか私にとって楽しみな事になり、ゲンが来てくれるのが待ち遠しくなっていた。
そんな私達を見て黒谷に
「彼に飼ってもらいたい?」
と聞かれるが、私にはゲンに自分の素性を教える気にはならなかった。
「わかりません…」
ゲンに化け物だと知られ、2度と来てもらえなくなったらと考えるだけで、私の気分は落ち込んだ。
初めて会ってから数週間後、次の金曜が私の休みの日とわかると
「じゃ、前に言ってたイタ飯屋に行こうよ
イタ飯屋っても、そんな堅苦しい店じゃないんだ
親父の友達がやってる店で、味は保証するぜ」
ゲンは嬉しそうに誘ってくれる。
戸惑う私に
「行ってきなよ」
黒谷がそう言ってニヤニヤと笑った。
「よっし、上司からの許可がおりた!
じゃあ、学校終わったら迎えに行くから、ここで待ってて
あ、白い服だとトマトソースとかワインのシミが目立つかもよ
ま、こぼさないよう食べれば良いんだけどさ
それ、ナガトには凄く似合ってるもんな」
ゲンは照れたようにそう言うと、帰って行った。
「楽しんでおいで
『いためしや』って何なのか、教えてね~」
黒谷はまだニヤニヤと笑っていた。
金曜日の夕方、ゲンは事務所に来てくれる。
「じゃ、行こっか」
「はい」
ゲンが笑いかけてくれるだけで、私の心は浮き立った。
その店は電車を乗り継いで、事務所からは1時間程の場所にあった。
「予約しといたんだ、端っこの落ち着ける席
バカ騒ぎするような客は来ないと思うけど、一応ね」
ゲンがヘヘヘッと笑う。
「何だゲン、予約したいなんて何事かと思ったら、随分キレイな子を連れてきたじゃないか
本命か?って、あれ、その人、男?」
店に入ると、店長らしき男性が声をかけてきた。
「いや、うちの猫がうんとお世話になった人なんだ
つか、マリちゃんの命の恩人と言っても過言ではない!
だから今日は、サービスしてよ!」
ゲンは照れた顔をして、少しおどけてそう言った。