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しっぽや(No.1~10)

side〈NAGATORO〉

私の職場である『ペット探偵しっぽや』に続く階段を、誰かが上がってくる足音が聞こえる。
依頼人が来たのであろうか。
しかしそぼ降る雨のせいで、今日の私は気分が沈み込んでいた。
だいたい、雨の日の猫は眠いと決まっているのだ。
他の猫達も気怠げな顔をしている。
今日はこのまま、所員控え室でダラダラとお茶を飲むことに、私は決めていた。
化生(けしょう)し、人の役に立ちたいとは思うものの、飼って欲しいと思えるような人物には長らく巡り会えないのも、気分が浮き立ってこない原因であった。
飼い主を見つけた者の話によれば『気配を感じた瞬間、この方だと思った!』という事であるらしいが、本当にそんな曖昧な直感でわかるものなのか、私は疑問に思っている。
もっとじっくり相手と向き合って『真に飼い主たるべき存在なのか』きちんと吟味する必要があるのではないだろうか?

深くソファーに腰かけ白久(しろく)の淹れてくれたお茶をすすりながら、私は取り留めもなくそんな事を考えていた。
「おい、猫探しだ、誰が出る?
 依頼人は大野 原(おおの げん)、20歳、大学生
 丸坊主にふざけたサングラス、痩せすぎの体型で軽い感じ
 ちなみに猫は長毛種だそうだ」
事務所の応接室から所長の黒谷(くろや)の声が響いてきた。
最後のセリフが決め手となって、他の猫達が私をチラチラと見つめてくる。
チンチラシルバーという長毛猫の化生である私に捜索させようという、黒谷の魂胆が見え見えであった。
依頼人の気配にも風貌にも、何ら心惹かれるものは無かったが、長毛猫が困っているなら助けになりたい、そう考えて私は重い腰を上げる。

「私が参ります」
そう言って扉を開けると、黒谷がニヤニヤ笑いながら
「長瀞(ながとろ)が出てくれるか、ありがとな」
わざとらしく礼を言う。
わざわざ『長毛種』と言ってほとんど私を名指ししたも同然なのに、白々しいことこの上ない。
「初めまして大野様、私は長瀞と申します
 必ずや、お探しの猫を保護いたします」
私は依頼人にはそう言うよう指示されている挨拶を交わし、名刺を手渡そうとした。
しかし相手は、惚けたようにポカンとした顔を向けてくるばかりであった。
私の銀混じりの白髪が珍しいのであろう。
今までにも、こんな反応をする人間には会った事がある。
私は気にせず、話を進める事にした。

「詳しい話をお聞きしたいので、打ち合わせをいたしましょう
 こちらでなさいますか?
 喫茶店等、場所を変えての打ち合わせになりますと、その際の料金はそちらにお支払いいただくシステムになっておりますが、よろしいでしょうか」
私が事務的にそう告げると相手はやっと我に返り
「いや、雨降ってるし、早く探してあげたいんだよね
 今から一緒に出てもらって良いスか?」
ふざけた感じの丸いサングラスの奥から、私を値踏みするような目で見つめてくる。
「かしこまりました」
黒谷は彼を大学生だと言った。
きっとお金が無いのだろうと、私は傘を手にして先にたって歩き出す。


事務所が入っているビルの外に出て、傘に当たる雨の音を聞きながら
「大野様、どちらに向かえばよろしいでしょうか」
私はそう問いかける。
「家はこっから電車で4駅離れてるんだけどさ、多分、こっちの方にいると思うんだよねー
 俺様の鋭い勘、ってやつでビビっとくんのよ
 あ、さっきのオッサン、俺様の事『丸坊主』とかダセー呼び方してたけど、これ『スキンヘッド』っつーんだから、そこんとこヨロシク
 こーゆー芸能人いるだろ?
 ま、ちょっと憧れてて真似してるっつーかさ
 別に俺様の毛が薄いから剃ってる、って訳じゃねーかんな」
相手は聞いてもいない事をベラベラとしゃべり始めた。
私はそれを無視して
「お探しの猫は長毛種との事でしたね
 猫種や毛色、居なくなった時の状況を教えてください」
と、事務的な事を尋ねた。

「うちの猫はヒマラヤンっつー種類の、それはそれは可愛いお姫様みたいな子なんだぜ
 血統書付き!お高いの!
 名前は『マリ』ちゃん
 マリー・アントワネットからもらったんだ
 カリカリが無ければ、缶詰めを食べれば良いのに~ってやつよ」
この人間は、本当に無駄な事ばかりよくしゃべる。
私は少しイライラしてきたが、それを顔に出さず
「居なくなった時の状況はどのようなものですか?」
努めて冷静に問いかけた。
「いや今朝、学校行こうと思ってドア開けたら、一緒に出ちゃってさ…
 まさか雨の中、外に出て行くとは思わなかったから、油断しちまった
 わがままで気紛れなのも、お姫様みたいなんだけどよ
 流石に家出は、シャレになんねーな」
相手は子供のように頬を膨らませる。

「家出される原因に、お心当たりはございませんか?」
私が少し意地悪な事を聞くと
「………
 マリちゃん、新入りだから居心地悪かったのかな…
 前からいる子と、同じ様に可愛がってたつもりなのに
 あ、うち、マリちゃんの他にもチンチラシルバーと、ペルシャのクリームとキャリコがいるんだ
 みんな血統書付き!」
相手は自慢気な顔になるが、私は血統書という紙切れで猫の優劣を決める行為が嫌いだった。

「ずいぶん羽振りがよろしいご家庭ですね」
嫌味を込めてそう言うと
「まーね、うち、不動産屋なの
 俺様はちょっとした『お坊ちゃま』ってとこ
 親父、バブルんときガッツリ稼いでたからさ~
 今は弾けちゃったけど、大損する前に大きい取引から手を引いてたから被害被って無いんだな、これが
 つか、こんな雨の日に、お綺麗な服着た、お綺麗な人を外に引っ張り出しちゃって悪かったね」
相手もさり気なく嫌味を込めた言葉を返してくる。
「仕事ですから」
私は素っ気なく言い返す。
服なんて洗えば済む事なのに、人間と言うのは変なところにこだわりたがる。

とにかく、状況は飲み込めた。
猫は本来遠出をしないが、飼い主がこの辺に来ている、と言うのであれば何の根拠もない話とも考えられない。
無意識のうちに猫とつながりあって、何かを感じ取っていることもあるだろう。
いつもなら失踪現場の近くで道行く猫に尋ねるのであるが、今日の雨では外を歩いている猫を見つける事は難しい。
飼い主の言葉を信じ、この辺で途方に暮れている猫の想念を探した方が早そうだ。
人間の側では気が散るのでやりたくないが、そうも言っていられないため、私は歩きながら猫の想念を読み取ろうと集中し始める。
回りの騒音が遠ざかり、この近辺にいる猫達の意識の海を覗き見る。

私と同じ長毛種猫の意識の海とは、繋がりやすいのだ。
雨の日特有の気怠い凪いだ海、皆、雨の音を聞きながらウトウトとしている気配が伝わってくる。


凪いだ意識の海の中で、微かなさざ波が起こっている箇所があった。
『無い、無い…』
意識をそこに集中させると、物凄い喪失感が襲ってくる。
『無い、無い、あたしのお家が無い…』
絶望的な虚無感に呆然となっている気配。
依頼のあった迷子猫のものに間違いなさそうだ。
偶然なのか、この辺にいるという飼い主の勘とやらは当たっていたようだ。
キャッチしたその感覚を離さないよう、私は早足で歩き出した。
いきなり歩調を早めた私に
「おい、どこ行くんだよ」
依頼人が慌てたようについて来る。
私はそれを無視して、ひたすらその虚無感に向かい歩いて行った。

しっぽやの事務所から30分近く歩いたろうか、駅から離れた住宅街の真ん中に空き地があった。
真新しく掘り返された土を見るところ、つい最近空き地になったようであり雑草もほとんど生えていなかった。
この近くから虚無感が漂ってくる。
私は邪魔な荷物である傘を畳むと、雨の中を歩き回り始めた。
水に濡れるのは嫌いであるが、きっと相手もずぶ濡れになっているであろう事を思うと、そうも言っていられない。
程なく、空き地が見える家の生け垣の奥に、澄んだ水色の目を見つけた。

私は這いつくばってなるべく彼女と視線の高さを合わせ、しかし敵意が無いことを示すため目はそらし気味にし
『こんにちは、マリさん?
 貴女の飼い主が探していますよ
 随分遠くから来ましたね、お家はここから離れています
 一緒に帰りましょう』
優しくそう語りかけてみる。
長い毛が雨でベッタリと体に張り付き、みすぼらしい姿になったマリさんは私の言葉に耳を貸そうとはせず、虚ろに
『無いの、あたしのお家が無いの…』
そう、想いの淵に沈んでいた。

『そうです、貴女のお家はここから離れた所にありますよ
 大野様もいらしてます
 どうぞ、こちらにお越しください』
私は根気強く語りかけた。
それでも彼女は呆然とするばかりであった。
『大野 原様が貴女の事を心配しておられますよ』
私は再度、飼い主の名前を告げてみた。
『………
 ゲンちゃん?
 ゲンちゃん…あたしのお家…』
彼女の心に、やっと私の言葉が届く。

『そうです、ゲン様が貴女を心配していらしているのですよ
 大丈夫、手荒な事はいたしません
 私の元においでください』
手を伸ばすと彼女はゆっくりと立ち上がり、私に向かって歩いてきてくれた。
私はそんな彼女をそっと抱き上げる。
彼女は大人しく私に抱かれていた。

ずぶ濡れの私と彼女を、大野様が呆然と見ている。
私が無言で彼女を差し出すと、大野様は傘を投げ捨てて
「マリちゃん、やっぱりここにいたんだね」
そう言って、優しく彼女を抱き締めた。
『ゲンちゃん…』
マリさんは、微かにノドを鳴らし始めた。
いい加減な人間に見えたが、彼女にとっては良い飼い主のようだ。
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