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しっぽや(No.70~84)

side<SATOSI>

『今日も、遅くなってしまった
 さすがに、2年生を受け持っていた時と同じ様にはいかないか』
そんな思いで焦るように、俺は学校を出ると足早に帰路に就く。
『部活の顧問をすると、もっと忙しくなるんだろうな』
職員室にはまだ残っている同僚もいた。

最近の俺は、羽生とゆっくり出来る時間が減っていることに、引け目を感じていた。
子猫だった羽生を飼っていたとき、俺は1日1回しか会いに行ってやれなかったのだ。
その時と同じ不安を感じさせているのでは、そんなことが気になって仕方がない。
1日の大半を1匹で過ごさなければならなかった子猫時代の羽生を思うと、切なくなってくる。
『しかも、あんな少量の牛乳で育つと思っていたなんて
 あのときの俺は、大バカ野郎だ』
最近子猫を飼い始めた田中先生自慢の成長記録写真を見ると、健康に育てられている子猫と羽生の違いに改めて気づかされた。
羽生を飼っていたのは中学生の時の事とは言え、自分で自分を殴りたくてしかたがなかった。


ピンポーン

影森マンションの自分の部屋に帰り着くと、俺はチャイムを鳴らす。
羽生はすぐにドアを開けてくれた。
化生は気配で飼い主が帰ってきた事を察することが出来るので、チャイムと同時にドアが開くこともしばしばあるのだ。
「お帰りサトシ、お疲れさま
 すぐご飯にするね」
羽生はいつも大輪の花のような、晴れやかな笑顔で俺を迎えてくれる。
「ただいま羽生、遅くなってすまない
 お腹が空いてたら、先に食べてても良いんだぞ」
俺は羽生にただいまのキスをして、そう話しかけた。
「ううん、サトシと一緒に食べた方が美味しいから
 今日ね、グリーンピース入ったご飯炊いたの
 後、肉団子と丸く見える様に切った野菜で酢豚風の炒め物作ってみたよ
 それに丸く作った蒸し焼き餃子と、キュウリのお漬け物
 アスパラとウインナーのコンソメスープ
 前に長瀞がコロコロ丸メニュー作ってたから、真似してみたの」
得意げに報告してくる羽生が愛おしかった。

「羽生は凄いね、今日のお弁当もとっても美味しかったよ」
俺が誉めてもう1度キスをすると、羽生はうっとりとした顔になる。
彼にそんな顔をしてもらえる資格が自分にあるのかと思うと、俺の胸にチクリとした痛みが走った。
「羽生、待ってる間、寂しくないかい?」
躊躇いがちに聞いてみると
「?絶対にサトシが帰ってくるから平気だよ?」
彼はキョトンとした顔を向けてくる。
「最近、帰りが遅くて2人でゆっくり出来ないだろ」
「サトシはお仕事頑張ってるんだもん
 俺は、そんなサトシを助けたいの
 俺、役に立ってる?」
逆に伺うように聞いてくる羽生の健気さに、俺は胸を打たれてしまう。
「ああ、羽生が居てくれてとても助かっているよ」
俺が頭を撫でると、羽生は気持ち良さそうに目を細めた。
「ご飯の準備、手伝うよ
 豆ご飯か、美味そうだ、よそえばいいのかな?
 昨日の残り物とか、冷蔵庫の中の物も出すか?」
「うん、俺はおかずチンしてスープを温め直すね」
俺達は並んでキッチンに向かうのであった。


「白米におかず、も美味いが、炊き込みご飯も美味いんだよな」
俺は大盛りによそった豆ご飯に舌鼓(したつづみ)を打っていた。
グリーンピースの甘さと塩加減が絶妙だ。
羽生の料理の腕は、最初の頃に比べ格段に上がっていた。
「前に黒谷が作ってたの、教えてもらったんだ
 いっぱい炊いたから、残りは明日のお弁当でおにぎりにするね
 肉団子の残りの挽き肉で、ミニハンバーグも作ったの」
羽生はエヘヘッと笑う。
彼は俺のために色々なことを覚えてやってくれる。
「ありがとう」
お礼を言うと、また嬉しそうに笑ってくれた。

「そうだ、明後日はゲンさんと飲みに行くから夕飯は長瀞と食べてもらっていいかな」
そう切り出した俺に
「わかった、そのうち2人で飲みに行くって長瀞が言ってた
 〆のお茶漬け作るから、お店で食べてこないでね
 お茶漬けにあいそうな物、長瀞と一緒に買いに行こうっと」
羽生は頷いて見せた。
「すまないね、早く帰れそうな日に出かけてしまって
 でも、今度の日曜は1日休めるから俺が羽生のためにご飯を作るよ」
「1日休めるの?なら俺、しっぽや休みにしてもらう!
 朝からずっとサトシといたい!」
羽生は目を輝かせる。

「急に休めるのかい?」
俺の都合に合わせ仕事を休ませることが、申し訳なく思われた。
「うん、だって日曜はタケぽんが来るからひろせは絶対休まないし、ゲンちゃんは仕事だから長瀞も休まないもん」
「そうか、じゃあ甘えさせてもらおう
 でもその前に、少しでも食後にゆっくりしような」
羽生は嬉しそうに何度も頷いた後
「今夜、してくれる?」
頬を染め、上目遣いに聞いてきた。
「ああ、羽生が水玉のパジャマを着れば、今夜の丸メニューのデザートになるね」
俺が囁くと
「そう思って、用意しておいた」
羽生は可愛らしく舌を出した。
「それは、楽しみだ」

俺たちは寝る前に甘い時間を十分に堪能するのであった。




以前も待ち合わせたことがある店で、俺とゲンさんは酒杯を傾けていた。
どちらも『取りあえずビール』で乾杯する。
「ここ、本当に焼き鳥美味しいですね」
「だろ?肉が新鮮なんだよ、だからもつ煮込みも美味い!」
「ナス田楽も頼んで良いですか?」
「ほんと、中川ちゃんは渋いな
 よし、刺身の盛り合わせも頼もう、ツマも食べれば大根サラダ代わりだ」
俺達は料理をつつきながら、たわいのない話しに花を咲かせていた。

「で、どうした?羽生に何かあったのか?」
程良く出来上がってきた頃に、ゲンさんがさりげなく聞いてくる。
「いや、羽生に問題はないんですよ
 問題は、俺の心の中に有るというか…」
俺は言いよどんでしまうが
「前にゲンさんが、羽生と同じ時を過ごしていた俺が羨ましいって言ってましたよね
 でも俺、子猫だった羽生に何もしてやれなかったんです
 なのに羽生は化生するほど俺を慕ってくれて…
 羽生を飼い始めた頃は深く考えた事がなかったけど、今は彼の一途な健気さに心を打たれっぱなしです
 本当なら俺は、羽生にあんな風に想ってもらえる飼い主じゃない
 あんな小さな子猫を餓死させるなんて、子供の時の事とは言え酷い人間だ」
語気も荒く、一気に思いの丈をゲンさんにぶちまけてしまった。
絶望しながら飢えて死んでいった子猫を思うと、涙が出てしまう。

「羽生は特殊ケースなんだ」
涙ぐむ俺に、ゲンさんが静かに話しかけてくる。
「はい、本当ならあんな小さな子猫が、化生するほど思い詰めるなんて事は無いと思います
 無念…だったんでしょうね」
俺は耐えきれずに俯いた。
「ナガトが言ってたよ
 『自分達は絶望の淵に化生したけど、羽生は希望のために化生した
  取り返しの付かない自分達と違い、取り返すために化生したんだ』
 ってな
 それが出来る羽生は幸せ者だってさ」
ゲンさんの言葉に思わず顔をあげたると、彼は優しい顔で見つめてくれた。

「羽生は自分でも言ってたろ?猫だった時は体が弱かったって
 餓死したんじゃなく、寿命だったんだ
 それがたまたま、中川ちゃんの修学旅行と重なっちまっただけだよ
 まあ、多少は羽生の意志もあったんだろうけど
 目の前で羽生に死なれてたら、もっとトラウマになってたんじゃないか?
 だから羽生も、中川ちゃんが居ないときに逝ったんだ
 猫ってな、その辺自分で少なからず調節出来るんだよ
 俺も実家で何匹か看取ったが、その猫の性格が現れるような都合の良いタイミングで旅立っていったぜ」
ゲンさんの静かな言葉は続く。

「猫の執着は激しいんだ、荒木少年に聞いてみ?
 彼が今飼ってる猫も、けっこーな来歴の持ち主だぜ
 それに関しては羽生も負けちゃいねー、お前さんにメチャクチャ執着してるだろ
 羽生にとっての幸せは、中川ちゃんと一緒に居ることだ
 猫だったときに出来なかったことをやるために化生した、と言うか猫だと出来ないことをするために化生したのかな」
その言葉に、俺は首を傾げた。
「猫だと、出来ない…?」

「『ずっと、一緒にいること』多分、それなんじゃないかな
 たとえ丈夫な猫に生まれ変わっても、また羽生の方が先に死んじまうだろ
 それでも猫としての生を繰り返し何度も同じ人の所に行く子もいるが、羽生はそれを良しとしなかった
 自分のせいで、中川ちゃんに泣いてほしくなかった
 大好きな人が笑顔でいる手伝いがしたくて、化生したんだ
 これは、飼い主がすでに死んでしまっている他の化生には絶対に出来ないことなんだぜ」
ゲンさんの言葉に、俺は驚いてしまう。
「猫って生き物は、時に驚くほどポジティブなんだ
 へこたれずにチャレンジするんだよ
 犬みたいに群で暮らしてれば自分が出来ないことも誰かがやってくれるが、猫は基本単独生活だから自分で何とかしなきゃならない
 気になる事への粘りが違うんだ
 中川ちゃんは羽生にネバネバ張り付かれてんの」
クツクツとゲンさんは楽しそうに笑った。

「中川ちゃんは細かいことは気にせず、ただ羽生を愛してやれば良いんだよ
 笑いかけてやるのが、羽生の1番の幸せだ」
ゲンさんにそう言われると、胸が軽くなっていく。
「俺に飼われることを、羽生が強く望んだんですね
 『一緒にいる』という希望を胸に、化生した…」
俺に向ける羽生の笑顔を思い出し、また、涙が浮かんでしまう。
「子猫時代の羽生と過ごした場所に行って、過去と決別してみるのも手だと想うぜ
 じゃないと、いつまでも心に引っかかるだろ?」
その言葉で、俺の意志が固まった。
「今度の休み、2人で羽生の墓参りに行ってきます
 本人と行くのもおかしな話しですが」
苦笑する俺を、ゲンさんは優しく見つめてくれた。

「どれ、決心がついたとこで、そろそろお開きにするか
 家では美味い〆のお茶漬けが待ってんぜ」
「ええ、楽しみですね」

俺達は精算を済ませると、愛する化生の待つ部屋に帰っていくのであった。
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