このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

しっぽや(No.70~84)

side<KAZUHA>

ペットショップでの仕事中、僕はちょっと悩んでいた。
『うーん、次は何しよう…』
今日は雨ではないものの曇天で、しかも少し蒸し暑いせいだろうか、お客さんの姿が店内にほとんど見受けられなかった。
美容室の予約もなく、フードやペットシーツといった関連商品は棚に出し切ってしまっている。
ほとんど売れていないので、これ以上補充の仕様がないのだ。
『お店の子にご飯あげるには、まだ早いし
 シーツは換えたばかりだし』
途方に暮れた顔をしてしまっていたのだろうか
「樋口君、早いけど今日はもう上がって良いよ
 他の子も上がってもらおうかな
 この様子じゃ、私と店長がいれば十分みたい」
スタッフマネージャーの女性が、そう僕に声をかけてくれる。
「良いんですか?」
「こんな日もあるでしょ
 暑くなったらサマーカット希望のお客さんで美容室の予約がびっしり埋まるから、その時は残業してもらうからね」
彼女は悪戯っぽい顔で、ウインクして見せた。
「はい、じゃあ上がらせてもらいます
 お先に失礼します、お疲れさまでした」
「お疲れー」
そんな挨拶を交わし僕は売場を後にすると、退勤スキャンをしてロッカールームに入っていった。

『早く帰れるのは嬉しいけど、ちょっと時間が空いちゃったな』
しっぽや終業時間と僕の仕事の終了時間が一緒だったため、今日は空の部屋に泊まりに行く約束をしていたのだ。
『しっぽやで待たせてもらっても大丈夫かな
 手伝えることがあるなら、何か手伝いしたいし』
そう思った僕が空にメールを送ってみると、すぐに返信を知らせる着信音が鳴った。
『カズハ来てくれるの?こっちは開店休業だから気兼ねしなくて大丈夫だよ
 タケぽんがアイスいっぱい買ってきてくれたから、カズハも食べて!
 冷凍庫に仕舞ってあるんだ
 それと三峰様が来てるんだけど、カズハが来るかもって言ったら、また髪を結ってくれないかってさ
 何か、前に結ってもらったの気に入ったみたい』
そんな事が書いてあり、今から空と一緒にいられると思うだけで僕は顔が笑ってしまった。
着替え終わった後、店で新しいピンクのリボンを買って、ウキウキとしっぽやに向かって行った。


コンコン

ノックして扉を開けると、満面の笑みの空が出迎えてくれた。
「カズハ、お疲れさま」
力強く僕を抱きしめてくれる。
犬であれば盛大に尻尾を振りながら飛びついてくる、と言ったところだろう。
「今日はお客さん少なくて、あまり仕事をしてこなかったんだけどね
 空はどうだったの?」
僕が彼の頭を撫でながら聞くと
「こっちも依頼が少なかったよ、午前中に2件来て犬はそれっきり
 今は長瀞と羽生が組んで子猫の捜索に行ってるよ
 双子は午前中で上がってもらったし、『はんなり』ってやつ」
空はエヘヘッと笑った。

「『まったり』だろ」
黒谷が苦笑しながら訂正する。
「このような者を可愛がっていただき、本当にありがとうございます
 カズハ様には飼育料金をお支払いしたいくらいです」
ミイちゃんが恐縮した顔で謝ってくるので、僕は慌ててしまった。
「いえ、空はとても頼りになって、可愛いし、格好いいし
 最高の犬ですよ」
あわあわと言う僕を、ミイちゃんは優しい顔で見つめてくれた。

「そうだ、また髪を結いますよ
 お店で新しいリボンを買ってきたんです
 前のより濃いピンクで、縁に付いてる白いレースとの色の対比が可愛いですよ
 あ、花のモチーフの方が良かったかな
 ヒマワリとか、夏向きの新商品が色々出てるんです」
僕の言葉にミイちゃんは、はにかんだ笑顔を見せる。
「愛らしいリボンですね
 以前にいただいた物も持ってきたのですが、新しい物で結ってもらおうかしら」
ミイちゃんは持っていた巾着袋の中から、白いハンカチにくるまれた以前にあげたリボンを取り出した。
安物のリボンを大事に持っていてくれて、僕は彼女がいじらしくなってしまう。
「次にこちらに来るとき前もって教えてくれれば、もっと色々用意してきます」
僕の言葉にミイちゃんは嬉しそうに微笑んでくれた。

ミイちゃんの髪を結って、新しく買ってきたリボンを付ける。
可愛らしい顔立ちなので、ピンクが素直に似合っていた。
「こんなにきれいなストレートだから、髪に癖を付けてしまうの、もったいないですね」
「前回もすぐに直ってしまったので、大丈夫ですよ
 むしろ、自分の髪がフワフワと波打っているのを見ると、体が軽くなった気がして楽しかったです」
ミイちゃんはウフフッと笑った。
「フワフワの髪の三峰様って、あれだ、童話とかに出てきそう」
空の言葉にミイちゃんは小首を傾げて嬉しそうな顔をする。
「そうそう、旅人を狙って夜中に包丁とか研いでるざんばら髪の山姥(やまんば)って…」
空が全てを言い切る前に、疾風のようにミイちゃんが動いた。
全ては一瞬で、気が付くと壁際まで吹っ飛ばされた空が白目をむいている…
似たような光景を見たことのある僕は、曖昧な顔で笑うしかないのであった。


黒谷と白久が空を移動させるのを見て、僕は何も言わずにソファーの端に腰掛けた。
2人は僕の膝に空の頭をのせる形で、ソファーに横たわらせてくれる。
「それ、童話じゃなくて昔話ね
 しかも、安達ケ原(あだちがはら)的?逆に、よくこいつが知ってたな…」
黒谷がため息と共にそんな言葉を吐き出した。
「カズハ様には、いつも恥ずかしいところをお見せしてしまって」
ミイちゃんが困った顔をするので
「いいえ、空は明るくて、本当に楽しい子ですから」
僕は空の髪を撫でながら微笑んで見せる。
ミイちゃんは感謝を込めた目で僕を見て、頭を下げた。

「そう言えば、タケぽんがアイスを買ってきたってメールに書いてあったけど
 もう帰ったの?」
事務所を見回しても、彼の大きな姿は見えなかった。
「タケシは今、猫カフェに行ってるんです」
タケぽんの飼い猫のひろせが教えてくれて、僕はビックリしてしまう。
「え、ひろせがいるのに、猫カフェって…」
言葉を詰まらせる僕に
「ちょっと妬けるけど、波久礼に教えを請うために行ってるから、修行みたいなものです
 タケシ、アニマルコミュニケーターの能力を高めて、将来は僕と一緒にしっぽやで捜査員として働きたいって」
ひろせは幸せそうな微笑みを見せた。
「そっか、ここで働く高校生たちは、皆しっかりしてるな」
僕は自分が高校生だった頃を思い出し、ちょっと落ち込んでしまった。

中、高校生時代は不登校気味で出席日数はギリギリ、もちろんバイトなんてしたこともなかった。
美容師になった姉に宥(なだ)め賺(すか)されて専門学校に行き、何とかトリマーになれたようなものだ。
『よく、親に見限られなかったよね』
今更ながら、僕は親に感謝していた。
今のお店に就職できた後も人付き合いが上手く出来ず、中々なじめなかった。
でも今は空や化生の関係者と接しているせいか、他人と関わるのが以前より楽しくなってきている。
店のスタッフとも軽口をたたけるようになり、働く意欲が湧いてきていた。
『空との関係を築いていくみたいに、僕は僕のペースで頑張ろう』
空の柔らかく、でもしっかりした手応えのある髪を撫でていると自然と気持ちが前向きになってくる。
「うん、やっぱり空は最高の犬ですよ」
僕の突然の言葉に、皆は笑顔を見せてくれた。

その後、長瀞から応援要請が入りひろせが現場に向かって行った。
「波久礼も来てるなら、今日は空の部屋に泊まりますか?」
僕が聞くと
「いいえ、今日はゲンのところに泊めてもらう約束になっています
 人数が多いと『ピザ』を頼めるから、たまには遊びに来いと
 私の所ではそのような店がないので、波久礼も楽しみにしているのです」
ミイちゃんは悪戯っぽい笑顔を見せた。
その答えを聞いて、僕はドキリとする。
実はゲンさんに相談したいことがあって、そのうち会えないかとメールをしていたのだ。
でも、2人っきりで話すのも緊張するし、どんなタイミングで切り出したら良いか迷っていた。
人数が多すぎても相談し辛いけど、今日のメンバーなら人間は僕とゲンさんだけのようだ。
「ゲンさんの所…、あの、僕達も夕飯をご一緒してもいいでしょうか
 って、ゲンさんや長瀞にも聞かないとダメだけど」
思い切ってそう言ってみると
「ゲンは皆で集まるのが好きですからね、きっと歓迎してくれますよ」
ミイちゃんは笑って頷いてくれた。

タケぽんが帰ってきてから波久礼に応援要請をかけたり、少し慌ただしい時が過ぎる。
業務終了時間が近づいてきたので黒谷に起こされた空と一緒に、後片づけを始めていた。
「俺、何で寝てたんだ?」
不思議がる空に
「疲れてたんでしょ、空はいつも頑張ってるから
 偉いね」
僕は彼の髪を撫でながらそう言った。
誉められた空は
「うん!俺、ここの犬捜索のNo.1だから頑張ってる!」
得意そうな顔で頷いている。
ミイちゃんと黒谷と白久が『やれやれ』といった顔を空に向けるけれど、その目は笑っていた。

波久礼が無事に子猫を保護し、猫の化生と共に帰還して来た。
長瀞に僕と空も夕飯に加わって良いか聞いてみると
「どうぞ、何かゲンに相談したいことがあるのでしょう?」
優しく微笑んで頷いてくれる。
事前にゲンさんにメールを送っていたので、お見通しといった感じだった。
「俺達夕飯、長瀞のとこで食べるの?」
首を傾げる空に
「うん、いきなり決めてごめんね
 ちょっとゲンさんに相談したいことがあるんだ
 今日ね、向こうはピザとるんだって
 ご飯食べたら、空のとこに泊まってくから」
僕はそう告げる。
「ピザ?そういや久しぶりだ
 大勢で食べると、いろんな味が楽しめるもんな
 何にしよう」
空はウキウキしだした。

業務終了後、僕と空は長瀞、ミイちゃん、波久礼と共に影森マンションのゲンさんの部屋に向かうのであった。
14/32ページ
スキ