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しっぽや(No.1~10)

side〈ARAKI〉

梅雨明け間近の週末、俺(野上 荒木)は学校の帰りにバイト先である『しっぽや』の事務所に向かっていた。
いつもは事務所に着いてから、俺の飼い犬であり恋人でもある白久(しろく)と共に昼ご飯を食べに行くのだが、今日は向こうで用意してくれるらしい。

コンコン

ノックして事務所の扉を開けると、応接セットのソファーに誰か腰掛けているのが見えた。
スキンヘッドに、今時珍しい丸サングラス、ヒョロリと痩せた人だ。
黒谷(くろや)より年上に見えるけどまだ40代にはなっていない感じいで、一応背広を着ているがとても堅気には見えない。
『迫力無いけど、まさか地上げ屋の寄越したチンピラとか?』
と俺が警戒すると
「おー、本当に高校生だ!すげー!
 しかも、何気に美少年じゃん
 どうやってタラシ込んだんだ、白久?」
その人物は所長机の側に立っている白久に、親しげに声をかけた。
「ゲン様、人聞きの悪い…
 まあ、多少強引であったのは認めますが、私と荒木はきちんと想いを通じ合わせて、身も心も結ばれているのでございますよ」
白久はいつものように、誇らしそうにそう言った。
『だから、人前でそーゆーこと言っちゃダメー!』
俺は、後でよく言い聞かせなければ、と心に誓う。

状況が飲み込めず立ち尽くす俺に、スキンヘッドの人物が近づいて来る。
「よっし、少年!社会勉強だ!
 名刺の受け取り方
 はい、右手出して、左手を添えて受け取って
 そうそう、はい、よく出来ましたー」
俺はついその言葉に従って、その人の差し出す名刺を受け取っていた。
名刺には

『大野原(おおのはら)不動産 ×××町支店 支店長
 大野 原(おおの げん)』

そう書かれていた。
それはまるで、冗談のような名前であった。
「あ、それ、ネタじゃなくて本名だからな
 そこんとこ、ヨロシク」
大野さんはビシッと指を立て、俺に向ける。
「親父の名字が大野で、お袋の旧姓が原なのよ
 それを合わせて大野原不動産なんだけど
 子供の名前を原と書いて『げん』って読ませるって、どう思う?
 もし親が離婚してお袋に引き取られたら、俺『原 原』って名前になってたんだぜ?
 子供の名前で遊ぶなっつーの
 『げん』って付けたいならせめて源って書くとかさー、ひねって欲しかった訳よ、俺としては
 で、この格好はあれだ
 あの有名アーティストへのリスペクトって奴で、俺の頭髪が寂しいからではけっしてない」
大野さんは、何だかよくしゃべる人だった。

「あれ、大野原不動産って…」
俺はその店名を見たことがあった。
「そーそー、ここの事務所の1階に入ってる不動産だよーん
 引っ越す予定ある?
 良い物件紹介するから、お父さんによろしくお伝えしてねー」
大野さんはニコニコ笑ってそう言った。
「あっと、俺、名刺とか無くて…」
俺が慌てて言うと
「高校生が名刺作ってどうすんの
 ああ、プリクラ貼ってゲーセンで作った名刺交換とか流行ったねー
 今もあるのかな?」
大野さんは首を捻っているが、俺には何の事だかわからなかった。

「あの、野上 荒木(のがみ あらき)です
 えっと、その…」
俺はチラリと白久を見る。
「白久の飼い主だろ?」
大野さんは俺が言えなかった言葉を、ズバリと口にした。
「高校生飼い主!
 何か『高校生』って付くと、マンガみたいに格好良いよな、『高校生探偵』とかさ
 くそっ、若さが眩しいぜ!
 俺の頭も眩しいって、そーゆー返しは無しだかんな」
俺は混乱して、また白久を見る。
「ゲン様も化生の飼い主なのですよ、荒木」
白久は優しく教えてくれた。



コンコン

ノックの後に入ってきたのは、羽生だった。
黒いスーツを着ているせいか、最近はここの所員として様になっているように感じられる。
「ゲンちゃん、俺、1人でちゃんとお使いしてこれたよ!
 持ち帰りナミモリ2個とオオモリ2個、ベニショウガも卵も付けてもらった!
 偉い?」
ビニール袋を手にした羽生は、得意満面だ。
「ああ、偉い偉い、羽生はこんなに小さいのに凄いな!賢いな!」
大野さんは、優しく羽生の頭を撫でる。
「では、お茶を煎れましょうか」
そう言って白久が所員控え室に入っていく。
「荒木、今日のお昼は簡単な物で悪いが、羽生の買ってきてくれた弁当なんだ
 これも社会勉強だからさ」
黒谷が所長机の椅子から、ソファーに移動してくる。

「はい、デカワンコちゃん達は大盛、羽生と少年は並ね
 あ、少年も大盛が良かった?」
大野さんが応接セットのテーブルに持ち帰りの牛丼を並べていく。
「並で良いです
 って、大野さんの分は?」
牛丼が4個しかないことに気付いた俺が言うと
「俺の事は『ゲン』で良いよ、荒木少年
 俺の方が年上過ぎて呼び捨てにはし辛いかな?
 なら『ゲンさん』とかな
 これだと大工みたいで、俺的には何かビミョーなんだけどさ
 あ、荒木少年にも後20年経てば分かる!
 こーゆー物は、俺のような年寄りには重すぎるのだ!
 オジサンはお茶があれば、何もいらないのよ」
大野さん、ゲンさんはそう言うと白久からお茶を受け取り口をつけた。
「そんな、年寄りって程じゃないでしょ」
俺が苦笑すると
「白久、お前の飼い主は優しいなー」
ゲンさんは、おどけてしみじみとそう言った。

「はい、卵割って、殻が入らないよう気を付けてな
 おお、上手に割れたね、羽生は凄い
 紅生姜はお好みで
 卵と一緒にかき回せば、そんなに辛くないから食べてみるか?
 味の『アクセント』ってのになるんだよ」
ゲンさんは、羽生に牛丼の食べ方を教えていた。
羽生はすっかりゲンさんに懐いていて、真剣に手解きを受けていた。

「きちんと箸が持てるようになったのかい?
 羽生は素晴らしいね
 早く大きくなって、中川ちゃんに良い思いさせてやれよ」
ゲンさんの言葉に
「え?中川って、中川先生の事?
 ゲンさん知ってるの?」
俺は思わずそう聞いていた。
「ああ、うちのお客さんだ
 あいつ、熱血教師だね
 俺が高校生の頃、あんな人に教えてもらえてたら楽しかったろうなー
 俺ん時は学生安保でブイブイ言わせてた革命志士の先生とかいたから、それはそれで楽しかったけどさ
 火炎瓶の作り方、とか、何気に教えてくれたりしてよ」
ゲンさんは楽しそうに笑う。
「中川様は今、羽生と一緒に影森マンションで暮らしているのですよ
 あのマンションを管理しているのは、ゲン様の会社なのです」
白久がそう教えてくれた。
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