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しっぽや(No.58~69)

side〈SAKURA〉

ピー、ピー、ピー

微かな電子音が明るくなってきた部屋に響きわたる。
「…ん」
俺を抱きしめていた新郷がベッドサイドに手を伸ばし、スマホのアラームを停止させた。
「おはよう新郷、晴れているようだな」
まだ眠そうな彼の顔を見ながら声をかけると
「おはよ、桜ちゃん
 絶好の花見日和みたいだよ」
ニヒッと笑ってキスをしてくれた。

今日は土曜日で仕事は休みであるが、芝桜を見に行くために普段より早起きをしたのだ。
「この日のために仕事のきりをつけたんだ、今日はのんびりしよう」
「せっかくの芝桜のシーズンだもんね
 やっぱ、年1回くらいは見に行っときたいじゃん
 染井吉野や八重桜なんかも良いけど、芝桜だって可愛くて可憐だよ
 名前がまた良いしさ
 俺と桜ちゃんの桜」
上機嫌の新郷がベッドから抜け出して、着替え始める。
初めて会ったときとほとんど変わらない容姿の彼を見ながら
『俺はずいぶん年を取ってしまったな』
と心の中で苦笑してしまう。
初めて新郷と会ったとき、俺はまだ大学生だった。
『それが今では30代後半のオジサンか』
いつも新郷が俺のことを『可愛い』と言ってくれるのであまり意識していなかったが、ふとした瞬間に自分の年を感じてしまう。

「桜ちゃん?」
敏感に俺の感情を察した新郷が、伺うように顔をのぞき込んできた。
「朝ご飯は塩鮭と鯵の干物、どっちにしようか」
自分の思いを誤魔化すように俺が問いかけると
「鮭にして、卵焼きも作ろう
 後は味海苔に白菜のおつけ物、豆腐の味噌汁付ければ旅館の朝食みたいじゃん」
新郷は少し考えた後、笑顔でそう答えた。
「豪華だな」
俺が笑うと
「すぐ作るから待ってて
 桜ちゃんは、持って行く物の準備お願いします」
新郷はエプロンを付けながら、ウィンクして答えるのであった。

俺は着替えると、昨夜から水出ししておいた緑茶を2本のボトルに詰め替えた。
まだ朝晩は肌寒いが日中は暖かな日差しになるし、歩き回るのでノドが乾くと思い用意したのだ。
芝桜が咲いている公園までは電車での長時間の移動になるため、文庫本も鞄に入れる。
のど飴やハンカチ、ティッシュといった定番の小物を用意し終わる頃には朝食が出来上がっていた。

年代物のちゃぶ台に並ぶ典型的な朝食。
それは、いつ見てもノスタルジーを感じさせた。
「新郷の作るご飯は、いつも美味しそうだ」
俺が座って箸を取るのを、新郷は嬉しそうに眺めている。
「桜ちゃんに喜んで貰えるのが、俺の喜びだよ」
俺の言葉に、新郷は誇らかに笑った。

「そだ、俺も電車の中で何か読もうと思って長瀞に雑誌借りたんだ
 鞄に入れとかなきゃ」
食事の途中、新郷が自分用の鞄に雑誌を入れ始めた。
「長瀞、雑誌なんか読むのか
 って、新郷も?」
俺が少し驚くと
「うん、レモンページって料理雑誌
 『魚を使った簡単おかず特集』ってのが面白そうだったから借りてみたんだ
 後『春の行楽弁当特集』ってやつ
 こないだの夜桜見物のとき、日野が見事な巻き寿司作ってきただろ?
 ちょっと負けられないと思ってさ」
新郷はニヒッと笑う。
「勉強熱心なんだな」
俺が微笑むと
「桜ちゃんの健康を守らなきゃね」
新郷からは、そんな健気な返事が返ってきた。
「ありがとう」
俺は幸せな思いを感じながら、お礼を言うのであった。

「桜ちゃんは、こないだ買ったミステリーの新刊持ってくの?
 ここんとこ忙しくて、本読む暇もなかったもんね
 あ、その前に買ってたやつも読んでないんじゃない?」
新郷に指摘され
「情けないが、最近は『積ん読』状態が多くてな
 学生の時は夜更かしして読みふけったもんだが
 俺も、年を取ったな」
俺はまた、自分の年を感じてしまう。
「しょうがないよ、桜ちゃんの夜の時間、俺が奪っちゃってるんだもん
 って、明日も休みだし、今夜、1回くらい良い?」
伺うような新郷の視線に、俺は頬が熱くなるのを感じた。
そう言えば彼と暮らすようになってから、夜更かしして本を読む習慣が無くなっていったことを思い出したのだ。
若い頃と変わらず俺を求めてくれる、新郷という存在に対する愛しさがこみ上げる。

「まあ、お前が疲れているのでなければ、その…
 別に1回と言わず、何回でも付き合うというか…」
俺が言葉を濁しながら呟くと
「本当?俺、頑張っちゃう!」
新郷は顔を輝かせた。
「いや、でも、限度はあるぞ?」
慌てる俺に
「大丈夫、桜ちゃんの様子見ながらするから
 桜ちゃんが具合悪くなっちゃったら、元も子もないもん」
新郷はもっともらしく頷いている。

「さあ、食べ終わって一息付いたら家を出るぞ
 電車1本乗り遅れると、到着が大幅に遅れるからな」
冷静さを取り戻そうとする俺の言葉に
「了解」
新郷は満面の笑みで答えるのであった。




朝食の後、身支度を整えて俺たちは出発する。
駅への道すがら
「こんな時、車で移動できれば時間を気にしなくて済むんだが
 すまないな」
俺が新郷に謝ると
「良いんだよ、桜ちゃん、車運転するの怖いでしょ
 むしろ、俺が免許取れれば良かったんだけど
 ごめんね、戸籍がないと公的なことは色々不都合あってさ」
新郷は苦笑する。
家族を交通事故で失ったことを知っている新郷は、こうやって俺を労ってくれるのだ。
「でも、列車の旅ってのも、のんびりしてて良いじゃん
 旅情っての?
 ふと気が付くと、外の景色が全く変わってたりして楽しいよ
 それに、あの振動が心地良いよね
 後、遠いとこの駅の売店って、珍しいもの売ってて楽しい」
新郷は嬉しそうに笑った。
その笑顔はとても可愛らしく、いつも俺の心を和ませてくれる。
不安なことがあっても、新郷が側にいてくれるだけで俺の心は安らげるのだ。

「そうだ、今回は乗り換え時間に余裕があるから途中で何か買うか
 乗り換え駅で売っているスタンド形式のパン屋が気になる、といつも言っていたろ?」
俺がそう提案すると
「良いの?」
新郷の顔が輝いた。
「ああ、地元の学生やサラリーマン御用達と言った感じだからな
 随分前から見かけるし、何年も残っているという事は、きっと美味しいのだろう
 俺も、ちょっと気になっていたんだ」
「やったー!いつも朝は乗り換え時間迫ってて買えなくて、帰りに寄ろうにもお店終わって片付けられちゃってたもんね
 どんなパン売ってるかな~」
こんなに喜ぶならもっと早く提案してみれば良かったと、少し申し訳なく思ってしまう。
「桜ちゃんも夜に付き合ってくれるし、今日は良いこといっぱいだ」
「良かったな」
「うん」
照れくさい思いを感じながらも、喜ぶ新郷を見て俺まで幸せになってくるのであった。


駅に着いて電車に乗り、最初の乗り換え駅に向かう。
乗り換え駅のホームで電光掲示板を確認すると、特に遅れは出ていないようでホッとした。
「5番線、15分発の電車に乗れば1時間くらい、のんびりできるね」
新郷が事前に調べておいたスマホの乗り換え案内画面を確認する。
「雑誌で美味しそうなおかずがあったら、付箋付けといて後でレシピをメモしとくね」
新郷が鞄を指さしながらニヒッと笑う。
「やっぱ俺、こーゆーのはアナログの方が楽なんだよな
 メモって台所の引き出しに入れとけば、すぐ取り出せるし
 長瀞もさ、クッキングパッドのレシピ、メモってるって言ってた
 俺達化生って、アナクロなのかなー
 あの新入りの洋猫はどうなんだろ」
新郷は照れ隠しに舌を出してみせた。
その新郷お手製のレシピメモには、俺が美味しいと言った料理が沢山書いてあることを知っている。
今一だった物には改良点が書き加えられ、俺好みの味になるよう工夫が凝らされていた。
初めてそれを台所で見つけたときは、そのいじらしさに泣きそうになってしまった。
料理を食べたときの情景も思い出せる、日記のようなレシピ集なのだ。

「俺だって十分アナクロだよ
 未だに、昭和の生活様式がしっくりくる
 そうだ、新しい料理も楽しみだが、久しぶりに新郷の挽き肉カレーが食べたいな」
それはまだ俺が新郷を飼う前、家に料理を作りに来ていた時に初めて食べたものだ。
一緒に暮らすようになってからも時々作ってくれる、俺のお気に入りメニューであった。
「任せて!明日の夕飯にするよ
 帰りにスーパー寄って材料買わなきゃ」
俺のお願いに、新郷は誇らかな笑顔を見せる。
愛されている自分を感じ、俺も自然と笑顔になってしまう。
「おっと、電車が来た
 あれに乗れば良いんだよね」
新郷の指摘に、俺もホームに迫る電車の行き先を確認する。
「そうだな、さあ、小旅行の始まりだ」
俺達は、少し浮かれた気分で電車に乗り込むのであった。


土曜日の朝の電車、都心に向かうものではないが行楽客の姿が多数見受けられた。
子供連れの親子や、年輩のご夫婦、友達同士らしきグループ、皆、俺達同様少し浮かれている。
幸い座席に座ることが出来て、俺達は各々本を取りだした。
最近は家で本を読もうと思ってもあれこれ小さな用事を思いつき気が散ってしまうが、電車の中でならそれがない。
集中して読めるので、俺は車中での読書が好きだった。
とは言え職場は近場だし、長時間電車に乗る機会があまりない。
冬場は海釣りにも行かないので、ゆっくり本を読むのは久しぶりだった。

「桜ちゃん、次の駅で降りるよ」
新郷に声をかけられるまで、俺は夢中でページをめくっていた。
「ああ、すまない、駅のアナウンスを全然聞いてなかった」
気が付くと、車窓の景色はのどかなものになっている。
「大丈夫、俺が気にしてるから
 俺の読んでるのは、連続した物語とかじゃないからね」
そんな新郷の言葉が頼もしかった。
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