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しっぽや(No.1~10)

side〈SHIROKU〉

梅雨の晴れ間となった土曜日。
私は朝から心が浮き立っていた。
今日は私の飼い主である荒木が、しっぽやにバイトに来てくれる日なのだ。
そろそろ高校の授業が終わり、こちらに向かっている最中であろうか。
私は早く荒木の顔が見たくて、所員控え室ではなく事務所の応接セットのソファーに腰掛けていた。
つい何度も、壁に掛けてある時計を見てしまう。
そんな時

ドダダダダダッ

大きな足音とともに、事務所の扉がバンッと乱暴に開かれた。
「三峰様は、いらしているか?」
入ってきたのは、ゼーゼーと息を切らし焦った顔をした巨体の持ち主、狼犬の化生、波久礼(はぐれ)であった。
「波久礼、事務所を壊すつもりか?
 もっと丁寧に扉を開けてくれよ」
黒谷が呆れた声を出す。
「三峰様はいらしてませんよ
 貴方と一緒に来るのではなかったのですか?」
私が問うと
「途中までは一緒だったんだが、その……
 何というか、色々あって行き違ってしまったようなのだ」
波久礼はゴニョゴニョと弁解する。
私も黒谷も彼の服からうっすらと漂う揚げ物油の匂いで、どう行き違ったのか察しがついていた。

「私がここを動いたら、またすれ違いかねん
 手の空いている者がいたら、探しに行ってくれ
 そうだ、新入りがいたな?
 羽生、お前が出ろ」
波久礼の命令に、所員控え室から羽生がオドオドと姿を現した。
困ったような瞳を私と黒谷に向けてくるので
「羽生、三峰様にはお会いしたことがありますね
 近くにいるはずなので、気配を探ればすぐにわかります
 行ってきなさい」
そう指示すると、羽生はコクリと頷いて事務所から出ていった。

「波久礼、何か飲みますか?
 走って探し回っていたのでしょう?
 焦っているから、気配を探れないのですよ
 落ち着いて探せば、すぐに見つかったでしょうに」
私が苦笑しながら言うと
「三峰様がいなくなってしまわれたのに、落ち着いてなぞいられるか!」
波久礼はドッカリとソファーに腰掛け顔を歪めた。

「ああ白久、アイスコーヒーを頼む
 ミルク多めでな」
そう言う波久礼に
「お前のその注文は『アイスカフェオレ』と言うのだよ」
黒谷がチャチャを入れる。
「『カフェオレ』は女の飲み物だと、あのお方は言っておられた」
波久礼は憮然とした顔で言い返す。
『あのお方』と言うのは、波久礼の以前の飼い主の事だ。
我々は、化生する直前の飼い主の思考に影響されている。
私も荒木に飼っていただく前は、以前の飼い主の生活様式を模していた。

私はミルクとコーヒーを半量ずつグラスに入れ、アイスカフェオレを作るとテーブルに置く。
波久礼は喉が渇いていたらしく、一気に飲み干した。
「どうだ、新入りは使えるようになってきたのか?」
少し落ち着きを取り戻した波久礼が、そんな事を聞いてきた。
「最初に比べたら、随分マシになったよ
 飼い主が教師だからね、色々教わっているんだ」
黒谷が答えると
「化生直前の飼い主に、再度飼ってもらえるとは
 あの猫は、これ以上無く運が良いな
 私は、何もかも間に合わなかった…」
波久礼が遠い目をする。
「僕もだよ」
黒谷が苦笑した。
「私もそうでした」
そう言いながらも、今は新たな飼い主がいる自分は幸運であると、私は強く思っていた。



「波久礼さー、もうちょっと静かに入ってきてよね
 君が来ると猫達が怯えちゃって可哀相だよ」
黒谷が文句を言うと
「私は以前は子猫の子守役として群の中で唯一、あのお方のお住まいに出入りを許されていたのだぞ
 あのお方は、室内で何匹も猫を飼っておられたからな
 群の他の狼犬は猫と馴染まなかったゆえ、私だけが特別にその名誉に預かったのだ」
波久礼はムッとした顔で、そう反論する。
「子猫達は皆、私の尾にじゃれついて育ったため、ネズミの捕れないウスノロなど1匹もいなかったぞ
 里子に出された先でも、重宝されたと聞いている」
波久礼は誇らかな顔で頷いた。
「出たよ、波久礼のうちの子自慢
 これでこいつ猫好きなんだから、何だかねー」
黒谷が肩をすくめた。

「ここにいる猫達は犬ならまだしも、狼犬なんて見たこともない者ばかりです
 もう少し優しくしてやらないと、懐いてくれませんよ
 羽生は化生直前、本当に小さいうちに死んでしまったのです
 まだ、ネズミも捕れない子猫なのですよ」
私が言うと
「あいつ、ダンボール箱で飼われてたんだろ?
 そんな物すら乗り越える力のない、いたいけな小さな子猫だったんだ
 あー、そんな子猫が1人で三峰様を探しに行かされるなんて」
黒谷が大仰に溜め息を付く。

波久礼はぐっと言葉に詰まるが、時計を睨むと
「まだ見つからんのか?
 途中報告の1つも寄越さず、何をやっているんだ、あの若造は!」
そう、大声を出した。
「心配してる、心配してる
 波久礼みたいなのを『ツンデレ』って言うんだろ」
黒谷がニヤニヤ笑いながら、そう言った。

事務所の扉が開く前から、私には気配でそこに荒木が来ていることがわかっていた。
羽生が扉を開けると
「荒木!」
私の体は自然に動いていた。
「羽生、三峰様は見つかったのか?」
羽生が戻ってきたことに明らかにホッとした顔で、波久礼が問いかける。
「いえ、あの、その…」
羽生が言いよどむと
「すいません、俺がちょっと羽生を引き止めちゃってたから…」
荒木がすかさず弁解した。
「何だ、お前は?」
初めて見る人間に、波久礼は露骨な警戒を見せる。
狼犬は交配された種とは言え、野生の血が濃くて警戒心が強い。
そのため波久礼は三峰様を警護する武州(武衆)を率いる立場にあるのだ。
「荒木は私の飼い主です」
私は荒木を抱き締めながら、そう宣言する。
それは、私をこの上なく誇らかな気分にさせる言葉であった。

三峰様は荒木と共に戻ってきておられた。
荒木がどのような飼い主なのかを確認するために、今回わざわざ来てくださったそうだ。
三峰様は荒木をとても気に入ったご様子なので、私は安堵する。
波久礼もプレゼント(匂いからして、鳥の唐揚げのようだ)を貰った事により、荒木に敬意を払ってくれた。
警戒心が強く粗雑な感じを受けるが、波久礼は根は単純で義理堅いのだ。
そのため、武州の下の者にはとても慕われている。



三峰様と波久礼が帰った後、私と荒木はお昼ご飯を食べに外出する。
「白久、遅くなっちゃってごめんな
 お腹空いただろ」
荒木は申し訳なさそうな顔をするが、私は首を振って否定した。
「いいえ、荒木が来てくださるだけで、胸がいっぱいになります」
私の言葉に、荒木は顔を赤らめた。
それはいつ見てもとても可愛らしい表情で、たまらない愛しさが込み上げてくる。

「荒木に教えていただいたおかげで『ファミレス』に入れるようになりました
 先日はクロと2人で行ってみたのですよ
 あそこのメニュー、自分では作れない料理も多いので、たまには良いものですね」
私が言うと
「じゃあさ、今日はファーストフードに行ってみようか
 駅の向こうにエムバーガーって店あるの知ってる?
 あそこ、ファーストフードの中じゃかなりレベル高くて美味しいんだ!
 ご飯で、かき揚げやキンピラを挟んだのもあるんだよ」
荒木は笑顔でそんな提案をしてくれる。
「ご飯?おにぎりのような物ですか?」
想像がつかずそう尋ねる私に
「うーん、おにぎりや寿司とは違う感じかな
 和風だし、きっと白久は気に入ってくれると思うんだけど」
はにかむ笑顔の荒木に、私はまた愛しく幸せな気持ちが湧き上がってきた。

「それでは、そこに参りましょうか」
荒木と並んで歩きながら
『どうか、今の世では荒木の役に立てますように』
私は、そう願わずにはいられなかった。
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