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しっぽや(No.58~69)

メニューが決まった翌日のしっぽや事務所で、私と黒谷はまだ悩んでいた。
「カプチーノ、どうやって作ろうか」
「確か、専用のマシーンが必要なんですよね」
「個人で買っても、そこまで使わないし
 かといって、経費で落として事務所の控え室に設置するのも、ちょっとね」
「パイも、レシピがありすぎてどれを参考にすれば良いか」
私も黒谷も腕を組んで、首を捻ってばかりだった。
そんなとき控え室の扉が開き、長瀞が姿を現した。
「どうしました2人とも、難しい顔をして
 電話が鳴った音は聞こえませんでしたが、やっかいな依頼でもきましたか?」
長瀞はキョトンとした視線を向けてくる。
私と黒谷は顔を見合わせ、頷いた。
こんな時に頼れる者は長瀞しかいないと、即座に判断したのだ。

早速私達は事の顛末を長瀞に話して、指示を仰ぐことにする。
「成る程、バレンタインの思い出メニュー
 良いアイデアですね
 そうだ、私もバレンタインの夕飯はエジプシャンマウ風ドットコロコロシチューを作ろう
 鶏肉で団子を作って、人参とブロッコリーの茎を輪切りにして
 後はペコロス、芽キャベツ、新ジャガあたりが手に入ると良いけど
 丸い形のポンデケージョかフランスパンも買って丸づくしメニューとか
 ひろせのケーキの試食をしてるからゲンもチョコは飽きてるので、デザートにトリュフはやめた方が良いですね
 夕飯がこってりだから、和風に松露とかあんこ玉にしようかな」
長瀞は素早く自分の作るメニューを決めていく。
私と黒谷はその様子を見て
「流石、化生1の料理上手と言われるだけあるね」
「お見事です」
呆然と呟いた。
長瀞はハッとした顔になり
「すいません、つい自分のことばかり」
慌ててそう謝ってきた。

「カプチーノ、今はスティックタイプの物が色々出ていますよ
 ちゃんと泡が立つんです
 時々買って食後のお茶に飲んでますが、美味しいですよ
 パイが甘くないので、甘めの味の物を選ぶと良いのでは
 パイのレシピは、お手軽に作れる物の方が失敗しないかと
 和風の味付けも合いそうですが、それだと肉じゃがパイっぽくなってしまいますね
 ここはあくまでもシェパードを強調して、味に関してはイギリス風のレシピを参考にしてみては
 けれど、隠し味に少しだけ醤油を加えると、日本人好みになると思います
 材料の分量はあくまでも目安と考えて
 家庭でハンバーグを作る際の合い挽きの鉄板は牛7:豚3ですが、せっかくのシェパードパイなので少しだけラム肉をまぜてみても面白いですね
 野菜はタマネギ以外は緑黄色野菜を入れると、バランスがとれて良いですよ
 そうだ、私はブロッコリーの茎を使うので、葉でソースを作りますか?
 そのソースで肉球でも描けば、2人とも喜ぶのでは
 正統派のパイとは言えないけれど、貴方達だけのオリジナルシェパードパイ、良いと思いますよ」
長瀞はスラスラと言い切った後、優しく微笑んだ。
私と黒谷が何時間も考え込んでいたことを、長瀞はいとも簡単に解決してくれたのだ。
「最初から、君に相談すれば良かったよ」
思わず黒谷が苦笑する。
私も全く同じ気分だった。


タケぽんに無事にクラシックショコラを渡せたひろせに続き、私と黒谷も仕事の後に長瀞の所でパイの試作をさせてもらうことにした。
焼き上がったパイを前に
「へー、『大皿焼き料理』って感じだけど、こーゆーのもパイって言うのか
 こりゃ、ビールに合いそうだ
 よし、イギリスのパブを気取って黒ビールでも開けよう!」
試食を頼んだゲン様が、いそいそとお酒を開け始めた。
「このところ、甘い物が続いてましたからね
 ケーキはつまみにならないので暫く飲んでなかったし、肝臓も休んでいたから良いでしょう」
長瀞はそんなゲン様を見ながら優しく目を細めた。

私達は早速、出来立てのパイを試食してみることにした。
「美味しい、初めて作ったにしては上手くできてると思いますよ
 翌日になれば、もっと味が馴染みますね」
長瀞からのお墨付きをもらい、私と黒谷は胸をなで下ろした。
「うん、美味い
 これ、食べ盛りの日野少年のためにジャガイモの層をもうちっと厚くしても良いかもな」
そんなゲン様の言葉に、黒谷がハッとした顔になる。

「そうか、パンと一緒じゃなく、これだけで出そうと思ってたから少しポテトが多い方が良さそうだ
 シロ、ちょっとアレンジしてみて良いかな」
「ええ、荒木もポテトは好きですから
 人目線でのアドバイス、ありがたいです」
私と黒谷はゲン様に頭を下げた。
「飼い主のために頑張る化生は、応援したくなるもんだよ
 ナガトも、いつもありがとな」
ゲン様に優しく頭を撫でられた長瀞が、うっとりとした笑顔になった。
そんな2人を見ていて、私も早く荒木にパイを食べてもらいたくなるのであった。




2月14日バレンタイン当日は、あいにくの雨であった。
しかしそのせいか、依頼はほとんど来なかった。
おかげで私達はゆっくりとお茶の時間を楽しむことが出来た。
バイトに来ていた荒木と日野様に、私と黒谷でお茶の準備をする。

「今日はバレンタインだからさ、僕とシロから2人にプレゼント
 チョコ味には飽きてるだろうと思って、僕達で甘くないパイを焼いてみたんだ」
「こちら、シェパードパイと言う物です
 羊飼いのパイとのことなので、少しラム肉も入れてみました
 香辛料が利いているしベースは牛豚合い挽き肉なので、そんなに癖のある味ではないと思いますよ
 ソースは私達らしいオマケとしてお楽しみください」
温め直し小皿に取り分けたパイに、ブロッコリーをミキサーにかけて作ったグリーンのソースで肉球のような模様を描いて荒木に渡す。
ビックリした顔をしていた荒木は、すぐに輝くような笑顔を向けてきた。
「ありがとう!凄く美味しそう
 シェパードって、ハロウィンの時仮装した白久だ
 あの時の白久、格好良かったよ
 これ、白久のパイなんだね」
荒木はすぐに『シェパード』と言う言葉に反応してくれた。
荒木に覚えていてもらえたことが、とても嬉しかった。

「最近お茶の時間はミルクティーが多かったから、今日はカプチーノにしてみたよ
 今はスティックの物が出ていて、お手軽に楽しめるんだね」
黒谷にカップを渡された日野様が
「白いフワフワの泡に茶色…
 これ、ボルゾイのイメージでしょ
 ハロウィンの仮装した時の黒谷だよね
 あのマフラーした黒谷、ゴージャスだった」
そう言ってニッコリと笑う。
「はい」
気が付いてもらえた黒谷が、幸せそうな顔になった。

「いただきます!」
荒木と日野様がパイを口にするのを、私と黒谷はドキドキしながら見守った。
「美味しい!ポテトと肉が良い感じでマッチする
 パイって、パイ生地に包まれてる物だけじゃないんだね」
荒木が感心した顔を向けてきた。
「うん、美味しい!ソースの肉球崩しちゃうの勿体ないなー
 あ、でも、混ぜて食べるとまた違った風味で美味しいや
 カプチーノも美味しいよ
 スティックって言ってたけど、ちゃんと泡立ってるね」
「日野、まだお代わりがありますから沢山食べてください」
美味しそうにパイを頬張りカプチーノを口にする日野様を、黒谷が優しい目で見ていた。

「ありがとう、白久
 これ、ドッグカフェのメニューで出してもいいくらい美味しいし可愛い
 ワンコオリジナルメニューって感じ
 最高のバレンタインプレゼントだ」
荒木の笑顔が、私にとって何よりのご褒美となった。
頑張ったかいがあったと、私と黒谷は顔を見合わせて微笑み合うのであった。


業務終了時間には、雨は上がっていた。
外に出るとまだ曇っているのか夜空に星は見えなかったが、私の心は荒木の笑顔に照らされて晴れ渡っていた。
「あのね、白久」
一緒に事務所から出てきた荒木が、伸び上がって私の耳に口を寄せてくる。
「ごめん、俺、バレンタインなのに白久に何も用意してこなかったんだ」
申し訳なさそうな荒木に、私は首を振った。
「かまいませんよ、荒木にパイを喜んでいただけただけで十分です」
私が微笑むと荒木は少し赤くなり、さらに言葉を続けた。

「今日、白久のとこに泊まってく
 さっき、親にはメールしといた
 だから、俺のこと、食べて良いよ
 それが俺からのプレゼントって、ベタすぎる?」
上目遣いに見上げてくる荒木の耳元に私も口を寄せ
「それは、最高に美味しそうなプレゼントです
 イタズラもして、よろしいですか?」
そう囁いて聞いてみた。
「トリック&トリート、両方どうぞ」
荒木は艶やかに笑いながら、素早く唇を合わせ軽いキスをしてくれた。

見ると、黒谷も日野様に何か耳打ちされている。
「ファミレスで何か食べてから帰りますか」
私が2人に声をかけると
「そうだね、このところパイの試食が多かったからご飯食べたいかな
 グリルチキンとご飯セットとか良いね」
黒谷が笑顔を向けてきた。
「俺はハンバーグとチキンのセットにしよう
 ご飯は大盛りで」
日野様も黒谷の腕に身を寄せながら嬉しそうにそう言った。
やはり、このまま自宅に帰らないようであった。
「俺はオムライスにする
 白久、大きいサラダ頼んで半分こしない?」
荒木も私に身を寄せて聞いてくる。
「はい、野菜もきちんと食べなければね
 私は、ステーキ和膳にします」
私達はファミレスで夕食を食べた後、4人一緒に影森マンションに帰って行った。


その夜、私は荒木から愛らしく素敵なバレンタインプレゼントを受け取り、幸せな時間を共に過ごすのであった。
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