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しっぽや(No.58~69)

タケぽんの来る水曜日、僕は朝から気もそぞろだった。
事務所では、荒木と黒谷の飼い主の日野が、タケぽんが来る前に色々とアドバイスをしてくれた。
「このケーキ、切り分けてラップで包んでおくと夜食で食べやすいよ
 さりげなく、夜食にどうぞ、って渡すのが良いんじゃない?」
「受験終わるまでは相手も何かと気忙しいだろうけど
 合格して俺たちの後輩になれば、お祝い、とかって呼び出せるしさ
 会える機会はいくらでも作れるって」
「徐々に親しくなれば、想いを伝えられるタイミングが来るよ」
「とりあえず受験日まで俺が勉強みてやるって、ちょいちょい来てもらおうか
 今日も2人っきりになる時間、作ってあげられればいいけど」
会って間もない僕のため、親身になってくれる人間がいる事が本当にありがたかった。

「こんにちはー」
ノックと共にドアを開け、タケぽんが事務所にやってきた。
「日野先輩、初めまして
 荒木先輩、こんにちは
 今日はよろしくお願いします!」
タケぽんが頭を下げると
「デカ…」
「だろ?」
日野と荒木は少し苦笑する。
「何かスポーツやってんの?
 俺、陸上部なんだけど、陸上興味ない?」
日野の言葉に
「あー、俺、体動かすの苦手で
 今は文芸部入ってます
 小学生の時は合唱部でした」
タケぽんは頭をかきながらそう答える。
「その背でまさかの文系か」
「いや、俺、小学生の時までチビだったんスよ
 トロいし」
彼らの会話は僕にはよく分からない事が多いけど、それでもタケぽんの声を聞けることがとても嬉しかった。

「ここだと落ち着かないから、控え室で勉強しよ
 使わせてもらう許可は取ってあるから」
荒木が先導し、3人は控え室に移動する。
僕も後に続き
「お茶、淹れますね
 それくらいは出来るようになりました
 タケぽんはミルクティーがお好きなんですよね」
ドキドキしながらそう声をかけてみた。
「ありがとう
 ひろせ、捜索には出ないの?」
タケぽんに笑顔を向けられると、更に鼓動が速まった。
「長瀞に教わりながら、少しずつ仕事を覚えてます
 今、長瀞は羽生と一緒に出ているので、僕は留守番です」
僕の答えに
「そっか、ナガトは居ないんだ」
タケぽんがそう呟いた。
その瞳は少し寂しそうに見えた。

お茶を淹れると、僕は所在なく座っていることしか出来なかった。
タケぽんは日野に教わりながら、問題集を解いている。
2人が何を話しているのか、僕にはさっぱり分からなかった。
荒木も宿題を広げていたが、白久が捜索から戻ってくると
「俺、依頼主のとこに保護した子、送り届けに行ってくる」
そう言って控え室から出ていった。
僕のために気を使ってくれているのだろうけど、白久の手伝いが出来ることが嬉しそうであった。

「日野、ちょっと用事を頼んで良いかな」
事前に打ち合わせていたので、暫くすると黒谷が日野を呼び出した。
「はーい、今行く
 悪い、俺が戻るまでにここまで進めといて
 わかんないとこは後で解説するから」
日野はそう指示すると、控え室を後にする。
その場には、僕とタケぽんだけが残された。
しかし、真剣な顔で問題集を解いているタケぽんに、僕は何と言って声をかければよいか分からなかった。
しばし、その真剣な表情に見とれてしまう。
控え室の中には、タケぽんが問題を解くペンの音だけが響きわたっていた。
なめらかだったペンの音が途切れがちになり、ついには止まってしまう。

「ダメだー、この辺わかんねー」
大きなため息と共に、タケぽんが体を伸ばす。
「お茶のお代わりはいかがですか
 少し息抜きをすると、また、頭が働いてくるかと」
僕の言葉に
「あ、じゃあ、お願いします
 ひろせのミルクティー、美味しいね」
タケぽんはニッコリと笑って、お茶を誉めてくれた。
僕はそれだけで天にも昇る気持ちになった。

お茶と一緒に、焼いてきたケーキも添えてみる。
「あの、良かったら食べてください
 バレンタインが近いから、クラシックショコラケーキ焼いてみたんです」
僕が言うと
「手作り?スゲー!」
タケぽんは嬉しそうな顔になった。
早速それを口にすると
「チョコの味が濃くて、しっとりしてる
 お店で売ってるのみたいじゃん!
 ひろせって、スゲーなー」
瞳を輝かせるタケぽんに、僕の胸も熱くなる。

「気に入ってもらえたなら、これもどうぞ
 夜食のお供になるかなって」
僕は切り分けてラップで包んでおいたケーキが入っている袋を手渡した。
「良いの?嬉しい
 夜中に勉強してると、ムショーに甘いもの食べたくなる時があるんだよね」
タケぽんは笑いながら袋を受け取ってくれた。
「長瀞にも、作るのを手伝ってもらったんです」
舌を出しながらそう伝えると
「ナガトも…
 ナガト、料理上手いもんね」
タケぽんは幸せそうな顔で、袋をそっと抱きしめた。


「あの、あのさ…」
タケぽんはどこかモジモジとした感じで話しかけてくる。
「ひろせって、どうやってしっぽやに入ったの?
 ここに入るのって、何か試験があるのかな?
 特殊な資格とか持ってないと、ダメ?
 大学行くより、動物の専門学校とか行った方がいいの?
 俺、将来ここで働きたいなー、とか思ってるんだけど、ナガトに聞いても『企業秘密』としか教えてくれなくてさー
 荒木先輩と日野先輩って、どうやってバイト員になったんだろ」
タケぽんは答えようのない問いかけをしてきた。
ここは化生の為の場所なのだ。
荒木や日野は化生の飼い主だから、ここに所属できている。
ただの人間を所属させる事は、まず無いだろう。
言葉に詰まって俯く僕に
「やっぱ、企業秘密か」
タケぽんが寂しそうに呟いた。

「ひろせは良いね、ナガトと働けてさ
 ナガトと組んで仕事できるなんて、羨ましい
 ナガトの側に居られるなんて…、ほんと、羨ましいよ」
タケぽんはどこか自虐的に笑って、そんなことを言い出した。
「タケぽん…?」
僕が問いかけるような瞳を向けると彼は泣きそうな顔になる。
「会ったばっかの人に愚痴っちゃって、ごめん
 俺って、ガキだ
 どうしようもなく、ガキなんだ
 どうしたって、ゲンちゃんみたくなれないよ
 ゲンちゃんみたく格好いい大人になれれば、ナガトは俺のこと見てくれたのかな」
そんなタケぽんの言葉で、僕は彼の気持ちに気が付いてしまう。

「タケぽん、長瀞のこと…」
僕の言葉に
「うん、俺、ナガトのこと好きなんだ
 でもナガトはゲンちゃんが好きで、ゲンちゃんもナガトが好きで…
 ガキの頃からそんな2人を見ててさ
 ゲンちゃんみたいな大人になれればな、って頑張ってみたけど
 ゲンちゃんには全然太刀打ち出来ないよ
 ゲンちゃん、あんなフザケた格好してても、頭良くて気遣いが出来て真っ直ぐでスゲー大人なんだ
 ナガトが好きになるのわかる、格好いいもん…」
タケぽんは一滴の涙を流した。

タケぽんの言葉が僕の胸にも刺さってくる。
長瀞は、優しくて面倒見が良くて料理が上手で皆に好かれていて…
タケぽんが好きになるのが分かる気がした。
初めて出来た僕の猫の友達は、ライバルでもあったのか。
僕の中で不思議な敗北感が渦巻いていた。
きっとタケぽんもゲンに対して同じような思いを抱いているのだろう。
そんな共感だけが、今の僕たちを繋いでいる細い糸のように感じられた。

「でも、僕はタケぽんが好きですよ」
僕は思わずそんなことを言ってしまった。
長瀞にはかなわないと思っても、それでも自分の気持ちを伝えずにはいられなかったのだ。
そして、向かい合って座っていたソファーから立ち上がり彼の方に顔を近づけると、その唇にキスをした。
触れた唇から甘い痺れと疼きが体中に広がっていく。

僕は、彼に対して発情していた。
このまま、彼に強く抱きしめてほしかった。
彼と深く触れ合いたかった、もっと激しく彼を感じたかった。
そんな欲望を押し隠し、僕は名残惜しく彼の唇から離れていく。

「タケぽんは素敵な人です」
何でもないことのようにそう言って、僕は笑って見せた。
彼は今、大事な時期なのだ。
僕のことで負担をかけてはいけない。
キスをしてしまった自分の性急さと浅ましさが、後悔の波となって広がっていく。
しかしタケぽんはそんな僕を見て少し赤くなりながら
「ありがと、ひろせも大人だね
 俺もそんな風に、さりげなく人を慰められるようになりたいや」
照れたように笑ってくれた。
「先輩たちには今の話、内密に」
慌ててそう付け加えるタケぽんに、僕は微笑んで頷いた。

「受験、頑張ってください
 合格したら、何かご褒美を用意しないと」
僕は彼のために何かをしたいと思っていた。
『受験に合格したら』と言うのは建前にすぎない。
何とか、彼に喜んで欲しいと思ったのだ。
長瀞のように上手くできなくても、僕なりに彼の役に立ちたかった。
「え?いや、そんな、悪いですよ」
彼はまた赤くなって慌てている。
「頑張っている人を、応援させてください」
僕はまた、何でもないことのように一般論を述べていた。

彼の負担にならないよう、さりげない態度を崩さないよう、欲望を押し隠し精一杯『良い人』のふりをする。
「タケぽんの好きな味で、パウンドケーキでも焼きましょうか?
 そうすれば市販品にはない味の組み合わせも出来るから」
僕の提案に
「美味しそう、楽しみにしてます
 へへ、頑張ろっと」
タケぽんは嬉しそうに笑ってくれた。

その後、すぐに日野が戻ってきて勉強再開となる。
勉強は全然手伝えなかったけど、帰り際にタケぽんが
「愚痴、聞いてくれてありがとう
 スッキリしました」
はにかんで笑いながら、こっそりと囁いてくれた。

少しでも彼の役に立てた自分が誇らしかった。
長瀞を目標に頑張ろう、僕はそう自分に言い聞かせ新たな闘志に燃えるのであった。
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