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しっぽや(No.58~69)

電車での移動中
「しっぽや、迷子になった犬や猫を探すお仕事するんですよね
 僕に出来るかな」
少し不安になった僕が聞くと
「大丈夫だよ、最初は他の猫の補佐をしながら仕事を覚えていけばいい
 同じ長毛種だし長瀞と組むんじゃないかな」
波久礼は優しく教えてくれる。
「黒谷という甲斐犬が所長をしている
 少し浮かれたところがあるが、良い奴だ
 陸や海が言っていたように、寂しかったら暫く空の部屋で暮らせばいいさ」
僕はしっぽやがどんなところなのか、期待と不安が半々だった。

駅に着くと、少し年輩の人間に見える化生が迎えに来てくれた。
「三峰様、急に電話してくるんだもんな
 今日は人手が足りないから、常連さんに留守番頼んじゃったよ」
少し苦笑気味に言うので
「すいません、急に押し掛けて」
僕は慌ててしまう。
「君のせいじゃないよ」
彼は僕に優しく微笑んでくれた。
「どうせ猫カフェでイベントでもあって、波久礼に参加させたいって思ったんだろ
 三峰様も、波久礼に甘いよね」
彼の言葉は図星だったので、波久礼は少し赤くなって咳払いしていた。
「僕は甲斐犬の『黒谷』だ、よろしくね
 最近は長毛種を飼っている人も多いから、期待してるよ」
僕は差し出された黒谷の手を握り
「ひろせです、よろしくです」
化生としての新しい1歩を踏み出すのであった。


しっぽや事務所に一歩足を踏み入れると、何とも言えない心地よさに包まれた。
「良い所ですね」
何か良いことが起こりそうな、ワクワクするような空間だった。
紹介された他の化生の飼い主の荒木も、良い人そうだ。
そんな中、控え室から出てきた人物を見た瞬間、僕の鼓動は跳ね上がった。

背が高いのに幼さの残る顔立ちは優しそうで、可愛らしくもある。
それでいて頼れるような雰囲気もあり、僕は彼に触れてもらいたい気持ちになっていた。
『これは、飼ってもらいたい方と巡り会えた感触なのか?』
自分の変化に戸惑いつつも、僕は彼の側にいたくてしかたなかった。
彼は自分のことを『タケぽん』と呼んで欲しいと言った。
『タケぽん』
そう心で唱えるだけで、幸せな気分が広がっていく。
荒木達のおかげで彼にパウンドケーキを分けてもらえた時、嬉しくて涙が出そうになる。
彼が去ってしまうと、とたんに事務所内の空気が色あせていった。

「俺達、協力するからな」
他の人達には僕の変化はお見通しのようで、そんな頼もしいことを言ってくれた。
タケぽんは今『中学生』で『受験』を控えた大事な時期なのだと荒木が教えてくれる。
それがどんなことなのか、僕にはよくわからない。
そのことについてのアドバイスをしてくれる荒木がいるのが頼もしかった。
「バレンタインにケーキ、良いと思いますよ
 クラシックショコラを焼けるよう、私の家で特訓いたしましょう」
力強く頷いてくれる長瀞に、僕は感謝の気持ちでいっぱいになった。
しっぽやに来れたことは、僕にとってとても幸運なことであった。


長瀞が調べてくれたレシピを元に、ケーキを焼いてみる。
「以前、皆野が言っていたのですが、飼い主が作る物の匂いを鼻は覚えています
 ひろせにとって、その匂いに近い物を作ると良いのでは」
そう言ってくれたが、最初に焼き上げた物の匂いに僕は何の感慨も感じなかった。
「けっこー上手く焼けてるとおもうけどなー」
長瀞の飼い主のゲンがケーキを味見してそう言ってくれる。
「チョコが入っているから、僕は生前食べさせてもらったことがないんです
 味がどんなものか、わからなくて」
僕はションボリと答えた。
「それでも、鼻は記憶していますよ
 次はこちらのレシピを試してみましょう」
長瀞が根気強く僕を励ましてくれた。
今まで犬としかふれ合ってこなかった僕にとって、長瀞は初めて出来た猫の友達であった。
優しくて面倒見がよくて親切な長瀞が、僕はすっかり好きになってしまった。
「ありがとう」
僕が感謝を伝えると
「きっと、想いは通じますよ」
彼は微笑んでそう言ってくれた。

昼間はしっぽやで長瀞と組んで捜索の仕方を学び、夜は長瀞の部屋でケーキを焼く生活が続いていた。
寝るときは、陸と海を思い出させる空と言うシベリアンハスキーの部屋にお邪魔していた。
「カズハ、バレンタインセールで忙しくて暫く泊まりに来れないから、その間だけでも泊まってきな
 陸と海、元気だったか?
 俺が居なくなったから、あいつら戦力ガタ落ちだろ」
陽気に笑う彼と過ごす時間も僕にとっては心地よく、毎日が充実していた。
『タケぽんが側にいてくれたら、もっと素敵だろうな』
僕は水曜日が待ち遠しくてしかたなかった。

火曜日の夜
「この匂い、あのお方のケーキと一緒だ」
すっかり忘れていたと思っていたのに、一嗅ぎで懐かしさが呼び起こされるケーキが焼き上がった。
「間に合いましたね」
「タケぽん、喜んでくれるでしょうか」
僕は少し不安になってしまう。
「タケぽんは甘いモン好きだから、大丈夫だって」
笑顔で頷いてくれるゲンの言葉が、僕に希望を与えてくれるのであった。
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