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しっぽや(No.58~69)

side〈HIROSE〉

『ロゼ』

優しく僕を呼ぶあのお方の声を、僕はずっと忘れない。
あのお方と、あのお方の旦那様、ゴールデンレトリーバーのブルゴーニュ、ラブラドールレトリーバーのボルドー、それが僕の家族だった。
かけがえのない、大切な家族だった。
あの事故が起こるまでは…


僕はペットショップで暮らしていた。
その前はママや兄弟達と一緒だったが、それはボンヤリとしか思い出せなかった。
僕を『可愛い』と抱っこしてくれるお客さんも多かったが『ノルウェージャンフォレストキャットって大きくなるのよね』そう言って、買おうとはしてくれなかった。
生後半年を過ぎても売れなかったので『お店の看板猫にしようか』なんて言われていた時に、僕はあのお方と出会ったのだ。

「生後7ヶ月?まだ子猫ちゃんなのに大きいね」
あのお方は僕を初めて見たとき、そう言って驚かれた。
「子猫の時はやんちゃでも、温厚な種類で飼いやすいですよ」
お店のお姉さんが、必死に僕をアピールしてくれる。
「抱っこしてみても良いですか?」
若くて小柄な女の方だったので、きっと『重い』と言われるだろうと僕は諦め気分でそう思っていた。
しかしその女のお客さんは僕を軽々と抱き上げて
「なんだ、ブルゴーニュやボルドーより全然軽い
 可愛い
 フワフワでキレイな毛並みね」
そう言って僕を誉めてくれた。

「そりゃ、ゴールデンやラブに比べればなー」
小柄な女の人に比べると、山のように大きな男の人が苦笑する。
「あなた、この子、うちの家族にしましょうよ
 このまま連れて帰りたい」
僕をしっかり抱きしめたまま、女の人はそう言った。
男の人はかがみ込んで抱かれている僕と視線を合わせ
「うちの実力者がご所望だ
 うちに来てくれるかな?」
優しくそう問いかけてくる。
「何よー、実力者って
 あのペンションの経営者はあなたなんですからね
 表向きは」
彼女はそう言ってクスクス笑う。
「君のケーキと看板犬がいなけりゃ、今ほど繁盛してないよ」
男の人が肩を竦めると、彼女はまた楽しそうに笑った。

こうして僕は高原にあるペンションの看板猫として、新たな家族達と暮らし始めたのだ。


最初は大きな犬が怖かったが、優しくて陽気な彼らに僕はすぐに慣れていった。
夜は彼らと一緒に寝ると温かいことも知った。
ペンションに来るお客さんとの接し方も学んだ。
僕はこのペンションの看板猫として居られることに、幸せを感じていたのだ。
『毎年、ロゼちゃんに会うのが楽しみなの』
そう言ってくれるリピーターのお客さんがいることが誇らしかった。


それは、僕がここに来て5年が過ぎた頃だった。
ボルドーとブルゴーニュは老境に入り体力が衰えてきていた。
僕はといえば、そんな彼らに代わり看板猫として精力的に働いていた。

「今日は風が強いわね」
ガタガタと窓を揺らす激しい風に、あのお方が眉を曇らせる。
「台風の影響かな、まだ遠くにあるんだけどね
 天気悪くなるのを見越して、今週はお客さんのキャンセル続きだ
 山の中だし、天気悪いと散策も出来ないからなー
 都会の人には、退屈な場所でしかないだろ」
旦那さんが苦笑する。
「そのおかげで、久しぶりに2人っきりの時間が出来たわね」
あのお方が微笑むと
「たまには、のんびりしよう」
旦那さんも微笑んだ。

「寒いから、ホットワインでも作りましょうか
 暖炉の薪も、もう少し足す?」
「そうだな、お爺ちゃん達が寒そうだ
 ロゼはまだ若いから寒くないか?」
旦那さんに抱き上げられた僕が
『ニャ(寒い)』
そう答えると
「ロゼも温かいもんが飲みたいってさ
 ホットミルクも追加だ、猫舌用に」
彼は僕を優しく撫でながら、そんな風にあのお方に注文した。

そんなとき、一際強い強風がペンションを襲った。
凄まじい轟音が響き、建物が振動する。
「何だ?」
旦那さんが慌てて部屋を出ていった。
不安げな顔のあのお方と、僕と犬達が残される。
戻ってきた旦那さんは血相を変え
「今の風で、裏の林の枯れ木が倒れて飛ばされてきてる
 客室がメチャクチャだ
 客がいないのは不幸中の幸いだが、ここも危ないかもしれない」
そう叫んだ。
と、同時に何かが窓に当たり大きな音を立ててガラスが砕け散った。
部屋の中に凶暴な風が充満する。

暖炉の火が風に煽られて、激しく舞い上がった。
その火がカーペットに燃え移ると、さらに風に煽られあっという間に燃え広がっていった。
広がる火を見てパニックを起こした僕は、泣きながら逃げまどうしかなかった。
「ロゼ、危ない、そっちに行っちゃダメ!」
「ブルゴーニュ、ボルドー、表に出るんだ」
あのお方と旦那さんの怒声の中、火の勢いは益々強くなっていく。

あのお方の悲鳴、犬達の悲しい鳴き声、建物に何かの当たる轟音、崩れていく建物、灼熱の炎そんな混沌の中、僕の意識は闇に落ちていった。




もしも僕が人であったなら、炎の中、あのお方を抱き上げて外に連れ出せたのではないか
あのお方の盾となり、炎から守ることが出来たのではないか
もっと、何か役に立てたのではないか
あのお方をどれだけ愛していたか、言葉にして伝えることが出来たのではないか
あのお方と過ごせる時が、どれだけ幸福で大事な時間だったのか伝えることが出来たのではないか


気が付くと灼熱の炎は収まり、薄暗いトンネルを取り留めのないことを考えながら、僕はあてもなく歩いていた。
僕の他には誰もいない。
一人でトボトボト歩く僕の目に、光が見えてきた。
誰かが待ってくれているような気がして、僕は小走りで光に近付いていった。
その時、初めて自分が四つ足で歩いていないことに気が付いたのだ。


光の先には人間の女の子が居た。
しかしその気配は、野生の獣のものであった。
「よく、ここまでたどり着きましたね
 貴方は化生しました
 これから貴方の名前は『ひろせ』になります
 新たな飼い主と巡り会うために、しっぽやにいらっしゃい」
彼女は優しく微笑んで、僕に手を差し伸べてくれる。
僕はその手をしっかりと掴み
「もう、あのお方には会えないのでしょうか」
そう呟いた。
自分の言葉で、涙が頬を伝ってしまう。

「新たに心惹かれる方に、きっと巡り会えるよ」
女の子の側にいた大きな男の人が、優しくそう言ってくれる。
旦那さんより、ブルゴーニュより、ボルドーよりも大きいその人が犬であることに僕は気が付いた。
大きな男の人と、小さな女の子。
その光景は旦那さんとあのお方を思い起こさせて、僕は彼に縋って泣いてしまった。
彼は僕を慰めるように、優しく髪を撫でてくれた。


「しっぽやという場所に移動するまで、暫くこちらで暮らしてもらうからね」
大きな男の人は波久礼と名乗り、狼犬の化生であることを教えてくれた。
彼に案内され、ペンションとは全く間取りの違う大きな屋敷を歩いていると
「波久礼の兄貴、今回の新入りってその猫?」
「猫にしては、何かデカくね?
 新種?もしかして新種?未確認生物だったらスッゲー!」
よく似た2人の大きな男達が僕たちに近寄ってきた。
目を輝かせながら僕を見るその2人に、懐かしい感覚が呼び起こされる。

「触って良い?フワフワじゃん」
「これ、長瀞や羽生よりフワフワしてんじゃね」
彼らに乱暴に撫で回されると、思わず笑みがこぼれてしまう。
「お前達、新入りを驚かすな」
波久礼の恫喝で彼らは姿勢を正した。
「大丈夫です、僕、大きい犬大好き」
僕は自分から2人に抱きついた。
大きな犬の邪気のない乱暴さと懐っこさ、それは以前の家族を思い起こさせる。
「マジ?そんなこと言ってくれる猫、今までいなかったぜ」
「羽生なんか、最初は兄貴の顔見て腰抜かしてたもんな
 おかげであいつがこっちに居る間は、全然会わせてもらえなくてさー」
彼らに揉みくちゃにされ、僕は幸せを感じていた。
大きな犬達はシベリアンハスキーの『陸』と『海』と名乗ってくれた。

この屋敷には『武衆(ぶしゅう)』と呼ばれる三峰様を警護する犬達が複数暮らしていた。
波久礼はその武衆を束ねる者であった。
「人間に名乗る時は『武州 波久礼(ぶしゅう はぐれ)』の名称を使っている
 ひろせはしっぽやに所属するのだから『影森 ひろせ』と名乗りなさい
 飼い主が現れたら、その方を守る『影守(かげもり)』となるんだよ」
波久礼は僕に色々なことを教えてくれた。
「僕は、武州にはなれないのですか?」
あのお方を思い起こさせる三峰様をお守りしながら過ごすのも、悪くはないことのように思えた。
「ひろせは優しすぎて無理だよ」
苦笑する波久礼に続き
「うん、猫にゃ荷が重いかもな
 ひろせはしっぽやに行って飼い主見つけた方が良いって」
「しっぽやにさ、俺達の子分の『空』ってやつがいるからよ
 寂しかったらそいつのとこ行きな」
陸と海も僕を撫でながらそう言ってくれる。

僕は自室としてあてがわれた部屋を利用せず、武衆の犬達の部屋で暮らしていた。
山の中での暮らし、小さな女の子とそれを守る大きな男の人、陽気な大型犬達。
生前の暮らしを彷彿とさせるここでの生活は、僕にとって満足できるものであった。


化生して1ヶ月が過ぎた頃
「ひろせ、そろそろしっぽやに移動しましょうか」
三峰様にそう言われた。
「ずっと、ここには居られませんか?」
僕は犬達と別れるのが寂しかった。
「しっぽやにも犬は居ますよ
 それに、人と接する機会が多いので、飼っていただきたい方と会える可能性が上がるでしょう」
三峰様は優しくそう諭してくれた。
「部屋は準備してあるし、今日、移動しましょうか
 最寄り駅まで、波久礼に送らせます
 後は黒谷に迎えに来て貰いましょう」

こうして僕は、急遽しぽっやに移動することになったのであった。
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