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しっぽや(No.58~69)

side〈ARAKI〉

「うー、寒い」
年が明けたら寒さが一段と厳しくなった気がする。
しっぽやにバイトに向かう俺はコートにマフラー、手袋と重装備であった。
『この寒いのに、日野は部活でランニングやってんだよな
 俺、やっぱ体育会系とか無理!』
しっぽやに着いたら温かいお茶を煎れよう、俺はそんなことを考えながら事務所への道を足早に歩いていった。

ドアをノックして事務所に入ると、中には誰もいなかった。
訂正、化生は誰もいなかった。
無人の所長机の側に、背の高い男の人が所在なさげに佇んでいるのが目に入る。
その人は俺に気が付いて、どうしよう、と言った感じでモジモジしていた。
黒谷より背が高そうだけど、童顔で大人しそうな人だ。
「あの、今、ここの人達出払っちゃってるみたいで…」
幼い顔立ちに似合った、少し高めの声で話しかけてくる。
俺はバイト員である自分の立場を思い出し
「すいません、ご依頼の方ですか?
 ただいま所員と連絡を取りますので、そちらにお掛けになってお待ちください」
ソファーを指してそう案内した。

『取りあえずお茶出して、黒谷か白久のスマホにかけてみよう』
俺が今後の段取りを考えているとその人は少しホッとした顔になり
「ここの人ですか?
 あの、俺、ナガトと待ち合わせしてるんです
 急な依頼が入って、戻るのが少し遅くなるって連絡はもらってます」
そう、話しかけてくる。
『長瀞さんの知り合い?』
俺は少し驚いたが
「どうそ、掛けてください
 今、お茶をお持ちしますので」
再度、座ってもらうよう促した。
男の人はペコリと頭を下げると、ソファーに腰掛けた。

着ていたコートをハンガーに掛け、マフラーや手袋をカバンに突っ込んでいるとガタッと物音がした。
振り返った俺が見たものは、なにやら興奮した顔で立ち上がっている男の人だった。
「あ、あの、あの、その制服って、新地(しんち)高校のですよね」
俺はその人の剣幕に驚いてしまうが
「はい、そうですけど…」
何とか平静さを装ってそう答えた。
『何だろ、ゲンさんみたく「ブレザー格好いい」とか?
 制服フェチの人とかだったら怖いな』
少し警戒する俺をよそに、その人は
「スゲー、スゲー」
と言いながら、一人で盛り上がっている。
「俺、今度、新地高受験するんです!
 先輩!よかったら、色々教えてください!」
輝く瞳で言われたその言葉が俺の脳に届くまで、かなりの時間を要してしまった。
『え?受験?職員採用の?そんなのあるの?
 つか先輩って、俺のこと?ってことは…』

「えっと、君って、もしかして…」
おそるおそる俺が口を開くと
「あ、俺、武川 丈志(たけかわ たけし)って言います
 名前のことは『タケがクドい』って言ってくれて大丈夫です
 気さくに『タケぽん』って呼んでください
 中3の15歳です」
男の人、タケぽんはハキハキした口調でそう言った。
俺は2歳も年下の彼を見上げ
「俺は野上 荒木
 高2の17歳です」
何だか釈然としないものを感じながら、自己紹介した。

「荒木?高校生名探偵だ!」
俺が名乗るとタケぽんは更に顔を輝かせた。
長瀞さんを『ナガト』と呼んだ時点で気が付いていたが…
「タケぽん、ゲンさんとも知り合いなんだね」
俺は苦笑気味に確認する。
「え?何で分かるの?
 あ、これが高校生名探偵の推理ってやつか!
 生で見ちゃった、スゲー、スゲー!」
興奮が増すタケぽんを持て余している俺の耳に

コンコン

と、ノックの音が聞こえてきた。
すぐに扉が開き、ペットケージを持った長瀞さんが事務所に戻ってきた。
「タケぽん、お待たせしてごめんなさい
 荒木様、こんにちは、白久は戻るまでもう暫くかかりそうですよ」
笑顔の長瀞さんに
「ナガト、俺、今、高校生名探偵の推理見ちゃった
 ゲンちゃんが言った通りだね」
興奮したままのタケぽんが話しかける。
「それは、良かったですね
 おや、タケぽん、また背が伸びましたね
 もう黒谷より大きいんじゃありませんか?
 初めて会ったときは、私の腰くらいしかなかったのに」
「えー?自分じゃよくわかんないよー
 背、伸びてる?」
タケぽんは俺が言ってみたいと思っているセリフをサラリと言ってのけていた。

「そうそう、銀次(ぎんじ)君、いつまで預かりますか?」
「次の水曜までお願いします
 銀次、いい子にしてろよ」
タケぽんは足下に置いてあったペットケージを持ち上げる。
小さく『ニャー』と鳴き声が聞こえた。
2人が控え室に消えると、俺はホッと息を付いてしまう。
『何か、台風一過って感じ』
静かになった事務所でそんなことを考えていると

コンコン

ノックと共に扉が開き、黒谷が帰ってきた。
黒谷に続き、髪の長い人影が入ってくる。
その人は事務所内を見回しながら
「とても、気持ちの良い場所ですね」
ホッとしたような顔で微笑んだ。


「やあ、荒木、留守にしちゃっててごめんね
 三峰様から急に電話がかかったきてさ
 駅まで新入りを迎えに行ってたんだ
 波久礼が駅まで付き添ってたんだけど、猫カフェでイベントがある、って向こう行っちゃって」
フウッとため息を付く黒谷の後ろに居る人が、ペコリと頭を下げた。
柔らかそうな長い髪がフワッと広がる。
白髪の先端が淡いグレイになっている不思議な色合いだった。

「荒木、彼は『ひろせ』
 ノルウェージャンフォレストキャットの化生だよ
 他の猫より、少し大きいだろ?
 ひろせ、彼は野上 荒木
 ここの白久という所員の飼い主だから、身構えなくて大丈夫だよ
 バイトに来てもらってるんだ」
黒谷に紹介され俺は
「野上 荒木です
 荒木って呼んで良いよ
 俺、ノルウェージャンって初めて見た
 フワッフワだね」
そう言って笑って見せた。
「ひろせです、よろしくです」
ひろせはどこかおっとりした感じで微笑んだ。
猫の化生らしくキレイな顔立ちだけど、羽生や双子、長瀞さんみたいな煌びやかさはあまりなかった。
『大きな猫って温厚だって本に書いてあったけど、そんな感じ』
俺は一人納得していた。

「ここ、優しくて清々しい場所だね
 しっぽや、ってどんなとこかちょっと不安だったけど、安心した」
ひろせはまた、そんな事を言う。
「そう?気に入ってもらえたなら良かったよ
 暫くは長瀞というチンチラシルバーの化生の元で、捜索の仕方とか覚えてもらうからね
 三峰様から、少しはここの仕事とか聞いてるんだろ?」
黒谷の言葉にひろせは頷いた。
「部屋は影森マンションに用意してあるから、そこで生活してもらうよ
 家電とか使い方分からなかったら、聞いて
 同じ階に僕の部屋があるから」
「はい」
ひろせはにっこりと笑った。
「犬、怖くないの?」
俺が聞くと
「はい、僕、生前は犬と一緒に生活していましたから
 ゴールデンレトリーバーとラブラドールレトリーバー
 どちらにも可愛がっていただきました」
ひろせは懐かしそうに答えた。 

カチャリと音がして、控え室のドアが開く。
中からタケぽんと長瀞さんが出てきた。
「黒谷、新人さん迎えに行ってこれた?
 いきなり受付とか頼まれて、どうしようか焦っちゃったよ
 俺、バイトってしたことないから
 来たのが荒木先輩だけでほんと、良かった」
タケぽんは黒谷を見て、少しムクレてみせた。
最初に彼がおどおどしているように感じたのは、いきなり仕事を頼まれて戸惑っていたからのようだ。
『俺も去年ここに来るまで、バイトなんかしたことなかったもんな
 いきなり接客って、ちょっとビビるのわかる』
あの頃に比べると俺も少しは成長したのかな、なんて思えてしまう。

「ごめんね、すぐに荒木が来るだろうし長瀞も戻りそうだったからさ」
黒谷はにこやかに答えている。
「うち、ペットホテルはやってないけど、個人的な知り合いから長瀞が猫を預かったりしてるんだ
 タケぽんは常連でね
 もう、僕たちともすっかり顔見知り
 それでつい、受付頼んじゃったんだ」
黒谷に改めて言われ
「そう言うことなんです」
タケぽんはエヘヘッと笑って見せた。

タケぽんと一緒に出てきた長瀞さんが、驚いた顔で黒谷を見ている。
それに気が付いて俺も黒谷を見るが、特に変わったところはなかった。
しかし、黒谷の後ろにいたひろせの様子が変だった。
驚いたように目を見張り、頬を染めて一心に何かを凝視していたのだ。
その表情を、俺は知っている。
ひろせの視線の先には、タケぽんが居た。
俺と長瀞さんの様子にやっと気が付いた黒谷が、振り返ってひろせを見る。
黒谷もすぐに、ひろせの状態に気が付いた。

「じゃ、俺、この辺で
 荒木先輩、次の水曜ってバイトに来ますか?
 俺、銀次迎えに来るんで、時間あったら新地高のこと教えてください」
何も気が付いていないタケぽんが無邪気な顔でそう言って、歩き出す。
「もう、お帰りになってしまうのですか」
ひろせが寂しそうな顔になって、沈んだ声をかけた。
「あれ、貴方が黒谷が迎えに行った新人さん?
 俺、武川丈志って言います、タケぽんでいいですよ
 ここには時々猫預けに来るんで、よろしくです」
タケぽんが礼儀正しく頭を下げると
「タケぽん…」
ひろせはウットリとした顔で、その名前を呟いた。
「僕は『ひろせ』と言います
 あの…あ…、えっと…」
ひろせは話しかけたは良いが、何を言えばよいかわからない状態になっていた。

「タケぽん、これから時間ある?
 今んとこ依頼人こ来ないし、良かったら少し話していかない?
 お茶淹れるよ
 そだ、貰いモンのパウンドケーキがあったっけ
 紅茶淹れよう、セイロンがあるからミルクティーで良い?
 甘いもん食べるからアールグレイの方が良いかな?」
俺はタケぽんを引き留めようと、咄嗟にそう言っていた。
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