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しっぽや(No.44~57)

side〈SAKURA〉

「新年会、か…」
俺は新郷に抱かれた後、彼の腕の中でそんなことを呟いていた。
「たまには、そんな会に参加してみたくなった?」
新郷は俺の髪を撫でながら、優しく聞いてくれる。
「前に会って、荒木も日野も良い奴だってわかったろ?
 『今時の高校生』ってのにしては、スレてないと思うけどな」
ニヒッと笑う新郷に
「まあ、彼らは学生だから酒を強要されなくてすむし
 俺は酒宴の酌(しゃく)の酌(く)み交わしが、どうにも好きになれなくてな
 大学時代も会計事務所勤務時代も、それで散々嫌な思いをしてきたから」
俺は顔をしかめてみせる。
「羽生の飼い主は教師だ、って言うから生徒の前で飲酒の強要なんてしないと思うぜ
 空の飼い主は大人しそうな奴で、下戸(げこ)っぽいしさ
 空の奴デカい図体してるくせに、あの大人しそうな飼い主に頭上がらないんだから笑えるよな」
新郷は可笑しそうにクツクツと笑い出した。

「空って、あのハスキーか
 彼の飼い主に会ったことあるのか?」
少し驚いて聞くと
「桜ちゃんだって会ってるよ
 たまにしっぽやの階段で、髪が長くて眼鏡かけた大人しそうな人とすれ違うでしょ
 あの人だよ」
新郷の言葉で俺はその人物に思い至った。
「化生の飼い主だったのか
 何度か見かけたから、しつけ教室参加者なのかと」
確かに彼なら大人しそうで、酒を強要してくるタイプには見えなかった。

「桜ちゃんが新年会に参加したいって言えば、ゲンは喜ぶと思うぜ
 せっかくだから釣果持って行きたいけど
 こんな寒い時期に釣りに行って桜ちゃんに風邪ひかせたら大変なんで、釣果自慢は暖かくなるまでお預け」
新郷は俺の髪に優しく口付けた。
「そうだな、鯵(あじ)でも持っていければ、ツミレにして鍋の具になるんだが
 鰯(いわし)のツミレよりクセがなくて美味いからな」
「アンコウが釣れれば、アンコウ鍋になるから俺達尊敬されるぜ」
「素人が深海魚を釣るのは無理だって
 しかし、鰤(ぶり)とは言わなくても、ワラサでも釣れればな」
「だね、切り身にしちまえば鰤と言えないこともない
 長瀞にブリ大根にしてもらいたいぜ」
新郷とたわいない話をしながら過ごす時間が、俺の心を和ませてくれる。
「…ゲンに、新年会に参加したいと伝えるよ
 他の飼い主にも、きちんと挨拶したいしな」
俺は少し照れくさい気持ちで新郷にそう伝えた。
「やった!これであのデカブツに桜ちゃん自慢し放題だ!」
新郷は、俺の言葉に満足そうにニヒッと笑った。



新年会当日、ゲンからはミッションなるものを言い渡されていた。

『お前達へのミッションは当然「魚」
 魚好きをアピールするために趣向を凝らしたもん用意してこいよ
 普通に「塩鱈の切り身」だけだとプライドに関わる問題だと思え
 とは言え塩鱈は鍋の鉄板で良い出汁出るから、少しは用意してくれよな
 鍋に拘(こだわ)らない魚でも、もちろんOKさ』

「自分で釣りに行けないとなると、なかなか難しいな」
正月明けのスーパーでは、オーソドックスな魚しか手に入らなそうだ。
しかし『プライドに関わる問題』と言われると、何か珍しい物を用意したくなってしまう。
「今日は土曜でうちの定休日だし、早めにスーパー行ってゲンのとこで下拵えしよ
 普通の魚でも向こうで刺身にしてやれば、珍しがられるんじゃないの?
 これからどんどん忙しくなるから、その前に息抜きしなきゃ」
新郷に笑顔で言われ
「そうだな、たとえ鯵でも目の前でお作りにすれば新鮮な感じがするかな
 そろそろ通常通り漁に出ている船もあるだろうから、珍しい魚が入荷されているかもしれないし」
俺も笑顔でそう答えるのであった。


「うーん、刺身にするには小振りだな」
俺はスーパーの鮮魚コーナーで、ばら売りの鯵を見つめながら考え込んでしまう。
「いや、これくらいならツミレにすればいいじゃん
 鯵のツミレなんて売ってないから、珍しいよ
 すいません、これツミレにしたいんで、三枚おろし皮引きまでやってもらえますか?」
新郷は手早く鯵を6匹ビニール袋に入れ、お店の人に手渡していた。
魚の処理が終わるまで、俺達は他の物を見て回る。

「塩鱈と、真鱈の白子も買っておくか
 後、鍋になりそうな物は…やはりアンコウか
 オーソドックスだけど、鮭も良いな
 お、ハタハタがある、これは珍しがってもらえるかな」
俺は魚を選ぶのが楽しくなってきた。
「桜ちゃん見て、立派な剣先イカ!お刺身でどうぞ、って書いてあるよ
 これ刺身にしたら、スルメイカより珍しいって」
「チカもあるのか、これは唐揚げにしたら美味そうだ」
気が付くと、カゴの中にはけっこうな量の魚が入っている。
「しまった、調子に乗りすぎたか」
俺が苦笑すると
「食べ盛りの高校生がいるから、平気だよ」
新郷は屈託なく笑う。
俺達は鯵を受け取り会計を済ますと、そのままゲンの部屋に向かうのであった。


集合時間よりかなり早くゲンの部屋に着いてしまったが、チャイムを押すと長瀞が迎え入れてくれた。
「いらっしゃませ、桜様が参加してくださるというので、ゲンはとても楽しみにしているんですよ
 まだ仕事から戻ってきてはいませんが
 私は新年会の下処理があるから、黒谷が早めに上がらせてくれたのです
 日野が喜ぶ物を用意しておいてくれと」
長瀞は穏やかに微笑んだ。
「俺達も準備を手伝うよ、台所を借りても良いかな」
俺の言葉に
「頼りにしております
 お魚を捌くのは桜様と新郷にはかないませんので」
長瀞は笑顔で頷いた。

キッチンに移動すると鍋の準備がされている。
「私たちのミッションは『肉』なので、モツ鍋と鳥ツミレ鍋にしようと思いまして
 それと、食べ盛り対策の鶏唐を作ります」
「そうか、俺達も鯵でツミレを作ろうと思っているんだ
 チカを唐揚げにしたいから、鳥を揚げる前に揚げさせてもらおうかな」
俺は買ってきた物の袋を置く。
「随分用意してくださったのですね
 予算、オーバーしているのでは」
中をあらためた長瀞が恐縮した顔を見せた。
「良いの、桜ちゃんとのお買い物、楽しかったし
 いつも2人分しか買わないから、あれこれ買えて満足」
新郷がニヒッと笑うと、長瀞も納得した顔になった。

「ツミレ鍋に鯵ツミレも入れて良い?
 先に鯵、後で鳥にすれば味の邪魔にならないし」
「良いですね、それならツミレ鍋はあっさりと塩味にしましょうか
 モツは味噌、魚は醤油にすれば味にバリエーションが出ます」
「桜ちゃんが剣先イカのお刺身作ってくれるから、柳葉包丁貸して
 俺は鳥も併せてツミレの用意するんで、長瀞は揚げ物お願いして良いかな
 チカ2パック買ってきた、ビールにあうぜ」
「これがチカ?ワカサギに似ていますね
 丸ごと揚げれば、カルシウム摂取できます
 2パックあるから、1つは唐揚げ粉にカレー粉を混ぜてみましょう」
化生達が楽しげに会話するのを見ているのは、心和む光景だ。
「今回、葉物は白久、根菜は空、シメ物は黒谷が用意してくれます
 皆様が到着するまでに、鍋の出汁を暖めて揚げ物を揚げておいてしまいましょう
 桜様、イカの処理をお願いします」
長瀞に笑顔を向けられ
「ああ、任せてくれ」
俺も笑顔で頷くのであった。


テーブルにカセット焜炉や鍋、出来上がった料理や小皿を並べていく。
そんなタイミングでゲンが帰ってきた。
「ただいまーっと、桜ちゃんも新郷もナガト手伝ってくれてたんだ
 ありがとう、ありがとう」
ゲンは大仰に頭を下げた。
「今夜は終電気にしないで、泊まってってくれよな
 明日も定休日だろ?」
親しく話しかけてくるゲンに
「甘えさせてもらうよ、これから地獄の決算期だ
 その前に命の洗濯しとかなきゃな」
俺も笑顔で答えるのであった。
「歓迎会に出なかったのに、新年会に急に参加してきておかしく思われないかな」
俺は少し気になっていたことを聞いてみる。
「大丈夫だって、んなこと気にするようなみみっちい奴いないから
 化生が心惹かれる奴は、総じて真摯で良い奴なんだよ
 俺も、お前もな」
ゲンは悪戯っぽい顔で笑った。

そうこうしているうちに、次々と参加者があらわれる。
「やあ、今晩は、桜さんですね
 ゲンさんから話は聞いてます
 俺は『中川 智』って言います、羽生の飼い主です
 俺、親が転勤族で高校入るまで転校繰り返してたから『幼なじみ』って関係、すごく羨ましいんですよ
 小中学校の友達とは、疎遠になっちゃっててね」
煌びやかな美少年とともに来た彼は、俺を見て爽やかに笑った。
「今晩は、2人とも、たまに階段で会うね
 新郷って強いんでしょ?空が言ってたよ
 波久礼の師匠も一目置いてるって」
美少年、羽生に興味津々といった様子で凝視された新郷は
「まあ、それほどでもないけどな
 黒谷にゃ、かなわないし」
満更でもない顔で笑っていた。

眼鏡をかけた大きなハスキーの化生と共に来た小柄な青年が
「今晩は、あの、時々しっぽやの階段ですれ違ってましたね
 僕、化生と飼い主だって全然知らなくて
 ご挨拶せずにすいませんでした」
慌てた様子で、ペコペコと頭を下げだした。
「いえ、こちらこそ挨拶が遅れてすいません
 しっぽやの上の階に入っている会計事務所の桜沢慎吾といいます」
俺が挨拶をすると
「僕は樋口一葉と書いてカズハと言います
 ベタな名前ですいません」
彼はまた頭を下げる。
「新郷の兄貴、見てくれ、俺も眼鏡デビューだぜ!」
新郷はハスキーの眼鏡を見て
「ま、ちっとは頭良さそうに見えんじゃん
 でも、その恐ろしい顔で桜ちゃんを怯えさせたらシメるからな」
不敵に笑って見せた。
「俺より波久礼の兄貴の方が、顔怖いじゃん
 俺、癒し系なのに…」
ハスキーは巨体を縮こまらせ、カズハさんの後ろに避難する。

俺は初めての人達との集まりで緊張していた気持ちが、すぐにほぐされていくのを感じていた。
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