しっぽや(No.44~57)
出来上がった料理を次々とテーブルに並べていくと、すぐにいっぱいになってしまった。
「ごめんなさい、普段お客さんなんてこないから
3人だけの食卓だし、大きなテーブル買わなかったのよね」
恐縮するお婆様に
「うちも兄弟と2人の食卓だから、似たようなものですよ
お客が来たとき、テーブルにのりきらない皿はキッチンに置いて、追加で出していきます
お客と言っても来るのは職場の仲間なので、家族のようなものですから」
私はそう言って微笑んだ。
「職場の皆さん、仲が良いのね
日野にも良くしてくださって、ありがとうございます
あの子、そちらで働き始めてから毎日楽しそうなの
本当に感謝しています」
お婆様が改めて頭を下げるので、私も長瀞も慌ててしまう。
「日野様は、とても良い子です
バイトに来ていただけて、私達も助かっておりますよ」
長瀞の言葉に彼女は嬉しそうに、少し誇らしそうに頷いた。
「うわ、今日は凄い豪華!美味そう!
婆ちゃん、長瀞さんも皆野も、うちの事務所の料理上手なんだよ」
ウキウキと席に着いた日野に
「あら、やっぱり、2人とも料理作るのとても手慣れた感じだったもの」
お婆様は笑顔を向ける。
「お掃除までしていただいて、すみません」
日野のお母様に頭を下げられ
「いや、踏み台を使って高所での作業は危険ですからね
いつでも駆けつけますので、遠慮なく呼んでください」
黒谷が晴れやかな顔を見せた。
日野の役に立てたのが、嬉しくて仕方ないのだろう。
皆で囲む食卓での食事は、とても美味しい物だった。
食事の後、黒谷はもう少し掃除をするというので、私と長瀞は食事の後片付けを手伝うことにする。
「お客様にそんなことやらせるのは申し訳ないわ」
慌てるお婆様に
「美味しい夕飯をごちそうになったのだから、これくらいさせてください」
「そちらにお座りになって、何をどこに仕舞えばいいのか指示をお願いします」
私と長瀞は先回りして洗い場を占領する。
あらかた片付け終わった頃、お婆様が私をじっと見つめていることに気が付いた。
私が視線を向けると
「ごめんなさい、貴方を見てると子供の頃飼っていた猫を思い出しちゃって
変ね、若い男の子を見てそんなこと思い出すなんて」
お婆様は苦笑する。
「その猫のことを、可愛がっていらっしゃったのですね」
長瀞の問いかけに、彼女は静かに頷いた。
「背中が黒くて、お腹の白い猫だったわ
最近では『逆パトカー』なんて呼ばれたりしてる柄
とても甘えっこで、夜はいつも一緒に寝ていたの
『完全室内飼』なんて飼い方知らなかったから、車にひかれちゃってね
散歩から帰ってきた直後だったんでしょうね、家の門の真ん前で口から血を流して倒れてた
泣いて、泣いて、あれから私、お別れが怖くて猫を飼えなくなっちゃたのよ」
静かに話す彼女の目には、涙が光っていた。
今でもその猫を愛しているのだろう。
「愛するものとの別れは、辛いものです
突然の事故であれば、なおのこと…」
私の脳裏にお母さんの最後がよみがえる。
土砂降りの雨の中、隣家のかすかな明かりの中で見た光景。
崩壊した寝室、土砂に飲み込まれたお母さんの布団。
幸せだった暮らしを押し流した、魂さえも凍り付きそうな冷たい雨と土砂…
私も、涙を流してしまっていた。
「ごめんなさい、貴方も悲しい別れを経験しているのね」
お婆様が、私を抱きしめて慰めるように頭を撫でてくれた。
その優しい感触に
「お母さん…!」
思わず私は彼女に抱きついていた。
明戸と離ればなれになった孤独の中、狐にやられた傷の痛みに震え、いきなり人の家に閉じこめられて不安に押しつぶされていた私を根気強く介抱してくれたお母さん。
『ここは貴方の家なのよ、ここにいて良いのよ』
そう、何度も語りかけて私を絶望の淵から救い上げてくれた、お母さん。
『みーにゃん、大好きよ』
毎日、そう語りかけてくれたお母さん。
私の愛するあのお方。
私を優しく撫でてくださる日野のお婆様の手は、あのお方の手のように暖かだった。
「よければ、またいらしてくださいね」
別れ際、お婆様はそう言って優しく笑いかけてくれた。
「はい、あの…
今度は兄弟も一緒に来ても良いでしょうか?」
おずおずと問いかける私に
「どうぞ、こんなお婆ちゃんの話に退屈しなければ」
彼女は悪戯っぽい笑顔を向ける。
人間に対して積極的な態度をとる私に黒谷と長瀞が驚いたような気配を向けてきたが、何も言わないでいてくれた。
化生してから、私がこんなに深く人間に気を許したのは初めてであった。
人と関わりたいと化生したことは間違っていなかったのだと、私は暖かな気持ちに包まれた。
日野のマンションを辞した私達は、連れ立って帰路につく。
「お婆様のこと、気に入ったみたいだね」
黒谷の問いに
「どことなく、あのお方に似ているのです」
私は照れながら答えた。
「皆野が逆パトカー柄の猫だと気が付いたようですね
さすがは日野のお婆様、勘の鋭い方です」
長瀞の言葉に黒谷は大きく頷いた。
「でも、僕たちのことを詮索したり怖がったりはしないだろう
あの家の方々は、心地よい気をまとっておられる
それが、悪い気を引き寄せてもしまうのだが…
三峰様の数珠があるので、守りは強化されているよ
日野の大事な家族だ、出来うる限り僕もお守りするつもりだ」
力強い黒谷の言葉には、飼い主の大事な者を守るという使命が感じられた。
飼い主のために何かを出来る黒谷が、少し羨ましかった。
「お婆様に教えていただいたので、私もカボチャと小豆のいとこ煮を作ってみようかな
その前に、圧力鍋を買わなくては」
私がそう言うと
「圧力鍋、便利ですよ
最初は蓋の開け閉めに難儀しますけどね」
長瀞が苦笑を向ける。
「カボチャと小豆か、美味しそうだね」
興味津々といった黒谷に
「美味く作れたら、お裾分けしますよ」
私は笑顔を向けた。
今は飼い主がいなくとも、私には仲間がいる。
同じ喜びと悲しみを分かち合った、魂の片割れがいる。
帰るべき『しっぽや』という場所がある。
あのお方と過ごした時には2度と戻れなくとも、自分の居場所があるということが嬉しかった。
「今夜も冷えますね、早く帰って温かいお茶でも飲みながら、明戸にお婆様のことを教えたいです」
「私はゲンが夕飯に野菜を食べたかチェックしないと」
「僕は帰ったら日野にメールしよう」
それぞれの楽しみを胸に、私達は影森マンションへと帰って行くのであった。
「ごめんなさい、普段お客さんなんてこないから
3人だけの食卓だし、大きなテーブル買わなかったのよね」
恐縮するお婆様に
「うちも兄弟と2人の食卓だから、似たようなものですよ
お客が来たとき、テーブルにのりきらない皿はキッチンに置いて、追加で出していきます
お客と言っても来るのは職場の仲間なので、家族のようなものですから」
私はそう言って微笑んだ。
「職場の皆さん、仲が良いのね
日野にも良くしてくださって、ありがとうございます
あの子、そちらで働き始めてから毎日楽しそうなの
本当に感謝しています」
お婆様が改めて頭を下げるので、私も長瀞も慌ててしまう。
「日野様は、とても良い子です
バイトに来ていただけて、私達も助かっておりますよ」
長瀞の言葉に彼女は嬉しそうに、少し誇らしそうに頷いた。
「うわ、今日は凄い豪華!美味そう!
婆ちゃん、長瀞さんも皆野も、うちの事務所の料理上手なんだよ」
ウキウキと席に着いた日野に
「あら、やっぱり、2人とも料理作るのとても手慣れた感じだったもの」
お婆様は笑顔を向ける。
「お掃除までしていただいて、すみません」
日野のお母様に頭を下げられ
「いや、踏み台を使って高所での作業は危険ですからね
いつでも駆けつけますので、遠慮なく呼んでください」
黒谷が晴れやかな顔を見せた。
日野の役に立てたのが、嬉しくて仕方ないのだろう。
皆で囲む食卓での食事は、とても美味しい物だった。
食事の後、黒谷はもう少し掃除をするというので、私と長瀞は食事の後片付けを手伝うことにする。
「お客様にそんなことやらせるのは申し訳ないわ」
慌てるお婆様に
「美味しい夕飯をごちそうになったのだから、これくらいさせてください」
「そちらにお座りになって、何をどこに仕舞えばいいのか指示をお願いします」
私と長瀞は先回りして洗い場を占領する。
あらかた片付け終わった頃、お婆様が私をじっと見つめていることに気が付いた。
私が視線を向けると
「ごめんなさい、貴方を見てると子供の頃飼っていた猫を思い出しちゃって
変ね、若い男の子を見てそんなこと思い出すなんて」
お婆様は苦笑する。
「その猫のことを、可愛がっていらっしゃったのですね」
長瀞の問いかけに、彼女は静かに頷いた。
「背中が黒くて、お腹の白い猫だったわ
最近では『逆パトカー』なんて呼ばれたりしてる柄
とても甘えっこで、夜はいつも一緒に寝ていたの
『完全室内飼』なんて飼い方知らなかったから、車にひかれちゃってね
散歩から帰ってきた直後だったんでしょうね、家の門の真ん前で口から血を流して倒れてた
泣いて、泣いて、あれから私、お別れが怖くて猫を飼えなくなっちゃたのよ」
静かに話す彼女の目には、涙が光っていた。
今でもその猫を愛しているのだろう。
「愛するものとの別れは、辛いものです
突然の事故であれば、なおのこと…」
私の脳裏にお母さんの最後がよみがえる。
土砂降りの雨の中、隣家のかすかな明かりの中で見た光景。
崩壊した寝室、土砂に飲み込まれたお母さんの布団。
幸せだった暮らしを押し流した、魂さえも凍り付きそうな冷たい雨と土砂…
私も、涙を流してしまっていた。
「ごめんなさい、貴方も悲しい別れを経験しているのね」
お婆様が、私を抱きしめて慰めるように頭を撫でてくれた。
その優しい感触に
「お母さん…!」
思わず私は彼女に抱きついていた。
明戸と離ればなれになった孤独の中、狐にやられた傷の痛みに震え、いきなり人の家に閉じこめられて不安に押しつぶされていた私を根気強く介抱してくれたお母さん。
『ここは貴方の家なのよ、ここにいて良いのよ』
そう、何度も語りかけて私を絶望の淵から救い上げてくれた、お母さん。
『みーにゃん、大好きよ』
毎日、そう語りかけてくれたお母さん。
私の愛するあのお方。
私を優しく撫でてくださる日野のお婆様の手は、あのお方の手のように暖かだった。
「よければ、またいらしてくださいね」
別れ際、お婆様はそう言って優しく笑いかけてくれた。
「はい、あの…
今度は兄弟も一緒に来ても良いでしょうか?」
おずおずと問いかける私に
「どうぞ、こんなお婆ちゃんの話に退屈しなければ」
彼女は悪戯っぽい笑顔を向ける。
人間に対して積極的な態度をとる私に黒谷と長瀞が驚いたような気配を向けてきたが、何も言わないでいてくれた。
化生してから、私がこんなに深く人間に気を許したのは初めてであった。
人と関わりたいと化生したことは間違っていなかったのだと、私は暖かな気持ちに包まれた。
日野のマンションを辞した私達は、連れ立って帰路につく。
「お婆様のこと、気に入ったみたいだね」
黒谷の問いに
「どことなく、あのお方に似ているのです」
私は照れながら答えた。
「皆野が逆パトカー柄の猫だと気が付いたようですね
さすがは日野のお婆様、勘の鋭い方です」
長瀞の言葉に黒谷は大きく頷いた。
「でも、僕たちのことを詮索したり怖がったりはしないだろう
あの家の方々は、心地よい気をまとっておられる
それが、悪い気を引き寄せてもしまうのだが…
三峰様の数珠があるので、守りは強化されているよ
日野の大事な家族だ、出来うる限り僕もお守りするつもりだ」
力強い黒谷の言葉には、飼い主の大事な者を守るという使命が感じられた。
飼い主のために何かを出来る黒谷が、少し羨ましかった。
「お婆様に教えていただいたので、私もカボチャと小豆のいとこ煮を作ってみようかな
その前に、圧力鍋を買わなくては」
私がそう言うと
「圧力鍋、便利ですよ
最初は蓋の開け閉めに難儀しますけどね」
長瀞が苦笑を向ける。
「カボチャと小豆か、美味しそうだね」
興味津々といった黒谷に
「美味く作れたら、お裾分けしますよ」
私は笑顔を向けた。
今は飼い主がいなくとも、私には仲間がいる。
同じ喜びと悲しみを分かち合った、魂の片割れがいる。
帰るべき『しっぽや』という場所がある。
あのお方と過ごした時には2度と戻れなくとも、自分の居場所があるということが嬉しかった。
「今夜も冷えますね、早く帰って温かいお茶でも飲みながら、明戸にお婆様のことを教えたいです」
「私はゲンが夕飯に野菜を食べたかチェックしないと」
「僕は帰ったら日野にメールしよう」
それぞれの楽しみを胸に、私達は影森マンションへと帰って行くのであった。