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しっぽや(No.44~57)

side〈MINANO〉

午後の捜索が長引いてしまい、明戸と一緒にしっぽや事務所に戻ったときには業務終了時間間際であった。
「お帰り皆野、今回は手間取ったみたいですね」
事務所のソファーに座る長瀞が、そう声をかけてきた。
「ただいま、長瀞
 今回は今日中に探し出せないかと思いましたよ」
私はため息混じりに答えた。
「迷子になった途中で犬に追われてパニクったらしくて、思ったより遠くに行っちゃってたんだよな
 想念辿れないし、近場に猫も居なかったから情報も貰えなくてさ」
明戸が肩を竦めて見せる。
「でも、親切なコーギーが情報をくださったので発見できました
 最近は猫と一緒に暮らす犬が増えたので、私たちに友好的な方も多く助かります」
私が微笑んでみせると長瀞も『そうですね』と頷いた。

「うーん、やっぱ俺じゃ細かいとこがよくわかんないよ」
長瀞の隣に座っていた日野が首を捻る。
白久と荒木の姿が見えないので、2人は先に上がったようであった。
長瀞はペンとメモ帳を手にし、日野に何かを聞いていた。
私がそれに視線を向けると
「以前、ハロウィンパーティーの時に日野様のお婆様にお裾分けいただいたカボチャの煮物が美味しかったので、作り方を教わっているのです
 挽き肉あんが絶品で」
長瀞はそう説明してくれた。
「カボチャの煮物…」
あのお方は、小豆と一緒にカボチャを煮るのが好きだったな、と私は懐かしく思い出した。
「よかったら、私にも教えてください」
『人間の年輩の女性が作るカボチャの煮物』に興味のわいた私が聞くと、日野は考え込んだ。
 
「2人とも、今日これから時間ある?
 よかったら家に来て、婆ちゃんに直接聞いてみて
 その方が早いし正確だよ」
笑顔を見せる日野に
「よろしいのですか?」
私は少し驚いて問いかけた。
日野とは今まであまり会話を交わしたことが無かったので、家に招待して貰えるなんて思ってもみなかったのだ。
「うん、婆ちゃん誰かに料理教えるの好きだから喜ぶよ
 長瀞も皆野もイケメンだから、張り切っちゃうんじゃないかな
 『若い人も煮物なんて食べるのね~』なんてさ」
日野は悪戯っぽく笑ってみせた。
「行ってきなよ、俺は中川先生に自伝を添削してもらうから、夕飯は向こうで一緒に食べるかな
 他にも色々習ってきて、今度作って」
明戸にも笑顔で後押しされた私は
「それでは、お言葉に甘えて伺わせていただきます」
日野に頭を下げた。

「…君たち、日野の家に行くんだ…」
黒谷が全身から『羨ましい』というオーラを発し、私と長瀞を見つめていた。
「あ、黒谷も来る?」
日野が慌てて問いかけると
「でも、大勢で押し掛けるとご迷惑じゃ…」
黒谷は上目遣いで伺うように日野を見る。
「黒谷に頼みたいことがあるんだ
 こないだ来てくれたときに頼めばよかったね、って婆ちゃんと話しててさ
 家の用事、やってもらえるかな」
日野に言われた黒谷は
「僕に出来る仕事があるのですね!
 喜んでやらせていただきます!」
張り切ってそう答えていた。


事務所の後片づけを終え、私達は連れだって駅に向かう。
日野の家はしっぽや最寄り駅から数駅先にあった。
日野が電話して聞いておいてくれたので、料理に使えそうな食材を途中のスーパーで買い足した。
影森マンションとは違いエントランスのないマンションにそのまま入り、エレベーターで上がっていく。
日野はチャイムも押さず鍵を使ってそのままドアを開けた。
「ただいまー、お客さん連れてきたよ」
家の奥に向かってそう声をかけると
「どうぞ、上がって
 スリッパは、そこのやつ適当に使って良いから」
私達に向かい笑顔で手招きする。

あのお方と暮らした家以外、人間の住む家に入ったことのない私は、生活感のあるその空間にドキドキした。
下駄箱の上に置いてある木彫りの熊の置物、壁に掛かっている鏡、一輪挿しの花瓶の下には手編みらしきレースが敷かれていた。
間取りは全く違うものの、そんな細々としたところがあのお方と共に過ごした家を思い起こさせる。
「いらっしゃいませ
 あらまあ、皆、イケメンね~」
家の奥から笑顔で私達を迎えてくれた女性を見て、私は愕然とした。
『亡くなる直前の、あのお方と同じ年頃の方?!』
それは『お婆さん』と呼ぶにはまだ早過ぎる容姿であっのだ。
私は思わず
「日野、お婆様だと言っていたじゃないですか」
確認するようにそう問いかけてしまった。
「え、うん、俺の婆ちゃんだけど?」
日野は戸惑ったようにそう答えた。

「今晩は、私は長瀞と申します
 今日は秘伝レシピのご教示、よろしくお願いいたします」
長瀞が頭を下げるので
「初めまして、私は皆野と申します
 いきなり押し掛けてすいません、よろしくお願いいたします」
私も慌てて頭を下げた。
「まあ、ご丁寧にありがとう
 こちらこそよろしくね
 でも秘伝レシピなんて大層なものじゃないわよ」
お婆様は優しく微笑んでくれた。


「日野、僕は何をすればよいでしょう?」
黒谷が所在なさげに日野に問いかけている。
「黒谷には、電球の交換頼みたいんだ
 いつも使ってる高い踏み台、こないだ天板踏み抜いちゃってさ
 低い踏み台しかなくて、俺じゃ届かないんだよ
 天板踏み抜くとか、俺、太ったのかな…」
ションボリする日野に
「高いところの作業なら、お任せください!
 大丈夫、日野はちっとも太ってません」
黒谷は頼もしく頷いてみせていた。
「わざわざ来ていただいて、申し訳ありません
 ヒーちゃん、あの踏み台、貴方が生まれる前から使ってる物だし、寿命だったのよ」
今度は奥から電球を持った女の人が現れた。
『奈緒ちゃん…』
それは、お嫁に行かれたあのお方の娘さんと同じくらいの女の人であった。
日野のような大きな子供がいるようには見えない、若々しい方だ。
『奈緒ちゃんが家に来ると、ネコジャラシでいつまでも遊んでくれたっけ』
私はそれを懐かしく思い出す。
日野の家は、私が無くしてしまったもので満ちていた。


「どうぞ、狭いけれど台所に来てちょうだい」
お婆様の声で私は自分の思考から我に返る。
「若い方のお口に合う物を教えてあげられると良いのだけど」
「あのカボチャの煮物の挽き肉あん、とても美味しかったです」
2人のやりとりを聞いていた私は
「カボチャ、小豆と煮たりはなさらないのですか?」
つい、そう問いかけてしまう。
「あら、よく知ってるわね
 カボチャと小豆を煮るの『いとこ煮』って言うのよ
 家庭によって具は色々変わるみたいだけど、私が母に教わったのはカボチャと小豆だったわ
 そういえば、久しく作ってないわね
 今度作ったら、日野に持たせるわ」
少し驚いた顔のお婆様の言葉を、私は小さく復唱する。
「いとこ煮…」
あのお方の作っていた料理の名前を、初めて知った。
私も明戸も猫だったときはカボチャなど好きではなかったが、小豆は美味しいと思っていた。
あのお方は私達用に、ほんの少しだけ小豆を小皿に取り分けてくれたものだ。
ここに来てから、私は失った幸福を次々と思い出していた。

「挽き肉あんに使うのは、どんなお肉でも良いのよ
 あの時は、前日に作った鶏唐用のもも肉が残ってたから、包丁で叩いてミンチにしたの
 私の料理って、安い材料を適当に色々買ってきて何となく組み合わせて作ってるから、本当は人様に教えられる物じゃないのよね」
お婆様は私達に悪戯っぽい笑顔を向ける。
「経済的で、とても良いことだと思います
 やはり特売品はチェックしないと」
「あるもので工夫出来るのは、凄いことですよ
 メニューにも幅がでる」
私と長瀞の言葉に
「ありがとう
 貴方達、アイドルみたいにキラキラしいのに、落ち着いてるのね
 何だか一緒にいるとホッとするわ」
お婆様はそう言ってくださった。

買ってきた材料を持ち、私達は台所に移動する。
「最近はレンジや圧力鍋を使って時短して料理してるの
 今はストーブとかで暖をとりながら長時間煮炊きしないから、ガス代節約しないと」
その言葉で、私はあのお方がストーブを利用して、豆を煮ていたことを思い出した。
豆だけではなく、根菜の煮物やシチュー、カレーの下拵えも行っていた。
冬でも暖かな部屋に、コトコトと何かの煮える音が優しく響いていたものだ。

「そうですね、煮物は時間がかかりますものね
 私は大豆などは、水煮になっている物を買って楽しています」
苦笑気味に告げると
「あら、大豆を使った料理なんて作るの?」
お婆様は驚いた顔を見せる。
「ひじきと炒めたり、コンソメスープや挽き肉のカレーに入れたりします」
「キュウリやタマネギ、ボイルたこと一緒にドレッシングに漬けておいても、マリネ風で美味しいサラダになりますよね」
私や長瀞が答えると
「和風の煮物や炒め物以外に、麻婆系の炒め物に入れても美味しいのよ
 やだ、男の子と大豆料理の話が出来るなんて、可笑しい」
朗らかに笑い出したお婆様の笑顔は、やはりあのお方を思い起こさせた。

それから私達は夕飯作りのお手伝いをしながら、色々なことを教わった。
『2人とも手際が良いのね、普段からやっている証拠よ』
お婆様に誉められると、私の鼓動は速まった。
それを感じ取ったのだろう。
彼女が席を外したとき、長瀞に
「あの方に、飼っていただきたいのですか?」
そう問われた。
しかし私には、飼って欲しいという感覚とは別な気がしていた。
「そうではないと思います…
 ただ、お婆様といると、あのお方を思い出して暖かな気持ちになるのです
 仮初めとわかっていても、失った場所に帰ったような気がして
 ああ、波久礼が猫と居たがるのも、こんな気持ちなのかもしれませんね
 少しでも、生前の生活を追体験したいのです」
そんな私の言葉に、長瀞は『そうですか』と少し悲しげに微笑んだ。
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