しっぽや(No.1~10)
side〈ARAKI〉
6月、梅雨の晴れ間で久しぶりに傘を持たずにすんでいる土曜日。
俺、野上荒木(のがみ あらき)は高校の授業の後、バイト先であるペット探偵『しっぽや』の事務所へ向かっていた。
いつものように駅からの道を辿って行くと、事務所まで後少しという所で困った顔をした女の子に遭遇した。
小学4、5年生くらいであろうか、辺りをキョロキョロ見回しながら、いかにも『どうしよう』といった表情をしているのだ。
顔立ちは日本人形のように可愛らしく美少女そのもの、ストレートの長い黒髪に、白いワンピース。
何となくゲームに出てくるロリ系のキャラクターのようで、うかつに声をかけたらこっちが犯罪者みたいな感じになりそうなため、俺はそのまま擦れ違うつもりだった。
「あの…」
しかし、美少女の方から俺に声をかけてきた。
「この辺りで、お…
いえ、犬を見なかったでしょうか?」
驚いた事にその声は子供らしくなく、落ち着いた大人のように凛と涼やかな響きをしていた。
「犬?見なかったな~
家から逃げちゃったの?」
犬を探しているとわかると、途端に俺はこの子の事が放っておけなくなった。
今は俺も犬(と言ってしまうのも微妙なのだが…)を飼っているため、人事とは思えなくなってしまったのだ。
「一緒にここまで来たのですが、少し目を離したら見当たらなくなってしまって…」
困惑する美少女の手元を見ても、リードが見られない。
「駄目だよ、散歩する時はきちんとリードに繋がないと」
俺の言葉に
「りーど?」
美少女はキョトンとした顔を向ける。
「犬と散歩する時に使う綱だよ
ちゃんと首輪にリードを付けて、それを引いて歩かないと」
美少女は少し恥ずかしそうに
「いつも私の側にいるから、綱を付けた事は無かったのです…」
小さな声で、そう答えた。
「家の中に居る時と、外は違うからね
自分に馴れてるからって油断してると、迷子になっちゃうんだよ」
子供らしい飼い方に、俺が少し呆れて言うと
「そうでしたか…」
美少女は、ますますションボリしてしまう。
そんな美少女の態度に、俺は更に放っておけない気持ちが湧いてきた。
すぐそこがペット探偵の事務所だ。
『白久の手が空いてたら、俺が依頼してこの子の犬を探してもらおう
小型犬の捜索は苦手だって言ってたけど、この辺でいなくなったのは分かってるから、何とかなるかも』
俺はそう考え
「じゃあさ、お兄ちゃんも一緒に探してあげるよ」
美少女を安心させるように笑ってみせた。
「よろしいのですか?
何と親切な方なのでしょう!
本当にありがとうございます!」
美少女はきちんと頭を下げ、丁寧な感謝の言葉を述べた。
きっと、良い家柄のお嬢様なのだろう。
往来で美少女に頭を下げられて、俺は急に恥ずかしくなってきた。
「いや、大したことじゃないから、いいって
俺の知り合いがペット探偵やってるから、頼んでみるだけだし」
俺は美少女に頭を上げさせ、先にたって歩き出した。
角を曲がり、しっぽやの事務所が入っている事務所が見える所まで来ると、スポーツ選手のように背が高くてスーツの上からでもわかるガッチリした体つきの男が、物凄い形相で走って来るのが目に入った。
灰色の髪に彫りの深い顔立ちのその人は、日本人には見えなかった。
『何だ、あの人』
俺は思わず立ちすくんで、その動向を見極めようとした。
その男は、迷うことなくビルに飛び込んでしっぽやに続く階段を駆け上がって行った。
『?しっぽやの依頼人?
でも、上の階に会計事務所入ってるし、そっちのお客かな?
凄い切羽詰まった顔してたもんな…』
俺はビル内でその人物と鉢合わせするのが、何となく気が引けてきた。
後から付いて来た美少女が、立ち止まっている俺の背中にぶつかる。
「ごめん、もしかしたらお客が来てるかもしれない
少し俺たちで探してみてから、知り合いに頼むよ」
俺が慌ててそう言うと
「はい、わかりました」
美少女は素直に頷いた。
「とりあえず、どの辺まで一緒に来てたのか行ってみようか
っと、何て呼んだら良いかな?
俺の事は『荒木』って呼んで良いよ」
流石に『お兄ちゃん』とは呼ばせられない。
「私の事は『ミイちゃん』と呼んでください、荒木」
美少女、ミイちゃんは嬉しそうにそう答えた。
「じゃあミイちゃん、犬がどこまでついて来てたか
最後に見たのはどこだったか、覚えてるかな?」
俺の問い掛けに、ミイちゃんは少し考え込むと
「駅前商店街のお肉屋さんの前で、メンチカツを揚げるオバサンを見つめて動かなくなっていました
後からついて来ると思って先に進むと、新作アイスのポスターが貼ってあるお店があったので、私はそちらに入ってしまい…
でも、自分は財布を持っていない事に気が付いてお肉屋さんまで戻ってみたら、もう居なくなってたのです」
そう言った。
「リード無しでそんなことしてたら、迷子にもなるよ!」
俺は呆れた声を出してしまう。
「すいません…」
ミイちゃんは恥じたように呟いた。
「それじゃ、お肉屋さんに行ってみようか
店頭で揚げ物してたオバサンがいるんだろ?
どっちに行ったか、見てたかもしれないよ」
俺の言葉に
「成る程!荒木は頭が良いのですね!」
ミイちゃんが感心したような視線を向けてくる。
小学生に誉められても、俺は素直に喜べなかった…
「そうだ、その犬って犬種や毛色は何かな?」
俺は、やっとその事に思い至った。
「犬種?」
ミイちゃんが不思議そうな顔をする。
「犬の種類だよ、あ、ミックスとかだと説明しにくいかな?
大きさとか、毛の長さとか、どんな感じ?」
俺が聞くと
「私より大きいです、と言うか、荒木より大きいですね」
ミイちゃんはごく普通の顔で答えた。
女の子が散歩させていた犬なのでチワワやトイプードルを想像していた俺は、驚いてしまう。
『俺よりデカいって…立ち上がったらって事?
グレートデーンとかボルゾイなんか、凄く大きい犬種だったよな…』
「毛は灰色で、モコモコ?と言うのでしょうか…」
ミイちゃんは考えこんだ。
『大きくて、灰色で、モコモコ?
オールドイングリッシュシープドッグとか?
牧羊犬だから賢いけど、そんな犬がリード付けないでウロウロしてたら、ソッコー保健所に連絡されちゃうよ!』
そう考え、俺は焦った気持ちになっていた。
俺が駅前を歩いていた時は特に騒ぎになっている様子は無かったけど、今頃大騒ぎになっているんじゃ、と心配になる。
「早く探してあげよう!」
俺の言葉に
「はい!」
ミイちゃんは嬉しそうに頷いた。
そんな会話をしている俺の耳に、後ろから誰かが走ってくる足音が聞こえる。
さっき見た外人を思い出し、俺はギクリとして振り返った。
「あれ…?」
走って近付いて来たのは、羽生であった。
黒を基調としたスーツを着ていたが、ネクタイをしていないため堅苦しく見えない。
アイドルのような美少年なので、それは嫌になるほど様になっていた。
『犬探し、手伝ってもらえないかな?』
羽生は今ではしっぽやの所員として働いているので、素人の俺より頼りになるんじゃないか、そう考え
「羽生、悪い、時間あったら少し付き合ってくれない?」
と、声をかけてみた。
羽生は俺に気が付いて、驚いた顔を向けてくる。
と言うより、俺とミイちゃんを見比べて、何だかオロオロしている。
「この子、散歩中に犬が迷子になっちゃったんだよ
探すの、手伝ってくれないかな?」
そう話しかけても
「えっ?あの、その…
でも、そちらはその…」
羽生はミイちゃんを見て、煮え切らない態度をしていた。
「こちらの親切な若者が、犬探しをしてくれると申してくれて
お願いしているのですよ」
ミイちゃんがどことなく強い口調で話しかけると、羽生はビクリと肩を震わせた。
「あの、でも、はぐれ…」
「そう、犬とはぐれてしまったのじゃ」
ミイちゃんは何だか時代がかった言い方で、羽生の言葉を遮った。
6月、梅雨の晴れ間で久しぶりに傘を持たずにすんでいる土曜日。
俺、野上荒木(のがみ あらき)は高校の授業の後、バイト先であるペット探偵『しっぽや』の事務所へ向かっていた。
いつものように駅からの道を辿って行くと、事務所まで後少しという所で困った顔をした女の子に遭遇した。
小学4、5年生くらいであろうか、辺りをキョロキョロ見回しながら、いかにも『どうしよう』といった表情をしているのだ。
顔立ちは日本人形のように可愛らしく美少女そのもの、ストレートの長い黒髪に、白いワンピース。
何となくゲームに出てくるロリ系のキャラクターのようで、うかつに声をかけたらこっちが犯罪者みたいな感じになりそうなため、俺はそのまま擦れ違うつもりだった。
「あの…」
しかし、美少女の方から俺に声をかけてきた。
「この辺りで、お…
いえ、犬を見なかったでしょうか?」
驚いた事にその声は子供らしくなく、落ち着いた大人のように凛と涼やかな響きをしていた。
「犬?見なかったな~
家から逃げちゃったの?」
犬を探しているとわかると、途端に俺はこの子の事が放っておけなくなった。
今は俺も犬(と言ってしまうのも微妙なのだが…)を飼っているため、人事とは思えなくなってしまったのだ。
「一緒にここまで来たのですが、少し目を離したら見当たらなくなってしまって…」
困惑する美少女の手元を見ても、リードが見られない。
「駄目だよ、散歩する時はきちんとリードに繋がないと」
俺の言葉に
「りーど?」
美少女はキョトンとした顔を向ける。
「犬と散歩する時に使う綱だよ
ちゃんと首輪にリードを付けて、それを引いて歩かないと」
美少女は少し恥ずかしそうに
「いつも私の側にいるから、綱を付けた事は無かったのです…」
小さな声で、そう答えた。
「家の中に居る時と、外は違うからね
自分に馴れてるからって油断してると、迷子になっちゃうんだよ」
子供らしい飼い方に、俺が少し呆れて言うと
「そうでしたか…」
美少女は、ますますションボリしてしまう。
そんな美少女の態度に、俺は更に放っておけない気持ちが湧いてきた。
すぐそこがペット探偵の事務所だ。
『白久の手が空いてたら、俺が依頼してこの子の犬を探してもらおう
小型犬の捜索は苦手だって言ってたけど、この辺でいなくなったのは分かってるから、何とかなるかも』
俺はそう考え
「じゃあさ、お兄ちゃんも一緒に探してあげるよ」
美少女を安心させるように笑ってみせた。
「よろしいのですか?
何と親切な方なのでしょう!
本当にありがとうございます!」
美少女はきちんと頭を下げ、丁寧な感謝の言葉を述べた。
きっと、良い家柄のお嬢様なのだろう。
往来で美少女に頭を下げられて、俺は急に恥ずかしくなってきた。
「いや、大したことじゃないから、いいって
俺の知り合いがペット探偵やってるから、頼んでみるだけだし」
俺は美少女に頭を上げさせ、先にたって歩き出した。
角を曲がり、しっぽやの事務所が入っている事務所が見える所まで来ると、スポーツ選手のように背が高くてスーツの上からでもわかるガッチリした体つきの男が、物凄い形相で走って来るのが目に入った。
灰色の髪に彫りの深い顔立ちのその人は、日本人には見えなかった。
『何だ、あの人』
俺は思わず立ちすくんで、その動向を見極めようとした。
その男は、迷うことなくビルに飛び込んでしっぽやに続く階段を駆け上がって行った。
『?しっぽやの依頼人?
でも、上の階に会計事務所入ってるし、そっちのお客かな?
凄い切羽詰まった顔してたもんな…』
俺はビル内でその人物と鉢合わせするのが、何となく気が引けてきた。
後から付いて来た美少女が、立ち止まっている俺の背中にぶつかる。
「ごめん、もしかしたらお客が来てるかもしれない
少し俺たちで探してみてから、知り合いに頼むよ」
俺が慌ててそう言うと
「はい、わかりました」
美少女は素直に頷いた。
「とりあえず、どの辺まで一緒に来てたのか行ってみようか
っと、何て呼んだら良いかな?
俺の事は『荒木』って呼んで良いよ」
流石に『お兄ちゃん』とは呼ばせられない。
「私の事は『ミイちゃん』と呼んでください、荒木」
美少女、ミイちゃんは嬉しそうにそう答えた。
「じゃあミイちゃん、犬がどこまでついて来てたか
最後に見たのはどこだったか、覚えてるかな?」
俺の問い掛けに、ミイちゃんは少し考え込むと
「駅前商店街のお肉屋さんの前で、メンチカツを揚げるオバサンを見つめて動かなくなっていました
後からついて来ると思って先に進むと、新作アイスのポスターが貼ってあるお店があったので、私はそちらに入ってしまい…
でも、自分は財布を持っていない事に気が付いてお肉屋さんまで戻ってみたら、もう居なくなってたのです」
そう言った。
「リード無しでそんなことしてたら、迷子にもなるよ!」
俺は呆れた声を出してしまう。
「すいません…」
ミイちゃんは恥じたように呟いた。
「それじゃ、お肉屋さんに行ってみようか
店頭で揚げ物してたオバサンがいるんだろ?
どっちに行ったか、見てたかもしれないよ」
俺の言葉に
「成る程!荒木は頭が良いのですね!」
ミイちゃんが感心したような視線を向けてくる。
小学生に誉められても、俺は素直に喜べなかった…
「そうだ、その犬って犬種や毛色は何かな?」
俺は、やっとその事に思い至った。
「犬種?」
ミイちゃんが不思議そうな顔をする。
「犬の種類だよ、あ、ミックスとかだと説明しにくいかな?
大きさとか、毛の長さとか、どんな感じ?」
俺が聞くと
「私より大きいです、と言うか、荒木より大きいですね」
ミイちゃんはごく普通の顔で答えた。
女の子が散歩させていた犬なのでチワワやトイプードルを想像していた俺は、驚いてしまう。
『俺よりデカいって…立ち上がったらって事?
グレートデーンとかボルゾイなんか、凄く大きい犬種だったよな…』
「毛は灰色で、モコモコ?と言うのでしょうか…」
ミイちゃんは考えこんだ。
『大きくて、灰色で、モコモコ?
オールドイングリッシュシープドッグとか?
牧羊犬だから賢いけど、そんな犬がリード付けないでウロウロしてたら、ソッコー保健所に連絡されちゃうよ!』
そう考え、俺は焦った気持ちになっていた。
俺が駅前を歩いていた時は特に騒ぎになっている様子は無かったけど、今頃大騒ぎになっているんじゃ、と心配になる。
「早く探してあげよう!」
俺の言葉に
「はい!」
ミイちゃんは嬉しそうに頷いた。
そんな会話をしている俺の耳に、後ろから誰かが走ってくる足音が聞こえる。
さっき見た外人を思い出し、俺はギクリとして振り返った。
「あれ…?」
走って近付いて来たのは、羽生であった。
黒を基調としたスーツを着ていたが、ネクタイをしていないため堅苦しく見えない。
アイドルのような美少年なので、それは嫌になるほど様になっていた。
『犬探し、手伝ってもらえないかな?』
羽生は今ではしっぽやの所員として働いているので、素人の俺より頼りになるんじゃないか、そう考え
「羽生、悪い、時間あったら少し付き合ってくれない?」
と、声をかけてみた。
羽生は俺に気が付いて、驚いた顔を向けてくる。
と言うより、俺とミイちゃんを見比べて、何だかオロオロしている。
「この子、散歩中に犬が迷子になっちゃったんだよ
探すの、手伝ってくれないかな?」
そう話しかけても
「えっ?あの、その…
でも、そちらはその…」
羽生はミイちゃんを見て、煮え切らない態度をしていた。
「こちらの親切な若者が、犬探しをしてくれると申してくれて
お願いしているのですよ」
ミイちゃんがどことなく強い口調で話しかけると、羽生はビクリと肩を震わせた。
「あの、でも、はぐれ…」
「そう、犬とはぐれてしまったのじゃ」
ミイちゃんは何だか時代がかった言い方で、羽生の言葉を遮った。