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しっぽや(No.44~57)

空と約束を交わした翌日、昼で仕事が終わった僕はしっぽやに顔を出した。
1日だけバイトをしたい旨を伝えると
「空から話は聞いてます
 いやー、手伝って貰えるのは助かりますよ
 日野も荒木も試験があるから暫く来れなくて
 その代わり、試験休みは頻繁に来てもらえるんですけど
 朝からずっと、日野と一緒です」
黒谷が顔をニヤつかせてそんな事を言う。

「しつけ教室は土曜日の方が働いている飼い主が参加しやすいので、空の休みは金曜日で良いですか?
 しつけ教室の関係で、あいつにはあまり土日の休みをあげられなくて申し訳ないんだけど」
すまなそうな顔の黒谷に
「いや、うちの店も定休日無いんで、僕も土日はほとんど休めないから
 平日、ゆっくり空とお店巡り出来る方がありがたいんです
 僕、人混み苦手だし」
僕は慌ててそう答える。
「そう言ってもらえるとありがたいですよ
 あ、1日分とはいえ、バイト代はきちんと支払いますからね
 空の面倒みてもらうんですから、それくらいはさせてください」
黒谷が頭を下げてくるので、僕も金銭授受に関して強く断れなかった。

こうして、しっぽやでの僕の初バイトが決まったのだった。




翌週の木曜日の夜、空と待ち合わせてドッグカフェで夕飯を食べる。
すっかり常連になっている僕たちに、親しげな声がかけられた。
近所のペットショップで働いていることが知られているので、新しい商品の情報を求められたりするのだ。
以前の僕は上手く他人とコミュニケーション出来なかったが、今は空が居てフォローしてくれる。
それに、ここに居る人達は犬が好きなのだ。
そんな気安さもあって、この店では僕は自然体で振る舞えていた。
この店に初めて連れてきてくれたのは空だ。
空と知り合えたこと、空と一緒に居られること、僕にはそれが大切な宝物のようであった。

夕飯を終え、影森マンションへの帰り道
「クリスマスメニューのチキン、美味かったー
 この時期、どこに行ってもクリスマスメニューあるのな」
空が満足そうな声を出す。
「デザートのケーキも美味しかったし
 クリスマスは忙しくて一緒に過ごせないから、少し早いけど僕たちのクリスマスだね」
僕が言うと、空は満面の笑みを見せた。
「多分ゲンが『クリスマスパーティーやろうぜ』って言ってくれると思うけどさ
 カズハと2人のクリスマスってのも味わいたかったんだ
 俺のわがまま聞いてくれて、ありがとう」
エヘヘッと笑う空の腕に、僕は腕を絡めて寄り添った。
「僕も、空と2人のクリスマスしたいと思ってた
 休みの間は、ずっとクリスマスってことにしちゃおうか
 クリスマスだって、キリスト教のお祭りの真似だし
 って、本来はまた違うみたいなんだけどさ
 皆、どこかのお祭りの真似して盛り上がりたいんだよね」
舌を出す僕に
「よし!そうしよう!」
空は嬉しそうな笑顔を向ける。

「でさ、今夜は可愛いカズハをプレゼントしてくれる?」
耳元でそう囁かれ、僕は頬が赤くなるのを感じた。
でも思い切って
「僕には、格好良い空をプレゼントしてね」
そう言ってみた。
「俺、うんと頑張るよ」
微笑みながらそう答える空は、すでに十分格好良かった。


空の部屋に帰ると、お湯を沸かす。
「この時期だから、クリスマスティーを色々買ってみたんだ
 今年はどの店のも当たりだと思うよ
 こっちはオレンジピールがメイン、こっちは葡萄
 このバニラのはミルクティーに合いそうだよ
 これ、淹れてみようか」
「うん、甘い匂いがするね」
空が僕の手元に顔を寄せてきた。
その横顔が格好良くて、僕は少し見とれてしまう。
「カズハ、紅茶に詳しいのな」
ニッコリ微笑まれると、今度は可愛くてドキドキする。
「そうでもないけど…
 姉が紅茶好きだったから、一緒に飲んでるうちに少しね
 僕、お酒飲まないし、紅茶くらい贅沢しようかなって
 女々しいね」
僕は照れ笑いを浮かべた。
「ううん、可愛い」
空はそんな僕の頬にキスしてくれた。

ミルクティーを淹れ、空と並んでソファーに腰掛ける。
暖かで和やかな空気に包まれていた。
空がそっと僕に寄り添ってきた。
「これ、美味しいね、甘いもの食べたくなる」
エヘヘッと笑う空に
「明日は部屋でクリスマスしようか、チキンやケーキ買って」
僕はそう提案してみる。
「うん、そうしよう!
 そうだ、クリスマスプレゼントっての渡したいんだけど
 俺一人じゃ買いに行けなくて…
 一緒に選んでもらって良い?
 こーゆーの、サプライズって奴の方が良いのかな…」
おどおどと聞いてくる空に
「じゃあ、僕も空へのプレゼント、一緒に買いに行ってもらおうかな」
そう答える。
「なら、明日はプレゼント買いに行こう!」
空の笑顔で、僕は幸せな気持ちになった。

その夜は空に抱かれた心地よい疲労感の中、翌日の楽しい休日に思いを馳せて暖かな闇へ意識を手放すのであった。




翌日、朝食を食べると僕と空は町に繰り出した。
「どのお店に行きたい?」
僕の問いかけに
「うーんと…実はよくわかんない」
空は困った顔を向ける。
「あのね、俺、カズハのプレゼントに新しい眼鏡が欲しいんだ
 こないだ、うっかり落としたらフレームが少し曲がったって言ってたろ?
 でも、眼鏡屋っていっぱいあるから何が何だか…」
モジモジと言う空に、僕は驚いてしまった。
彼は、僕の言った何気ない言葉を覚えていてくれたのだ。
あまりの嬉しさに、僕は空の腕に抱きついてしまう。
「ありがとう!嬉しいよ!
 確かに、度を合わせないといけないから眼鏡のサプライズプレゼントは無理だね
 いつも利用している眼鏡屋があるから、そこに行こう
 家から近い店だし、受け取りに行くのも楽なんだ」
僕が笑って答えると
「よし!行こう!」
空は勇んで歩き出した。


眼鏡屋に到着すると、平日のせいか店内に他の客の姿は無かった。
ゆっくりフレームを見ていると
「いらっしゃいませ、本日はどういった物をお探しですか?」
店員がそつなく近寄ってくる。
「あの、新しい眼鏡が欲しくて
 以前もこちらで買わせていただいたのですが、度を測り直してもらっていいですか
 ちょっと進んでしまった感じなんです」
僕はそう言ってメンバーズカードを差し出した。
「樋口様ですね
 それではこちらの椅子に掛けてお待ちください
 今、カルテを持って参りますので」
店員はカードを確認し、書類を探し始める。
勝手が全く分からないのだろう、空は所在なさげに僕たちの会話を聞いていた。
「空、ちょっと度を測ってくるから、僕に似合いそうなフレームを探して待ってて」
そう声を掛けると
「わかった!カズハに似合いそうなの選ぶ!」
仕事を与えられた空は、張り切ってフレームを選び出した。

「今までの物ですと少し見え難いようですね」
計測すると、やはり僕の目の悪さは少し進んでいた。
「レンズ、今までのより厚くなりますか?」
「薄く加工されたものもございますので、それならあまり重さに変わりは出ないかと思います」
店員さんの答えに僕は躊躇する。
『特殊加工のレンズだと高いんだよね…』
僕のために、あまり空にお金を使わせたくなかった。

「とりあえず、フレーム選んできます」
空の所に戻ると
「カズハ、目星つけてみた
 動かすと落としそうで怖いから、じっくり見て探したんだ
 後は実際にカズハにかけてもらって、1番似合うやつにしたいな」
空は得意げな顔を向けてくる。
「うん、かけてみるね」
空が指さしていくフレームを手に取り、僕は次々と試していった。
ちょっと派手目なのから地味目のオーソドックスな物まで、空は色々選んでおいてくれた。

「うーん、俺はこれが一番似合うと思うな」
試し終わって空に感想を聞くと、今まで使っている物よりカラフルな感じの物を指さした。
『僕には少し派手かな』と思いながらも、実はかけてみて気になっていたデザインだったので嬉しくなる。
「僕も、これ良いなって思ってた」
「よし、じゃあ、これにしよう!」
改めてそれを手にとって値段を確認してみたら、プレゼントされるには躊躇するような金額だった。
『気付かなかったけど、ブランド物だ
 これに特殊加工のレンズ入れたら、かなりの額になっちゃう』
焦る僕を余所に
「すいませーん、彼の眼鏡、フレームこれにしてください」
空はさっさと店員の元に行ってしまう。

「何か、薄くする加工で重さが変わらないレンズがあるって言ってましたね
 それでお願いします
 え?曇り防止や傷に強い加工もある?
 んじゃ、一番良いレンズにしてください
 なんせ、毎日使うものだからね」
空はどんどん話を進めていく。
店員が書類作成に席を立った隙に
「空、高くなりすぎだよ
 僕も半分お金出すから」
僕は焦って空に話しかけた。
「え?大丈夫だって、この日のために貯めといたから全然予算内!
 眼鏡って20万位するんだろ
 あのお方のサングラス、30万くらいしてたもんな
 てか、組み合わせで色々割り引きしてくれたから、トータル6万だって
 この店、超安いね!」
満面の笑みの空に
『バブルの申し子』
黒谷がよく言っていた言葉が思い出された…

「目が悪くなくてもかけられる眼鏡、ってあるんだって?
 俺もそれ買おうかな」
空が店内を見回しながら言う。
「新郷の兄貴がさ、飼い主とお揃いにしたいって、眼鏡かけてんだ
 あ、新郷の兄貴って、しっぽや事務所の上の階に入ってる会計事務所で飼い主と一緒に働いてる化生
 カズハ、まだ会ったことなかったよね
 生前は熊にも立ち向かった猛者なんだってさ
 波久礼の兄貴も一目置いてるんだぜ」
空の言葉で、僕は何度かしっぽや事務所の上の階に上がっていく真面目そうな2人組を見たことを思い出した。
「あの人たち、化生と飼い主なのか」
まだまだ自分の知らない化生の世界があると、僕は改めて思い至った。
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