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しっぽや(No.44~57)

「でも、夜まで何しようか
 そうだ、着ていく服でも買いに行く?」
「日野に、お婆様に気に入ってもらえるような服を選んでいただきたいです」
そんなことを話し合っていると、部屋の電話が鳴った。

「黒谷だ」
しっぽやの関係者以外電話なんてかけてこないので、黒谷は受話器を取り上げるといきなり名乗る。
「何だ、波久礼か、どうしたんだ?
 …うん、…うん、今?
 構わないよ、暗証番号はわかる?
 じゃあ、待ってるから」
黒谷が受話器を置くと
「波久礼から?しっぽやで何かあったのかな?」
会話の中身が気になっていた俺はさっそく問いかけた。
心配そうな顔をしてしまったのだろう、黒谷は安心させるように微笑んだ。
「いえ、何やら渡したい物があるから部屋に行っても構わないかと
 すぐ帰ると言うので了承しました
 もう、マンションのエントランスまで来てるらしいので、すぐに来ますよ」
黒谷の言葉通り、電話から5分くらいでチャイムが鳴った。

「日野様、お久しぶりです」
部屋に通された波久礼は、大きな体を折り曲げて深々と俺に対して一礼する。
「日野でいいよ、その節は迷惑かけてごめんね
 ミイちゃん元気かな、ありがとうって伝えてください」
俺も頭を下げてそう返す。
「日野が黒谷を可愛がってくださっているので、三峰様は大層お喜びになっていますよ
 こいつ飼ってもらってから、いつもより5割り増しで浮かれてるから」
波久礼にニヤニヤと顔を見られ
「幸せだからね」
黒谷はすました顔でそう言うと、彼の前にカフェオレの入ったカップを置いた。

「実は今日は、日野に渡したい物があってしっぽやに顔を出したんですよ」
波久礼はそう言うと、ポケットから袱紗(ふくさ)を取り出してテーブルの上に置く。
「黒谷も日野も休みだと言われたので、こちらに来ました
 取り込み中かもしれないから、部屋に行く前に電話をかけろ、と荒木に注意されまして
 スマホがあるというのは、こんな時、本当に便利ですね
 あ、お取り込み中ではなかったですか?」
『取り込み中』の意味がよくわかってないだろう波久礼に聞かれ、俺は少し赤くなってしまう。
「いや、大丈夫、ご飯食べた後だったし」
俺が答えると
「それは良かった」
彼は袱紗を丁寧に開き中身を取り出してみせた。
そこには水晶で作られた数珠が2個、納められていた。

「日野のご家族にも、これが必要なのではないかと三峰様がおっしゃいましてね」
キラキラと輝く数珠を前に、俺は気分が高揚するのを感じていた。
『凄いパワー!強力なお守りだ』
「これ、買わせてください!」
俺は思わず波久礼に頭を下げていた。
「日野、それなら僕が買い取りますから
 貴方がお金を払うことは…」
慌てる黒谷を、俺は手で制した。
「これは俺が働いて得たお金で、婆ちゃんと、母さんにプレゼントしたいんだ
 俺が対価を払って、育ててくれた人に渡さないとダメな気がする」
俺の言葉を聞いて、波久礼は満足そうな顔になる。
「三峰様も、そのようにおっしゃっておりました
 相手のことを思う気持ちがこもっているお守りの方が、効果が出る
 日野はそれに気づける聡い方である、とも
 黒谷、お主は良い方に飼われているよ、羨ましい限りだな」
波久礼の言葉に、黒谷は誇らかな顔を見せ大きく頷いた。

「それでは、こちらの代金は来月の給料から天引きの形にいたします
 明細にきちんと明記しておきますので、後日、ご確認ください」
波久礼はそう言うと、数珠を俺に手渡してくれた。
「以前、三峰様がお渡しした数珠は、変わりないですか?」
そう問いかける波久礼に
「大丈夫、変色も変形もしてないよ
 前に持ってた数珠は2ヶ月もするとヒビが入ってきちゃったのに
 あれ、本当に凄いね」
俺は興奮して返事を返す。
「三峰様のパワーが入ってますからね
 それに、今は黒谷が側にいるので貴方の気力も上がっているのでしょう」
波久礼の言葉に、俺は納得する。
黒谷と出会ってから、以前より気持ちが前向きになっていることを自覚していたからだ。

「それでは私はこの辺で、2人の時間を邪魔してすみませんでした」
カフェオレを飲み干し立ち上がった波久礼に
「もう行っちゃうの?」
俺は慌てて言葉をかけた。
遠くからわざわざ数珠を持ってきてくれた彼を、もう少しもてなしたかったのだ。
「これから猫カフェで子猫の譲渡会があるのです
 私はその手伝いを頼まれておりますので」
波久礼は照れた笑顔をみせた。
「日野、こいつは何かと理由を付けてこっちに来ては、猫カフェとやらに入り浸っているのですよ
 気にしなくても大丈夫」
黒谷がニヤニヤと笑いながら波久礼を見る。
「またいずれ、ゆっくり寄らせていただきます」
波久礼はそう言うと、部屋を後にした。


「狼犬だったときの気性が抜けないのか、以前の波久礼は人間に対してもっと警戒心が強く、粗雑で荒々しい雰囲気を纏っていたんです
 これでは飼い主探しなど難しいのではないか、と危惧していました
 しかし彼は猫カフェの『クマさん』と言う方と出会って、落ち着いた感じになりましたよ
 まあ、猫達のおかげでもあるんでしょうが」
波久礼の去った後のドアを見ながら、黒谷が説明してくれた。
「黒谷も、俺と会って変わったの?
 波久礼が『浮かれ具合が増した』って言ってたけど」
そう問うと
「それは、日野のことを考えるだけで顔がゆるむと言うか
 絶えず幸せな気分になってしまいますから」
黒谷は頬を染めて答えた。
「俺もだよ」
最悪な夏を過ごしていたからだろうか、黒谷と出会ってからは見える世界まで違うように思えていた。

「俺が…、和銅でなくても、俺のこと好き…?」
思い切ってそう聞いてみると
「もちろんです!僕は日野をお慕いしております!」
黒谷はキッパリと答えてくれた。
しかし少し不安な表情で
「日野は、和銅の記憶が無くても僕を受け入れてくださったでしょうか…
 今は顔も変わってしまったし…」
おどおどとそんなことを聞いてきた。
それは思いもしなかった問いかけであった。

『黒谷も過去に捕らわれて、不安を感じていたんだ』
そう思うと、切ない気持ちがわいてくる。
俺達は過去がなければ惹かれあわなかったかもしれない。
けれども、そんなものに振り回されて2人の絆を揺るがせるのは、ばかばかしいことのように思えた。
つまらないことは考えず、再び出会えた幸運を享受すれば良い。
むしろ、過去が無くったって俺達は惹かれあったに違いない、と胸を張っていれば良いのだ。
この時、俺は素直にそう感じた。

「黒谷が、黒谷だから好き」
俺はそう言うと彼にキスをして微笑んだ。
「僕も、日野が日野だから好きです!」
黒谷は真剣な顔で言って、俺を強く抱きしめてくれた。
「俺達、これからも過去に捕らわれて迷ったり悩んだりするかもしれない
 でも…」
「お互いを想う気持ちは本物だと
 出会えた今を大切にし、2人で歩んでまいりましょう」
俺が言いたかったことを、黒谷が答えてくれる。
同じ想いにたどり着けた事が、とても嬉しかった。


それから俺は婆ちゃんに電話して、今夜、バイト先の上司を家に連れていきたいと伝えた。
照れくさかったが、とてもお世話になっている大事な人だからきちんと紹介したいと伝えたのだ。

家に行く前に2人で買い物に出かけ、黒谷に似合うジャケットやパンツを買った。
それに合わせてスカーフも選ぶ。
「これは、俺からのプレゼント」
そう言って包みを渡すと、黒谷は幸せそうな顔をして頷いた。
「シロに自慢できます」
大事そうに包みを胸に抱く黒谷が、とても愛おしい。
「荒木が、白久に帽子買ってあげた、って言ってたから
 俺も、黒谷に何か買ってあげたかったんだ」
こうやって1つずつ、思い出を積み上げていこう。
今まで俺は会えなかった時間を埋めようと、必死になっていた。
でも、再び出会えたという事は、そんな事ではない。
過去世なんて関係なくなるくらい、俺達の今を積み上げれば良いのだ。
急がなくったって、時間はまだまだある。
俺は、晴れ晴れとした気持ちになっていた。
「もう、黒谷のこと待たせない
 いつだって、俺が側にいるからね
 寂しくなったら呼んで」
俺の言葉に頷く黒谷の目には、涙が光っていた。


夜7時過ぎ、緊張した面もちの黒谷を連れて家に帰る。
俺も、緊張していた。
婆ちゃんは一目で黒谷のことを気に入ってくれたようだった。
「貴方になら、安心して日野を任せられますね
 私も年を取ってきて、色々と体がシンドくなってきたから
 私に代わって、この子をお願いします」
黒谷にそんな事を言う婆ちゃんは、ホッとした顔を見せていた。

母さんは、俺がプレゼントした数珠を受け取ると泣き出した。
『ちっとも、良い母親じゃなかったのに』と。
確かに、今まで母親らしいことをしてもらった記憶はない。
それでもこの人は俺の母親だ。
自分の体と心が思うようにならない状態を、わかりあえる存在でもあった。
「守ってくれる人が出来れば、気持ちが変わるよ」
俺がそう言うと、母さんは眩しそうに俺を見て
「ヒーちゃん…大きくなったのね」
久しぶりに子供の時のように俺を呼んでくれた。


黒谷とゆっくり過ごせて、自分を見つめ直せた気がする。
過去の自分と今の自分を比較するのは、もう止めよう。
黒谷が居てくれるから、俺は強くなれたのだ。
俺は黒谷と共に今を生きていく。
これからは自分の体も心も、誰かに奪われたりしない。

守られるだけではなく大事な人達を守れるくらい強くなりたいと、俺は心からそう思うのであった。
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