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しっぽや(No.1~10)

side〈SHIROKU〉

しっぽやの新入り、羽生の飼い主が決まった。
私の飼い主、荒木が羽生の化生直前の飼い主を見つけ出してくれたのだ。
それは中川様という、荒木が通う高校の教師であった。
羽生と巡り会えたその日、中川様は仕事の帰りにしっぽやの事務所に来てくださった。
まだ自分の置かれている状況がうまく飲み込めていない顔をしているが、それでも応接セットのソファーに腰掛け、私と黒谷の話を熱心に聞いてくれている。
その膝の上には羽生が陣取り、ピッタリと身を寄せていた。
無意識なのであろうか、中川様はそんな羽生の頭を優しく撫でていた。

「化生…そんな存在が居るんですね」
中川様は感慨深げに呟いた。
「俺はハニー、っと、羽生には恨まれているとずっと思ってました
 無知な子供が命をオモチャにしてしまったと、後悔してばかりで…
 輪廻の輪から外れてまで、人となって共に有りたいと思って貰えていたなんて、本当に驚いております」
中川様に笑顔を向けられ、羽生も笑顔を返す。
もしも羽生が猫の体であれば、部屋中にのどを鳴らす音が響き渡っていたことだろう。

「その、羽生を飼ってやりたいのですが、俺の今住んでいるアパートはペット禁止なんですよ
 いや、今の羽生は猫ではないけど、実はあそこ、独身者専用アパートなんです
 俺の職業は知られているので、こんな少年と一緒に暮らす訳にはいかなくて
 もう少し給料が上がって、広いアパートに引っ越せるまでこちらで預かって貰えないでしょうか?」
中川様がそう言うと、羽生は悲しそうな顔になった。
「せっかく人になったのに、それでもサトシと暮らせないの?」
中川様は羽生を安心させるよう、その目を覗き込み
「ごめんな、必ず一緒に暮らせるよう、俺、頑張って働いてお金貯めるから
 それまで少しの間、待っててくれな」
優しく話しかけた。

「ひとつ、こちらからもお願いがあるのですが、よろしいでしょうか?」
黒谷が改まって中川様に問いかける。
実は、中川様の職業が判明した時から、黒谷と私で考えていたことがあるのだ。
「僕達は人を模していても、なかなか人の世の常識とやらが理解出来ません
 それどころか、読み書きが覚束ない者も多いのです
 それでは、飼い主のお役に立つのも難しいでしょう
 僕達に『人の世』というものを教える教師になっていただきたいのですが、どうでしょうか」
頭を下げる黒谷に中川様は
「空いた時間で良ければ、それくらいお安いご用ですよ」
そう、快く請け負ってくれた。
黒谷と私はホッとして顔を見合わせる。

「そうであれば、教室として使用出来る部屋があった方が都合が良いのです
 この近くに僕達が暮らしている『影森マンション』があります
 最上階は職員寮として使っておりますが、下の階は一般の方にもお貸ししているのです
 住居を影森マンションに移していただけないでしょうか?
 家族向けの4部屋タイプが空いておりますのでそこに越してきて、その1室を教室とし学校のようなものを開いていただければ、と考えております」

黒谷の提案に
「影森マンションって、そこの大きな建物のことですよね?
 俺の給料では、とても家賃を払い切れません」
中川様は慌てて手を振ってみせた。


「授業をしていただけるのであれば、家賃は格安にいたします
 本当は只でもよろしいのですが『世間体』と言うものがあるとか
 人の世はややこしいことばかりですね
 『訳あり物件に格安で住んでいて、時折趣味の仲間が集まっている』ということにしておけ、と不動産屋が言っておりました
 すいません、僕にはよくわからなくて」
黒谷が困ったように頭を下げる。
もちろん、私にも意味はよくわからないけれど
「この事務所の下の階に不動産屋が入っておりますので、詳しくはそちらにお尋ねください
 こちらの関係者なので、良いようにやってくれるはずです
 影森マンションはペット可物件にございます
 家族向けの部屋なので、誰かと一緒に暮らすことも、可能なのですよ」
そう、中川様にお伝えする。

中川様はハッとした顔を羽生に向け、それから私を見ると
「じゃあ、そこに引っ越せば、羽生と暮らせるんですね」
明るい顔をしてそう言った。
羽生はまだ状況が飲み込めず、キョトンとした顔をしている。
「羽生のこと、よろしくお願いします」
頭を下げる黒谷と私に
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
中川様も、ペコペコと頭を下げてきた。

「羽生、すぐに中川様と一緒に暮らせるようになりますよ」
私がそう言うと、やっと羽生にも状況が飲み込めてきたようだ。
「サトシと、ずっと一緒に居られるの?」
期待に満ちた顔で、黒谷と私の顔を見比べる。
「中川様さえよろしければ、来週中にでも越してきていただけるよう手配しましょう
 羽生、中川様の言うことを聞いて、きちんと勉強しなさい
 中川様のお役に立つためには、まず日常生活のルールや、字を覚えなければね」
私の言葉に
「うん!俺、サトシの言うこと、ちゃんと聞くよ!」
羽生は満面の笑みで答えるのであった。

「いやー、羽生のお守りを代わってもらえるのは助かります
 こいつ、まだチビで甘えっこだから顔の側で寝たがって、胸の上にのってくるから、一緒に寝てると苦しくて」
黒谷が少しおどけたように言うと、中川様は
「一緒に寝てるんですか」
顔を赤らめてそう尋ねた。
黒谷に目配せされた私は中川様の側に移動すると、耳元に
「羽生は化生する直前の世で発情期がくる前に死んでしまったので、なかなか自分の体の変化に気が付かないと思います
 まだ先の話になるでしょうが、中川様さえお嫌でなければ契ってあげてください
 私達は飼い主と契る事を、何よりの誉れと感じておりますので」
そう、小声で囁いた。

「契るって…」
中川様は、真っ赤になって言いよどむ。
「何?」
羽生はそんな中川様の顔を、不思議そうに眺めている。
「そのうちわかるよ
 準備が整うまで、もう少しクロのところに居なさい」
私はそんな羽生の髪を優しく撫でた。
羽生に不安そうな顔を向けられ
「大丈夫、すぐ迎えに行くよ
 今度はずっと一緒に暮らそう」
中川様は赤くなったまま、安心させるように力強く頷いてみせる。
羽生は甘えるように中川様に額を擦り付けて
「うん!ずっと、ずっと一緒に居ようね!」
嬉しそうにそう言った。


本当に、羽生は良い人に飼っていただけたと、私は心からそれを祝福するのであった。
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