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しっぽや(No.44~57)

side〈Dr.KAZU〉

ボクの一族は医者が多い。
お爺ちゃんも、お父さんも、叔母さんも、叔父さんも医者だし、従兄弟達は医者になるため医大を受験すると言っている。
ボクはまだ、将来のことは考えていない。
でも、お父さんが院長をしている秩父総合病院ではなく、独立して秩父診療所をやっている貴弘(たかひろ)叔父さんのことは尊敬していた。

『お金のない人にも医療の恩恵を受けてもらいたい』

タカ叔父さんの言葉は、小学生のボクにはとても立派な言葉に思えた。
ボクが医者になるとしたら、タカ叔父さんのような医者になりたい。
タカ叔父さんは、ボクの憧れの人だった。

タカ叔父さんはお父さんの弟だけど、お父さんとは年が離れている。
叔父さんと言っても、ボクと17歳しか違わないので、何だか少し年上のお兄さん、って感じなのだ。
太っているお父さんと違い、タカ叔父さんはスマートだし背が高いし、目が大きくてマツゲが長くて、顔だって格好良かった。
タカ叔父さんが診療所を開くとき、お父さんも叔母さんもあまり良い顔を見せず、お爺ちゃんは猛反対していた。
それでもタカ叔父さんは一人で頑張って診療所を開いたのだ。
診療所はタカ叔父さんの城だった。

ボクは診療所に遊びに行くのが楽しみだった。
患者さんが居ないときは、タカ叔父さんはボクの話し相手になってくれる。
ボクはタカ叔父さんとお話しできることが、嬉しくてしかたなかった。
ただ、なぜだか診療所ではサングラスをかけて付けヒゲを付けていた。
『せっかくハンサムなのに台無しじゃないか』
ボクが不満を口にすると
『僕の顔じゃ、ここでは迫力出ないんだよ』
タカ叔父さんは困ったように笑っていた。


「用心棒?」
すっかり顔見知りになっている秩父診療所の看護婦さんが、今度から用心棒を雇うことになったと教えてくれた。
「秩父先生にとても心酔していてね、子分みたいなのよ
 背が高い人だけど怖くないから、カズ君もきちんと挨拶してね」
そう言う看護婦さんに
「タカ叔父さんの一番の子分はボクだよ!」
胸を張って言ってやったのに大笑いされて、ボクは気分を害してしまった。
『どっちが一番の子分か勝負してやる』
そう息巻いていたボクだったけど、彼を見てそんな思いは吹き飛んでしまう。


「ハナちゃん、この子は僕の甥っ子で『和弘(かずひろ)』って言うんだ
 来年は中学生だったか、早いもんだな
 カズ、こちらは親鼻さん
 うちの用心棒件雑用係ってとこかな」
紹介された人は、タカ叔父さんより背が高くて、ガッシリしているのに太ってなくて、タカ叔父さんよりずっと男らしいハンサムだった。
お父さんみたいに白髪の混じった髪だったけどくたびれた印象はなく、それはとってもキレイに見えた。
「こんにちは、カズ君
 私は親鼻と言います、どうぞ『ハナちゃん』と呼んでください
 これからこちらで働かせていただくことになりました
 よろしくお願いします」
彼は子供であるボクに丁寧に頭を下げた。
その声は凛として、ボクの胸にとても清々しく響いた。
「あ、あの、あの、秩父 和弘です!」
ボクは胸がドキドキして名前を告げるのが精一杯、それ以上彼に言葉をかけられなかった。

家に帰ってもずっとずっと、彼のことばかり考えていた。
彼に『カズ君』と呼んでもらえたことが嬉しくて、頬が熱くなってしまう。
タカ叔父さんに呼んでもらえたって、こんなに嬉しくなった事はない。
こんな気持ちは、初めてだった。
あろうことか、ボクは男である『ハナちゃん』に一目惚れしてしまったようだ。
それはボクの初恋、と言えるものであった。



それからのボクは、今まで以上に秩父診療所に通うことになる。
お茶の時間にお邪魔して、ハナちゃんと一緒にお煎餅なんかを食べるのが、本当に楽しみだったのだ。
「カズ君、ハナちゃんとどっちが秩父先生の一番の子分か勝負するんじゃなかったの?」
からかうような看護婦さんの言葉に
「ボクは用心棒じゃなくて、医者になるんだ
 勝負の舞台が違うよ」
ボクはもっともらしく言ってみる。
「カズ君は秩父先生のようなお医者様になるのですね
 とても立派です
 私は秩父先生の医療のお手伝いが出来ません
 沢山勉強してお医者様になったら、どうか秩父先生のことを助けてあげてくださいね」
ハナちゃんはとても優しい顔でボクのことを見てくれた。
ハナちゃんはボクが子供だからといって、バカにするような態度は絶対にとらない。
いつもボクを一人前の大人のように、丁寧に扱ってくれるのだ。
ボクはますますハナちゃんのことが好きになっていった。

『医者になったボクの隣に、用心棒としてハナちゃんが居てくれたら…』
ボクはいつしかそんなことを考えるようになっていた。
その頃から、漠然としていた『医者になる』という夢は強固な物に変わっていった。




高校生になっても、僕の秩父診療所通いは続いていた。
秩父診療所は大きなスポンサーを得たとかで、大きく建て替えられていた。
「年が明けたら医大の入試だろ?
 浪人なんかするなよ」
診療所のお茶の時間、タカ叔父さんがニヤニヤしながらそう言ってきた。
「カズ君は優秀な方ですので大丈夫ですよ」
ハナちゃんはボクを励ますように微笑んでくれる。
カステラを口にしながら
「ヒロ兄にも勉強教えてもらってるし、バッチリだよ!」
ボクは強がってそう言ってみた。
「あー、弘樹は一発合格だったもんな
 姉貴も鼻が高いだろ」
タカ叔父さんは腕を組んで頷いた。
「カズ君だって、一発合格とやらになりますよ」
ハナちゃんが力強く頷いてくれるので
「頑張ります!」
ボクは頬が赤くなってしまった。

「カズ、お前、ハナちゃんには素直なのな
 チビの頃は僕に懐いてたのに」
タカ叔父さんは少し顔をしかめた。
「カズ君はきっと、犬が好きなのではないでしょうか
 犬、特に大型犬、お好きではないですか?」
ハナちゃんに聞かれ、ボクはビックリしてしまった。
「うん!好き!前にヒロ兄が秋田犬飼ってたの、すごく羨ましかったんだ
 よく触らせてもらいに行ってたよ
 何で分かるの?」
診療所ではそんな話、したことなかったのに、と不思議に思ってしまう。
「何となく、わかりますよ」
優しく笑うハナちゃんの笑顔に
『ボクのこと分かってくれるんだ!』
自分の中で、彼に対する想いが強まっていくのを感じていた。


医大合格の報告を胸に、ボクは秩父診療所を訪れた。
いきなり切り出して驚かせてやろうと、タカ叔父さんとハナちゃんの姿を求めてこっそりと診療所内を移動する。
ドアの隙間からの微かな気配に覗いてみると、2人は人気のない資料室にいた。
とても親密な雰囲気でピッタリと寄り添っていたため、ボクは声をかけそびれてしまう。

「ん…ハナ…ちゃ…」
チュッと湿った音とともに、タカ叔父さんの甘やかな息遣いが聞こえた。
『え?!もしかして、キス、してるの?』
テレビの中でしか見たことのないシーンに、ボクの鼓動は一気に速まった。
「秩父…先生…」
ハナちゃんがこれ以上ないほど優しく、愛おしそうにタカ叔父さんを呼ぶ。
その間も、ピチャピチャという淫靡で湿った音が続いていた。

「これ以上は帰ってから、今はお預け」
タカ叔父さんがクスリと笑いながら言うと
「かしこまりました」
ハナちゃんは名残惜しそうに唇を離した。
「愛しております、秩父先生…」
全ての想いがこもったハナちゃんの言葉を受け
「僕も愛してる、親鼻…」
タカ叔父さんがもう一度、ハナちゃんに軽くキスをする。
ボクは居たたまれない思いを感じ、その場から足早に立ち去った。

何故、今まで気が付かなかったのか、自分のバカさ加減が嫌になる。
2人は、診療所を建て直す前から一緒に暮らすようになっていた。
その頃からタカ叔父さんは何だかキレイになってたし、ハナちゃんはボクに向けるものより遙かに優しい瞳でタカ叔父さんを見ていた。

ボクは、これ以上ないくらい、完璧にハナちゃんに失恋したのだ。



学業が忙しい、という理由を付け、ボクは秩父診療所にあまり顔を出さなくなった。
中核派だ内ゲバだと騒がしくなっていく校内を余所に、ボクは研究に没頭する。
何かに集中していないと、2人の事を思い出してしまい気分が沈んでしまうのだ。
おかげで成績も良く、博士論文の評価は上々だった。
「さすが、秩父君の息子さんだ」
教授の中には父と共に学んだ者もいたので、ボクは大学に残り研究をする事を勧められた。
いっそ、そうして教授職を目指すのも悪くないと思ったが、ボクの根底には

『お金のない人にも医療の恩恵を受けてもらいたい』

そんなタカ叔父さんの思想が流れていたのだ。


結局ボクは医者になり、秩父診療所で働く道を選んでしまった。
祖父にも父にも散々反対されたが、秩父総合病院はヒロ兄に継いでもらうことで決着がついた。


「カズ君が秩父診療所で働いてくれる日を、心待ちにしておりましたよ」
久しぶりに会ったハナちゃんは、以前と変わらない笑顔でボクを迎え入れてくれた。
「ご無沙汰しております」
ボクが頭を下げると
「カズ、よく来てくれたな
 親父も兄貴も、カンカンだったろ
 ありがと、ありがとな」
タカ叔父さんは涙を溜めた瞳でボクを見て、抱きしめてくれた。

2人に対する嫉妬の念が消えた訳ではない。
それでもボクは、純粋にこの診療所で働けることが嬉しいと感じられた。
未練がましくはあったが、ハナちゃんの側で働くことは、ボクの夢だったのだ。
それに、昔ながらの地域の人に必要とされる診療所勤務に、総合病院では味わえない満足感も感じることが出来ていた。
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