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しっぽや(No.44~57)

side〈KUROYA〉

僕たちは秩父先生の提案で、迷子のペット探しを生業にしつつあった。
もちろん、それだけで生計を立てられるわけではなかったので僕や白久、新郷といった犬達は日雇いの仕事も平行して続けていた。
しかし、工事現場に出かける回数は以前の半分くらいで時間的には余裕が出来て、優雅な生活を満喫しているといっても良かった。


僕たちが明け方に工事現場から戻ってくると、借りているアパートの前に人影があった。
それは酷く儚げな気配で、僕たちはそこに誰かがいることに暫く気が付かなかった。
「あれ、親鼻じゃないか」
アパートの扉の直前まで来たところで、やっと僕がその気配に気が付いた。
彼は深々と僕たちに頭を下げた。
その髪は白久のように真っ白で、目尻や口元には疲れたシワが刻み込まれている。
「どうしました親鼻、貴方ずいぶんと気配が薄い」
白久が緊張した声を上げる。
「とにかく、部屋に上がってよ」
僕は焦って親鼻を部屋に通す。
白久と新郷も心配そうな顔でついてきた。


「秩父先生がお亡くなりになりました」
差し出した座布団の上にきちんと正座した親鼻は、開口一番にそう言った。
僕たちは誰も言葉が出なかった。
「胃ガンでした」
その言葉の意味を正確に理解できたのは、白久だけだったと思う。
僕と新郷はそれがどんなに重篤な病気であるのか理解しきっていなかったが、白久は辛そうな顔で唇を噛んでいた。
「私は、あのお方の病気に対し、何もして差し上げることが出来なかった…」
親鼻は静かに涙を流した。
「けれども私は、最後まであのお方に寄り添い、あのお方の望みを叶えられたのです
 診療所と私の行く末を案じておられたあのお方の、意向に添った事後処理を行うことが出来たのです」
泣きながらも力なく微笑む親鼻は、自然と秩父先生のことをあのお方と呼んでいた。

「診療所はあのお方の甥ごさんが継いでくれることになりました
 私も子供の頃から知っている、良い子です
 カズ君なら、きっとあの診療所を良い方向に経営してくれるでしょう
 あのお方の死後、遺言書に従って私は全ての処理をやり終えました
 生前から弁護士さんに相談し私が処理出来るよう、あのお方が手配してくださったのです
 あなた方の健康診断も今まで通り続けてもらえるようにしておきました
 ただ、医学は進歩しております
 詳細な検査を受け人間との差異を発見されると困るので、本当に通り一遍の検査のみに限定してあります
 けれど、怪我をしたり病気になったりした化生が出たら、迷わず受診させてください
 きっと、カズ君が良くしてくださいますから」
親鼻はそこまで告げると、正座している体勢からゆっくりと崩おれた。
伝えるべき事を伝え終わった安堵感で、力が抜けたのだろう。
彼の気配は、ますます薄まっていった。

「親鼻!」
僕は彼の体を抱き抱えた。
その存在は既に消滅しかかっており、重さはほとんど感じられなかった。
「あのお方は最後まで、私と巡り会えて良かったと言ってくださいました
 私の存在が、あのお方の人生にとってどれほど意味のあるものであったか
 どれほど、私を愛してくださったか
 死の床につき痛みに耐えながらも、あのお方は私を必要としてくださいました
 私の手を握り、最後まで側に居てくれと」
親鼻の言葉は、どんどん小さくなっていった。
僕たちはほとんど、その気配によって意思を読みとっているようなものだった。

「私は、その願いを叶えることが出来ました
 最後の瞬間まであのお方の手を握り、愛していると伝えることが出来たのです
 あのお方を、孤独に旅立たせることなく、最後まで…」
親鼻の言葉は孤独に和銅を死なせた僕には、とても羨ましいものであった。
「私はあのお方の望みを叶えることが出来た
 孤独な死から、あのお方を守ることが出来たのです
 あのお方亡き後の診療所を、きちんとカズ君にお渡しすることが出来た
 あのお方の大事な診療所を守ることが…」
涙を流しながら、親鼻は誇らしげに笑った。

「あのお方をお守りできた…
 化生出来て、あのお方と巡り会えて良かった…
 そして黒谷、白久、新郷、化生して出来た仲間が貴方達で良かった…」
僕の腕の中で、親鼻の輪郭が徐々に薄くなっていった。
「親鼻!僕たちも、君と仲間で良かった!
 君が仲間で、とても、とても誇らしいよ!」
僕の叫びは親鼻に届いたのだろうか。
「ああ…秩父…先生…側に居て…くださったの…です…ね…」
最後に親鼻はもう一度笑ったようだった。
腕の中の親鼻の存在が、空気に溶けるように消えていく。

彼の着ていた服だけを残し、親鼻という存在は消滅した。
僕も白久も新郷も、静かに泣きながらそれを見守るしかなかった。


明け方の光を浴び散ってゆく、幸せな化生の最後を見守ることしか出来なかったのだ。






「親鼻と秩父先生が残してくれたものは、とても大きなものでした
 彼らが居なければ、僕たちはこれほどまでに時代にそって暮らしていけなかったでしょう
 もちろん、ゲンの功績によるものも多々あります
 けれども今、『しっぽや』があるのは親鼻と秩父先生、2人のおかげだと思ってます
 もし、ゲンが長瀞の飼い主になったとき秩父先生がご存命であれば、ゲンの良きアドバイザーになってくださったでしょうね
 今のゲンが他の飼い主にとっての良きアドバイザーであるように」
僕は親鼻と秩父先生、2人の長い物語の締めくくりを告げた。


腕の中の日野は、涙を流していた。
「俺が死ななければ、戦後、黒谷達を導けたのかな
 時代に沿った生活というものを、送らせてあげられたのかな
 いや、何の学もない寺小姓にそんなこと出来なかったよね
 君達を導けた秩父先生って人が、羨ましい
 そして、彼が居てくれて、本当にありがたいと思ったよ」
日野はしっかりと僕に抱きついてきた。

「『しっぽや』があったからこそ、貴方が帰ってこれる場所を作れた
 『しっぽや』があったからこそ、飼い主と巡り会えた化生がいる
 形は違ってしまいましたが、『しっぽや』の案を出してくれたのは貴方なのですよ
 和銅の存在もまた、『しっぽや』にとって無くてはならないものだったのです」
僕は愛しい飼い主を抱きしめながら、静かにそう告げる。
「今度こそ、僕に貴方を守らせてください
 僕も親鼻のように、飼い主を守りきって消滅したい」
僕の言葉に
「うん、守って黒谷
 俺も、今度こそ飼い犬に守られながら最後を迎えたい」
日野は僕の胸に顔を押しつけながら嗚咽をもらした。

日野は暫く僕の胸に顔を埋めていたが
「でも、それはまだまだ先のことだからな!
 俺達これから、もっともっと楽しい時間を過ごすんだ
 よし、手始めに朝ご飯は松野屋の朝定食食べに行こう!
 朝からガッツリ幸せご飯だ」
そう宣言すると顔を上げ、ニッコリと微笑んだ。
「はい!どこへでもお供させていただきます
 そして何なりとご命令ください」
僕も飼い主に笑顔を向ける。
僕達は唇を合わせ、しっかりと抱き合った。
それは、愛しい者の存在を強く確認する儀式のようにも思われた。


僕と日野の関係は、まだ始まったばかりと言っていい。
親鼻と秩父先生が築いた長く深い絆を、僕達もきっと築いてゆけるだろう。

親鼻と秩父先生が化生の行く末を見守ってくれている気がして、僕はいつも心の片隅で2人に感謝を伝えるのであった。
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