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しっぽや(No.44~57)

三峰様の出資を受け、秩父診療所は新しく大きく建て直された。
医師や看護婦、事務員の数も増え、薬剤師も新たに迎え入れた。
自室にしていた部屋も診療所として使えるようにし、ベッドを6床ほど用意して、あまり重篤でない入院患者を受け入れることにもなったのだ。
医療機器も少しずつ揃え、病院に引けを取らない診療所となっていった。
私は正式に事務職に就き、秩父先生のために働いた。


私と先生の自宅は、診療所の側に戸建てを用意した。
「出資金でカラーテレビも買っちゃった
 ちょっと甘えすぎちゃったかな」
舌を出す秩父先生に
「良いのですよ、お古のテレビは黒谷達の引っ越し祝いになったのですから
 彼ら、アパートの2部屋を自分たちだけで占有出来ることを、とても喜んでました
 新入りも、気兼ねなく仲間にとけ込めます」
私は笑顔で答えた。
「新入りに、長毛種の猫の化生がいたね
 犬の化生しか見たことがなかったから、驚いたよ
 最近、洋猫混じりの野良猫見かけるもんね
 何だか、豪勢な時代になったなー」
「私も猫の化生など初めて見ました
 いずれ、西洋の犬の化生なども現れるかもしれませんね」
私たちはよく、移りゆく時代の事を語り合った。
秩父先生は、私たち化生が人の世にとけ込めるよう色々なことを教えてくださった。
激しく変動するこの時代、秩父先生がいなければ化生という存在が町中で飼い主を見つけるなど不可能であったろう。
私が秩父先生に飼っていただけたことは、仲間達にとっても僥倖だったのだと思うと、とても晴れがましい気持ちになれたのだ。


「君たち、本当は『何でも屋』やりたかったんだってね」
休診日に遊びに来ていた黒谷に、秩父先生がそう語りかける。
白久は先生の書棚から借りた医学書を、熱心に読んでいた。
新郷は紅茶とともに出されたケーキを夢中になって食べている。
昔の仲間が集まったこの空間は、私にとってとても懐かしく、居心地の良いものであった。
「そうですね、戦争が終われば僕たちにも出来る雑多な仕事を頼んでもらえるんじゃないかと、亡くなった飼い主が言っていたもので
 ただ、どうすればそれを生業と出来るか、獣である僕たちにはその方法が分からなくて
 指示された通りに働けばいい、資格や戸籍の必要のない工事の仕事が僕たちには性に合ってます
 ただ、工事の仕事は猫達には大変なようで
 何だか周りにも変な目で見られるし…
 長毛種もいるから、目立つのかな」
黒谷は難しい顔をして考え込んだ。

「君たちより、猫の化生は煌びやかな顔立ちだからね
 男ばかりの中で働くのは、ちょっと危ない面もあるかも」
秩父先生も考え込む。
「猫って、小柄だもんな
 力仕事に向いてないんだ」
銀紙に付いたクリームを舐めとった新郷が、やっと顔を上げる。
「いや、力仕事って言うか、何というか
 君たち、本当に自分の外見に無頓着なんだね」
苦笑する秩父先生を、新郷はキョトントした顔で見つめていた。
「ハナちゃんは分かる?」
秩父先生に聞かれ
「猫達より、先生の方がお可愛らしいですよ」
私は真面目に答えてみせた。
「飼い主が居てもこの感覚とは、こんなオジサン相手に何言ってんだか」
先生は照れた笑顔を浮かべた。

「君達、警察犬みたいに鼻が利くなら『探偵』とかやるの格好いいと思うんだけどな」
先生の言葉に、皆は顔を見合わせる。
「『探偵』って、モジャモジャの頭掻いたり、顔からベリベリーって何か剥がしたりする人?」
新郷が首を傾げる。
「あの、『推理』と言うのが僕たちには出来ませんよ
 人間が何を考えているのか、深いところはわかりませんから」
「人間より気配には敏感ですが、犬の時と比べたら嗅覚は落ちています
 匂いを辿って犯人を捜す、ということは私たちには出来ません」
黒谷も白久も苦笑する。

「うーん、そっかー
 でも、探偵小説とかだと大抵最初の仕事は迷子の犬猫探しなんだよね
 それならどうかな?」
先生のひらめきに
「ああ、今でも同犬種なら、かなり深く想念を通わせられるから探し出すことは可能かもしれませんね」
黒谷が頷いた。

「でも、そんなこと頼んでくれる人間がいるのでしょうか」
首を傾げる白久に
「犬猫が犬猫探しの探偵をやる、面白そうじゃないか
 そうだ、飼い猫が3日も帰ってこないって落ち込んでる患者さんがいたんだ
 その人の猫、見つけてあげてくれないかな?」
先生は明るい顔を向けた。
「では長瀞に頼んでみましょう
 彼は生前、複数の猫と暮らしていたらしいので、同種でなくとも意志疎通出来るかも」
新しい試みに、皆の気持ちが浮き立つのが感じられた。


後日、長瀞という猫の化生は件の猫を見つけだし、飼い主に大層感謝された。
こうして彼らの仕事は少しずつ、犬猫探し『しっぽや』へ移行していった。
人間とペットの間を取り持てるこの仕事は、化生の特性を生かした私たちにうってつけのものとなったのだ。




私と秩父先生の幸せな日々は、いつまでも続くと思われた。
「あー、僕も年くったなー
 白髪頭、ハナちゃんのと変わんなくなったよ
 シワも酷いしさ
 人生50年の時代だったら、そろそろお迎え来てもおかしくないよね」
診療を終えシャワーを浴びた後、鏡を見た先生がガックリと肩を落とした。
「先生は、今も昔も大変お可愛らしいですよ」
私はそんな先生を後ろから抱きしめる。
彼は私に体重をかけ寄りかかりながら
「ハナちゃんはあんまり変わらないよね
 おかげで、以前やってた僕の陳腐な変装を君にする事になるなんて
 診療所のスタッフ、僕より君の方が年上だと思ってるから流石に外見少しいじらないと怪しまれるもんね
 グラサンかけてヒゲ付けるだけで、かなり老けて見えるだろ?」
先生はクスクス笑った。
先生のおかげで、私は外見の変化の無さを周りの人間に悟られずに済んでいるのだ。

「でも、多少は年とったのかな、毛色で白と言うより白髪が出てきてる
 シワも少し出てきたね
 でもこれ、僕の外見の変化をマネしてるのかな」
先生は体制を入れ替え私に向き直ると、優しく髪や頬を撫でてくれた。
彼に優しく触られると、私の体が反応していく。
「ハナちゃん、よくこんなオジサン相手に勃つなー」
私の体の変化に気が付いた秩父先生は苦笑する。
「私の相手をするのに、お体は辛くはありませんか?」
彼と唇を合わせ囁くように聞くと
「大丈夫、いつまでも君の『可愛い秩父先生』でいられて嬉しいよ」
そう答えて微笑んだ。
初めて会った頃より随分と年をとってしまわれたが、私にとって彼は誰よりも愛おしく可愛らしい飼い主である。
彼の体の負担にならないよう、最近では触れあう回数を減らしている。
しかし、体は繋がっていなくとも、心は以前と変わらず強固に結びついていることを実感できた。
彼の側にいて、その仕事を手伝えることに誇りと喜びを感じていたのだ。

その喜びに陰を落とすものがあった。
それは彼の体の内から感じる、不吉な匂いである。
先日、彼にそれを告げると『加齢臭だ』とかなり落ち込んでしまわれたので、それ以降話題にしたことはなかったが、そんなものではない。
亡くなった大旦那様を思わせる、もっと不吉な匂いだった。
しかし私にその正体が分かるわけもなく、腕の中にいる秩父先生の存在を確認するように肌を合わせることを優先してしまう。
そのことを、私は後に深く後悔することになる。


不吉な匂いは日に日に濃くなり、先生は疲れやすくなったように見受けられた。
「寄る年波には勝てないね
 前は2日くらい徹夜しても平気だったのに、今は睡眠時間足りないと疲れが取れないよ
 腰も痛い気がするし…この年で、ヤリ過ぎかな」
先生は大きなため息を付いて苦笑して見せた。
「先生、お願いします、どうか大きな病院できちんと検査を受けてください」
私は彼の体が心配で、居てもたってもいられなかった。
「えー?大げさだなハナちゃんは、年とると人間は皆こうなるんだよ」
先生は笑顔を作るが
「先生、本当にお願いします
 ご親戚の経営されている総合病院で検査を受けてください
 お願いです」
私は懇願しながら涙を流していた。
「ハナちゃん…どうしたの急に
 去年健康診断受けて、僕が何ともなかったの知ってるでしょ?
 あれからまだ1年経ってないよ?」
先生は戸惑った顔を向けてくる。
「わかりません、でも、貴方の体に何か良くないことが起こっている気がしてしかたないのです」
私の涙ながらの訴えに
「わかった、今度の休診日、兄貴の病院に行ってくるよ
 だから泣かないで」
先生は宥めるようにそう言って、優しく頭を撫でてくれた。
彼に撫でられている幸せと、彼を心配する不安で、私の心は引きちぎられそうであった。


先生が検査を受けた数日後。
「結果が出たよ、ハナちゃん凄いね」
先生は悲しげに微笑んだ。
「胃ガンだ、けっこー進行しちゃってる
 兄貴にどやされた、医者の不養生どころの騒ぎじゃないって
 親父もお袋も姉貴もカンカンでさ
 甥っ子達にも怒られた、医者の一族ってこんな時誤魔化しきかなくて厄介だよ」
その報告に、私は目の前が暗くなる。
「独立して診療所なんてやらず、うちの病院で働けば良かったのにと散々文句言われたよ
 病人相手に酷い医者達だ
 大きな病院で出来ないことをやりたくて、大変だけど診療所続けてきたのにさ」
私は先生にかける言葉がみつからず、ただ涙を流すばかりだった。
「ハナちゃんは、病変の匂いでも嗅ぎ取ってたのかな
 さすが、犬だ
 体内でタンパク質が変化する微かな匂いがわかったのかもね」
先生は、いつもとかわらずに優しく頭を撫でてくれた。

「すぐに入院しろって言われたけど、そんな訳にもいかないし
 まだ、こっちでやり残してる事とかあるからさ
 ハナちゃん、事後処理手伝ってくれる?」
「私はいつでも、いつまでも貴方と共にあります!」
私たちはしっかりと抱き合って、お互いの存在を確かめ合う以外の事が出来なかった。
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