このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

しっぽや(No.44~57)

side〈OYAHANA〉

秩父先生に正式に飼っていただけることになった私は、程なく彼と一緒に診療所で暮らし始めることになった。
今まで同様昼は診療所で働き、夕方からは工事現場に出かけていた。
忙しくはあったが仲間には会えるし、何より秩父先生と一緒に居られる時間が増えたことが嬉しかった。


秩父先生は休診日に、私たち化生の健康診断をしてくれた。
「多分、体の作りは人と変わらないと思うよ
 体から汗かいてるし、やはり犬とは違っている
 人と同じ物を食べても、中毒症状おこしてないでしょ」
秩父先生の言葉に、皆、曖昧に頷いている。
自分たちの体と人間の体、犬であったときの体の違いが、今一つわからないのだ。
「玉ネギ入ったメンチ食べたり、焼き鳥のネギマ食べても大丈夫だろ?
 犬だったら玉ネギ中毒起こして、死んじゃうこともあるんだから
 ハンバーグとか、犬には毒物なんだよ」
先生の言葉を、私たちは真剣に聞き入った。
今まで、そんなことを気にしたことはなかったからだ。
「戦後、この国の食生活は大きく変わったからねー
 君たちが生きていた時代にはあまり犬の口に入らなかった物も、今は巷に溢れてるから
 僕も、ハナちゃんを飼うまでは気にしたことなかったけどさ」
先生は苦笑する。

「戦時中は芋や雑穀、野草、野ウサギ等を食べていました
 タマネギやネギなどは手に入らなかったのですが、逆によかったのですね」
黒谷が真剣な顔で頷いた。
「今なら、食べても大丈夫だよ」
先生は優しく笑う。
「時々、岩さん達と焼き鳥食べに行くんだ
 酒、ってのは好きじゃないけど
 レバーとか、モモとか美味しくて
 ネギマも…食べちゃった」
新郷がばつの悪そうな顔になる。
「レバーは体に良いんだよ、健康的な食生活だ
 君たち、工事現場で働く人たちに、ちゃんと溶け込んでいるんだね
 彼らに、人の世を教えてもらうと良いよ
 この国はどんどん変わっていく
 いつまでも戦時中の生活を引きずっていては、飼い主が出来たとき戸惑うばかりだぞ」
先生の言葉に、皆は真剣に頷いた。

「ハナちゃんに最新の生活をさせたい、ってのを建前に、今度奮発してテレビ買おうと思ってるんだ
 奮発と言っても白黒テレビなんだけどさ
 買ったら皆も見においで
 オリンピックも中継するんだよ
 君たち、そのための道路整備でかり出されてるんだろ?
 間接的とは言え、君たちの仕事の成果だね
 君たちは、時代を作るのを多少なりとも担(にな)っているんだ」
秩父先生の言葉は、思いもよらないものであった。
「僕たちが…あのお方の作ってくれた時代を担う…」
黒谷の目に涙がにじむ。
彼の新たな飼い主は、先の戦争で命を落としていた。
「秩父先生、どうか僕たちに今の時代を教えてください
 飼い主のお役に立てる知識を教えてください」
頭を下げる黒谷に
「うん、大したことは教えられないけど
 新しい時代を、共に楽しもう」
秩父先生は優しく微笑んだ。
私たち化生に優しくしてくれる先生は、私の自慢の飼い主であった。

「あの、先生」
白久がおずおずと話しかける。
「私は、人間の病気について知りたいのです
 以前の飼い主は体の弱い方でしたが、犬である私には何もしてさしあげることが出来なかった
 今度は、飼い主を病で苦しませたくありません」
必死に言う白久に
「字は読める?僕の持ってる医学書、自由に読んで良いからね
 内容、難しいかな?
 辞書があるし、時間があったら僕にわからないとこ聞いて」
先生は頷いた。
「私の飼い主は、大量に血を吐いてお亡くなりになりました…」
白久が暗い顔になる。
「うーん、肺を病んでおられたか、白血病かな…
 鼻血は?」
「わかりません…縁側からチラリと見ただけなので
 ただ、あの方の口周りが不吉に染まっていたとしか」
俯く白久に
「そうか、それらしいページに栞を挟んでおくよ
 飼い主の命を奪ったかもしれない病のこと、詳しく知りたいだろ」
先生は優しく言ってくれた。
「ありがとうございます」
白久は黒谷同様、秩父先生に深々と頭を下げる。

「何というか…
 化生という存在は、本当に不思議だね
 とても健気で、いじらしい
 僕に出来ることがあったら、何でも言って
 僕も君たちの力になりたいよ」
先生はそう言って、皆の頭を優しく撫でた。
その光景に嫉妬を感じてしまうものの、久しぶりに人間に犬として扱われた皆の嬉しそうな顔を見ると何も言えなくなる。
この時代、秩父先生という良き理解者に飼っていただけたことがどれほどの幸運なのか、自分の幸せを噛みしめずにはいられなかった。


今までは飼い主が出来た仲間とは別れ別れになっていため、化生として直に人に教えを請うことなど無かったのだ。
通信網が発達していなかった時代のこと、定住地をもたず点々と居場所を変えていた私たちは飼い主を得た仲間がその後どうなったか、知りようがなかった。

秩父先生のおかげで、私のみならず仲間達の知識も飛躍的に増えていった。



オリンピックが終わっても、時代は加速度的に変化していった。
私は今は工事の仕事を減らし、診療所の補佐の方に重きをおいていた。
黒谷達は宿を代え、少しだけ離れた町に移動していた。
それでも月に1、2度は休診日に顔を出しに来てくれる。
皆、秩父先生に会えることを楽しみにしてくれているのだ。
「秩父先生、私たち化生に良くしてくださり、本当にありがとうございます」
頭を下げる黒谷に
「どう?みんな元気でやってる?
 具合悪いところはない?」
秩父先生は優しく笑って問いかける。
「元気です!」
新郷が明るい笑顔で答えた。
「秩父先生、先日、皆で三峰様のところに行ってきました
 こちら、お土産のお饅頭です
 旅行のお土産は、お饅頭が一般的だとお店の方に教えていただきましたもので
 人にお土産を買う、なんて初めてのことで何だかとてもわくわくしました」
白久がはにかんだ笑みを見せながら、紙袋を差し出した。
「ありがとう、嬉しいな
 お持たせで悪いけど、早速これ開けてお茶にしよう」
秩父先生の言葉に
「では、お茶を煎れてきましょう」
私は立ち上がり、台所に向かう。
こんなささやかな日常の積み重ねが、本当に貴重に思えるのであった。

「三峰様は秩父先生のことを、とてもありがたく思っておられました
 今まで僕たち、健康診断なんて受けたことなかったので
 飼い犬以外の化生の健康状態を気遣ってくれる人間がいるなんて、と感謝しておりました」
黒谷の話を、秩父先生は興味深そうに聞いていた。
「その『三峰様』っていうのは、化生を束ねるもの、みたいな感じなのかな?
 偉い人なの?
 その人に認められないと、僕はハナちゃんを飼えないのかな?」
少し心配そうな秩父先生に
「そんな事はありません!私は秩父先生の飼い犬です
 たとえ三峰様といえども、この関係を覆すことは出来ません」
隣に座る彼の手を握りながら、私はキッパリと答えた。

「大丈夫ですよ、親鼻」
白久が安心させるように微笑んだ。
「むしろ、三峰様は秩父先生に出資したがってるんだ
 こう言ってはなんだけど、診療所の経営、苦しいのでしょう?
 三峰様がお金を出してくださるので、もっと設備の整った診療所に立て替えてください」
真剣な顔で言う黒谷の言葉に、私と秩父先生は顔を見合わせる。
けれどすぐに
「まあ、確かに左うちわって訳にはいかないけどさ
 そこそこ頑張ってるよ
 大丈夫、君たちのお世話にならずとも、ハナちゃんと2人で頑張るから
 ああ、靖代さんと清美さんもいるか」
秩父先生は頭を掻きながら苦笑して言った。
それを聞いて黒谷と白久と新郷が顔を見合わせて
「合格!」
そう言ってニンマリ笑った。
私と秩父先生はわけがわからず、再度顔を見合わせる。

「三峰様から『出資話を持ち出してもそれに釣られないような方であれば、どのような協力も惜しみません』と申し使って参りました
 試すようなまねをして申し訳ありません
 どうか本気で資金提供のことをお考えください」
黒谷が頭を下げる。
「その代わり、と言っては何ですが
 私たちからもお願いがあるのです
 私たちの『保証人』になっていただけないでしょうか」
白久も頭を下げた。
「三峰様のとこに新入りが数人入ったんだ
 近いうちに俺たちと行動を共にするけど、人数が増えると宿では目立つ
 最近は人の目がうるさくなってるからさ
 出来れば、俺たちだけで部屋を借りたいんだよ
 でも、そうするには『保証人』ってやつが必要らしくて
 お願いです!俺たちが町中でもやっていけるよう、力を貸してください!」
新郷が勢いよく頭を下げた。

秩父先生は暫く考え込んでいたが
「そうか…そういうことなら、資金提供、受けるよ
 ギブアンドテイク、持ちつ持たれつ、だね
 医者という肩書きの僕なら、保証人にはうってつけだと思うよ
 大きな診療所の医師なら、なおのことだ
 さすがに、僕1人じゃ診察がきつくなってきたから、本当は医者の数を増やしたかったんだ
 ハナちゃんにも工事の仕事は辞めて、僕の側にずっと居てもらいたいしさ」
私を見ながら微笑んでそう言った。
「新入りの化生の子達も、ちゃんとうちに健康診断しに連れてきなね
 君たちが飼い主と巡り会って幸せになるお手伝い、僕にもさせて」
秩父先生の言葉を聞いて、私は誇らしい思いでいっぱいになる。
こんなにも、私たち化生に心を寄せてくださった人間は初めてだ。
「秩父先生!」
思わず彼を抱きしめた私の腕に、先生はそっと手を添える。
「でも、何よりもハナちゃん、君に1番幸せになって欲しい」
「私は幸せです、貴方のような飼い主に飼っていただけて本当に幸せです!」
涙を流す私の頭を、彼は優しく撫でてくれた。
その手の温もりはいつも心地よく、私は彼に対して永遠の忠誠を誓わずにはいられなかった。
11/35ページ
スキ