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しっぽや(No.44~57)

バウバウバウバウッ!!!

私は激しく公彦を吠え立てた。
「華ちゃん、どうしたの?お止めなさい、華ちゃん!」
撫子お嬢様の制止も、私の耳には入らなかった。
「どうも、お義父上が亡くなったことで混乱しているらしい
 暫く、繋いでおきましょう」
公彦の指示で私は部屋から出され、使用人の手によって、縄で庭につながれてしまう。
今度は公彦がお嬢様に危害を加えるのでは、と思うと気が狂いそうだった。

時間がかかってしまったが、私は何とか縄を咬み千切り屋敷に駆け戻った。
深夜で閑散とした屋敷内、入ってはいけないと言われていたお嬢様と公彦の寝室に飛び込んだ。
「華ちゃん?」
「華!」
驚いた顔のお嬢様を無視し、私は刺激臭を探す。
机の引き出しの中から、その刺激臭は漂ってきた。
私は引き出しの持ち手を咬んで引っ張ると、勢いよく引く。
中身をぶちまけながら、引き出しが宙を舞った。
私は雑多な物の中から刺激臭の元を探し出した。
それは、小瓶に入った粉のようなものだった。

「くそ、老いぼれ犬のくせに、気付きやがったか」
公彦の顔が憎悪に歪む。
「公彦様、一体何を…?」
呆然とした顔のお嬢様に向かい
「何、この忠犬君が、僕がお義父上に一服盛ったことに気が付いたのさ
 犬ですら気が付くのに、あんたは鈍い人だね
 『華族』という身分の中、ぬくぬくと育った世間知らずのお嬢様
 『華族』なんて言ったって、ここの資産は底をついてた、なんて知らなかったろう?
 うちの援助で何とか華族の体裁を整えていた没落華族だ
 そのくせ、いつだって成り上がりとバカにしくさって」
憎々しげに言い放つ公彦の言葉に、お嬢様の目から涙が溢れた。
「公彦…様…?」
「お嬢様、あんたは父親を殺した男に、いつもアラレもない姿を晒していたんだぜ
 あんたが俺の下でヨがってる最中も、父親は毒で苦しんでたって言うのにな」
公彦が嫌らしい笑いを浮かべる。

「公彦…様…?
 嘘…そんな…、そんな…
 嫌ーーーーー!!!!」
お嬢様の絶叫が、寝室にこだました。
私の中でいい知れない不安が膨れ上がる。
『いけない!』
しかし、犬である私にはどうすることも出来なかった。
駆けだしたお嬢様がバルコニーに続く窓を開け、そこから飛び降りるのを見ていることしか出来なかったのだ。

ドスン

重い音が、命のついえる音が響く。
「寝室を3階にしといて、正解だったな」
邪悪に笑う公彦の足に、私は噛みついた。
「そして、お前しか真相を知らないのは僥倖だ
 色々手間を省いてくれて、ありがとう、華ちゃん」
噛みつかれているというのに、公彦は満足げにニヤリと笑い
「誰か!誰か来てくれ!」
そう、大声を上げる。
「いかがなさいましたか、今、大きな音が聞こえましたが」
すぐに執事が駆けつけてきた。
公彦に噛みついている私に気づき
「華!何をしているんだ!何でここに?」
執事の顔に驚きと戸惑いが浮かぶ。
「華は正気を失っている
 いきなり飛び込んできて、撫子に襲いかかったんだ
 可哀想に、撫子は逃げようとしてあのバルコニーから…」
執事に押さえ込まれた私は、公彦の言葉に呆然とする。
騒ぎを聞きつけ集まってきた他の使用人達が、私を見て息を呑んだ。

「何か悪い病気にかかってしまったのかも…狂犬病かもしれない
 あれにかかると助からないと聞いている
 しかも、人にも伝染る病気だ
 可哀想だが、処分するしかないな」
使用人の肩を借り立ち上がった公彦は、壁に掛かっていた猟銃を手に取り、弾を込め始めた。
私に優しかった使用人達は怯えた目を向けてくるだけで、誰も何も言わない。
「どいてくれたまえ」
私を押さえていた執事をどかせると、公彦は私に狙いを定めた。
その時、私にはもう、抵抗する気力が残っていなかった。


雷のように轟く銃声、身体が感じたすざましい衝撃。

薄れゆく意識の中私が考えていたことは

『もしも私が人であったなら、屋敷を維持するため大旦那様とともに働けたのではないか
 撫子お嬢様を幸せに出来たのではないか
 あの男から、お2人を守れたのではないか
 お嬢様が飛び降りる瞬間、その手を掴み、阻止できたのではないか
 ことの真相を、誰かに伝えられたのではないか』

そんな、取り留めもなく、願っても仕方のないようなことばかりだった。

深い後悔と無明の闇を抜け、私は化生した。






「まさか、本当に人の姿になれるとは思いませんでした」
過去の転写を終え、私は秩父先生から額を離した。
「けれど、人間になったところで、大切な人を守れるとは限りませんね
 人外の化け物として、貴方をひどく怯えさせてしまった
 犬の姿であれば、そんなことにはならなかったでしょうに」
苦笑する私に、彼は首を振る。
「ハナちゃんはヤクザから僕を助けてくれたじゃないか
 頼れる番犬を飼えて、頼もしいよ」
秩父先生は優しく笑って、唇を合わせてくれた。
記憶の転写を見せた後であっても、彼は私を『飼う』と『番犬』であると言ってくれた。
私の目から、安堵の涙が滑り落ちる。

「たとえ人であったとしても、ハナちゃんの生きた時代、下々の言葉は上の者には届かなかったろう
 使われた毒薬は『ヒ素』じゃないかな
 あれは『相続の粉薬』なんて異名があったくらい、海外では遺産相続のための殺人に利用されることが多かったんだ
 少量ずつの摂取であれば、すぐに死ぬことはない
 紅茶に混ぜて極少量ずつ飲ませ、弱らせていったんだな
 『舶来品の紅茶とウイスキー』なんて言われれば、多少刺激臭がしても気が付かなかったろうね」
先生の言葉に、私は唖然とした。
「そう、だったのですか」
犬の身であったときは、そこまでハッキリと真相に気づけなかった。
ただ、あの刺激臭が大旦那様の死に関係あるのでは、と漠然と感じるだけだったのだ。
「古い時代だし、大旦那様を診た医者は気が付かなかったのか
 あるいは、公彦に金を握らされていたか
 いずれにせよ、残されたお嬢様も毒薬の餌食になったとは思う
 毒でジワジワと苦しみながら死ぬのと自害するの、どちらがマシとは言えないけどさ…」
先生は暗い顔を見せた。

「ハナちゃん、撃たれて死ぬなんて、怖かったね」
先生が優しく私の頭を撫でてくれた。
「ハナちゃんは、とても賢くて勇気ある、素晴らしい番犬だよ」
微笑む彼に
「でも、私は大旦那様もお嬢様もお守りできなくて…
 番犬とは言えません」
私は泣きながら首を振る。
「ハナちゃん1人が公彦に立ち向かったんだ
 主人を守ろうと戦ったんだよ
 立派な番犬だ」
先生の言葉で、お2人を救えなかった罪悪感が和らいでいくのが感じられた。

「番犬としての勤めを果たせていたのなら、私は人に化生せずとも良かったのでしょうか」
そう気が付いて苦笑気味に言う私に
「僕は、人としてのハナちゃんに出会えて良かったと思ってるよ
 ハナちゃんが化生っていうの?そうなってくれて良かった
 ハナちゃんに飼い主として選んでもらえて嬉しいもの」
先生は笑って口付けしてくれる。
「だって、人じゃないと、こんなこと出来ないしさ」
彼の口付けが、深いものへと変わっていく。
私たちはしっかりと抱き合って、舌を絡ませあった。
久しぶりに彼に触れていることに、私は興奮し始めた。
それは彼も同じだったらしく
「声出すの出来るだけ我慢するから、ここで、して」
恥ずかしそうに命令する。
「かしこまりました」
私は想いの全てをこめ、返事を返した。

「いつまでも、僕の番犬でいておくれ」
熱い息と共に私の耳元で囁かれる彼の言葉に
「はい、何があっても生涯貴方をお守りいたします」
化生という私を受け入れてくれた真の飼い主を手に入れた喜びに、涙を流しながら誓うのであった。


化生して良かったと、この時ほど強く思ったことはない。
私の胸に明るく灯る『飼い主』という光。
もう、その光より先に消滅しようとは思わない。
この先、何があってもその光を守り彼のために存在しようと、私は胸に強く刻み込んだ。
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