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しっぽや(No.44~57)

side〈CHICHIBU〉

「先生、どうなさったんですの?そのお顔!」
出勤してきた看護婦の靖代(やすよ)さんに、僕は昨夜のことを説明した。
「ほら、以前うちにシャブは無いのかって言いがかりつけてきたヤクザ者がいただろ?
 あいつがまた来てさ
 危機一髪、ハナちゃんに助けられたんだ
 事情聴取やら診察室の片付けやらで、遅くまで大変だったよ
 ああ、何か無くなったり壊れたりしてる物があるかも
 昨日はあんまり確認できなかったからさ」
肩を竦める僕に
「まあ!ハナちゃんお手柄じゃない
 用心棒として雇いなさい、って言った私の言葉、正しかったでしょう」
靖代さんは胸を張る。

「先生が無事で、何よりです」
そう言って嬉しそうに微笑む親鼻の顔を見て、僕はドキリとしてしまう。
何だか昨夜はやたらと親鼻に抱きついてしまったし、今朝も起きたら彼に抱かれるかたちで寝ていて焦ってしまった。
夢かもしれないが、殴られた頬に親鼻が優しく口付けてくれた気がする。
『いや、診察室で実際に口付けされたっけ
 口付けっていうか、腫れてたから冷やしてくれようとしたのかな?
 いやいや…』
混乱しそうになる頭を振って
「今日はみっともない顔で診察することになってごめんね
 患者さんには転んでブツケた、って言っといて
 ヤクザが来た、なんて知られたら怖がられちゃうから」
僕はそう頼んだ。
「こないだは付けヒゲで鼻の下赤くして
 今日は青あざなんて、先生、男前が台無しですよ」
事務員の清美(きよみ)さんがクスクスと笑う。
「え…?ヒゲ…バレてたの?」
親鼻を見ると、彼は慌てて首を振っている。
彼がバラした訳ではなさそうだ。
「あんなわざとらしいヒゲ、誰だってわかりますって」
女性陣2人に笑われ
「参ったな…」
僕は頭を掻くしか無かった。



数日後、親鼻と用心棒代の話をしようと、休診日の診療所に来てもらった。
自室にしている2階に上げてお茶を出すと
「ごめんね、休みの日にわざわざ来てもらって
 それで、この前は本当にありがとう」
僕はまずそう言って頭を下げた。
親鼻は首を振り
「先生のお役に立てたのなら嬉しいです」
嬉しそうな顔で微笑んだ。
彼は自分の容姿に無頓着だが、かなり端正な顔をしている。
長身で均整のとれた肉体の持ち主でもあった。
肉体労働などやらずとも、役者にでもなれるのではないかと思っていた。
笑うと、こちらがドキドキするほど男前に見えるのだ。
見とれかけていた自分に気が付き、僕は慌てて気持ちを切り替える。

「それで、用心棒代のことだけど…」
僕が話を持ち出すと、彼は僕の顔をジッと見つめ
「お給料はいりません、と最初に申し上げました
 先生、診察代をもらっていない患者さんがいるでしょう?
 診療所の経営は楽ではないはずです
 私のために使うお金があるのなら、診療所の経営に当ててください」
キッパリとそう言い放つ。
僕は黙り込んでしまった。
この国は戦後豊かになったとはいえ、まだまだ貧しい者も多い。
そんな人たちの力になりたくて、僕はこの診療所を開いたのだ。
診察代をまけることもしばしばあり、確かに経営は苦しかった。

「でも、それじゃ僕が心苦しいよ…
 ハナちゃんを危険な目にあわせたのに
 何か、して欲しいこととか無い?
 あ、君の仲間って人たちの健康診断とかしようか?」
僕の言葉に彼は少し躊躇った後
「それなら、私を飼っていただけないでしょうか
 私を、貴方の飼い犬にしていただきたいのです」
そんな事を言い出した。
僕は絶句してしまう。
そういえば親鼻は自分のことを『番犬』と言っていた。
それが何の比喩なのか、僕にはさっぱりわからなかった。
「ハナちゃん…だから、自分のことを犬だなんて…」
言いよどむ僕に
「先生は、犬はお嫌いですか?」
親鼻は大きな体を縮こませるように聞いてくる。
「子供の頃飼ってたことあるし、犬は好きだけどさ
 ハナちゃんは人間だろ?
 人間を犬扱いするなんて、僕はごめんだよ」
思わず声を荒げると、彼はますます身を縮めた。

どうしたものかとため息をつく僕に
「それならば…
 私と…契ってください」
親鼻はそう言って僕に近寄り、抱きしめてきた。
『契る…?』
古風な言い回しのため、僕には一瞬何を言われているのか理解できなかった。
その端正な顔が近寄り唇を重ねられ、押し倒される。
その段になって初めて、彼が何を欲しているか察しが付いた。
以前、彼に抱きしめられた際、彼の身体が反応していたように感じたのは気のせいではなかったのだ。
「ハナ…ちゃ…」
僕がもがくと彼はハッとした顔になり、身体を放してくれた。
「申し訳ございません、忘れてください
 飼っていただけるわけでもないのに、このようなこと許されるはずは…」

僕は、彼が泣いているのかと思った。
あまりにも寂しそうで、悲しそうな顔をしていたからだ。
それは、孤独を感じている顔だった。


僕はこの顔のせいで、今まで男に襲われそうになったことは何度もあった。
それもあって、顔を隠して診療所の医師を勤めていたのだ。
しかし思い返してみれば、親鼻は初めて会ったときから僕に熱い視線を向けていた気がする。
あのふざけた変装をしていた僕を、何故か気に入ってくれた。
正体がばれた後も、彼は変わらぬ態度で接してくれる。
彼が僕の容姿と言うよりは、僕個人に好意を寄せていることが伺えた。

「失礼いたしました、今後このような暴挙には及びませんので、どうかお側に居させてください」
親鼻は土下座して、大きな体を縮込ませる。
「ハナちゃん…」
僕は乱れた襟元を押さえ親鼻を見つめ、必死で自分の気持ちを整理していた。

彼にのしかかられた時、僕は本気で嫌悪を感じていたであろうか。
彼が自分に好意を寄せていることを、本当に気が付いてなかったのだろうか。
彼に触れられ、抱きしめられたとき、鼓動が早まったのではなかったか。
それは『トキメキ』とも呼ばれる感情に基づいたものではなかったのか。
今の行為で、僕も彼のことが好きだということに、ハッキリと気が付いてしまった。

その結論に思い至ると、2人っきりというこの状況を痛いほど意識してしまう。
彼に触れて欲しい、彼に触れてみたいと思う欲望が、僕の中でも膨れ上がってきた。
しかし彼は先ほどのことで萎縮してしまい、再び僕に触れようとはしてくれなかった。
混乱する思いを抱えたまま
「飼う、って言えば良いの?」
僕は、そんな言葉を親鼻に向けていた。
「えっ?」
驚いた顔の親鼻が顔を上げる。
「ハナちゃんのこと番犬として飼う、って言えば
 …抱いて、…くれるの…?」
彼の自分に対する想いを知っていながら、そんな誘うような言葉を発している自分が浅ましい。
けれどもそれを『冗談だよ』と、切り捨てる気にはなれなかった。

「飼って…いただけるのですか…?
 私の飼い主になってくださると…?」
親鼻の目に涙が溢れる。
「お守りします!私の全てをかけて、貴方をお守りします!
 今度こそ、番犬としての勤めを全(まっと)うしてみせます!」
真剣なその言葉に、彼が自分を卑下して『犬』と称している訳ではない事が伺えた。
何故か彼は犬として飼われることに、誇りを感じているようであった。
「ハナちゃん」
僕は彼の頭を撫でてみた。
何度か撫でたことのある髪であったが、改めて触るとその髪質は柔らかで、確かに大型犬を撫でている気分にさせられる。

「秩父先生」
親鼻が顔を寄せてくる。
その唇が僕の唇と重なっても、今度は僕は抵抗しなかった。
彼の舌がおずおずと口内に入れられると、僕はその舌に自分の舌を絡め濃厚な口付けを交わした。
彼が僕の服を脱がせていくのもそのまま受け入れる。
彼の唇が優しく身体を移動する事に興奮を感じていた。
「あ…ハナ…ちゃ…、親鼻…、ん…」
自分の口から出る甘い喘ぎに、こんなにも彼のことを待っていたのかと、僕自身が少し驚いてしまう。
彼に貫かれ僕に対する想いを解放されると、誇らかな気分になれた。
もちろん僕も、彼に対する想いを解放していた。
まだ日も高いうちからこんなことを、という背徳感もあったかもしれない。
興奮が冷めやらず、僕たちはその後も何度も重なり合った。

「そろそろ戻らなければ」
親鼻が時計を確認してそう言った。
彼の胸の中で少しまどろんでいた僕は、その言葉で我に返る。
「仕事、頑張ってね」
僕が微笑むと、彼は衣服を身に纏いながら
「はい」
素直に頷いてくれた。
その目に戸惑いが浮かぶのを、僕は見逃さなかった。
「どうしたの、ハナちゃん?」
僕が問いかけると彼は思い悩んだ顔になるが
「明日も、診療所に伺ってもよろしいでしょうか?」
そう聞いてきた。
「もちろんだよ、頼りにしてるからね、用心棒
 最高の番犬っぷりをみせて」
僕の言葉に
「任せてください!」
彼は誇らかに答えるのであった。


その後も、僕たちは休診日のたびに身体を重ねていた。
親鼻はいつも優しく、情熱的に抱いてくれる。
僕は愛されている自分を感じていた。
そして、彼のことを愛している自分を感じていた。

「先生、何だか最近色っぽくなってきましたね」
看護婦の靖代さんにそうからかわれることもしばしばあったが、僕は親鼻と一緒にいられる今の状況に満足していたのだ。
ただ、彼が時々何か言いたげな瞳で僕を見つめていることだけが気がかりだった。



親鼻と知り合って1年近く経っただろうか。
彼は昼間は診療所の雑務、夕方から工事現場に出る生活を続けていた。
休診日には相変わらず、僕たちの関係は続いている。
行為の後、親鼻に抱かれながらまどろむ時間は、僕にとって何よりの宝物のような時間になっていた。


今日も、親鼻に抱かれながらその温もりを堪能していた。
連日の激務で疲れているのか、親鼻は寝息を立てている。
僕はその端正な顔を、マジマジと見つめていた。
なめらかな頬に指を這わせる。
そのなめらかさに、ふと『彼は僕よりも若いのではないか』そんな疑念が浮かんだ。
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