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しっぽや(No.44~57)

「そうか、親鼻は一足先に『何でも屋』をやってるんだね」
現場での仕事を終え眠りにつく前の一時、宿で私は皆に診療所での事を報告していた。
もちろん、先生の素顔が大変可愛らしいと言うことは秘密にしている。

「でもさ、用心棒でもあるんだろ?
 常に感覚を研ぎ澄まし、飼い主の危機を探知してないとダメだぜ
 俺、あのお方と山に入るときは、一時も気を抜かなかったんだ
 熊の爪をかいくぐって、喉元に食らいついたこともあるんだからな
 攻撃には必ず隙間がある
 焦らずに、それを見極めるんだ」
生前、飼い主を守るため共に山に行っていたという新郷が、そう教えてくれた。
「ここは町中だよ、熊なんて出ないだろ」
黒谷は呆れた顔を見せるが
「でも、何が起こるかわかんないじゃん
 鉄と火薬の臭いがしたら気を付けろよ
 あのお方が猟師に間違って撃たれないように気を使うのも、俺の役目だったんだ」
新郷は真面目な顔でそう続ける。

「新郷、この辺で猟銃なんか持ってる人、もう居ないですよ
 自分で捕らなくても、お肉屋さんでお肉買えますから」
白久が苦笑する。
「そうそう、お肉屋さんと言えば、コロッケって美味しいよね
 お昼はコロッケ食べようか」
黒谷がおどけてそう言った後
「親鼻、着衣の下から鉄の臭いがする人間には気を付けろ
 刃物を隠している危険がある」
真面目な顔でそう告げてくれた。
生前、武士と共に戦場に赴いたこともある黒谷の忠告に、私は気持ちを引き締めて頷くのであった。



その日、診療所を後にして宿に戻った私は、言いようのない焦燥感に駆られていた。
『何だ?この胸騒ぎは』
その感覚には覚えがあった。
あのお方が亡くなる前に感じたものと酷似していたのだ。
「そろそろ現場に行こうか」
皆が準備を始める中
「黒谷、すいません、今日は休ませてください」
私は焦ってそう告げる。
私の態度に、皆、一様に緊張の目を向けてきた。
「今すぐ、診療所に行かなければいけない気がする」
どうにも上手く説明できず、私は必死で訴えた。
「行っておいで親鼻、監督には『熱が出て寝込んでる』とでも言っておくよ」
黒谷が頷いてくれたので、私は宿を飛び出して診療所に走って行った。

診療時間が終わったと言うのに、診察室からは明かりが漏れている。
先生が遅くまで勉強をしていることがあるので、それ自体は珍しいことではない。
しかし私の焦燥感は、それで一気に強まった。
「秩父先生!」
診療所の扉を開け私が飛び込むと、診察室から話し声が聞こえてくる。
「だから、うちにはそんな物無いってば」
「モルヒネっつー薬があるんだろ?それ出せや!」
「あんなもの打ったら、何もかもわからなくなるよ」
先生と知らない男の声だった。
待合室を抜け、私は診察室に駆け込んだ。

診察室には秩父先生と対峙するかたちで、いかにも『ヤクザ者』と言った風情の男が立っていた。
「病院なんだから、どんな薬だってあんだろうがよ、ああ?」
男は入ってきた私に気が付いている様子はない。
「痛い目みないと、出せねえか!」
私が動くより早く、男が先生に殴りかかった。
倒れ込んだ先生の顔からサングラスが飛び、大きな瞳が顕わになる。
乱れた髪が額にかかり、弱々しい雰囲気を漂わせていた。
「何だこいつ、ガキじゃねーか」
再び拳を振り上げた男の手を掴み、私はそのままそいつを投げ飛ばした。

「先生!」
男にかまわず、私は先生を助け起こす。
「ハナちゃん?何でこんな時間に?」
驚いた顔の先生の瞳が、私の後ろを注視した。
「危ない!」
起きあがった男の拳が私を捉える前に先生を抱え移動する。
「あいつ、うちにシャブがあるんじゃないかって、前にもイチャモンつけてきた奴なんだ
 多分何か薬やってるよ、まともに話が通じない」
先生が顔を歪めて、そう説明する。
「話は…通じませんか」
私は先生を診察室の外に押し出し、扉の鍵をかけた。
「ハナちゃん?ハナちゃん!
 危ないよ!ハナちゃん!」
先生がドンドンと扉を叩くが、私は男を扉の向こうに行かせる気は無かった。

男は何か口の中で意味のない言葉を呟いている。
彼の服から鉄の臭いがすることに、私は気が付いていた。
「っらあ!!!!」
雄叫びと共に匕首(あいくち)を振り回して、男が突っ込んでくる。
私はそれをかわしながら、新郷の言葉を思い出していた。
『攻撃の隙間…』
男の靴が、床に落ちていた先生のサングラスを踏み砕く。
『先生の大事な物を!』
頭に血が上りそうになるのを押さえ、私は再度男の攻撃をかわした。
薬のせいか男に躊躇いや恐怖心は感じられず、攻撃は野生の獣のように鋭くなっていった。
『隙間を狙う』
私は油断なくその瞬間を待っていた。

私の手に診察台の枕が触れた。
私はそれを掴み、男めがけて投げつける。
男が匕首でそれを切り裂いた瞬間の隙を付き、私は男の胸板を蹴り上げた。
吹っ飛んだ男の手から刃物が転がった。

床に転がりながら匕首を拾おうと延ばした男の手を踏み、それを掴むと後ろ手に捻り上げる。
男の身体に馬乗りになり押さえ込んだ。
男は喚き立てながら激しくもがいたが、私は力を緩めなかった。
薬を打っていると、人はこんなにも無謀になれるものかと驚愕を感じていた。
それは人間と言うより獣のようであったが、私も獣という点では負けていない。
人間に危害を加えたくは無いが、慕う人を助けたい一心で私は夢中で男の身体を押さえ込んでいた。
ふと、転がっている包帯に目が止まる。
私はそれを素早く拾い上げ、男の両手を後ろ手に縛り上げた。
手の動きを封じられた男のもがきが弱くなった。
私はもう一つ包帯を拾い上げ両足も縛り、念のため手と足も包帯で結ぶ。
エビ反りのような形でもがきながら床に転がる男の目は焦点が合っていず、口からはヨダレを垂らしていた。

「ハナちゃん!ハナちゃん!」
先生はまだ診察室の扉を叩いている。
男が動けないのを確認し、私は扉の鍵を開けた。
「親鼻!」
飛び込んできた先生は、私の姿を確認すると抱きついてくる。
私も彼を抱きしめて
「すみません、先生の大事なサングラスを壊されてしまいました」
ションボリと謝った。
「そんな物、いくらでも買い直せる
 無茶しちゃダメだよ、ハナちゃんはお金じゃ買えないんだから」
先生の大きな瞳から、涙がポロリと流れ落ちた。
「すみません」
先生を泣かせてしまったことに狼狽し、私は謝るしかなかった。
彼は暫く私の腕の中で肩を震わせていた。
その身体を抱きしめながら甘い痺れを感じ
『私は、発情しているのか…』
彼に触れたい誘惑と必死に戦っていた。

「お手柄だねハナちゃん
 さてと、警察呼ばなきゃ」
先生はやっと顔を上げ、微笑んだ。
男に殴られて腫れている頬が痛々しい。
私は思わず、その頬に口付けをしてしまった。
「痛いですか?」
驚いた顔の先生に問いかけると、彼は弱々しく首を振った。
「暫く、迫力有る顔になるかな
 サングラス無いから、丁度良いか」
彼は少し自嘲気味に笑う。

「貴方が無事で、本当に良かった
 嫌な予感がして、引き返してきたのです」
私はしっかりと彼の身体を抱きしめた。
「ハナちゃんの野生の勘に助けられたか
 今回の用心棒代は、ちゃんと払うからね」
真剣な顔になり告げる彼に、私は首を振る。
「先生をお守りし役に立つ、それが出来ただけで十分です
 飼い主を守れる番犬になりたいのです
 私は良い番犬でしょうか?」
「ハナちゃん、自分のことを『犬』なんて言っちゃいけないよ」
先生は顔を歪めて私を諌(いさ)める。
しかし私はそんな先生の顔をじっと見つめ返した。

やがて根負けしたように先生が
「うん、最高の番犬だ、よしよし」
そう言って乱暴に頭を撫でてくれた。
私にはそれが何よりのご褒美であった。


その後、男は通報を受け駆けつけた警察官に逮捕される。
私も先生も事情を聞かれたり、メチャクチャになった診察室を片付けたりと、慌ただしく過ごしていた。
深夜近くにやっと一息付くことが出来た。
「仕事、休んでくれたんだろ?
 今日はこのまま泊まっていきなよ」
2階の先生の自室に案内され、簡単な夕飯をご馳走になった。
「僕は診察室のベッドで寝るから、ハナちゃんは布団使って」
そう言って先生が布団を敷いてくれるが私は首を振り
「お嫌でなければ、一緒に寝てください」
そう懇願してみる。
「…え?」
先生は私を見て少し顔を赤らめた。
「宿ではいつも仲間たちと雑魚寝していますから
 一人で布団を使うのは、何だか贅沢でもったいなくて」
頭をかきながら言うと
「あ、ああ、そうなの?
 そういや僕も、学生時代は論文の追い込みに入ると研究室で級友と雑魚寝したっけ
 何だか懐かしいな」
先生は少し慌てたようにそう言って、了承してくれた。

疲れていたのだろう、先生は寝間着に着替えて布団に入ると程なく、安らかな寝息を立て始めた。
私も疲れていたが、いつまでもその愛らしい寝顔を見つめていたかった。
そっと、その身体を抱き寄せてみても、彼は目を覚まさない。
もう一度、腫れている頬に口付けし、彼が無事だったことに感謝する。

私はそのまま愛しい者を胸に抱きその温もりを感じたまま、安らぎの眠りへと落ちていくのであった。
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