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しっぽや(No.44~57)

side〈OYAHANA〉

飼って欲しいと思える方が現れた。
今まで人と接していてもそのような気持ちになったことが無く、自分には一生巡り会えないのではと思っていたので、それは驚くべき事であった。
その方は診療所の医師『秩父先生』である。
どうすれば飼っていただけるのか、お役に立てるのか、私の暗中模索が始まった。


秩父先生に傷の手当てをしてもらってから1週間後、私は午前中に診療所を訪れてみた。
私以外に5人ほど診察を待っている人がいる。
地域の人に頼りにされている医師であるようだ。

「やあ、ハナちゃん、ちゃんと診療時間内に来たね」
私を見て笑いかけてくれる彼に、胸の鼓動が早まった。
口ひげを生やし、以前と同じようサングラスをかけていたが、明るい態度がそれを緩和しているため、いかがわしさは感じられなかった。
「抜糸は麻酔使わないから、縫うときより痛いかも
 耐えられるかな~」
少し意地悪く言う彼に
「大丈夫です」
私はキッパリと答える。
包帯をほどき傷の治りを確認してくれる彼から、私は目が離せなかった。
彼の手が私の指をさすってくれる。
それだけで、とても幸福な気持ちになれた。

「指、動かせる?」
彼の問いかけで、私は怪我した指を動かしてみせる。
「うんうん、大丈夫そうだ
 じゃあ、抜糸するね」
彼はそう言って、丁寧に抜糸をしてくれた。
痛みはほとんど感じなかった。
消毒液を塗り、再び包帯を巻いてくれる。
「薬は飲んだ?痛み止めの追加はいらないかな?」
そう聞いてくれる彼に
「お薬はきちんと飲みました
 痛みはほとんどないので、痛み止めも必要ありません」
私はそう答えた。
「ハナちゃんは模範的な患者さんだ」
秩父先生にそう言ってもらえたことが、私には誇らしく感じられた。
「もう心配ないと思うけど、念のため1週間後にもう1度来られるかい?
 あんまり何度も来させてもお金かかっちゃうから、無理なら良いよ」
それを聞いて、私の心に焦りが生じる。
『治ってしまったら、もうここに来れない』
「心配なので、また診てください!」
焦る私を見て
「ハナちゃん、あんまり心配すると、白髪増えるよ」
彼は笑ってくれた。



1週間後に診療所を訪れると、その日は私以外の患者は来ていなかった。
「うん、傷跡は残るけど、きれいに塞がってる」
傷を診た後、彼が優しく手を撫でてくれて、私はまた幸せな気持ちになる。
この傷を見るたびに、私は彼と巡り会えた幸運を感じることが出来るだろう。
しかし
「もう、来なくて大丈夫だよ」
彼の言葉で、幸せに浸っていた私の気持ちが一気に冷えた。
「あの、ここで働かせてください」
気が付くと、私は必死でそんな事を口走っていた。
「君、医療資格とか持ってるの?」
驚いた顔の彼の問いかけで、私の気持ちはさらに落ち込む。
「資格などはありません…
 それでも、貴方のお側にいて、貴方の役に立ちたいのです
 何か、私にも出来る仕事はないでしょうか?」
必死に言い募る私に
「うちはしがない診療所だからさ、余分な人員にお給料出せないんだ」
彼は申し訳なさそうに答える。
「お給料はいりませんし、昼の間だけでかまいません
 夕方からは、私は今まで通り工事現場に働きに出ますので」
私には、このまま秩父先生と縁が切れてしまうことが耐えられなかった。
「それじゃ悪いだろ」
彼は困ったように考え込んだ。

「先生、そろそろ良いですか?
 吉川のお婆ちゃんから電話があって、膝が痛いから往診に来てくれないかって」
診察室のドアを開け、年輩の看護婦さんが入ってくる。
「あら、まだ診療中でしたか?」
驚いた顔の看護婦さんに
「いやね、こちらの方がうちで働きたいって言うんだけど
 医療資格が無くてね」
先生が苦笑を向けた。
「何でもやります、お給料はいりません
 何か仕事は無いでしょうか?」
私は彼女にも必死で訴えかけた。
彼女は少し考えた後
「先生、用心棒やってもらうのはどうでしょう
 ほら、こないだヤクザ者が来て、ちょっと騒ぎになったでしょ
 この人、身体大きいから、居てくれれば脅しになるんじゃないかしら?」
そう口添えしてくれる。

「先生を守るためなら、何にだって立ち向かいます!」
私が言うと
「まあ、先生ったら随分心酔されたもんですね
 任侠映画の子分が出来たみたいじゃないですか
 少し、使ってあげたらどうです」
彼女はクスクス笑いながら提案する。
「しかしだね」
先生はなおも何か言おうとするが
「お給料、いらないのね」
彼女はそれを無視して私に問いかけた。
「はい!先生をお守りしたいのです!」
私は彼女に懇願する。
「簡単なおつかいに出てくれる人が居ると便利だし、良いと思いますよ」
彼女の言葉で先生がため息をつきながら
「わかった、気が済むまで少し来てみればいい
 でも、本当にお給料出せないからな」
諦めたようにそう言った。

「頑張ります!」
私は喜びと共に答えるのであった。


仲間達に秩父先生の診療所で働かせてもらえるようになった事を話すと、彼らは喜んでくれ、協力すると言ってくれた。
昼の仕事が入っても自分たちだけで何とかするから、秩父先生に飼ってもらえるよう尽くしなさいと言ってくれたのだ。
仲間の思いやりに感謝しながら、私の診療所通いが始まった。




「用心棒…私はどうしていれば良いでしょうか?」
初日にそう尋ねると
「『用心棒』だと物騒な響きだから、患者さんには『何でも屋』を雇ってみた、とでも言っとくか」
先生は考え込みながら答える。
「サングラスのお医者さんに『何でも屋』
 うちの診療所、何だと思われるかしら」
看護婦さんが笑うと
「色物診療所だな」
秩父先生も笑ってくれたので、私も笑顔になった。

診療所にいると、私にも出来ることが多々出てきた。
小さな子供を連れてきた患者さんが診察を受けている間の子守、ぎっくり腰のお婆ちゃんを背負って家まで送り届ける、お茶の時間に食べるお茶菓子の買い出し。
少しでも先生のお役に立ちたくて、私は頑張ってそれらをこなしていった。
「ハナちゃんがいると、仕事に集中できて良いわ」
看護婦さんも事務の女の子も、そう言って私が居ることを喜んでくれた。
「ハナちゃん、この後も仕事あるのに悪いね」
先生は申し訳なさそうに言うが
「先生のお役に立ちたいのです」
私にとって、この診療所にいる時間は、仕事とはいえ何よりも心安らぐ大切な時間になっていった。


診療所に勤めるようになって1週間ほど経っただろうか、その日、私は少し早く宿を出てしまった。
『早く、秩父先生に会いたい』
そんな思いがあったのだろう。
診療所の扉に鍵はかかっていなかったので私はそのまま室内に入り、診察室に向かう。
「お早うございます」
そう声をかけると診察室から
「え?ハナちゃん?まだ早いじゃない?
 ちょっと待って」
焦ったような秩父先生の声が聞こえた後、ガツッと何かがぶつかる音、ガシャーンと物が倒れる音、『痛っ!』という悲鳴が響いた。

『待て』と言われたが先生の悲鳴で、私の身体は即座に動いていた。
「どうなさいました?」
私が診察室に飛び込むと、簡易机が倒れていて床にはピンセットや薬などが散らばっている。
先生は床に座り込んでいた。
私と目が合うと、情けない表情を作る。
先生はサングラスをかけていなかった。
大きな瞳に長い睫毛、口ヒゲが無いその顔はとても愛らしく、いつも撫でつけられている髪はボサボサで、少し寝癖が付いていた。

「バレちゃった」
肩を落とす先生を見て、私は自分が何か過ちを犯してしまったのだと悟った。
「申し訳ございません!」
必死に謝る私に
「いや、ハナちゃんが悪いんじゃないけどさ
 今日はちょっと寝坊してね、変装が間に合わなかった」
先生は苦笑を見せる。
「付けヒゲのノリが合わないのか、鼻の下はかぶれるし
 今日はどうしたもんかな」
ため息をつきながら
「ごめんね、同じ年くらいなのに偉ぶってこき使って」
そう私に謝ってくれた。
しかし、私には先生が何故謝るのか意味が分からなかった。

まだ床に座り込んでいる先生の側にしゃがむとその肩を抱き
「大丈夫ですか?お怪我はありませんか?」
大きな瞳をのぞき込んで尋ねた。
「思いっきりスネ打った、痣になったなこりゃ」
先生は力なく笑う。
私が先生のズボンの裾をめくると、確かに青あざが出来ていた。
「立てますか?冷やした方が良いかと…」
「いや、大丈夫」
先生は私を杖代わりに体重をかけ、自分で立ち上がってみせた。

「聞かないの?何で僕があんな陳腐な変装してたのか」
ポツリと呟く先生の側に立ち
「どのような姿をしていても、私が先生をお慕いする気持ちに変わりはありません
 先生がお若いことには気が付いていました
 私の仲間にも、外見だけ年経て見える者がおりますし」
私は静かにそう語りかけた。
「今のお姿を拝見してはいけなかったのでしょうか
 どうかこの件で、私を辞めさせないでください
 お側に居させてください」
私の懇願に、彼は驚いた顔を見せる。
「ハナちゃんって、変わってるね」
先生は少し微笑んで
「こーゆーとこで1人で診療所開くには、僕の外見ってちょっと頼りないんだ
 少しでも老けて見えた方が良いかな、って思ってさ
 室内なのにサングラスかけてたって訳
 もっとも、そのおかげで最初は胡散臭がられて患者さん来なかったけど」
ポツリポツリと自分のことを話し出した。

「鼻の下が赤い…今日はヒゲを付けない方がよろしそうです
 先生はヒゲ剃りに失敗して落ち込んでいるから、その件には触れないでくれ、と皆にはそう言っておきます」
何とか彼の力になれないかとそう提案すると
「ありがと、この件は暫く2人の秘密にしといて」
先生は嬉しそうな笑顔になった。

彼と『秘密』を共有できることは、私をとても誇らしい気持ちにさせるのであった。
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