このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

しっぽや(No.44~57)

戦後、僕たちは和銅の居ない村を出た。
村の男手が復員してきて僕たちの仕事が無くなってきたし、この村には長く居すぎたからだ。
もう少し都心の方は闇市が立ち、混乱しながらも人手を集めているような状況になっているという。
復興が始まっているのだ。
名残を惜しんでくれる村人たちがいることに感謝しながら、僕たちは村を後にするのであった。


その時は甲斐犬の僕、柴犬の新郷、それに秋田犬の白久と親鼻の4人で行動していた。
黒茶髪の僕と茶髪の新郷はまだしも、白髪の白久、白黒の奥深い色合いを持つ虎毛の親鼻の毛色は少し目立つ。
彼らは大型犬ゆえの長身である、と言うことも人目を引いたが、穏やかで大人しい性格であるため問題視されることは少なかった。
むしろ彼らは『心配性の若白髪』だと思われていた節があった。
人という者は、奇異な者を自分たちの常識の範囲内で収めるような作用を働かせる時がある。
僕たちにとって、それは幸運な事であった。



「都会ってのは、人の多いとこだよなー」
新郷がビックリした顔を見せるが、僕を含め他の者たちにしても同じ意見だった。
化生する前も化生した後も、こんなに人が多い場所で暮らしたことはない。
僕たちは日雇いの肉体労働をしながら『木賃宿』と呼ばれる宿泊施設を転々とする生活を送っていたのだ。
戦争が終わった復興期のこの時代、職を求める人が溢れかえっていた。
その中で成功する者しない者、明暗が別れ始めている時代でもあり、どうにも人間関係がギスギスしているように感じられた。
「『しっぽや』なんて屋号で『何でも屋』なんて始められるのは、まだまだ先って感じだよね
 待ってても仕事はこないから、自分たちで探しに行かなきゃならないし
 でも、資格やらが無くても仕事もらえるだけマシかな」
「『しっぽや』
 尾の無い私たちが尻尾を名乗る、面白い考えだと思うんですけどね」
「今だって出来そうな仕事は何でも引き受けてるし、『何でも屋』には違いないと思うよ」
狭い部屋に雑魚寝しながら、僕たちはそんな話をした。

「しかし、こんなに人が居るのに『飼って欲しい』って思える人に会えないのは寂しいもんだな」
新郷の言葉で、皆、言葉が出なくなる。
「うん、でもさ、飼い主と暮らせるなら、もっと落ち着いた時代の方が良いと思うよ
 きっともっと復興が進めば、穏やかな時代になるんじゃないかな」
僕が言葉を足すと、さらに重い空気が流れた。
戦争で新たに得た飼い主を失った僕を、気遣ってくれているのだ。
「これからは和銅が作ってくれた平和な時代になるんだ
 より良い時代がくるよう、少しでもお手伝いしたいよ
 犬の身にすぎない僕に、どれほどのことが出来るのかわからないけどね」
何でもないことのように笑いながら言うと
「私も、いつか出会える飼い主のために、良い時代を作るお手伝いがしたいです」
「俺も」
「私も」
仲間たちは同意してくれる。
「じゃ、体力温存のためもう寝ようか
 明日も朝から頑張ろう」
僕たちはそうやって、変わりゆく時代を過ごしていた。



それは戦後15年を過ぎた頃。
何か大きな催しが開催されるらしく、あちこちで頻繁に工事が始まるようになった。
僕たちは長く働ける現場にありつけたため、暫く同じ宿に逗留していた。
そこは同じ現場で働く人間たちが多く泊まっていた。
しかし、正体がバレないかという危惧は抱かずにすんだ。
彼らは皆、その日を暮らすだけで精一杯だったし、あまり他人の事情に深入りしようとしない。
多分、自分の事も詮索して欲しくないせいだと思われた。
会えば挨拶をするし、同じ店で食事をしたり世間話くらいはする。
人間との当たらず障らずの関係は、僕たちにとっては気楽なものであった。


僕たちには住民票や戸籍がない。
そのため、健康保険というものに加入したことはなかった。
病院に行けない僕らは、なるべく病気にならないよう、怪我をしないよう気を配っていた。
しかし、時に危険な作業を伴う工事現場では、ほんの一瞬の油断が事故につながる。
工期が押してしまい夜間も仕事をしていた僕たちは、その一瞬の油断に見舞われてしまった。
親鼻が、機械に指を挟まれたのだ。

「親鼻!」
僕たちは仲間の血の臭いを嗅ぎつけ、自分達の持ち場を離れてしまった。
「おい、お前達何やってんだ!さっさと持ち場に戻れ!」
すぐに現場監督の怒声が響く。
しかし僕たちは、親鼻の元を離れなかった。
「大丈夫か親鼻、指の感覚は?」
僕が問いかけると
「多分、指が千切れてはいないと思いますが
 痺れていて感覚がありません」
親鼻は顔を歪めながらそう答える。
指を押さえる彼の手の間からは、鮮血が滴っていた。
「どうしよう」
1番年若い新郷がオロオロとする。
「この辺にヨモギでも生えていれば、血止めが出来るんですけどね」
親鼻はそんな新郷を安心させるよう、微笑んだ。
「そんなことで済ませられる怪我じゃないだろう」
僕も内心かなり動揺していた。



「どうした?怪我したのか?」
持ち場に戻らない僕たちの元に、1人の人間が近寄ってきた。
彼は皆から『岩さん』と呼ばれている、50代くらいの人間だ。
あまり人付き合いの上手くない寡黙な人間だが、どう言うわけか僕たちには親切にしてくれた。
多分、彼が犬を飼っているせいだろう。
ジョンと言う雑種の人なつこい犬なので、宿でも黙認され皆に可愛がられていた。
岩さんは、犬が好きなのだ。

「あ、いえ、暫く押さえていれば大丈夫かと」
親鼻は慌てて岩さんに説明するが、滴る鮮血が事態の重さを物語っていた。
岩さんは顔色を変え
「こりゃ大変だ、病院に行った方が良い
 監督、こいつ事故ってる
 下手すりゃ指が動かなくなるぞ」
そう大声を出した。
現場監督も事態に気が付き
「しかたねーな、病院行ってこい」
そう言ってくれた。
しかし、行ける病院の当てなどない僕たちは動くことが出来なかった。

「保険証、無いんだろ?俺もそうだよ
 でも大丈夫、知ってる先生がいるんだ
 一緒に付いていってあげるよ」
岩さんが優しく親鼻に話しかけた。
僕たちは顔を見合わせる。
「ほら、さっさと行って戻ってこい」
現場監督にも促され
「じゃあ、僕も付き添いで行きます!」
僕は慌てて名乗りを上げた。
「私と新郷で、クロと親鼻の分まで頑張りますから」
白久が機転を利かせると
「おう、今夜中にここは終わらせるぞ!」
「よっし、やるか!」
「お前等の分までやってやるから、後で焼き鳥でも奢ってくれよ」
他の工事仲間達からも次々と声が上がり、工事再開となった。
厳つく粗野に見える彼らは、根は良い人たちなのだ。
「ありがとうございます」
僕と親鼻は彼らに頭を下げ、岩さんと共にその場を後にした。


岩さんに案内され住宅街を少し行くと、手書きの『秩父(ちちぶ)診療所』と書いた木製の看板が掛かっている2階建てのこじんまりとした家に着いた。
「先生!秩父先生、まだ起きてるだろ?
 急患だ、お願いします!」
岩さんが扉を叩くが、中は暗いままだった。
「先生!」
岩さんが粘って何度も扉を叩くと、やっと入口の明かりがついた。
「岩さん、もう診療時間は終わってるよ
 犬を診るのはごめんだからな」
扉の向こうから若々しい男の声が響いてくる。
その内容に、僕はギクリとした。
『何故、僕たちが犬だと?』
不安そうな顔をしてしまったのだろう、岩さんは安心させるように笑うと
「先生、違うよ、今日はジョンを連れてきたんじゃねえ
 仕事仲間が怪我しちまったんだよ
 このままじゃ、指が動かなくなりそうなんだ
 頼むよ、先生!」
そう訴えた。

「しょうがないな」
そんな声と共に、扉が開かれる。
『診療時間は終わっている』と言っていたが、出てきた人物は白衣を着ていた。
夜だというのにサングラスをかけている。
髪をきちんと撫でつけ、口ひげがあるため、声の印象より年輩に見えた。
僕よりは背が低いが、この時代の人にしては高い方だろうか。
彼は僕と親鼻を見比べ
「で、患者はどっち?」
そう聞いた。

「あ、あの、彼なんです」
僕が慌てて振り返って親鼻を指さすと、親鼻は驚いた顔で医師を見つめていた。
その頬は赤く染まり、鼓動が速まっているのが感じられる。
親鼻のこんなにも興奮した状態を、僕は見たことがなかった。
そして、その状態には僕にも覚えがあった。
『親鼻は、この秩父という医師に飼ってもらいたがっている』
そう、直感した。
親鼻に視線を向けた医師が最初に口にした言葉は
「おや、君、若白髪凄いね
 デカい図体してるくせに、小心者なのかい?」
そんな、身も蓋もないものであった。


診察室に明かりがともり、僕たちはゾロゾロと移動する。
「あーあ、こりゃ酷くやっちまったもんだ」
親鼻の指からは、まだ鮮血が滴っていた。
診察室の床に、点々と血が落ちる。
「申し訳ありません、後できちんと掃除いたしますから」
血の跡に気が付いた親鼻が慌てて頭を下げた。
「怪我人がそんなこと気にするなって
 白髪、増えるぞ?」
秩父医師は口元を緩めて笑うと、親鼻の傷の具合を診てくれた。
「こりゃ、縫わないとダメだ
 利き手はどっちだ?ああ、逆か、そりゃ幸い
 しかし、これは暫く動かせんぞ
 どれ、少し麻酔かけるか
 注射で暴れるなよ、図体デカい奴ほど注射怖がるからな~」
医師はしゃべりながらテキパキと診療を開始する。
親鼻は医師の言葉に逆らわず、大人しく診療を受けていた。

「俺は血はダメなんだ」
岩さんが青い顔で後ろを向いた。
血が苦手と言いながら、怪我人の親鼻をここまで案内してくれた彼に感謝の思いが湧く。
診療時間外に診察してくれている秩父医師にも、同様の思いを抱いた。
やはり、人と共に有りたいと願った僕達は間違っていないのだと、そう感じて暖かい気持ちになれた。
2/35ページ
スキ