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しっぽや(No.32~43)

日曜日、俺は頑張って早起きをして準備をする。
準備と言っても、着替えて身支度を整えた程度だ。
朝ご飯も昼ご飯も飲み物も、白久達が用意すると言ってくれた。
俺も日野も、最小限の荷物で行くことになっている。
『朝からずっと白久と居られるんだ』
俺は浮かれた気分で家を出ると、朝の清々しい空気を吸って意気揚々と駅に向かうのであった。


影森マンション最寄り駅で日野と待ち合わせをしている。
現れた日野は、大きなトートバッグを持っていた。
「え?何持ってきたの?何か必要だったっけ?」
焦る俺に
「いや、お土産用のリンゴを入れようかと思って
 婆ちゃんがあちこちに『孫が採ってきたリンゴ』とかって配りたいんだってさ
 スーパーで買うより高くつきそうだけど『孫が採った』ってとこがポイントだとか
 ジャムとか焼きリンゴも作りたいって言っててさ
 買い取り用の小遣い渡された」
日野が照れた顔を見せる。

「買い取り?」
「うん、あーゆーとこって、採った分のリンゴはその場で食べるか、買い取りになるんだよ
 あんまり調子にのって採ると、大変なことになるから気を付けろって言われた」
日野の言葉に、俺はビックリする。
「リンゴ狩りって、そんなシステムなんだ?
 俺、2個も食べれば十分だな
 土産は…6個くらいか?母さんお菓子とか作んないし
 これは厳選して採らないと」
俺は気を引き締めて、待ち合わせ場所に向かった。


影森マンションの駐車場では、ゲンさん達が車に荷物の積み込みをしていた。
「おはようございます」
俺と日野が声をかけると
「おう、おはよう」
ゲンさんが丸サングラスを持ち上げてヒヒッと笑う。
今日の格好はラフなシャツにジーンズで、いつもの背広スタイルよりゲンさんによく似合っていた。
「おはようございます」
長瀞さんは長い髪を後ろで一つにまとめ、白いジーンズを履いている。
黒谷も白久もいつものスーツではなく、カジュアルで動きやすそうな服装をしていた。
白久は、以前に俺が買ってあげた帽子を被っている。

「おはよ白久、帽子使ってくれてるんだね」
俺が声をかけると
「荒木、おはようございます
 クールな犬に見えるでしょうか?荒木に、気に入っていただけると良いのですが」
白久は心配そうな顔で確認してくる。
「似合ってる!」
俺の言葉で、白久の顔が輝いた。
俺達の隣では
「黒谷はどんなデザインでも黒が似合うね」
日野に褒められた黒谷も顔を輝かせていた。
荷物を積み込んだワンボックスカーに乗り込むと、俺達はリンゴ農園目指し出発するのであった。


運転席のゲンさんは
「何か、遠足の引率してる学校の先生になった気分だな
 中川ちゃんの気持ちがわかるぜ」
上機嫌でハンドルを握っている。
流石に運転中はサングラスをかけていなかった。
助手席にはゲンさんの世話を焼く気満々の長瀞さんが座っている。
俺と白久、日野、黒谷は後部席に陣取っていた。
後部席と言ってもゲンさんの車は座席が取り外されていて、シートが敷かれた広々としたスペースになっている。
荷物を固定する工夫もなされていて、快適な空間であった。

「今日の弁当はデカワンコちゃん達が飼い主のために頑張って作ったんだ、お前等、うんと褒めてやれよ
 ちなみに、ナガトは事務所に配る用の弁当を作って空と双子に持たせたのだ
 俺達だけ遊びに行くのも気が引けるんで、皆にも幸せのお裾分け
 名シェフ長瀞の特製弁当!ありがたいよな」
ゲンさんは得意げに笑った。
「日野、朝ご飯抜きでお腹が空いたでしょう
 いっぱい召し上がってくださいね」
黒谷が甲斐甲斐しくお弁当を広げ始めた。
「荒木、好きな物をお選びください」
白久も負けじと俺の前に色々並べ始める。
大量のサンドイッチが所狭しと並んでいた。
俺も日野も目移りしてしまう。

「あ、エビとアボカドのサンドイッチ」
俺の言葉に
「以前に荒木が美味しそうに食べていたので、作ってみました
 マヨネーズに少しバジルを混ぜてみたのですが、お気に召しますでしょうか」
白久がサンドイッチを取り分けながら説明してくれる。
一口食べると、お店で食べた物と同じくらい美味しかった。
「凄い美味しい!」
思わず叫んだ俺の言葉を受け
「お、じゃあ、オジサンも荒木少年お勧めサンドにしようかな」
ゲンさんが口を開く。
「白久、エビとアボカドサンドを1つ取ってください
 私にはツナサンドを、それと温野菜サラダもお願いします」
すかさず、長瀞さんが白久に頼む。
しっかり野菜も頼んでいるあたり、流石だった。

「日野、スモークチキンのサンドはいかがですか?
 ハムカツもありますよ」
日野は朝からガッツリと、肉系のサンドイッチを食べている。
「こちらのディップを温野菜につけてください
 これはマヨネーズに味噌とゴマを混ぜたもの、こちらは醤油と刻んだ大葉を入れてサッパリと仕上げてあります」
「温野菜は茹でたのではなく蒸してあるので、野菜の甘みが引き立ちますよ」
白久と黒谷は嬉しそうに料理の説明を続けていた。



朝ご飯はとても美味しかったので、俺はつい食べ過ぎてしまった。
「やばい、これからリンゴ食べられるかな」
お腹をさすりながら言うと
「デザートは別腹」
日野がニンマリと笑う。
「さっすが、日野少年は頼もしいね」
ゲンさんは楽しそうに笑い
「これから行く農園の案内、プリントアウトしといたんだ
 飼い主とワンコちゃん、ペアで1セットな
 着くまでに見とくといいぜ」
そう言って、数枚の用紙を取り出した。
俺と白久は顔を付き合わせて渡された紙をのぞき込む。

「へー、リンゴってこんなに種類があるんだね
 何々?『ふじ』は密入りリンゴの代表格、『つがる』はやわらかい果肉で食べやすい
 『ジョナゴールド』は料理にも向いていて、『シナノスイート』は香り豊かで果汁たっぷり
 『陽光(ようこう)』はしっかりとした歯ごたえ、『王林(おうりん)』は酸味が少なくきめ細かい果肉
 まだまだある!覚えきれないよ」
俺は試験前日の気分になってきた。
「しかも、収穫時期がまちまちだ
 今の時期だと、シナノスイート、ジョナゴールド、陽光あたり?
 土産用には何を採れば良いんだ?」
多分、日野も俺と同じ気分になっているのであろう。
用紙を見ながら難しい顔をしている。

「まあ、その辺はあくまでも目安って事で
 果物は当たり外れがデカいから、品種分かっても素人にゃそうそう当たりばっかり採れないって
 でも、一応そこに採るときのポイントも書いてあるだろ?」
ゲンさんに指摘され
「ここだ『全体が赤くツヤがあり、お尻のへこみが大きい物や、ツルが太い物は美味しい』だって
 あ、保存のポイントも書いてある
 長期保存なら新聞紙でくるんでポリ袋に入れて冷蔵庫か」
今まで気にしたこともなかったけど、何だか奥深い世界だ。
「ゲンさん、採るときこの紙持って行って良いのかな?」
オズオズと訪ねる日野に
「試験じゃねーんだから、それ見ながら採って良いって
 つか、その場で食って美味かったのを選んだ方が、お祖母さんは嬉しがると思うぜ
 『孫チョイスのリンゴ』だかんな」
ゲンさんがヒヒッと笑う。
「そっか!よし、気合い入れて食べ比べるぜ!」
ゲンさんの言葉に、日野が闘志を燃やしていた。

「持ち帰ったリンゴでアップルパイを作りたいと思ってます
 荒木、召し上がっていただけますか?」
微笑みながら聞いてくる白久に
「もちろん!凄い楽しみ!」
俺は笑顔で答える。
「僕も作りますよ、日野」
張り合うように言う黒谷を
「うん、俺も楽しみにしてる」
日野は優しく見つめていた。
「暫くはしっぽやのお茶の時間は、リンゴ菓子まみれになりそうだな」
ゲンさんが楽しそうに笑った。


それから1時間近く走り、車は農園の駐車場に停まる。
天気の良い日曜日なので、駐車場にはけっこうな数の車が停められていた。
「弁当持ち込み可のとこだけど、リンゴ優先で食べるから持ってかないぜ
 ランチは場所を変えて食おう」
車を降りるとき、ゲンさんがウインクしてそう言った。
「今回、食べてばっかですね
 食べきれるかな」
俺が苦笑して言うと
「なあに、日野少年がいりゃ、楽勝だろ」
ゲンさんは悪戯っぽく笑う。

ゲンさんが受付を済ませてくれて、俺達は農園に入っていった。
人の姿は多かったが、広々とした場所なのでゆったりと採れそうであった。
「リンゴの良い匂いがするね」
周囲の木々を見回すと、真っ赤なリンゴがたわわに実っていた。
俺達は適当に散りながら、リンゴを物色する。
俺の目が届かない高所のリンゴを、白久に見てもらった。

「荒木、これはどうでしょうか、真っ赤に熟していますよ」
白久が採ってくれたリンゴはとても美味しそうだった。
持っていたハンカチで軽く表面を拭くと、俺はそのままリンゴにかぶりつく。
口の中に甘い果汁が広がっていった。
瑞々しい果肉のシャリシャリとした食感も爽やかだ。
「甘くて美味しい!白久も食べてみて
 シェアして、色々食べ比べようよ」
俺が差し出したリンゴを、白久も口にする。
「収穫してから流通の過程で熟すのではないですからね
 木に生っている状態で熟すので、甘みが違う気がします」
微笑みながらリンゴを食べる白久は、とても可愛かった。

このリンゴが美味しい理由は他にもある。
白久が俺のために選んで採ってくれたからだ。
『何か、日野のお祖母さんの気持ちが分かるかも』
俺は白久に向き直ると
「白久、今日は俺のためにリンゴ採って」
そうお願いしてみた。
「はい!お任せください」
白久は誇らかな顔で頷いてくれる。

俺達は違う品種の木に移動して、そこでもリンゴを1つ採り食べてみた。
「さっきのより酸っぱいかな?
 でも、さっぱりしてて美味しい
 そっか、甘いのばっか食べてても、舌が慣れちゃって美味しく感じなくなるのか」
「これは、お菓子に向いていそうですね」
白久とあれこれ話しながらリンゴを採るのは、とても楽しかった。
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