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しっぽや(No.1~10)

俺が羽生に額をつけると、徐々に目の前が暗くなる。
白久の時のようにはっきりとしない、何かモヤモヤとした光景が見えてきた。

段ボール箱に入れられている黒い子猫。
その箱を開け抱き上げてくれる手、そのまま優しく撫でてくれる手。
その手が用意するミルクが入ったお椀。
誰かの足音、慌てて子猫を段ボール箱に戻す手。

「これ以上は無理だー!」
プハーと息を吐き出す羽生の声で、俺は我に返った。
「何か見えましたか?」
白久が俺に話しかけてくる。
「見えた…、いや、顔は見えなかったけど、あいつの着てるあれって、中学んときの制服だ!
 つまり、『サトシ』は同じ中学出身の奴なんだよ!」
そう気が付いて、俺は興奮していた。
「中学生の時、どこかでこっそり子猫を飼ってたんだ
 そういやあいつ、公団に住んでた気がする!」
俺の興奮が羽生にも伝わったのか
「サトシのいるとこ、わかったの?」
瞳を輝かせて聞いてきた。

「ああ、多分隣のクラスの奴だ
 明日、一緒に学校に行って確認しよう」
俺はそう言うものの、校内で自分一人で羽生を制御出来るか不安になった。
「白久も付いて来て…って、校内に入れないか
 誰かの父兄って言うには無理あるし…」
迷う俺に
「外で待機しております、こちらでお呼びください
 即座に駆け付けます」
白久は犬笛を渡してくれた。



翌日、昼休みで騒然としている学校内に、こっそり羽生を連れて行った。
予め制服を着せているため、一見すると部外者に見えないだろう。
「教室に居れば良いんだけど…
 とりあえず、行ってみるか」
俺は羽生の手を引いて、校内を歩き出した。
「あ、サトシの匂いがする…」
羽生が空気の匂いを嗅ぐように、顔を上げる。
後輩がチラチラとこちらを見ているのがわかり、俺は焦り始めた。

『くそー、こいつ、無駄にキレイだから目立つんだよな』
俺は小走りになり羽生を引っ張って移動し始めた。
「違うよ、こっちからサトシの匂いがする!
 サトシが居るんだ!」
羽生は、逆に俺を引っ張って駆け出した。
『ひえーっ、こんなに早く、これを使う事になろうとは!』
俺は白久に渡された犬笛を吹いた。
『………?これ、吹いた事になってんの?』
まったく音が出ない上、吹いている感覚も無いそれに、俺は不安を感じていた。

羽生に引っ張られて着いた先は、歴史資料室だった。
ここは世界史、日本史、古文などで使う資料が置いてあるのだ。
「え?何でこんなとこに…?」
俺は訳がわからず、パニックに陥った。
羽生はガラッと引き戸を開け、中に入り込む。
「あ、待てよ!」
俺も慌ててその後を追った。

中では誰かが資料の山と格闘中であった。
背広を着ているので、生徒ではない。
『ヤバイ、先生が資料取りに来てるんだ』
俺は羽生を捕まえようと手を延ばすが、羽生はそれをスルリとかわし、あろうことか先生に後ろからタックルをかました。
2人はそのまま、資料の山に突っ込んでいく。
「サトシ!!」
羽生は、先生の背中に額をぐいぐい押し付けていた。


「あ痛たた…こら、こんなとこでふざけちゃ駄目だろ!」
頭をさすりながら起き上がったのは、中川先生だった。
「中川先生?!何でこんなとこにいるの?」
俺は驚いて大きな声を出してしまった。
ここには現国の資料なんて置いてないはずである。
「いや、古文の資料を借りようと思ってな
 って、お前たち、鬼ごっこは校庭でやりなさい!
 それとも高校生にもなって、隠れんぼでもしてたのか?」
中川先生は爽やかに笑っているが、俺は肝が冷えっぱなしだった。
羽生はまだ中川先生にしがみついている。

「サトシ!サトシ!」
嬉しそうに言う羽生に
「先生の事、名前で呼び捨てにしちゃ駄目じゃないか
 ちゃんと『中川先生』って呼びなさい」
先生は苦笑しながら言い、ここでやっと羽生をまともに見て訝しい顔になる。
「あれ、君、何組の生徒だっけ?
 俺の受け持ち学年?
 野上、この子ってクラブの後輩かな?」
そう聞かれても、一度にいろんな事が起こりすぎて、俺の頭はパンクしていた。
「え?先生、サトシって言うの?
 羽生、行儀良くしてくれ!
 ああ、もう、行儀の問題じゃなく、白久、助けてー!」

「荒木!」
俺が叫んだとたん、白久が部屋に飛び込んできた。
「遅くなり、申し訳ございません
 何分ここは人が多く、移動に時間がかかってしまいました」
白久はそっと、俺を抱き締める。
明らかに父兄には見えない白久に、中川先生は不審な顔を向けた。
「ここは学校ですよ、関係者以外立ち入り禁止です
 許可証はお持ちですか?」
羽生を庇うように立ちながら白久を睨む中川先生は教師の鑑のようだが、俺にとってはそれどころではなかった。
『あれ、だって中川先生、猫は嫌いだって言ってたぞ
 本当に羽生の『サトシ』なのか?』
疑問は山のようにあるが、今はとにかく羽生を確保する方が先だと判断する。
「白久、羽生を」
その言葉だけで、白久には俺の言うことが伝わった。

「羽生、落ち着いて、こちらに来なさい
 荒木に迷惑をかけてはいけません
 今日はもう帰りましょう」
白久に言われ、羽生はやっと我に返った顔を見せるが
「でも、サトシに会えたのに!
 サトシと別れるの、嫌だよ!
 また、箱の中で独りぼっちになるのは、もう嫌だよ!!」
そう言って泣き出してしまった。
羽生の涙を見て、俺も白久も無理に2人を引き離せなくなる。

「何を言っているんだ?
 君はこの学校の生徒じゃないのか?」
さすがに羽生に不審なものを感じた中川先生が、その顔をマジマジと見る。
「サトシ、俺の事忘れちゃったの…?」
悲しそうな顔で中川先生の事を見ている羽生に胸が痛み
「先生って、この辺の出身ですか?
 中学生の時、どこかでこっそり猫飼ってませんでしたか?」
俺は思わず、そう聞いていた。
「何で知って…!」
先生は明らかにギクリとした顔になる。
「サトシ、俺だよ、わからない?
 いつも俺のこと、キレイだって言ってくれたよね」
そう言うと、羽生の瞳の色が変化した。
光彩が縦になり、明るい金色の瞳、猫の瞳になったのだ。

「あ、まさか…!
 その目!!
 ハニー?」
先生の顔に驚愕が広がる。
「うん、そう、俺のことわかる?サトシ!」
羽生は、嬉しそうに中川先生に抱き付いて額を押し付けた。
「ごめん、ごめんよ、ハニー!!
 やっぱり化け猫になっちゃったんだね
 俺のこと恨んでるだろ?
 ごめん、ごめん、ごめん…」
今度は中川先生が泣き出して、羽生をキツく抱き締めた。
俺も白久も訳がわからず、ポカンとしながら顔を見合わせるしかなかった。
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