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しっぽや(No.32~43)

すっかり冷めてしまったコーヒーを飲みながら、俺はソファーに腰掛けフィナンシェを口にする。
子犬は俺の膝の上で、まだ指を噛んでいた。
俺の隣には新郷が座り、同じくフィナンシェを口にしながら
「桜ちゃんって、本当に最高の飼い主だろ」
黒谷に自慢げに話しかけていた。
「犬が嫌いだと聞いていたのに、なんとまあ」
しみじみと頷いている黒谷に
「いや、家には新郷という番犬はいるが、他の人はそう思わないだろう
 玄関先に本物の犬に居てもらえれば、防犯効果があると聞いているし
 俺が学校に行って、新郷も仕事に出ている間は不用心かなと思っていたところなので丁度良かったというか」
俺は何となく弁解じみた言葉を口にしていた。

「桜ちゃん、その子気に入ったんだ?」
新郷が俺の顔をのぞき込むように訪ねてくる。
「まあ、新郷と同じ毛色の柴犬だしな」
俺の答えに
「俺よりも気に入ったの?そいつがチビだから?」
少し拗ねた感じでさらに聞いてくる。
「新郷は俺にとって特別な犬だ、比べられるものではない」
俺が慌てて答えると、新郷は嬉しそうな顔でキスをしてきた。
「桜ちゃん、そいつの事なら大丈夫だよ
 第一、桜ちゃんは俺だけの飼い主なんだから」
新郷は子犬に見せつけるように、俺の肩を抱いて耳元に囁いた。
「大丈夫って、何が…?」
いぶかしむ俺に
「ああ、来た来た」
黒谷がそう言って、微笑みながらドアを指し示した。

ノックもそこそこに扉が乱暴に開かれる。
「あ、あの、散歩中に犬が逃げちゃって
 首輪が緩かったみたいで、スポンって抜けたら、あっという間に走って行かれて」
ゼイゼイと息を切らしながら、俺と同じくらいの歳の男が事務所に入ってきた。
「あちこち探してみたけど、みつからなくて
 まだ歯も生えてないような、小さな茶色い柴犬なんです
 どうしよう、事故にあっちゃうかも」
涙目になりながら、所長机のイスに座る黒谷に訴えかけている。
「え?」
思わず声を上げた俺に視線を向けた男が
「あっ!」
膝を指さして固まった。

「ムサシ!」
名前を呼ばれた子犬は激しく尻尾を振りながら、男の方に駆けていく。
あんなに小さいのに、きちんと飼い主を認識しているようだ。
「ね、大丈夫だって言ったろ?」
新郷は悪戯っぽく笑ってウインクした。
「あのチビ、ゴミ捨て場の段ボール箱の中で遊んでただけ
 捨てられてると勘違いした子供達が保護してくれたんだよ
 ここに居りゃ事故に合わなくて安全だから、助かったけどな
 この近所で飼い主とはぐれたなら、飼い主は高確率でうちに駆け込んでくるって踏んでたんだ」
そう言うと新郷は飼い主に向き直り
「お兄さん、このチビ散歩に連れ出すのはまだ早いよ
 ワクチン打ってから徐々に外に慣らしなね」
ニヒッと笑った。

先に子犬を保護していた事に感激した男は、相談料として3千円を置いていってくれた。
「お茶しててお金稼げるなんて、ラッキーだったね」
黒谷と新郷はニンマリと笑う。
「最初から分かってたのか」
俺が半ば呆れて口にすると
「柴犬のことなら、お任せあれ」
新郷は大仰に礼をした。
このケースは最短依頼達成記録として、伝説となるのであった。



その夜、新郷の引っ越しを機に新しく買ったダブルベッドの上で
「桜ちゃん、本気であいつのこと飼うつもりだったの?」
俺を抱き寄せている彼が耳元で囁いた。
「男に二言はないと言ったろ?」
俺は早くなっていく鼓動を意識しながら答える。
「本物の犬、飼いたい?」
新郷の唇が耳から頬、首筋に移動する。
「新郷がいれば十分だ
 しかし、あんなに小さな子を保健所に連れて行くわけにもいくまい
 …んっ」
新郷のもたらす刺激で、体が反応し始めていた。
「桜ちゃん、あいつに噛まれたのに嬉しそうだった」
拗ねたような新郷の言葉に
「甘噛みだ、痛くはない」
彼の髪を優しく撫でながら、俺は安心させるように言う。

「甘噛み…」
新郷は少し考え込んだ後、俺の肩にそっと歯を立てた。
「んんっ!」
驚いて、体がビクリと反応してしまう。
「新郷、何を…?」
彼は確かめるように胸や腹に唇を移動させ、そっと歯を立てていく。
痛くはないし彼が決して俺を傷つけることはしないと分かっていても、その刺激に体が勝手に反応してしまう。
「あっ…や…」
羞恥と快感で体が熱く火照っていく。
「桜ちゃん、甘噛み好きなんだね
 すごく反応いいもの」
新郷は囁きながら俺の中心に手を伸ばし、すでに堅くなっているそれを優しく包み刺激し始めた。
その間も、彼の歯が体中を刺激していく。
「新…郷…」
俺はあまりの快感に頭が真っ白になる。
新郷は一晩かけて俺の敏感な部分を開発していった。


翌日、さすがに2人とも昼まで寝てしまい俺は自主休講、新郷は重役出勤となる。
『何をやっているのか』と自分に呆れもするが、俺を見つめる新郷の幸せそうな顔を見ていたら『まあ良いか』と思えてくる。

犬と暮らすという事は、楽しくて刺激的で幸せなことなのだ。
新郷は俺にとって最高の犬であった。






『そう言えば、昨夜もかなり激しくされたな…』
現在に思考を戻し、俺はぬるくなったコーヒーを口にした。
昨夜の自分を思い返すと、顔が熱くなってくる。
『まったく、どこであんなテクニックを覚えてくるのか
 黒谷と白久の飼い主に、余計なことを吹聴してないと良いのだが』
しかし新郷が昔と変わらずに俺のことを『可愛い』と言ってくれる事は、内心とても嬉しかった。

「よし、こんなもんかな
 桜ちゃん、これプリントアウトしてみるからチェックお願いします」
新郷が延びをしながら立ち上がる。
「ああ、ご苦労様」
俺は新郷に微笑みかけた。

この会計事務所は、新郷が俺を補佐をしてくれるというので独立に踏み切ったのだ。
新郷はきちんとした資格を持っていないが俺が教えたことを懸命に覚えたため、その辺の会計士よりよほど有能である。
事務所を構えるにあたり、化生の飼い主であるという事で便宜を図ってもらえたのもありがたかった。
ここの賃料は相場の半額以下だ。
おかげで俺と新郷、2人しかいないこじんまりした事務所でも、何とかやっていける。
弱小事務所ゆえ忙しいと時とそうでない時の落差が激しいが、気楽にやっていけるので性に合っていた。
忙しいときは泊まり込めるほど、室内には余裕がある贅沢な事務所であった。

プリンターから出力された用紙を持って、新郷が近づいてくる。
「お願いします」
用紙を手渡しながら、さりげなく俺の頬にキスをした。
人前では堅く禁じているため無駄に接触はしてこないが、事務所内なら他に誰もいないので俺は彼の好きにさせていた。
新郷は飲み終わったカップを下げ、洗ってくれる。
部下にして秘書や事務員といった役割もこなしてくれる新郷は、俺には無くてはならない存在だ。
新郷が居てくれるため、余分な人員を雇わずにすんでいた。
『恋人にしてペットでもあるか…
 本当に万能な奴だな』
彼の存在をありがたく思いながら、書類をチェックする。
ほとんど完璧であったが
「2ヶ所の誤変換、3ヶ所の誤字がある
 それと、ここの行間はもう少し空けた方が良いな」
そう指摘する。
「1回で決まらなかったか…直します」
彼は肩を落としてうなだれた。

「この前よりチェックした項目は減っている
 新しいソフトを使い始めたばかりだから、仕方ない面もあるさ
 慣れるまでは、お互いチェックしあった方が良いだろう
 俺の方も、後で確認してくれ
 自分では気付き難いから、違う人の目で見てもらえるのはありがたい」
俺がそう言うと
「はい」
新郷は微笑みながら頷いた。

「今夜は長瀞の手料理が食べられるんだ
 それをご褒美だと思って、もう一頑張りするぞ」
俺の言葉に
「桜ちゃんからのご褒美は?」
新郷は悪戯っぽく笑う。
「昨夜、先払いしたと思うが?」
俺はサラリと流した。
「うーむ、確かに昨夜の桜ちゃんはいつにも増して可愛かった
 ここんとこ忙しくて、久しぶりだったし
 でも、昨晩のおさらいをしときたいなー」
彼は神妙な顔をして考え込んだ。

「ほら、さっさと片づけて、今日は定時で上がろう
 長瀞一人に魚の処理をさせないで、手伝うぞ」
このままでは『今夜も』と言い出しかねないので、俺は話題を逸らすことにする。
さすがに2晩続けてあんなに激しくされたら、明日は動けなくなりそうだ。

「あ、あのボラ、今度は半身を唐揚げにするのも良いね
 どうせ揚げ物するなら、アジフライも作るか
 揚げたてのアジフライ、最高!
 けっこう大きいの釣れたもんな
 あのサイズなら、ふっくら揚がるよ
 アイナメとメバルは刺身、花鯛は塩振って蒸し焼き
 4人で食べきれるかな、今回はまれにみる大漁だったもんね」
新郷は嬉しそうにニヒッと笑う。

「黒谷や白久にもお裾分けすれば良いさ
 そのつもりで、釣果は全部持ってきたのだし」
「せっかくなら、荒木と日野にも来てもらったら?
 ゲンは大勢で食事するの好きだから、歓迎すると思うぜ
 俺、あの2人に桜ちゃんの自慢したりないもん」
ますます嬉しそうに笑う新郷に
「夜の事、してるときの話とか俺の体についての話は絶対にするなよ!」
俺は睨みを効かせて、そう厳命する。
「えー?」
新郷は情けない顔で俺を見た。
やはり、その辺を自慢するつもりだったらしい。
「『えー?』じゃない、『はい』だ」
冷たく言い放つと
「…はい」
新郷は渋々と頷いた。

「約束だぞ」
そう言って優しく頭を撫で頬にキスをすると、すぐに新郷は顔を輝かせる。
「はい!
 よっし、もう一頑張りだ!」
張り切ってデスクに戻る彼に
「黒谷に電話して、今夜の予定を伝えておくよ
 今日中に後2件終わらせて、気持ちよく帰ろう」
そう声をかける。
「はい!」
新郷は輝く笑顔を俺に向けた。


その夜は、ゲンの部屋に集まって賑やかな夜を過ごした。
それはまだ両親も弟も生きていた頃、ゲンの家に集まって過ごした幸せな夜を思い起こさせた。

俺は胸に、また暖かな光が満ちるのを感じた。
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