しっぽや(No.32~43)
「お前に一目惚れした奴がいるんで、会ってやってくれないか」
ゲンにそう言われたとき、俺は変わった冗談を思いついたな、としか思わなかった。
ゲンは時々、突拍子もない話を思いついては得意げに語って聞かせるのだ。
「本当にそんな奴がいるなら、会ってやるさ」
『なーんてな』
と言う冗談めいた返事を期待してそう答えたのに、ゲンは本当に1人の男を連れて家にやってきた。
それは以前に街角でゲンと一緒に会ったことのある男だった。
中国美人を思わせるアーモンド型の瞳、柔らかそうな茶色の髪、それでいて純和風と言った感じのキリリと引き締まった雰囲気。
こう言っては失礼だが、どことなく俺の嫌いな柴犬を思わせる風貌であるため正直苦手なタイプであった。
ゲンの知り合いであることは知っていたので、最初は2人で俺をからかっているのだと思っていた。
かなり冷たい態度で拒絶したにもかかわらず、彼は家に出入りするようになってしまった。
最初はまともに相手をしなかったが、徐々に彼が本気で俺の気を引こうとしていることが伺えた。
俺の好みにあったおかずを用意したり楽しそうに掃除をしたり、こちらが申し訳なく感じるほどの献身ぶりで、俺と親しくなりたいと言う言葉に嘘は無いようであった。
『恋人』と言うのは考えられないが『友達』としては十分に魅力的な人であると、俺はすぐに思うようになっていた。
彼が俺を噛んだ柴犬の代わりに謝ってくれた時は変わった感覚の人だと思ったが、何故か俺も犬に謝られたようで少し胸がスッとするのを感じていた。
彼が本当は俺に飼って欲しいと思っていると聞いたときは憤りを感じたが、雷に怯える彼をなだめているうち
『この人は少し感覚がズレているけど、基本的には悪い人じゃないのではないか』
そんな風に思い、その後も彼と一定の距離を保って付き合っていった。
その距離が一気に縮まったのは一緒に海釣りに行った時だ。
久しぶりに誰かと釣りに行き、俺は少し浮かれていたのかもしれない。
魚に引かれ海に落ちるなどと言う、本当に間抜けな事をしてしまった。
新郷は夜の海に飛び込んで、俺を助けてくれた。
その後、竿を取りに再び海に飛び込んだ彼を見て、俺の中に大事な人に置いていかれる恐怖が襲いかかってきた。
入院したゲンは戻ってきてくれた。
でも、両親と弟は戻ってきてくれなかった。
新郷も俺を置いていってしまうかもしれない。
いつの間にか俺にとって新郷は、側に居てくれるのが当たり前のように感じられる大事な存在になっていた。
その時初めて、自分が新郷のことを好きなのだと気が付いたのだ。
自分でも姑息だと思ったが新郷に離れていってもらいたくない俺は、彼の望みを叶えることにする。
『俺が新郷を犬として飼う』
それが彼の望みであった。
少しくらいなら彼の変態的プレイに付き合おうと覚悟して『飼う』と言ったのだが、新郷は本当に柴犬だった。
彼は純粋に俺に飼われたがっていた、犬の化生だったのだ。
犬、しかも柴犬を飼うなど、今までの自分にとっては考えられない選択である。
しかし新郷は俺の知っている、いつもヒステリックに吠え立てるだけの犬とは違っていた。
『飼い主を守りたい』
そんな真摯な思いを胸に抱えていたのだ。
以前の飼い主を亡くし胸に穴を抱えたまま次の飼い主を求める、健気な犬だったのだ。
俺はその時、大嫌いな柴犬であるにもかかわらず本気で新郷のことを『可愛い』と感じていた。
化生と呼ばれる彼らが飼い主と『契る』ことを誉れとしていると聞いたときは驚いた。
しかし、結局そんな関係になるのか、と言う予感めいた思いがあったのも事実である。
彼と家に帰ってその肉体を初めて間近で見たとき、俺は自分の鼓動が速まるのを感じた。
きれいに筋肉がついて引き締まった胸や腹、逞しい腕。
先ほど自分はこの体に助けられ抱きしめられたのだと思うと、もっと触れてみたいという思いに駆られた。
初めて合わせた新郷の唇の感触がよみがえってくる。
自分がこんなにも淫らな事を考えていることに驚いたが、決心が揺らがぬうちにと、俺はその後すぐに新郷に身を任せることにした。
新郷は優しく愛してくれて、俺の最後の抵抗心を取り払ってくれた。
彼の愛撫はとても巧みで、誰かとこんな関係になるのは初めてだというのに俺は何度も達してしまった。
そして新郷に想いを注がれることが、誇らかな事に感じられた。
彼に抱かれるうち、胸に空いていた穴に何かが満ちていく感覚がした。
家族が死んでから、こんなに深く他人を受け入れたのは初めてであった。
俺にとっても新郷は、大切で可愛くて愛しい飼い犬になったのだ。
俺たちはすぐに、俺の家で一緒に暮らす事にした。
ゲンにそのことを伝えると
『最高の番犬を手に入れたな』
嬉しそうに笑いながら祝福してくれる。
引っ越しも手伝ってくれた。
ゲンと長瀞が2人で遊びに来てくれたり、今までの孤独な生活と比べると新郷と知り合ってからの人生は輝いていた。
ゲンがそうであるように、俺も学校が休みの時は何かとしっぽや事務所に顔を出すようになった。
最初は黒谷や白久といった大きな犬が怖かったが、穏やかな彼らに俺はすぐに気を許すようになる。
彼らも新郷の飼い主である俺に、最初から好意的であった。
「こんにちは」
ノックとともにドアを開けしっぽや事務所に入ると
「やあ、いらっしゃい桜さん」
所長である黒谷が朗らかに答えてくれる。
ここの化生たちは新郷の影響か俺のことを『桜』と呼んでいた。
すぐに新郷が所員控え室から姿を現し
「桜ちゃん、ナイスタイミング!
さっき依頼人からお礼に焼き菓子貰ったんで、お茶してたんだ
すぐコーヒー淹れるから待ってて」
満面の笑顔でそう言った。
そういえば事務所のソファーには小学3、4年生くらいの男の子が2人腰掛けて、ミルクを飲みながらマドレーヌを食べている。
彼らの足下では茶色い柴犬の子犬が皿に入ったミルクを夢中で舐めていた。
『柴犬だから、新郷のお手柄かな』
そんな事を思いながらその光景を見るが、どうにも子供たちの表情が暗い。
目が赤いところをみると、泣いていたようだ。
不審に思っていると、お菓子を食べているというのに1人の子供の目に大きな涙が浮かんできた。
それはすぐに頬を伝ってポタリと膝に落ち、その子のズボンに染みを作る。
「うっ、う…」
嗚咽をもらす小さな肩が震えていた。
連鎖的に、もう1人の子供も泣き出してしまう。
黒谷が困った顔で2人の側にしゃがみこみ
「大丈夫だから、おじちゃんが必ず里親をみつけてあげるからね」
なだめるようにそう言った。
それでも泣き続ける子供の膝に、子犬がまとわりつく。
遊んで欲しくてしかたない風だった。
子供はその子犬を抱きしめると
「ごめんね、ごめんね、うち、アパートなんだ」
しゃくりあげながらそう話しかけた。
「僕んとこも公団だから」
もう1人も泣きながら子犬を撫でていた。
黒谷が困った顔で俺に向き直り
「この子犬ね、ゴミ捨て場の段ボール箱の中に入ってたんだって
この子達、拾ったは良いけど自分じゃ飼えなくて、困ってうちに来たんだよ
うちはペット探偵だから、動物のトラブルを解決してくれると思ったんだね」
肩をすくめてそう言った。
「ゴミ捨て場って…」
俺は怒りで目の前が暗くなるのを感じた。
以前だったら犬が捨てられていても何も感じなかったろう。
しかし今は新郷という犬を飼っている立派な愛犬家(?)だという自負がある。
「命を何だと思っているんだ」
思わず、語気荒く吐き捨てるように言ってしまった。
大声を出したせいだろうか、初めて俺に気が付いた子犬が足下に寄ってきた。
履いているスニーカーの匂いを嗅ぐと、ヒモに噛みついてジャレ始める。
頭を撫でると新郷の髪よりも柔らかでフワフワだった。
子犬は今度は俺の手に噛みついてくる。
まだろくに歯も生えていないような、小さな子犬だった。
「ごめんごめん、その子、歯が生え始めるから口の中がむず痒くて噛んでくるんだ」
黒谷が慌ててそう言った。
俺が犬に噛まれて犬嫌いだったことは知られているので、フォローのつもりなのだろう。
こんな小さな子犬に噛まれたところで、痛くも怖くもない。
「そうか、人間だったら歯固めが必要な年頃なんだな」
俺は指に噛みついてくる子犬を見ながら、弟の小さかった頃を思い出していた。
俺は噛まれていない方の手で子犬を撫でながら
「大丈夫だよ、この子はお兄ちゃんが飼うから」
子供達を安心させるよう、そう口にしていた。
彼らはビックリした顔を俺に向ける。
黒谷も口をあんぐりと開けていた。
「お兄ちゃん家、一軒家なんだ
狭いけど庭みたいなもんもあるし、こいつが遊べる場所がある」
俺が笑って言うと
「本当?可愛がってくれる?」
「保健所に連れて行ったりしない?」
子供達が真剣な顔で話しかけてきた。
『保健所に連れて行かれると処分されることを知っているのか
動物が好きな子達なんだな』
俺は彼らが好ましくなり
「ああ、家で最後まで面倒見るよ
安心してくれ、男に二言はない」
そう請け負った。
気が付くと控え室の扉の前で、新郷が優しい笑顔を浮かべながら俺を見ていた。
それはどこか誇らしい者を見るような表情だったので、少し照れくさくなってしまう。
「ほら、泣きながら食べてちゃ美味しくないだろ?
お菓子食べて、あまり遅くならないうちに家に帰るんだぞ
この子の事は心配しなくていいから」
俺が少しぶっきらぼうに言うと、子供達は頷いて今度はパウンドケーキの封を開け美味しそうに食べ始めた。
「ありがとうございました」
「可愛がってあげてください」
子供達はお菓子を食べ終わると礼儀正しくお礼を言って名残惜しそうに子犬を撫で、帰って行った。
ゲンにそう言われたとき、俺は変わった冗談を思いついたな、としか思わなかった。
ゲンは時々、突拍子もない話を思いついては得意げに語って聞かせるのだ。
「本当にそんな奴がいるなら、会ってやるさ」
『なーんてな』
と言う冗談めいた返事を期待してそう答えたのに、ゲンは本当に1人の男を連れて家にやってきた。
それは以前に街角でゲンと一緒に会ったことのある男だった。
中国美人を思わせるアーモンド型の瞳、柔らかそうな茶色の髪、それでいて純和風と言った感じのキリリと引き締まった雰囲気。
こう言っては失礼だが、どことなく俺の嫌いな柴犬を思わせる風貌であるため正直苦手なタイプであった。
ゲンの知り合いであることは知っていたので、最初は2人で俺をからかっているのだと思っていた。
かなり冷たい態度で拒絶したにもかかわらず、彼は家に出入りするようになってしまった。
最初はまともに相手をしなかったが、徐々に彼が本気で俺の気を引こうとしていることが伺えた。
俺の好みにあったおかずを用意したり楽しそうに掃除をしたり、こちらが申し訳なく感じるほどの献身ぶりで、俺と親しくなりたいと言う言葉に嘘は無いようであった。
『恋人』と言うのは考えられないが『友達』としては十分に魅力的な人であると、俺はすぐに思うようになっていた。
彼が俺を噛んだ柴犬の代わりに謝ってくれた時は変わった感覚の人だと思ったが、何故か俺も犬に謝られたようで少し胸がスッとするのを感じていた。
彼が本当は俺に飼って欲しいと思っていると聞いたときは憤りを感じたが、雷に怯える彼をなだめているうち
『この人は少し感覚がズレているけど、基本的には悪い人じゃないのではないか』
そんな風に思い、その後も彼と一定の距離を保って付き合っていった。
その距離が一気に縮まったのは一緒に海釣りに行った時だ。
久しぶりに誰かと釣りに行き、俺は少し浮かれていたのかもしれない。
魚に引かれ海に落ちるなどと言う、本当に間抜けな事をしてしまった。
新郷は夜の海に飛び込んで、俺を助けてくれた。
その後、竿を取りに再び海に飛び込んだ彼を見て、俺の中に大事な人に置いていかれる恐怖が襲いかかってきた。
入院したゲンは戻ってきてくれた。
でも、両親と弟は戻ってきてくれなかった。
新郷も俺を置いていってしまうかもしれない。
いつの間にか俺にとって新郷は、側に居てくれるのが当たり前のように感じられる大事な存在になっていた。
その時初めて、自分が新郷のことを好きなのだと気が付いたのだ。
自分でも姑息だと思ったが新郷に離れていってもらいたくない俺は、彼の望みを叶えることにする。
『俺が新郷を犬として飼う』
それが彼の望みであった。
少しくらいなら彼の変態的プレイに付き合おうと覚悟して『飼う』と言ったのだが、新郷は本当に柴犬だった。
彼は純粋に俺に飼われたがっていた、犬の化生だったのだ。
犬、しかも柴犬を飼うなど、今までの自分にとっては考えられない選択である。
しかし新郷は俺の知っている、いつもヒステリックに吠え立てるだけの犬とは違っていた。
『飼い主を守りたい』
そんな真摯な思いを胸に抱えていたのだ。
以前の飼い主を亡くし胸に穴を抱えたまま次の飼い主を求める、健気な犬だったのだ。
俺はその時、大嫌いな柴犬であるにもかかわらず本気で新郷のことを『可愛い』と感じていた。
化生と呼ばれる彼らが飼い主と『契る』ことを誉れとしていると聞いたときは驚いた。
しかし、結局そんな関係になるのか、と言う予感めいた思いがあったのも事実である。
彼と家に帰ってその肉体を初めて間近で見たとき、俺は自分の鼓動が速まるのを感じた。
きれいに筋肉がついて引き締まった胸や腹、逞しい腕。
先ほど自分はこの体に助けられ抱きしめられたのだと思うと、もっと触れてみたいという思いに駆られた。
初めて合わせた新郷の唇の感触がよみがえってくる。
自分がこんなにも淫らな事を考えていることに驚いたが、決心が揺らがぬうちにと、俺はその後すぐに新郷に身を任せることにした。
新郷は優しく愛してくれて、俺の最後の抵抗心を取り払ってくれた。
彼の愛撫はとても巧みで、誰かとこんな関係になるのは初めてだというのに俺は何度も達してしまった。
そして新郷に想いを注がれることが、誇らかな事に感じられた。
彼に抱かれるうち、胸に空いていた穴に何かが満ちていく感覚がした。
家族が死んでから、こんなに深く他人を受け入れたのは初めてであった。
俺にとっても新郷は、大切で可愛くて愛しい飼い犬になったのだ。
俺たちはすぐに、俺の家で一緒に暮らす事にした。
ゲンにそのことを伝えると
『最高の番犬を手に入れたな』
嬉しそうに笑いながら祝福してくれる。
引っ越しも手伝ってくれた。
ゲンと長瀞が2人で遊びに来てくれたり、今までの孤独な生活と比べると新郷と知り合ってからの人生は輝いていた。
ゲンがそうであるように、俺も学校が休みの時は何かとしっぽや事務所に顔を出すようになった。
最初は黒谷や白久といった大きな犬が怖かったが、穏やかな彼らに俺はすぐに気を許すようになる。
彼らも新郷の飼い主である俺に、最初から好意的であった。
「こんにちは」
ノックとともにドアを開けしっぽや事務所に入ると
「やあ、いらっしゃい桜さん」
所長である黒谷が朗らかに答えてくれる。
ここの化生たちは新郷の影響か俺のことを『桜』と呼んでいた。
すぐに新郷が所員控え室から姿を現し
「桜ちゃん、ナイスタイミング!
さっき依頼人からお礼に焼き菓子貰ったんで、お茶してたんだ
すぐコーヒー淹れるから待ってて」
満面の笑顔でそう言った。
そういえば事務所のソファーには小学3、4年生くらいの男の子が2人腰掛けて、ミルクを飲みながらマドレーヌを食べている。
彼らの足下では茶色い柴犬の子犬が皿に入ったミルクを夢中で舐めていた。
『柴犬だから、新郷のお手柄かな』
そんな事を思いながらその光景を見るが、どうにも子供たちの表情が暗い。
目が赤いところをみると、泣いていたようだ。
不審に思っていると、お菓子を食べているというのに1人の子供の目に大きな涙が浮かんできた。
それはすぐに頬を伝ってポタリと膝に落ち、その子のズボンに染みを作る。
「うっ、う…」
嗚咽をもらす小さな肩が震えていた。
連鎖的に、もう1人の子供も泣き出してしまう。
黒谷が困った顔で2人の側にしゃがみこみ
「大丈夫だから、おじちゃんが必ず里親をみつけてあげるからね」
なだめるようにそう言った。
それでも泣き続ける子供の膝に、子犬がまとわりつく。
遊んで欲しくてしかたない風だった。
子供はその子犬を抱きしめると
「ごめんね、ごめんね、うち、アパートなんだ」
しゃくりあげながらそう話しかけた。
「僕んとこも公団だから」
もう1人も泣きながら子犬を撫でていた。
黒谷が困った顔で俺に向き直り
「この子犬ね、ゴミ捨て場の段ボール箱の中に入ってたんだって
この子達、拾ったは良いけど自分じゃ飼えなくて、困ってうちに来たんだよ
うちはペット探偵だから、動物のトラブルを解決してくれると思ったんだね」
肩をすくめてそう言った。
「ゴミ捨て場って…」
俺は怒りで目の前が暗くなるのを感じた。
以前だったら犬が捨てられていても何も感じなかったろう。
しかし今は新郷という犬を飼っている立派な愛犬家(?)だという自負がある。
「命を何だと思っているんだ」
思わず、語気荒く吐き捨てるように言ってしまった。
大声を出したせいだろうか、初めて俺に気が付いた子犬が足下に寄ってきた。
履いているスニーカーの匂いを嗅ぐと、ヒモに噛みついてジャレ始める。
頭を撫でると新郷の髪よりも柔らかでフワフワだった。
子犬は今度は俺の手に噛みついてくる。
まだろくに歯も生えていないような、小さな子犬だった。
「ごめんごめん、その子、歯が生え始めるから口の中がむず痒くて噛んでくるんだ」
黒谷が慌ててそう言った。
俺が犬に噛まれて犬嫌いだったことは知られているので、フォローのつもりなのだろう。
こんな小さな子犬に噛まれたところで、痛くも怖くもない。
「そうか、人間だったら歯固めが必要な年頃なんだな」
俺は指に噛みついてくる子犬を見ながら、弟の小さかった頃を思い出していた。
俺は噛まれていない方の手で子犬を撫でながら
「大丈夫だよ、この子はお兄ちゃんが飼うから」
子供達を安心させるよう、そう口にしていた。
彼らはビックリした顔を俺に向ける。
黒谷も口をあんぐりと開けていた。
「お兄ちゃん家、一軒家なんだ
狭いけど庭みたいなもんもあるし、こいつが遊べる場所がある」
俺が笑って言うと
「本当?可愛がってくれる?」
「保健所に連れて行ったりしない?」
子供達が真剣な顔で話しかけてきた。
『保健所に連れて行かれると処分されることを知っているのか
動物が好きな子達なんだな』
俺は彼らが好ましくなり
「ああ、家で最後まで面倒見るよ
安心してくれ、男に二言はない」
そう請け負った。
気が付くと控え室の扉の前で、新郷が優しい笑顔を浮かべながら俺を見ていた。
それはどこか誇らしい者を見るような表情だったので、少し照れくさくなってしまう。
「ほら、泣きながら食べてちゃ美味しくないだろ?
お菓子食べて、あまり遅くならないうちに家に帰るんだぞ
この子の事は心配しなくていいから」
俺が少しぶっきらぼうに言うと、子供達は頷いて今度はパウンドケーキの封を開け美味しそうに食べ始めた。
「ありがとうございました」
「可愛がってあげてください」
子供達はお菓子を食べ終わると礼儀正しくお礼を言って名残惜しそうに子犬を撫で、帰って行った。