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しっぽや(No.32~43)

side〈SAKURA〉

しっぽや事務所から強引に新郷を連れ出し、自分の事務所に戻るための階段を上りながら
「他の飼い主の前で、余分な話はするなと言っているだろう?」
俺は新郷を戒めた。
新郷は反省の色も見せず
「でもさ、黒谷と白久の飼い主にも、桜ちゃんのこと知って欲しかったんだ」
微笑みながらそんな事を言っている。
歓迎会に参加しなかったので、彼らは俺のことを知らない。
しかし、あのような形で知らせる事も無かったのでは、と思い至り、釈然としないものを感じてしまった。

「だいたいゲンが『黒谷と白久の飼い主は、今時の高校生だ』などと言っていたから…
 彼ら、どう見ても中学生じゃないか
 おかげで拾った動物を持て余した子供が、またペット探偵に助けを求めに来たのかと思ってしまった」
自分の失言を思い出し、俺は急激に恥ずかしくなってくる。
「大丈夫、桜ちゃんはツンデレだって言っといたから、あの子たち桜ちゃんのこと失礼な人だとは思ってないよ
 むしろ、俺の推理力に感心したと思う」
新郷は誇らかに笑った。
「推理力?」
いぶかしむ俺に
「桜ちゃんがあの光景を見たら言いそうなセリフ、俺が先に言っといたんだ
 ほとんど一緒だった!
 一心同体ってやつ?我ながら大したもんだ」
新郷はウンウンと頷きながらそんなことを言っている。

「あの子たち、俺のことどう思ったろう…」
ガックリと肩を落とすと
「可愛いお兄さんだと思ったんじゃない?」
新郷はノホホンと答えた。
「お兄さんって歳じゃない、40代目前のオジサンだ」
苦笑しながら自分の事務所のノブを捻る俺の頬に
「じゃ、可愛いオジサン」
新郷が素早くキスをした。
出会った頃とほとんど変わらない容姿の彼の笑顔を見ていると、怒る気力も失せてくる。
「新郷のその感覚は分からん」
ため息とともに言った言葉に、彼は優しい微笑みを浮かべるばかりであった。

「俺は下でお茶してきたから、桜ちゃんは少し休憩しなよ
 その間、俺が仕事やっとくからさ
 コーヒー、紅茶、日本茶、何が良い?
 お茶菓子もつまむ?
 昨日、得意先から詰め合わせのクッキー送られてきたよ」
事務所のデスクに着いた俺に、新郷がそんな事を聞いてきた。
「じゃあコーヒーを淹れてもらおうかな、お茶請けは抜きでいい
 そうだ、クッキーはしっぽや事務所にお裾分けしてくれ
 俺たち2人では食べきれない量だろう
 あそこなら人数が多いから、誰か食べてくれるだろうし」
そう答えると
「桜ちゃんは化生に優しいね」
彼はまた満足げに笑った。

「新郷を飼って、犬や動物に対する見方が変わったからな
 と言うか化生は皆、穏やかで健気な存在じゃないか
 新入りの洋犬は体も大きいし、顔とかちょっと怖い気もするが…
 飼い主がいるのだから、人との付き合いは心得ているのだろう?」
俺の問いに
「大丈夫、あんな都会育ちの軟弱な犬、俺の敵じゃないって
 5分とかからず、組み伏せられるよ
 桜ちゃんのことは、俺がちゃんと守るから」
新郷は頼もしい笑顔を見せる。
「ケンカは駄目だぞ」
「はい」
俺の言葉に彼は素直に頷いた。

新郷の淹れてくれたコーヒーを口にしようとしたタイミングで、デスクの上の電話が鳴った。
「はい、芝桜会計事務所、所長の桜沢です」
俺は2コール目を待たず、受話器を取り上げた。
それは、得意先からの電話であった。
「はい、その件に関しましては来月の5日締め切りということでたまわっておりますが
 はい、はい…今月中、ですか」
新郷が俺の言葉に全神経を集中しているのがわかる。
小さく頷く彼を見て
「かしこまりました、それでは、今月中に作成させていただきます」
俺は先方にそう答え、受話器を置いた。

「あそこ、こないだも納期早めさせたんだよな
 それ見越して早めに手をつけてたから半分以上出来てるし、今から作成すれば明日には完成するんじゃないかな
 桜ちゃんはお茶して待ってて
 終わったらチェックよろしくお願いします」
新郷は俺が何も言わなくても、きちんと仕事をこなしてくれる。
「ああ、そちらは任せよう
 一息ついたら、俺は明後日納期のものを完成させるよ」
そう答え、頼もしい飼い犬の横顔を見つめる。
新郷の外見より、いつのまにか俺の外見の方が上になってしまった。
おかげで俺の部下として違和感なく他人の目に写るのは良いのだが、心中としては複雑である。

彼は出会った時からずっと、俺のことを『可愛い』と言ってくれている。
最初は彼に冷たい態度しかとらなかったにもかかわらず、それでも俺の側に居てくれた。
初めは変態的な趣味の持ち主だと思っていたし、俺の苦手だった柴犬に風貌が似ているためかなり警戒していた。
しかし新郷はそんな俺の頑(かたく)なな心を、徐々に解きほぐしてくれた。

彼が黒谷と白久の飼い主に過去を語ったと聞いたからだろうか。
新郷の淹れてくれたコーヒーの芳香を楽しみながら、俺の思考はいつしか過去に遡っていくのであった。
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