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しっぽや(No.32~43)

次に桜ちゃんの家に行くとき、ヒジキの煮物を作ってタッパーに入れて持って行った。
桜ちゃんが好きだと言っていたので人参、大豆、こんにゃく、油揚げ、と具を色々入れてみたのだ。
それと長瀞に教わって、アジの南蛮漬けを作ってみた。
『人間は、野菜も色々食べてもらわないと栄養が偏る』
そう長瀞が言っていたのでサラダ感覚で食べてもらうため、タマネギや人参をいっぱい入れてきたのだ。
途中、スーパーに寄って赤魚の粕漬けと、味噌汁用に豆腐、ワカメを買う。

家に着いてチャイムを押すと、前回より早いタイミングで桜ちゃんがドアを開けてくれた。
「今晩は、今日は手料理持ってきたよ
 口に合うといいな」
俺が笑うと、桜ちゃんもぎこちなく笑ってくれた。
「何か、悪いな…仕事の後で疲れてるだろうに
 来るのは週1回とかでかまわないよ」
まだやんわりと拒否する彼に
「桜ちゃんに何か出来るの嬉しいから、迷惑じゃなきゃ来させて
 ご飯、誰かと食べる方が美味しいし」
俺はそう頼み込む。
桜ちゃんは複雑な表情をして、曖昧に頷いた。

卓袱台におかずを用意して、夕食の始まりとなる。
「美味しい…新郷、料理上手なんだな」
ヒジキを食べた桜ちゃんが、そう誉めてくれた。
俺はそれだけで、1日の疲れが吹っ飛ぶ気分だった。
「良かった!長瀞に教わったんだ
 あいつ、ゲンのために熱心に料理の研究してるから
 少量でもバランス良く食べてもらいたいんだって」
俺の言葉に
「そうか…長瀞さんはゲンのこと、本当に好きなんだね
 体のこと知ってて、側に居たいと思ってくれてるのか
 ゲンは良い人とお付き合いしているんだな」
桜ちゃんは、少ししみじみとした感じでそう言った。
「俺も、本当に桜ちゃんのこと好きだよ?」
俺が言い添えると
「だから、その感覚がわからん」
桜ちゃんはまた、呆れたような顔をした。

今日は食後の片付けを終えた後、すぐに帰れと言われなかったので一緒にお茶を楽しむ余裕があった。
「あの、犬に噛まれたの、痛かった?」
躊躇いがちに聞く俺に
「痛かったけど、それよりも怖かった
 小学1年の時、ゲンとキャッチボールしてたらボールがゲンの隣の家に入ったんだ
 それを取らせてもらおうと庭に入ると、犬の鎖が外れててな
 走って逃げたら追いかけてきて、のしかかられてガブリだ
 まだ足に傷跡が残ってるよ
 まったく、犬って奴は凶暴で、どうしようもない生き物だ」
桜ちゃんは当時を思い出したのか、ブルリと身を震わせた。

「…ごめん」
俺はションボリと謝った。
俺達和犬は警戒心が強く、飼い主以外にあまり心を許さない。
勝手に縄張りに入り込んだ桜ちゃんを、敵だと思ったのだろう。
それに犬というものは、走って逃げるものを追いかけたくなる本能に満ちている。
桜ちゃんにとっても犬にとっても、不幸な形での出会いだったのだ。
「新郷が謝る事じゃないだろ?」
苦笑する桜ちゃんに
「うん…でも、ごめん」
俺はまた、謝っていた。
「新郷は本当に不思議な人だね」
桜ちゃんはため息と共に呟いた。

帰り際
「次の日曜、掃除と洗濯もするから、昼前に行って良い?
 お昼ご飯も一緒に食べたいな、って」
へヘッと笑って聞いてみると
「せっかくの休日に物好きだな
 まあ、新郷がかまわないなら良いけど」
そんな答えが返ってきた。
今までのように否定的な返事や嫌な顔をされないことに、俺の心は舞い上がる。
「じゃあ、10時頃行くから!」
俺の言葉に、桜ちゃんは頷いてくれる。
俺は、飼い主のために何かを出来る喜びを感じていた。



日曜日、食材を持って10時に桜ちゃんの家を訪ねた。
今日は1日、休みにしてもらっている。
しっぽやは定休日が無いけれど、飼い主探しをしている化生には融通をきかせてくれるのだ。
俺を出迎えてくれた桜ちゃんに
「さっそく洗濯するよ
 桜ちゃんは白い服が多いから、色柄物は別にして漂白剤使った方が良いよね
 下着も白?一緒に洗って良い?」
張り切ってそう聞いてみる。
「いや、洗濯はもう済ませてあるから」
少し顔を赤くした桜ちゃんは、慌ててそう言った。
「じゃ、水回りの掃除するよ、お風呂とかトイレとか」
俺が言うと
「そこは俺がやるから、新郷は台所の掃除をしてくれ」
桜ちゃんは、少し焦った様子でそう答える。
「わかった、ついでにお昼も用意するね
 あ、夕飯はカレーにしようと思うんだ
 昼に作っておけば味がなじむから、それも一緒に作っちゃうよ」
俺は桜ちゃんの役に立てるんのが嬉しくて、ウキウキと答えるのであった。

その日、俺は化生してから初めて、とても充実した時間を過ごせた気がした。
桜ちゃんの俺に対する態度は随分と軟化してきたし、俺は彼の命令を聞いて掃除することに誇りを感じていた。
夕飯の挽き肉カレーを桜ちゃんは2回もお代わりしてくれて、それもまた、俺を誇らかな気持ちにさせるのであった。

「今日はありがとう、助かったよ」
最後に桜ちゃんはそう言って自然に笑ってくれた。
それは、俺にとって最高の報酬であった。



それから週3日くらい、桜ちゃんの元に通う日々が続いていた。
桜ちゃんの食べ物の好みをバッチリ覚え、それを元に長瀞に料理を習う。
その料理を美味しそうに食べてもらうたび、俺の心は喜びにうち震えるのであった。


夏の気配が濃くなった頃には、知り合って1ヶ月が過ぎていた。
「今日の夕飯は素麺にしてみたよ
 長瀞にゴマだれ教わったんだ
 サラダはそのアレンジバージョンで棒々鶏ね
 後、出来合いだけどアジフライもあるから」
俺が夕飯の準備を終えると
「ありがとう」
桜ちゃんは自然な感じで笑ってくれる。
彼からは当初のような俺に対する怯えは消えていた。
今ではごく自然な態度で俺に接してくれる。
そして、2人の楽しい食事の時間が始まった。

「素麺だれを手作りなんて、新郷は本当にマメだよな」
感心したように言う桜ちゃんに
「だって、大好きな桜ちゃんが誉めてくれるから」
俺はエヘへッと笑って答えた。
桜ちゃんは少し困った顔になり
「常々思ってるんだが
 その、『俺のこと好き』って言うのは、どういう意味なんだ?」
そんなことを聞いてきた。
しかし、俺にはその問いの意味がよくわからなかった。
「好きって、一緒に居たいってことかな
 桜ちゃんと一緒にいると、嬉しくて楽しいよ」
俺は考え込みながら答えてみる。
『飼って欲しい』という感覚を言葉で表すのは難しかった。

「何で、俺なんだ?
 他にも新郷の周りには、人がいっぱいいるだろ?」
桜ちゃんはなおも問いかけてくる。
「自分でも、よくわからない
 ゲンが言ってたみたいに『一目惚れ』ってやつが、一番気持ちに近いのかも
 桜ちゃんを見た瞬間、胸がドキドキしてたまらなくなったんだ
 誰かに対してそんな風に感じたのは初めてだよ
 俺の失った心を埋めてくれるような、そんな人なんじゃないかって」
本当は失ったものは『飼い主』だ。
あのお方の死が、俺の魂に塞ぎようのない大きな穴を空けているのだ。

「失った心…」
桜ちゃんは俺の言葉を繰り返して呟いた。
それから意を決したように
「最初は驚いたし警戒したけど、俺は今では新郷のこと友達だと思ってる
 そんな関係じゃダメなのか?」
俺を真っ直ぐ見ながらそう聞いてきた。
その真剣な瞳に押され
「俺、本当は桜ちゃんに飼って欲しいんだ
 俺を、桜ちゃんの飼い犬にして欲しいんだよ」
俺はつい、本音を口にしてしまった。
それを聞いた桜ちゃんの顔が歪む。

「飼う?何だよ、飼うって?主従関係って事?
 俺はお前と対等の友達だと思ってたのに
 それってプレイの一環ってやつなのか?
 そーゆー目でしか俺のこと見られないのか?」
桜ちゃんは激しく怒り出してしまった。
俺は何が桜ちゃんの気に障ったのかわからず、うろたえてしまう。
「もういい、新郷とはどこまで行っても平行線のようだな
 俺にはそんな趣味はないし、付き合う気もない」
それから、桜ちゃんは黙り込んでしまった。
彼から怒りの気配がビリビリと伝わってくる。
「ごめん…」
俺がオロオロと謝っても、桜ちゃんは何も言ってくれなかった。

その後の時間、俺はいたたまれない思いを感じていた。
桜ちゃんはあれから一言も口をきいてくれない。
後片づけを終え帰ろうとする俺に、いつものように『ありがとう』とは言ってくれなかった。
俺と一緒に玄関先に来たが、それは見送り、と言うよりは俺が本当に帰るか確認するためのようであった。

気落ちしていたせいだろう、直前まで『あれ』の接近に気が付けなかった。
ドアを開けようとして、俺は初めて外に『あれ』の気配が立ちこめていることに気が付いたのだ。
気が付いてしまうと、とたんに足が竦む。
耳をすますと、近くから『あれ』の唸りが聞こえてきた。
俺はドアノブにかけた手を引っ込め、クルリと桜ちゃんを振り向くと
「今晩、泊まっていって良い?」
震える声で問いかけた。
恐ろしくて膝がガクガクと笑ってしまう。
「はぁ?」
桜ちゃんの怒りの気配が増大する。
「ふざけるな!そーゆー関係はお断りだと言ったばかりだろう!」
桜ちゃんが怒鳴るのと、『あれ』の音が響きわたるのはほとんど同時だった。

ゴロゴロゴロゴロ

バラバラと音高く降る激しい雨を伴って、雷がやって来る。
凶悪な獣の雄叫びのような雷鳴が轟いた。
恐怖のあまり俺は桜ちゃんにすがりつき、そのまま押し倒してしまう。
「やめろ新郷、何するんだ!離せ!」
彼は俺の体を振り払おうと激しくもがいているが、俺の方が体格が良いのでそれは無駄な抵抗に終わった。
桜ちゃんが本気で怒っているのがわかっても、俺は彼にすがって震えることしか出来なかった。
犬だった頃から、雷は本当に苦手なのだ。
その音を聞くだけで、怖くて怖くてたまらなくなる。
ガタガタと震え続ける俺に、桜ちゃんの抵抗が少し緩んだ。
「新郷…?おい、どうした…?」
訝しそうな声でそう聞かれても、俺は答えることも出来ず震え続けていた。
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