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しっぽや(No.32~43)

side〈SHINGOU〉

桜沢 慎吾という人間に飼ってもらいたい俺の努力が始まった。

「慎吾はさ、取っつきにくいとこあるけど、基本お人好しなんだ
 誠意を持って接すれば、だんだん懐いてくれるって
 まずは、あいつの家に出入り自由に出来るよう頼み込んでみるか
 身の回りの世話させたい、とか言ってよ
 お前だって、ナガトみたく料理とか出来るんだろ?
 家庭的な面もある、ってとこでもアピールするんだ」
ゲンが立ててくれる作戦を、俺はありがたい気持ちで聞いていた。
「ゲンと知り合いで良かった」
1人だったら、何をすればいいのか見当もつかなかっただろう。
「化生が1人でも多く、飼い主と巡り会って欲しいからさ」
畏(かしこ)まる俺に、ゲンは照れたように笑った。



「えーっと、こちらの影森 新郷君なんだが
 どうも、お前に一目惚れしたらしくてな
 試しに少し、お付き合いしてみないか?」
ゲンに連れられて桜沢の自宅を訪ね、そう切り出した彼に
「断る」
桜沢はにべも無く答えた。
「慎吾、少しは考えてくれよ」
ゲンが呆れた声で咎めても
「悪いが、俺はそーゆー趣味ないから」
桜沢は取り付く島もない。
「じゃ、友達から始めるってのはどうだ?」
粘るゲンに
「友達なら間に合ってる」
やはりキッパリと否定の返事が返ってきた。

ゲンは頭を抱え大きくため息を付くと
「俺が言うのも何だが、こいつ、良い奴だぜ?
 一目惚れっても、慎吾に急に襲いかかったりとか絶対しないし
 純愛って感じ?
 せめて友達にくらい、なってやってくれよ」
困ったようにそう頼み込む。
「特に友達を増やす必要性は感じていない」
桜沢は冷たく言い放った。
「あの、俺、絶対貴方のこと襲ったり噛んだりしませんから」
俺が口を開くと、ゲンと桜沢がギョッとした顔を向けてくる。
「噛む…?
 ゲンに余計なこと聞いたのか?」
桜沢は苦虫を噛み潰したような顔になった。

「俺、貴方の側にいて、貴方の役に立ちたいんです」
懇願する俺を後押しするように
「な?こいつ、こんな健気なこと言ってんだよ
 どんな奴か付き合いもせず断るの、可愛そうだと思わないか?」
ゲンが言い添えてくれた。
「付き合ってから断る方が失礼だと思って、今断ってるんだが
 どう頑張ってもらったところで見込み0だ」
しかし、桜沢の態度は変わらなかった。

「じゃあさ、使用人、みたいなのはどうだ?
 お前、一人暮らしだから家事とか色々大変だろ?
 新郷が身の回りの世話したいって言うんだ」
「あの、俺、自炊してるし料理とかけっこう得意です!
 ファジーな電化製品も、使い方覚えますから
 お願いします!」
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「赤の他人を家には入れたくないし、家の電化製品は昭和の旧式なものばかりだ
 新しい物を買う余裕などないからな」
やはり、桜沢はそっけなかった。

「こいつもさ、身寄りがなくて独りなんだよ
 職場の仲間が居ても、家に帰れば寂しい夜を過ごしてるんだ
 別に肉体関係もて、とか言わないからさ
 たまに、話し相手になるくらいはしてやっても良いんじゃないか?
 一軒家で一人暮らしって、お前んとこちょっと物騒だから
 番犬代わりに使ってやれば良いじゃん
 本物の犬は、お前、怖いだろ?」
ゲンが意地悪く笑うと
「別に怖くはない、犬は嫌いなだけだ」
桜沢はムッとした感じで言い返した。

「肉体関係?俺、肉より、魚の方が好き
 ご飯にイワシの丸干しとか最高だよね
 後、サバとサンマとアジとか」
俺がエヘヘッと笑うと、ゲンがギッと睨んできた。
また余計なことを言ってしまったかと首を竦める俺に
「まあ、俺も肉より魚の方が好きだが
 青魚も良いが、メバルやイシモチ、ホウボウとか
 どれもスーパーでは手に入りにくいがな」
桜沢が呟いた。

「何だ、お前ら話が合いそうじゃん
 じゃ、週2、3日、夕飯作りに通わせるってので決まりだ
 休日に掃除や洗濯をやってもらうのも良いな
 やったな、新郷、頑張れよ」
ゲンは強引に約束を取り付けると、俺の肩をバシッと叩いた。
「おい、ゲン、俺は了承した訳じゃ…」
桜沢の言葉を無視して
「うちが保管してたこの家の合い鍵貸してやるからな
 絶対無くすなよ?
 家の中のことは慎吾に聞いて片付けるんだぞ?」
ゲンは話を進めていく。
「よろしくお願いします、俺、頑張りますから!
 名前ややこしいから、俺は桜沢さんのこと『桜ちゃん』って呼びますね
 俺の事は『新郷』って呼んでください」
俺は桜沢、桜ちゃんに深々と頭を下げて見せた。
桜ちゃんは物凄く嫌そうな顔をしたが、何も言い返してはこなかった。


「お前、ビミョーにズレたこと言うからハラハラしたぜ
 飼い主がいない化生は、どこかズレてるの忘れてた
 後はお前の頑張り次第だ、上手くやれよ」
帰り道、ゲンはそう言って俺を励ましてくれる。

こうして俺は、桜ちゃんとの関係を一歩踏み出せたのであった。




しっぽやでの業務の後、俺は初めて1人で桜ちゃんの家に行ってみた。
途中でスーパーに寄って、おかずを色々物色する。
長瀞が
『ゲンに何を食べてもらうか考えるのが楽しい』
と言っていた気持ちが、今の俺にはとてもよくわかった。
桜ちゃんが好きだと言っていた魚は、やはりスーパーでは入手出来なかったので、魚の定番、塩鮭の切り身を選んでみた。
それとコロッケや切り干し大根の煮物、といった総菜のパックを選ぶ。
『桜ちゃんがどんな物を好きか、もっとちゃんと聞いとけばよかった』
俺はそう考えながら、彼の家のチャイムを押した。
しばらく待つと、桜ちゃんがドアを開けてくれる。
今日訪ねていくことは、ゲンに連絡しておいてもらったのだ。

「本当に来たのか」
桜ちゃんは嫌そうな顔で、俺を家に入れてくれた。
俺から一定の距離を保つよう、離れて台所に案内してくれる。
「あの、俺、桜ちゃんのこと襲わないから、そんなに緊張しなくても大丈夫だよ?」
俺が言うと
「別に、緊張はしていない、変なことをされないか警戒しているだけだ」
桜ちゃんはフンッと鼻を鳴らして答えた。

「ゲンの頼みじゃなければ、知らない人間を家に上げたりしないんだからな」
そう言う桜ちゃんの言葉から、俺に対する怯えが伝わってきた。
やはり怖がられているようで、俺は悲しくなる。
しかしそれを悟られないよう
「おかず、色々買ってきてみたよ、ご飯は炊けてる?
 鮭、焼いて良い?
 桜ちゃんの好きな物、もっと教えて?俺、覚えてちゃんと買ってくるから
 一緒にご飯食べようね」
俺は明るく聞いてみた。
「ご飯は炊けている、うちはグリルなんてシャレた物はないから鮭は網で焼いてくれ
 買い物の代金は割り勘で払う
 基本、和食が好きだが洋食も嫌いではない
 食事をしたら、今日はもう帰って良いからな」
桜ちゃんは事務的に一気に返事をしてくれた。

居間にある年季の入った卓袱台に、ご飯の用意をする。
ほとんど出来合いの総菜ばかりの夕食が始まった。
「いただきます」
桜ちゃんはきちんと手を合わせ挨拶をしてから箸を取った。
俺もそれに習って手を合わせてみた。
「誰かと一緒に食事をするの、久しぶりかも」
俺が笑うと、桜ちゃんは複雑な顔をする。
「家族は…?」
躊躇いがちに聞いてくる言葉に、俺は首を振って答えた。
桜ちゃんは目を伏せて、それ以上聞いてはこなかった。

「職場の仲間が家族みたいなもんかな、付き合い長い奴多いし
 たまには他の奴と一緒にご飯食べるよ
 こないだ皆で初めて『コンビニのおにぎり』食べたんだ
 海苔の包み方がわかんなくて、その時まで誰もチャレンジしたことなかったからさ
 で、結局、ビニールビリビリにして中身全部取り出して、普通に包んで食べた」
照れ笑いを浮かべる俺に、桜ちゃんは少し顔を和ませてくれた。
「楽しそうだな」
「うん、同じような仲間が居るの楽しいよ
 でも、今は桜ちゃんと一緒に食事できて楽しい」
俺の言葉に桜ちゃんは盛大なため息をついた。

「君の感覚はよくわからん、俺のどこが良いんだか
 会ったばかりで、何も知らないじゃないか」
不審な瞳を向けてくる彼に
「自分でもよくわからない
 でも、桜ちゃんのこと、すごく可愛いと思うんだ
 名前もきれいだよね、俺、桜って大好き
 優しくて儚くて、それでいて艶やかな存在感
 月に映え、白く輝く夜桜とか、最高に神秘的じゃない?
 桜ちゃんもそんな感じ」
俺はそう答える。
桜ちゃんはポカンとした顔で俺を見ると
「気障だな…バカバカしい殺し文句だ
 悪いが俺にはきかん」
呆れたように鮭の切り身に箸を入れた。

それから、ほとんど俺が一方的にしゃべりながら食事をする。
桜ちゃんの好きな食べ物の情報を、俺は自分の脳に刻みつけた。

「次に来るときはもう少し出来合いじゃないの用意するね
 家で調理しといて、タッパーに入れて持ってくるよ
 明後日、また来るから」
俺の言葉に
「君も仕事があるから大変だろう?
 そんなにしょっちゅう来なくて良いから」
桜ちゃんは、やんわりと拒否の言葉を口にする。
「桜ちゃんのために何か出来るのうれしいから平気
 それにうちの職場、こーゆー時、かなり融通きかしてくれるから大丈夫」
桜ちゃんは諦めたようにため息を付き
「好きにしろ」
ぶっきらぼうにそう言った。

「『君』じゃなく『新郷』って呼んでくれると嬉しいな」
俺が頼むと
「年上の人を、いきなり名前で呼び捨てになんて出来ないだろう」
桜ちゃんは渋面(じゅうめん)を見せる。
「呼んでくれたら、今日はもう大人しく帰るから
 お願い」
俺が笑って頼むと桜ちゃんはかなり躊躇った後
「新郷…」
小さな声でそう呼んでくれた。
その瞬間、俺の胸に何とも言えない歓喜がわき上がる。
名前を呼んでもらえるだけで、泣きたくなるほどの喜びに包まれた。


家に帰ってベッドに入っても、俺の中でその声はいつまでもこだましているのであった。
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