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しっぽや(No.32~43)

side〈SHINGOU〉

しっぽや事務所の控え室。
「ついに長瀞にも飼い主が現れたか
 お前、飼い主選びに慎重な態度だったから一生無理なんじゃ、と思ってたのにな
 また他の奴に先越されちまった」
ソファーに座った俺は、フウッとため息をついた。
「新郷にだって、いつか飼い主は現れますよ
 ペット探偵を始めてから、動物が好きな人との接触が多くなったのですし
 出会いの機会は増えてると思いますよ」
長瀞は取りなすようにそう言った。
「まあ、そうだけどよー」
俺は少しフテクサレてみせる。
しっぽや所員控え室のソファーに深く腰掛け、天井を仰ぎ見た。
『いつになったら「飼って欲しい」なんて思える人間に会えるのかな
 そんな人間に会ったことねーよ
 そりゃ、俺より白久の方が長く独りだし、黒谷は戦争で飼い主失ったりしたけどさ
 俺、このまま独りかもしんねーなー』
そんなことをツラツラ考えていると、テーブルの上に長瀞が湯飲みを置いてくれた。
香ばしい匂いが鼻孔をくすぐる。
「お、玄米茶だ!ありがとな、長瀞」
俺はすぐに機嫌を直し、温かな湯飲みを手に取った。

暫くはお茶を飲みながら控え室内の奴らと雑談していたが、急に長瀞が顔を輝かせた。
それを見て、彼の飼い主の『大野 原』が事務所に来たことが知れる。
ゲンは気さくな人間で、自分の飼っている化生以外の者達にも親しく話をしてくれるのだ。
まだ大学生だけど責任感のある良い奴だし、俺は彼のことを気に入っていた。
「ゲン!」
黒谷が何も言わないうちに、長瀞が控え室から出ていった。
俺もゲンに挨拶しようと控え室を後にする。
長瀞はゲンにぴったりと寄り添って、幸せそうな顔をしていた。
もちろん、ゲンも満面の笑みを浮かべている。

「何だ、見せつけにきたのか?学校はどうした?」
俺が茶化すように声をかけると
「今日は急に午後のゼミが休講になったんだよ」
ゲンはしれっとそう答える。
「それに、仕事を持ってきた」
ゲンは誇らかに言い切った。
「隣の家のタローちゃん、散歩中に猫を追いかけて逃げちゃったんだと
 オバチャンから『ペット探偵にお願いしてきて』って依頼を受けたのさ
 と言う訳で、柴犬の捜索依頼だ
 ヒマそうにしている新郷に出てもらおうか
 タローちゃんは猫には危ないんで、ナガトは行かなくて良いからな」
ゲンはそう言うと、優しく長瀞の頭を撫でた。

「だってさ、頼んだよ新郷」
黒谷がそう言うので
「はいはい、行きますよ、柴犬ならお任せあれ」
俺はおどけて礼をする。
「猫を追っていったのなら、私も出ます
 猫の方からも情報を集めた方が、早く見つけられるかと
 料金は、新郷の分だけで結構ですので」
長瀞が慌てて言葉を挟んできた。
少しでも飼い主と一緒に居たいのだろう。
「双子がいるから、猫の依頼が来ても大丈夫かな
 良いよ、行っておいで
 でも気を付けてね」
黒谷が苦笑しながら長瀞の申し出を承諾した。

事務所を後にし、俺と長瀞とゲンは3人で犬が逃げた現場に向かう。
「ナガト、絶対無茶すんなよ?
 荒事は新郷に任せるんだぞ?」
ゲンの言葉に長瀞は素直に頷いた。
「荒事って…、柴犬は猛獣じゃないっての」
俺が抗議すると
「いや、タローちゃんは猫には猛獣だ!」
ゲンは神妙な顔で言い返してくる。
さらに何か言おうとしたゲンが視線を俺から逸らし、他の誰かを見ながら
「慎吾!何だ、お前んとこも休講?
 たまには家にメシ食いに来いよ
 オヤジもオフクロも慎吾に会いたがってるんだ」
急にそんな言葉を投げかけた。

振り向いてゲンが話しかけた人物を見た瞬間、俺の鼓動が速まった。
その人はゲンと同じくらいの年で、細い縁の眼鏡をかけている。
オールバックにした黒髪は隙無く撫でつけられ、シミ一つない白いシャツのボタンは一番上まで止めてある。
その容姿は、几帳面さを伺わせるものであった。
他人を寄せ付けないようなきつい眼差しであるのに、俺はその人から目を逸らすことが出来なかった。
『何だ?この感覚…』
俺は自分の状態にかなり戸惑っていた。

「ゲン、そっちも休講になったのか?
 予定が狂うから、急な変更は止めてもらいたいよな」
その人は不愉快気に顔を歪めてみせる。
『彼が笑ったら、さぞ可愛いだろうな』
俺は不機嫌なその人の顔を見ながら、うっとりとそんな事を考えていた。
彼の笑顔を見てみたかった。

「そだ、お前にはカミングアウトしちゃおっかな」
ゲンがいたずらっ子のような顔でヒヒッと笑い、彼を手招いた。
彼は訝しい顔をしながらこちらに近付いてくる。
俺の胸はドキドキしっぱなしだった。
ゲンは長瀞を抱き寄せると声を落として
「あのさ、俺、この人と付き合ってるの」
宝物を自慢する子供のように誇らかな顔で、キッパリと言い切った。
「………は?」
さすがに、彼は呆気にとられポカンとした表情を見せる。
「俺の片思いじゃないんだからな、俺達、愛し合ってんの」
ゲンに笑顔を向けられ、長瀞は甘えるようにゲンの肩に頬をすり寄せた。

彼は暫くゲンと長瀞を交互に見ていたが
「からかってる、って訳じゃなさそうだな」
考え込むようにそう言った。
「もちろん、本気も本気、本気と書いてマジと読むってもんよ」
ゲンはヒヒッと笑う。
「これだけ煌びやかなのに、ペット探偵やってんの
 格好いいだろ?
 影森 長瀞っていうんだ
 ナガト、こっちは桜沢 慎吾っていう俺の幼なじみ
 付き合い長すぎて、もはや最初の出会いが思い出せない
 だって幼稚園入る前から遊んでたもんな」
ゲンに言葉を向けられ
「親同士が仲良かったから、連れられてどっちかの家に遊びに行ったのがきっかけだと思うが、さすがに俺も覚えてないよ
 どうも、桜沢 慎吾です」
彼はそう答えると長瀞を見て表情を和らげ、ペコリと頭を下げた。

「影森 長瀞です
 ペットについてお困りの事がございましたら、ご相談ください」
長瀞も頭を下げて挨拶を返す。
「うちは熱帯魚しかいないから、ペット探偵のお世話になることはないかな」
彼、桜沢 慎吾はそう言って少し笑った。
思った通り、笑うととても可愛らしい感じになる。
それに『桜』という名前。
桜は俺の一番好きな花だ。
ますます、俺の中で彼の存在が大きくなっていった。
俺はゲンの腕をツツいて自分の存在をアピールした。

「ああ、んで、こっちはナガトの同僚の影森 新郷
 影森って言うのは、ここの探偵事務所に所属する人が名乗る通称みたいなもんなんだ
 だから、こいつらは下の名前で呼んでやってくれ
 あれ、でも、慎吾と新郷って音が紛らわしいな」
俺を紹介しながらゲンが首を捻る。
「あの、影森 新郷です
 よろしく、桜沢さん」
俺が握手しようと手を差し出すと、彼はビクリと身を竦ませた。
そんな自分の態度に彼自身驚いたように少しハッとした顔を見せるものの、長瀞に向けた笑顔とは違う顔で俺を見る。
それは、俺を恐れているような表情であった。
「あ、ああ、どうも」
彼はぶっきらぼうな感じで挨拶を返し、おざなりに握手をするとすぐに手を離してしまった。
俺の何が彼の気に障ったのか全くわからず、いたたまれない気持ちにさせられた。

「週末、海釣りに行くんだ
 釣果があったら、それ持って行かせてもらうよ
 オジサンの好きなアジでも釣れれば良いんだけどな」
桜沢はすぐに俺から離れ、ゲンの元に行く。
「たまにゃマグロ釣ってこいや、もちろん本マグロ!
 ビンチョウマグロでも、まあ、良しとするか」
ゲンがヒヒッと笑うと
「素人に釣れるか!メバルかスズキで我慢しろ」
桜沢も笑顔で言葉を返す。
「じゃな」
桜沢はそう言うと軽く手を上げて去っていった。
俺はそれを呆然と見ているしか無かった。

俺があまりにショゲていたせいか
「ごめんな、あいつ初対面の人間、ちょっと苦手なんだ
 きつい顔してるけど、付き合ってみれば良い奴でさ
 つか、やっぱ、新郷のことは怖がったか
 お前に落ち度はなかったから、気にすんな
 お前はちゃんと人間っぽく振る舞えてたよ」
ゲンが苦笑して言った。
「怖がる?」
俺を見る桜沢の怯えたような目を思い出し呟くと
「慎吾な、犬嫌いなんだよ
 ガキの頃、柴犬に噛まれてさ
 それで犬、特に柴犬が大嫌いになっちまったんだ
 お前のこと、本能的に怖がるんじゃないかと思ったら案の定
 でも動物全般嫌いな訳じゃないんだ、うちの猫達のブラッシングとか積極的にやってくれるし
 猫は好きなんだよな」
ゲンはそう教えてくれた。
それで桜沢が長瀞には笑顔を向けていた事に納得するが、俺は激しく落ち込んでしまった。

「そんな…俺、桜沢のこと噛まないのに…」
泣きたい思いで口にすると
「そりゃそうだろ、その姿で人間に噛みついちゃ絶対ダメだぞ」
ゲンがギョッとした顔になる。
「俺、彼に優しくしてもらいたいだけなのに…
 桜沢に飼ってもらいたいのに…」
続く俺の呟きを聞いた彼と長瀞の顔は、珍獣を見るようなものに変化していった。
「新郷、貴方…」
「新郷、お前…」
2人が同時に同じ事を呟いた。
そんな2人に
「うん、俺、あの人に飼ってもらいたい
 あの人と一緒に居たい
 あの人を守りたいんだ」
俺はキッパリと告げていた。

「なんつーいばらの道を選ぶかね、お前さんは
 あいつの犬嫌いは筋金入りだぞ?」
ゲンがスキンヘッドを撫でながら、困ったようにそう言った。
「ゲン、理屈ではないのですよ
 魂が、その方と一緒にいることを欲するのです
 私が貴方にひかれたように」
長瀞の言葉で、ゲンがむうっと唸る。
「桜沢様はゲンのお友達なのでしょう?
 出来れば新郷に協力してあげてください」
長瀞が頼むと、ゲンが神妙な顔になり
「本当に、あいつのこと守りたいんだな」
俺に向き直り確認するように聞いてきた。
「はい」
俺は真剣に答えた。

暫く俺の目を見ていたゲンは
「そっか、なら、お前には知っといてもらった方がいいな」
そう言うと、桜沢の事を語ってくれたのだ。

彼の、悲しい過去を。
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