このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

しっぽや(No.32~43)

side〈ARAKI〉

俺はいつものように、週末をバイト先のしっぽやで過ごしていた。
「今日は暇だな…」
同じくバイトに来ている日野が、ソファーに座って所在なく扉を見つめている。
整理する書類も底を尽き、俺たちは手持ちぶさたもいいところだった。
今日はまだ俺たちが事務所に来てから、1件の依頼も来ていない。
「ま、こんな日もあるでしょ」
黒谷はノンビリした感じで言うと椅子から立ち上がり
「3時前だけど、お茶にしよ」
所長自らお茶を煎れる準備を始める。
「俺も手伝うよ」
慌てて日野が黒谷を追って立ち上がった。
「では日野はお茶菓子を用意してください
 日野のお婆様にお土産でいただいたカリントウでも出しましょうか」
黒谷と日野がお茶を煎れている間、俺は白久と並んでソファーに座り、まったりとしていた。

カリントウが入った小鉢を持った日野が戻ってきて、俺の向かいのソファーに座る。
「荒木、こんなの食べる?
 婆ちゃんの土産だから、センスが古いというか…」
日野がどこかモジモジと言うので
「うん、俺最近、渋めのお茶菓子好きになったんだ」
俺はヘヘッと笑って見せた。
白久と付き合うようになってから、日本茶に合うお茶請けをよく食べるようになっていたのだ。
日野はホッとした顔をして
「これ、口当たり軽いし、色んな味が入ってるから美味しいぜ
 紅茶やコーヒーにも合って、俺、好きなんだ
 だから婆ちゃん、出かけるとよく買ってきてくれてさ」
そう説明してくれる。
「お祖母さん、具合良くなってよかったな」
俺の言葉に
「うん、もうすっかり元通り、元気だよ
 荒木にも会いたがってるから、また遊びに来て」
日野は爽やかな笑顔で答えた。

「お待たせ、今日はほうじ茶にしてみたよ」
黒谷が湯飲みののったお盆を持って戻ってくる。
テーブルに湯飲みを置くと、そのまま日野の隣に腰掛けた。
事務所にほうじ茶の良い香りが広がった。
「いただきます」
俺たちはカリントウに手を伸ばし、お茶の時間を満喫する。
暫くはどのカリントウの味が美味しいかなど、たわいもない話に花を咲かせていた。

ふと会話がとぎれた時
「お茶菓子食べながらお茶飲めるなんて、平和な時代になったよな…」
日野がぽつりと口にする。
「あなた方が作ってくださった時代です」
黒谷が日野の手を握り、労るようにそう言った。
日野は少し微笑むと気を取り直したように
「そういえばあの時代、他にも2人、犬の化生がいたよね
 彼ら、どうしてるの?」
過去世の記憶とやらに基づく問いかけをした。

黒谷と白久は顔を見合わせる。
「親鼻(おやはな)は消滅しました」
黒谷のその言葉に、俺と日野は衝撃を受けた。
「飼い主を得て、満足のいく生を謳歌(おうか)したのです
 安らかな消滅でした
 私たち、皆で見送りましたよ」
白久がやんわり微笑みながら教えてくれた。
「じゃあ、もう1人も…」
日野がゴクリと唾を飲んで聞くと
「新郷(しんごう)は上だ」
黒谷が上を指さして答える。
『上って、天?そうか、消滅しなくても事故とかで亡くなる化生がいても不思議じゃないんだ…』
俺はそう思い至りシンミリとした気持ちになる。
日野も同じ思いなのか、場がシーンと静まりかえった。

そんな時、ノックも無しにいきなり事務所の扉が『バンッ!』と開けられた。
俺と日野は驚いて、飛び上がりそうになる。
入ってきたのは茶のスーツを隙なく着こなし、細縁の眼鏡をかけた20代後半に見える青年だった。
背はそんなに高くなく、黒谷よりは低そうだ。
端正な顔に似合った明るい茶髪なのに、役人のような冷たくお堅い感じが漂っている。
「なんだね君たちは、こんな時間に若い子を侍(はべ)らせてお茶とは
 いかがわしい店じゃあるまいし、節度をわきまえたまえ」
その人は事務所内を一瞥(いちべつ)し、冷たい声で言い放った。
俺も日野も慌てまくってオロオロするが、黒谷と白久はすました顔でお茶を飲んでいた。

「食べる?」
黒谷がカリントウを指さしながら、場違いとも言える発言をする。
『こーゆーの、火に油を注ぐって言うんじゃ…』
俺は彼が怒り出すのではないかと首を竦めてしまう。

「食べるー!」
彼は今までの冷たい表情を一変させ、ドカッと白久の隣に腰掛けた。
「黒谷、お茶煎れて、これ水分無しで食べたら死ぬ系じゃん」
彼はそう言いながら、既にボリボリとカリントウをかじっていた。
「はい、はい」
黒谷が立ち上がると
「『はい』は1回!桜ちゃん、そーゆーとこ厳しいんだから、キチンとした日本語使ってよ」
彼はビシッと指摘する。

「あ、どーも、俺、こーゆー者ですー」
それから彼は呆気にとられる俺と日野に、名刺を渡してきた。
そこには
『芝桜会計事務所
 芝 新郷(しば しんごう)』
そんな文字が書かれている。
「新郷って…」
呆然と呟く俺の言葉を受け
「新郷は、この事務所の上の階に入っている会計事務所に勤めてるんですよ」
白久が笑って教えてくれた。

「新郷、僕たちは気配でわかるけど、日野たちがビックリするだろ?
 ちゃんとノックして入ってよ」
お茶を煎れて戻ってきた黒谷が、ため息と共に注意する。
「いやー、初対面のインパクトは大事かなー、と思ってさ」
新郷さんは子供のように笑う。
その顔に、先ほどの冷たい印象は感じられなかった。
この陽気さは、ゲンさんを彷彿(ほうふつ)とさせる。

「さっきのあれ、俺の大事な飼い主、桜ちゃんの真似
 この眼鏡も真似っこなんだ、伊達眼鏡ってやつ
 頭良さそうに見えんだろ?」
新郷さんは指の先で眼鏡をクイッと持ち上げて見せた。
「桜ちゃんは本当に目が悪くて眼鏡着用してるんだけどな
 そんで、頭良さそう、じゃなくて頭良いの!
 なのに桜ちゃんって、可愛いツンデレなんだぜ
 ツンデレ、なんて言葉がない時代からあんななの
 やっと時代が桜ちゃんに追いついた、って感じ」
新郷さんは胸を張って言う。

「ああ、桜ちゃんって『桜沢 慎吾(さくらざわ しんご)』って言うんだ
 うちの会計事務所のボス
 って、俺と桜ちゃん2人でやってる事務所だけど
 だから忙しくって、お茶する時間もなかなか無いんだよ
 ここはヒマそうだなー」
事務所内を見回す新郷さんに
「今日はたまたま依頼が少ないだけです」
白久が苦笑した。

「会計事務所勤務って…
 しっぽやでは働いてないの?」
日野が控えめに問いかけると
「以前はここで働いてたけどさ、俺は飼い主の仕事を手伝う事に決めたんだ
 だから影森の名から外れたの
 桜ちゃんの家で暮らしてるから、影森マンションにいないしね
 なかなか挨拶に来れなくてごめんな」
新郷さんはすまなそうに頭を下げる。

「新郷さんって、柴犬ですか?」
そんな彼に俺は気になっていたことを聞いてみた。
彼の明るい茶髪と茶のスーツが、それを連想させたのだ。
「ご名答、さすが高校生名探偵!
 ああ、俺の事は新郷でいいぜ、荒木」
彼は悪戯っぽく笑ってウインクした。
その言葉で、新郷がゲンさんとも親交があることが伺えた。
「白久に飼い主が出来たのはありがたいことだ
 こいつは俺よりも長く独りだったからな
 荒木に飼ってもらってから、こいつ本当に嬉しそうに笑うようになった
 白久のこと、可愛がってくれ」
ペコリと頭を下げる彼に
「もちろんです」
俺は大きく頷いて見せた。

「和銅…今は日野だっけ
 微かに気配に覚えがあるよ
 戻ってきてくれてありがとう、素晴らしい奇跡だね
 今度こそ、黒谷と幸せになってくれ」
新郷は真剣な顔で日野にそう頼む。
日野はコクリと頷いて、黒谷の手を握りしめた。

「しかし、飼い主との出会いってやつはいつだって奇跡的で、運命的だ
 まあ、俺と桜ちゃんは、出会いよりも飼ってもらうまでが大変だったんだけどな
 すんごい障害があったのさ
 なんと、桜ちゃん犬嫌いだったの!」
新郷はオーバーアクションで説明する。
「子供の頃近所の柴犬に噛まれて、犬、大嫌いになったんだよね
 だから、ここの事務所にもあんまり来たがらないんだ
 ここ大型犬多いから、桜ちゃんには怖いんだよ」
その言葉に
「柴犬って…まさに新郷じゃん」
俺は呆然と呟いた。
「そ、俺だけを彼の特別な犬にしてもらうため、頑張ったんだぜ
 聞きたい?聞きたいよな、俺たちの愛の物語」
彼はそう言うと
「それではしばし、ご静聴のほどを」
大仰に頭を下げてお辞儀をし、自らを語り始める。


こうして俺たちは、新郷から長い物語を聞くことになったのであった。
18/35ページ
スキ