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しっぽや(No.32~43)

「来週、お休みをいただいてもよろしいでしょうか」
しっぽやの業務開始時間前、所長机の回りを掃除している黒谷に私は声をかけてみた。
「ん?ああ、もうそんな季節か
 お墓参りに行くんだろ?良いよ、行っておいで
 今は長瀞抜きでも羽生の捜索能力上がってるから、業務に支障は出ないよ」
黒谷は机の上を拭きながら、朗らかに答える。
「では、来週の水曜日は休みますね」
私はソファーを拭きながら、そう宣言させてもらう。

「君のライバルだった子だっけ?
 もう、生まれ変わって新しい飼い主と巡り会ってるかな」
黒谷が興味深そうに聞いてくるので
「そうですね、彼女は化生しないと言っていましたから
 もう生まれ変わってるかも
 私のせいで寂しい思いをさせてしまったのが、やはりまだ心にひっかかってますよ」
私は苦笑してそう答えた。
「僕たちは、本当に嫌いな者に看取られて旅立たないよ」
黒谷が慰めるように言ってくれるその言葉に感謝しながら
「…だと思いますけどね」
私はそう呟いてみるのであった。



秋晴れの水曜日、私とゲンは連れだってペット霊園への道を歩いていた。
郊外にあるこの場所は、しっぽやが懇意にしているペット葬儀場に併設されている。
捜索の結果、残念な状態で発見されるペットもいるので、自然と縁が出来てしまった場所であった。

「日中の暑さが、ずいぶんマシになったよな」
ゲンが空を仰ぎながら言う。
「まだ木々の緑は濃いのに、秋の気配が訪れていますね」
私も回りを見渡しながら答える。
葬儀場から5分と歩かない場所に、それはあった。
霊園と言っても人のお墓のように個別ではなく合同で供養されているため、大きな供養塔が建てられている。
そこには様々な種類の犬や猫の写真、オモチャやオヤツ、水などが供えられていた。
飼い主の愛が溢れるこの場所を、私は嫌いではなかった。
ただ、ここで泣き崩れる飼い主をオロオロしながら見守る影には、心打たれるものがあった。

今日は平日のせいか、辺りには人の姿がない。
マリさんの気配もなかった。
亡くなってから、マリさんの気配を感じたことは1度もない。
きっと、ゲンと私が仲良くしている姿を見たくないのだろう。
そのことは、私に一抹の寂しさを感じさせた。
「マリちゃん、一緒に過ごせて、楽しかったよ」
ゲンがそう言いながらお線香に火を付け線香立てに立てると、煙が真っ直ぐに天に上っていく。
ゲンは目を瞑って彼女のために祈りながら手を合わせていた。
私もそれにならい目を瞑ると、微かに猫の気配を感じとった。
それは、懐かしいマリさんのものであった。

『毎年ありがと、ゲンちゃん律儀なんだから』
瞼の裏に、ゲンにまとわりつくマリさんの姿が浮かぶ。
彼女はひとしきりゲンにすり寄り甘えた後、私の方に向き直り
『アタシ、次の場所へ行くわ』
スッキリとした気配でそう告げた。
『パパとママ、やっとペット可マンションに引っ越したから』
ウフフっと彼女は機嫌良く笑った。
『パパとママ…?』
訝る私に
『ゲンちゃんがアタシを引き取る前に、アタシを飼ってくれてた人達』
彼女は得意げに答えてくれた。

『あの時は会社が倒産したし、アパートの立ち退き迫られて、パパとママ色々大変だったの
 アタシを保健所に連れて行く事を決めたとき、パパもママもうんと泣いた
 ゲンちゃんがアタシを引き取ってくれることになった時も、パパとママ、うんと泣いた
 「良かったね、ごめんね」ってうんと泣いたの
 パパとママの部屋には、今もアタシの写真が飾ってあるのよ
 アタシ、あの人達にうんと愛されてるんだから』
誇らかなその言葉で、私は何故亡くなってからマリさんの気配を感じたことが無かったか理解した。
彼女は亡くなった後、以前の飼い主の元に帰っていたのだ。

『ゲンちゃんといても楽しかったけど、アタシ、やっぱりパパとママのとこに居たい
 また、子猫からやり直したいの
 可愛がってくれてありがと、ゲンちゃん』
マリさんはもう1度、ゲンに甘えてすり寄ると
『アンタもちょっとだけ、ありがと
 看取ってもらえて、少し心強かった
 バイバイ、ながとろ』
その言葉と共に、マリさんの気配が天へと遠ざかっていく。
目を開けると、真っ直ぐに立ち上っていたお線香の煙が途中で揺らぎ、さらに明るい高みへと上っていくのが見えた。
彼女は生まれ変わるために天に還って行ったのだ。

「ナガト、どうした、大丈夫か?
 また、思い出しちゃった?」
心配そうなゲンの言葉で、私は自分が泣いていることに気が付いた。
「もう、マリさんに名前を呼んでもらえることは無いと思っていたのに…」
私はゲンの胸にすがって嗚咽をもらしてしまった。
最後に照れくさそうに名前を呼んでくれた、その声が何度も蘇る。

『バイバイ、ながとろ』

『バイバイ、マリさん、良い旅を』

私は心の中で答え、しっかりと抱きしめてくれるゲンの腕の中で、暫く涙を流し続けるのであった。
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