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しっぽや(No.32~43)

この家に来た日から、どれだけの月日が流れたのかわからない。
寒い冬でも家の中でこたつがあれば暖かだということを、俺は既に知っていた。
こたつにあたるお父さんの膝が、俺の特等席だ。
お母さんの膝の上には、みーにゃんが陣取っている。
お父さんは俺を撫でながら
「あーにゃんも年をとったのかね
 黒い毛に、ずいぶん白い毛が混じってきたぞ」
そう言って背中の毛をかき分けた。
「みーにゃんもそうですよ
 この子達、もう『シニア』に入る年齢なんですって
 人間だったら、まだ小学生の年なのにね」
お母さんがみーにゃんを撫でながら言う。
「俺より先にヨボヨボの爺ちゃんになっちゃダメだからな」
お父さんが笑いながら俺の喉をさする。
気持ちよくて、俺の体からゴロゴロという振動が止まらなかった。

「この子達は、家にくる前はどんな暮らしをしていたのかね
 この家に来て、幸せなのかな」
お父さんがポツリと呟くと
「幸せでしょう、そんなにゴロゴロ言っちゃって」
お母さんがクスリと笑う。
みーにゃんからも、さっきからずっとゴロゴロ音が響いていた。
「この子等もだけど、俺も年をとったと最近つくづく感じるよ
 仕事は定年退職したしな
 何だか最近、昔のことばかり思い出してさ
 自伝、なんてものを書いてみるのも良いかと思い始めてるんだ」
お父さんはそう言って、お茶を一口飲んだ。

「おい、あーにゃん、わかるか?
 自伝ってのは、こう、自分の事を書き綴ったもののことだ
 お前等よりドラマチックじゃないかもしれないが、俺だって若いときには色々あったんだよ
 それを1冊の本に纏めるってのも、人生の良い記念になるかと思ってな」
お父さんが俺に話しかけてくる。
「あ…ん」
俺が答えると
「そうか、あーにゃんも読んでみたいのか」
お父さんがはずんだ声を出した。
「それじゃあ私は、執筆中のお父さんに美味しいお茶を煎れましょうね
 もしベストセラーになったら、私は大作家の奥さんだわ」
お母さんが楽しそうに笑うと
「ミィィ」
みーにゃんがそう答えた。
それはいつもと変わらない、穏やかな日々の1つであった。
そんな穏やかな日々が一生続くと、俺もみーにゃんも信じて疑わなかった。



「今年はいやに雨が降るな」
お父さんが窓の外を見ながら言った言葉に、俺は何故か不吉なものを感じてしまった。
「本当に、この時期に5日も土砂降りなんてどうしたのかしら
 川が氾濫しないと良いけど
 裏山の状態も心配だわ」
お母さんが不安そうに答える。
外では音高く雨が降り続いていた。
『家の中にいれば濡れないし暖かい、家の中は安全なんだ』
俺はそう考えて、自分の不吉な気持ちを振り払った。



ゴゴゴゴゴゴゴゴ!!!!!

その轟音は深夜に突然轟いた。
ビックリして、カゴの中で寝ていた俺とみーにゃんは跳ね起きた。
お父さんもお母さんも音に気が付かないのか、布団の中で寝ている。
人間の方が俺達より耳が良くないことに、俺達は気が付いていた。

『起きて、お父さん、お母さん
 変だよ、ヒゲがむずむずする
 良くないことが起こるよ!』
「あーーん!!あーーん!!」
「ミィィィ!!ミィィィ!!」
俺とみーにゃんが必死に呼びかけると、お父さんがやっと目を覚ます。
「う…ん、どうした、おまえ達
 のどが渇いたのか?こんな時間にミルクはだめだぞ?」
『早く、早く離れて』
俺達は必死でお父さんのパジャマを引っ張った。
「わかった、わかった、お母さんには内緒だからな」
モソモソと起き出したお父さんが部屋のふすまを開けた瞬間、さっきとは比べものにならない轟音が響きわたり、家が振動した。

ゴゴゴゴゴゴ!!!!
ガシャーン!!バリバリバリ!!!

あっと言う間だった。
家の中に居たはずなのに、激しい雨が吹き付けてくる。
そして、不吉な土の匂いが濃く鼻を突いた。
「な…、な…に…」
お父さんが呆然と呟いた。
さっきまでお父さんが寝ていた布団は、大量の土砂に埋まっていた。
お父さんの布団の隣にはお母さんが寝ていた布団があったのに、今はもう泥しか見えない。
「母さん…おい、母さん!!」
お父さんは必死で泥をかき分け始めた。
「あーーん!!」
「ミィィィ!!」
俺達はどうして良いかわからず、泣きながらお父さんの側をウロウロするしか出来なかった。
「おまえ達は、早く家の外に出るんだ!
 俺は母さんを助けてから行くから、早く!」
お父さんが俺達を追い払うように、手を振った。
そう言われても俺達だってどこに行けばいいかわからないし、お母さんが心配だった。
どうすることもできず、泥をかいているお父さんの回りを行ったり来たりしているときに、それは来た。

ゴゴゴゴゴゴゴ!!!!

お父さんも俺達も、冷たい土砂に飲み込まれた。
圧倒的な力で体が流される。
体が変な方向に曲がっていた。
痛みよりも、寒さが俺を襲う。
魂までも凍ってしまいそうな寒さだった。




薄れゆく意識の中、前足の先が少しだけ暖かいことに俺は気が付いた。
生まれたときから知っているこの温もりは、みーにゃんのものだ。
みーにゃんの体のどこかに、前足が触れているのだ。
しかしその温もりは、どんどん冷たくなっていく。
俺の体も、冷たくなっていった。


もしも俺達が人であったなら、お父さんとお母さんを強引に家から連れ出せたのではないか。
山から轟音が響いた事を、きちんと知らせることが出来たのではないか。
土砂に埋まったお母さんを、掘り出せたのではないか。
最後にみーにゃんと、もっとしっかり手を繋ぎあえたのではないか。

冷たくなりながら、俺はぼんやりとそんなことを思っていた…


気が付くと、俺はどことも知れぬ場所を歩いていた。
遠い昔に来たことがあるような、初めて来たような、不思議な気持ちになる場所だ。
何で歩いているのか、どこに向かっているのかわからない。
それでも俺は、歩き続けていた。
いつしか前足の先が暖かくなる。
俺はしっかりと何かを握っていた。
『握る?』
そんなことが出来るのかと視線を下に向けると、俺の前足は人の手になっていて、人の手を握っていた。
人の手ではあるけれど、俺はこの温もりを知っている。
生まれたときから知っている。
「みー…にゃん」
掠れた声を上げると
「あー…にゃん」
掠れた声が返ってきた。
1人ではないという安心感で、俺達は名前を呼び合いながら長い道を歩いていった。


「まあ、兄弟で化生するなんて、初めてのことだわ」
まばゆい光の中から声が聞こえた。
それは久しぶりに感じる、野生の獣の気配であった。
しかし、山で遭遇したどんな獣とも違う。
近付くのは恐ろしかったが、俺にはみーにゃんがいる。
2人でならきっと大丈夫。
俺達はもっと強く手を握りあい、光に向かって歩いていった。


光の先には人間の女の子がいたが、俺達はそれが仮初め(かりそめ)の姿であることに気が付いていた。
恐ろしい獣の気配と、包み込むような暖かな気配が混同する不思議な存在。
なぜだかそれは、母さんを思い起こさせた。
「私は三峰といいます、よろしくね
 あなた方は『化生』しました、仮初めの人の体に生まれ変わったのです」
三峰様は優しい声で話しかけてくる。
「今から貴方の名前は『明戸(あけと)』」
三峰様が俺を指してそう言った。
「貴方は『皆野(みなの)』」
続けてみーにゃん、皆野を指して言う。
「あなた達を愛してくれる飼い主と巡り会えるまで、しっぽやにいらっしゃい」
こうして俺達は、しっぽやに所属することになった。



初めは野犬を思い出させる犬が怖かったが、穏やかな彼らは飼い犬のベルに近く、俺達はすぐに白久や黒谷に気を許すようになる。
初めて見た長毛種の猫には驚いたが、長瀞は俺達にここでの暮らし方を色々教えてくれた。
しっぽやという処は、最近始めた『ペット探偵』なるものがそこそこ繁盛しているらしい。
迷子になったペットを見つけるのが、俺達の仕事だった。

服は事務所のクローゼットから好きなものを選べば良かった。
俺達は白いシャツに白いソックス、黒のスーツを好んで選んでいた。
本当は白い手袋もしたかったが、一般的な格好ではないと長瀞に止められた。
ネクタイは俺は青、皆野は緑を好んだ。
それは生前付けていた首輪の色であった。
俺達は数年で居場所を変えていたが、長瀞に飼い主が出来ると定住出来るようになる。
長く独りだった白久にも、飼い主が現れた。


「俺達も、飼い主と巡り会えるのかね
 でも俺、お前と一緒に飼ってもらえないと嫌だな」
俺はよく、皆野にそんなことを言う。
「私だって、明戸と一緒じゃないと嫌ですよ
 お父さんとお母さんみたいに、私たちを愛してくれる飼い主が現れると良いですね」
皆野もそう言って微笑んだ。
「さて、お茶でも煎れますか
 自伝の執筆具合はどうです?
 出版、なんて出来ないからベストセラーになって『大作家の兄弟』にはなれないけれど
 あのお方はお父さんにお茶を煎れるのがお好きでしたから
 あのお方が出来なくなったことを、私がやってさしあげたい」
皆野にとっての『あのお方』は、お母さんのようだ。

「そうだね、あのお方が果たせなかった『自伝を書く』ことを、せめて俺がやりたいよ
 あのお方はお母さんの煎れてくれるお茶で一息付くのが、お好きだったな
 あ、お茶請けは食べる煮干しが良いな」
俺にとっての『あのお方は』お父さんだった。
俺達は、あのお方達の生活を模倣しながら暮らしている。
「そう言えば、あのお方は出汁を取った後の煮干しや鰹節で、私たち用のおやつを作ってくれてましたよね
 お父さんのお茶の時間、それをご相伴出来るのが楽しみで」
皆野がしみじみと言う。
「俺も、あの時間は大好きだったよ」
俺も懐かしく思い出す。

俺達は、またあの時間を取り戻せるのだろうか。
俺と皆野、2人を一緒に愛してくれる飼い主に会えるのだろうか。

そんな日を、俺達はいつまでも待ち続けるのであった。
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