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しっぽや(No.32~43)

姿を見られてから、カリカリの粒は小さいものに変わったが、味が前より良くなった。
急に襲ってこられない距離を保ちながら、お父さんとお母さんがカリカリを白いもの(お椀と言うようだ)に入れてくれるのを待つのは楽しい気分に感じられ、俺は自分の感覚に驚いた。
「ドッグフードより、キャットフードの方が美味しいでしょ?」
お母さんがそう言って笑う。
「今日は良いもの作ってきてやったぞ
 もうすぐ寒くなるからな」
お父さんが何か大きな物を持って俺達に近付いてきたので、俺達は慌ててそこから離れ、木の上に避難する。

お父さんは枯れ枝や大きい物を組み合わせ、何かを作っていた。
「ほら、この中で寝れば少しは暖かいだろ
 毛布も入れてあるからな
 怖いもんじゃない、大丈夫だから降りておいで」
そう言われても、俺達は2人の姿が消えるまで木の上から降りなかった。
2人の姿が消えると、俺達はカリカリを食べに行く。
『何を作ってたのかな』
『見てみる?』
腹が満たされた俺達は、恐る恐るそれに近付いた。
それは組み合わされた枝で固定された、木で出来た箱だった。
森でたまに見かけた小鳥の巣箱に似ている。
穴から中をのぞくと、フワフワした物が入っている。
中に入ってそれを踏むと、母親の記憶がよみがえってきた。
『これ、母さんみたいだぞ』
俺が言うと皆野も箱に入り
『気持ちいい』
うっとりと、フワフワを揉み始める。
俺も真似して揉んでみると、母親と過ごした木のウロの記憶が思い起こされた。
ひとしきりフワフワを揉んだ俺達は、箱の中で寄り添いながらいつもより暖かい眠りを楽しんだのだった。


山はどんどん寒さを増していたが、俺にはフワフワと皆野がいる。
カリカリと水も、お父さんとお母さんが持ってきてくれる。
お腹を空かして皆野とさまよっていた頃に比べると、天国のような暮らしだった。
このままの暮らしが続いてくれると、俺も皆野も思っていた。
そんな時、そいつはやってきた。
人間の匂いが濃いこの辺りに、他の獣はめったに近付いて来ない。
しかしカリカリの匂いにつられたのか、若い狐が姿を現したのだ。
俺も皆野も、即座に臨戦態勢に入る。
俺達はカリカリのおかげで、以前より大きくなっていた。
しかし、そんな俺達より狐の方が大きかった。
挟み撃ちにして何とか撃退しようと試みるものの、相手は素早くそれをかわす。
相手の狙いは、俺より小さな皆野にしぼられていった。

『ミギャン!』

相手の牙が皆野を傷つけた。
前足から血を滴らせた皆野は、その場にうずくまってしまう。
さらに皆野に襲いかかろうとする狐の背中に、俺は飛び乗った。
思いっきり爪を立てたが、毛が抜けるばかりであまりダメージを与えられなかった。
絶望的な状況の中

ブロロロロ

お父さんとお母さんが来るときに聞こえる獣の声が聞こえてきた。
狐は慌てて森の中へと消えていく。
しかし、皆野はうずくまったまま動けない。
俺は、皆野の側をウロウロと歩き回ることしか出来なかった。

俺の動きがおかしいことに気が付いたのか、お父さんとお母さんがこちらに向かい走ってくる。
俺はすでに2人のことが嫌いではなかったけれど、側に来られるのはやっぱり怖かった。
『逃げなきゃ、走って!』
『痛いよう、痛いよう』
皆野はパニックをおこし、泣き叫ぶばかりだった。
「あれあれ猫ちゃん、どうしたの、喧嘩したのかい?」
「こりゃ狐の毛だ、狐に襲われたんだな」
「大変、怪我してるわ、手当しないと」
お母さんが皆野を抱き上げる。
「ほら、おまえもおいで、怪我はしとらんか?」
お父さんが俺に手を伸ばす。
俺は恐怖にかられ、その場から逃走した。
「ミィー、ミィィー!」
皆野の鳴き声を耳に残しながら、俺はどこまでもどこまでも駆けて行ったのだ。


森の奥深くで我に返った俺は皆野を呼んでみる。
いつも俺の後を付いてくる皆野の姿は、どこにもなかった。
日が暮れて、一気に辺りが冷えこんでくる。
皆野を探して明け方までさまよったが、皆野の姿はどこにもない。
俺はその日生まれて初めて、皆野無しで眠らなければならなかった。
とても寒くて、このまま凍えてしまいそうだった。

嫌な記憶のある土盛りの場所には帰りたくなくて、俺は暫く森の中を転々としていた。
狐や野犬に襲われて、命辛々逃げ出したことも何度もあった。
水も獲物も何日も口に出来ないこともあった。
それでも俺は生き延びて、皆野を探し続けていた。
やがて山に白い物が舞い始める。
それはとても冷たくて、俺の体力をどんどん奪ってゆくもののようであった。
『せめてあのフワフワと寝たい』
そう思った俺は、あの場所に戻ることに決めた。


久しぶりに土盛りのある場所に帰ってみると、お椀には水もカリカリも入っていなかった。
白い物が降り積もったお椀を舐めても冷たいばかりで、腹の足しにはならない。
しかし木箱もフワフワもそのままで、中には懐かしい皆野の匂いが残っていた。
俺は久しぶりにフワフワの中、皆野の匂いに包まれて寝ることが出来たのだ。
ここに帰ってくるまでにクタクタに疲れていた俺は、かなり長い時間寝ていたようだ。

ブロロロロロ

遠くから、獣の鳴き声が聞こえた。
暫くするとサクッ、サクッと足音も聞こえてくる。
「猫ちゃん、居ないかい?
 猫ちゃん?」
あれは、お父さんの声だった。
足音は土盛りの辺りを行き来している。
俺を捜しているようだった。
「猫ちゃん、雪がふかくなると暫く来れんようになるんだ
 お前さんの兄弟は家にいるよ
 猫ちゃんもおいで、猫ちゃん」
そんなことを言いながら歩くお父さんを、俺は箱から顔を出して見てみた。
お父さんはすぐに気が付いて
「猫ちゃん、戻ってきてくれてたんか
 この前は驚かせてしまってごめんな
 おいで、怖いことはしないから、おいで」
お父さんはポケットからカリカリの袋を取り出すと、手に出して木箱に近付いてきた。
近付いてくるお父さんから逃げ出したかったが、俺は長時間寝た後なのに疲れ切っていて体が上手く動かなかった。
久しぶりのカリカリは良い匂いで、俺は木箱から出ると少しだけお父さんに近付いてみた。
お父さんも少しずつ近付いて、カリカリを持った手を差し出してくる。
逃げ出したい、食べたい、そんな葛藤は食欲に負け、俺はお父さんの差し出す手に恐る恐る顔を寄せカリカリを食べ始めた。
久しぶりにまともな食事にありつけた俺は、すぐに夢中で食べ始める。
お父さんが俺の頭を撫でている事に気が付いたのは、暫くたってからだった。
お父さんの手は、暖かかった。

「あ…ん」
掠れた鳴き声が口からもれる。
「おやおや、体はお前の方が大きいのに、鳴き声はお前の方が小さいんだね
 お前の兄弟はミーミー泣くから『みーにゃん』と呼んでるんだよ
 お前は『あーにゃん』だ
 あーにゃん、ここはすぐにもっと寒くなる
 家に行こう」
お父さんはそう言って、俺を抱き上げた。
抵抗したが、それは自分でも本気でないことがわかる。
俺は鉄の箱に連れ込まれ、さらにその中の小箱に入れられた。
鉄の箱が『ブロロロロ』と鳴き声をあげると、振動が伝わってきて移動している感覚がした。
『こいつがお父さんを運んでたのか』
俺はそう理解する。
鉄の箱の中は暖かく、振動が心地よかった。
何より小箱の中のフワフワからは濃い皆野の匂いがする。
俺は皆野の匂いに包まれて、安心してまた眠ってしまった。


小箱が持ち上げられ揺らされる感覚で、俺の意識が浮上する。
「母さんや、猫ちゃんいたぞ
 こいつは可愛く『あん』なんて泣くんだ
 『あーにゃん』だよ」
「まあまあ、良かったこと!
 みーにゃん、お兄ちゃんが来ましたよ」
そんな話し声の後に
「ミィィー!」
忘れようもない皆野の鳴き声がした。
「あ…ん、あーん」
俺も皆野を呼ぶ。
小箱の蓋が開くと、見たこともない場所に出た。
森の中しか知らない俺には、なにが何だかわからなかった。
俺のパニックを宥めるように、皆野がすり寄ってくる。
『大丈夫、ここは私のお家になったんだよ
 あーにゃんにとってもお家だよ
 暖かくて、安全なんだ』
暫く見ない間に、俺より小さかったはずの皆野(みーにゃん)は俺と同じくらい大きくなっていた。
いつも俺の後に付いてきてた小さなみーにゃんは、少し逞しくなっていたがいつものように甘えた声で
「ミィィー」
と泣いた。
『また、あーにゃんに会えて嬉しい、これからはずっと一緒だよ』
みーにゃんの言葉通り、その日から俺達に昔のように寄り添いあって眠る日々が戻ってきた。
俺達は、何をするにも一緒だった。


俺より先にこの家に馴染んでいたみーにゃんは、色々なことを教えてくれた。
あの土盛りの気配は『ベル』と言う、この家で以前飼われていた犬であったこと。
鉄の箱は『車』と言って、あっという間に遠くに運んでくれること。
窓際は日が当たって暖かく、お母さんが座布団を置いてくれるから昼寝に最適な場所であること。
『嫁に行った娘』の奈緒ちゃんが来ると、猫ジャラシで遊んでくれること。
カリカリより美味しい『カンカン』があるということ。

みーにゃんのおかげで、俺はすぐにこの場所に馴染むことが出来たのだった。
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